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地上最弱の女王様  作者: 宇部松清
第6章 下僕と水族館
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「レイジ、起きろ。出かける、ぞ!」

 ぽすん、ぽすん、と掛け布団の上で何かが飛び跳ねている。

 重さ的に、何だ? 猫? いや、ウチに猫はいねぇ。

 薄目を開けると、ぼんやりとした視界に白いものが映る。

 やっぱり猫……いや、ウサギか……?

 違う!

「……っユキ! お前!」

 起き上がろうとして、途中で止める。この勢いで身体を起こしたら、ユキがバランスを崩して転げ落ちてしまう。

 仕方なく、仰向けのままの状態で、話しかける。

「起きた! 起きたよ! とりあえず降りろ。危ないだろ」

 ユキは礼二郎の腹の辺りに立っていたが、ぴょん、とジャンプしてベッドから降りた。

「豪快な目覚ましだったな……。ていうか、軽いな、お前」

 たしかにユキは背も低く、痩せている。

 女の子は軽いものだと思っていたが、これほどとは……。

 っていやいや、それにしたって程がある。五、六歳の子供だって、もっと重いだろう!

「早く起きろ! 出かけるのだろう?」

「出かけるって、いま何時だ?」

 身体を起こし、枕元の目覚まし時計を見る。

「まだ六時じゃねぇか! 迎えが来るのは十時だぞ」

 ユキは床にぺたりと座り込んで不服そうだ。

「何時だろうと関係ない! なぜ私より早く起きないのだ」

「それは……悪かったよ……」

 って、コレ俺が悪いのかよ。

「母さんはもう起きてるはずだから、飯、食いに行くか?」

「行く!」

 顔をぱぁっと明るくさせて、勢いよく立ち上がる。すると、白い毛皮のような衣服に引っ掛かっていたのだろう、丸めたアルミホイルが一つ転がった。

「……何だ? それは」

「レイジを起こす前に『母さん』に会いに行ったら、これをもらってな。中に入っていたおにぎりは食べてしまったが」

「もう先に食ってんじゃねぇか!」

「大丈夫だ。イチカは『別腹』だと言っていた」

「姉ちゃんも起きてんのかよ!」

 ベッドから降りる。たたんで寄せておいた服をベッドの上に置く。

「ユキ、着替えるから、ちょっと出てってくれるか」

「何でだ」

 ユキは首を傾げて不思議そうな顔をしている。

「俺が恥ずかしいからだよ!」

「見なければ良いのだろう? 仕方がないから目を瞑っていてやろう。気にせずにやれ」

「そういうことじゃねぇんだよ!」

 ユキは両手で顔を覆っている。指をぴったりとくっつけている。本当に見るつもりなどないのだろう。ここまでされると嫌がっているこっちの方がおかしいような気になる。

 それでも、やばいだろ!

「ユキ、頼むって、そういうことじゃないんだよ」

「では、どういうことだと言うのだ。いいから早く済ませろ」

 両手で顔を覆ったまま、その場にすとんと座り込んでしまった。本気でここから動かない気らしい。

「あーもう、わかったよ! 絶対見んなよ!」

 手早く部屋着を脱ぎ、ジーンズをはく。股引は後で借りるとしよう。

 長袖の肌着、シャツ、セーターと、順番通りに身に着ける。昨日の夜のうちに準備しておいて良かった。

「ユキ、もう目を開けていいぞ。だいたい終わった」

 ユキは両手を外し、目を開けた。強く瞑りすぎたのだろうか、何度も瞬きをしている。

 レイジはベッドに腰掛け、靴下をはく。そして、最後のアイテムを箱から取り出す。

 箱に入っていたのは、シルバー素材のウォレットチェーンだった。しかし、財布にはつけない。両端についているナスカンは、お互いの間隔を空けてベルトループに引っかける。

 ガラじゃないんだけどなぁ……。本来の用途とも違うし。

「それは何だ?」

 腰の辺りでジャラジャラと揺れるチェーンを凝視している。

「今日はセーターだからさ、引っ張ると伸びちゃうだろ。引っ張るなら、コレ、引っ張れよ」

「おお。成る程」

 ユキは早速チェーンをつかんで左右に振る。

「これはいいな。レイジを捕まえておけるな!」

「……頼むから、トイレの時は放してくれよ」

 すっかりチェーンが気に入ったらしいユキを引き連れて、階段を下りる。

 ユキが危なくないように、一段一段慎重に。

 リビングを通ってキッチンへ向かう。キッチンには、もうすっかり朝食を済ませた一華が新聞を片手にコーヒーを飲んでいた。

「おはよー。ねぼすけさん。あら、いいじゃない、それ。よかったわねー、ユキちゃん」

 一華は、機嫌よくチェーンを左右に振るユキを目を細めて見ている。

「ふはは。これがあればレイジを見失わないぞ」

 より一層激しくチェーンを振った。

「考えたわね、礼二郎も。平日だし、まぁそんな混んでないとは思うけど、迷子になったら大変だしね」

「まぁね。頭いいだろ」

 礼二郎は自虐的にそう言った。

「ユキ、俺、飯食うけど。お前もまだ……食う……よな?」

「別腹だからな!」

 礼二郎が席に着くと、ユキはその隣に座った。チェーンはまだつかんだままだ。

 洗面所から景子が出てきた。洗濯機が動き始めた音がする。

「あら、礼二郎おはよう。ユキちゃんが起こしてくれたのね。おにぎり、まだまだあるわよー」

 景子は軽く手を洗い、大皿に盛ったおにぎりを運ぶ。

「えーとね、この海苔をぐるっと巻いてるのが、梅ね。ゴマがついてるのが鮭。それから、海苔が四角いのがおかかよ」

 三種類のおにぎりがそれぞれ三つずつ。計九個ある。

 景子のおにぎりといえば、この三種類が定番だ。礼二郎は説明を聞かなくてももうわかるが、これはユキに向けて言ったのだろう。

「ユキ、飯の時くらい手を離せよ。行儀悪いだろ」

「むー」

 ユキは不服そうだったが、しぶしぶ手を放した。放した手も添えて、両手でおにぎりをつかむ。

 ユキは冷たいお茶と漬物をお供に梅おにぎりをほおばっている。礼二郎は熱い味噌汁を啜った。

「おはよう。皆もう起きてたんだな」

 いつもならパジャマのまま下りてくる孝義だったが、若い娘がいるので気を遣ったのだろう、スーツ姿でキッチンへ入ってきた。

「お父さん、おはよう。あら、今日はバリっとスーツなのね」

 景子は普段なら考えられない孝義の姿に驚いている。

「いやー、一華もユキちゃんもいるのに、だらしない恰好は出来ないだろう?」

「もー。あたしの前ではいっつもだらしない恰好なのに。若い女の子に鼻の下伸ばしちゃって!」

 景子は笑いながら孝義の分のご飯と味噌汁をよそう。

 孝義は洗面所で歯を磨き、顔を洗い、髭を剃る。タオルで顔を拭いて、軽く髪に櫛を通した。

 孝義が席に着くころには、大皿の上のおにぎりはあと一つになっていた。

「ユキ、まだ入るか? 食えるか? それ」

「もちろんだ。良いのか?」

「俺はもう腹いっぱいだよ。食えるなら食っちまえ」

 ユキは最後に残っていた鮭おにぎりに手を伸ばした。これでユキは五つ、先に食べたものを含めて六つ食べたことになる。

「お前……。すげぇ食うな。俺より食ったな」

 礼二郎は呆れた顔でユキを見つめる。

「なんだ、礼二郎、ユキちゃんに負けたのか。まだまだだな、お前も」

 孝義はガハハと笑った。

「高校生の時ならまだ勝てたんだけどな」

 精一杯虚勢を張ってみたが……、いや、それでも負けたかもな。

 口元にご飯粒をつけたまま最後の一口を食べ終えると、お茶をぐいっと飲み干した。

「ユキ、ご飯ついてるぞ。自分で取れよ」

「お? ほんとだな。すっかり夢中で気付かなかった」

 口元のご飯粒をすべて回収し、ご満悦だ。

「飯食ったら出発まで少し寝るか? 体力温存しとけよ」

「そうよー、ユキちゃん。今日はたくさん見て回ろうね」

 一華が身を乗り出し、会話に入ってくる。

「そうか。それもそうだな。では、行くぞ、レイジ」

「は? 俺はいいよ」

「駄目だ。レイジと一緒に寝たいんだ」

 孝義がお茶を噴き出す。それを見て一華が笑い、景子が布巾を手渡す。

「ゆ、ユキちゃん! それはよくないぞ! それはよろしくない」

 孝義は景子に渡された布巾でテーブルに飛び散ったお茶を拭く。

「どうしてだ?」

「どうして……って言われても……。なぁ? 母さん」

 景子に助けを求めるが、景子は一華の方を見て笑う。

「そんなんじゃないわよねぇ? いっちゃん」 

「そうそう。お兄ちゃんに甘える妹みたいなもんよねー」

 一華も気にしていない。

「姉ちゃんの言うとおりだよ。そういうんじゃねぇって、父さん。それに、寝るったって、リビングで横になるだけだからさ」

 リビングで、と聞いて孝義は少し安心したようだ。礼二郎は自分の父がこんなに動揺しているところを初めて見た気がする。なんか新鮮だな。そう思った。

 孝義は、リビングに向かう二人を不思議そうな目で見つめた。主に、チェーンをしっかりとつかんでいるユキを、だったが。

 二人が去った後で、女性二人におずおずと尋ねた。

「あの二人って……どういう……?」

 女性二人は顔を見合わせて「ふっふー」と笑った。

「え? ふふって……? 母さん? どうなんだ? もしかして……その……」

「そんなんじゃないわよ。さっきいっちゃんも言ったでしょ? お兄ちゃんと妹って感じよ」

 景子は剥いて塩水につけておいたリンゴを器に持って孝義の前に置いた。


「ユキ、寝るならソファ使え。迎えが来たら起こしてやるから」

「そうだな。じゃ、レイジもこっちに来い」

 あくまでもチェーンは放さない気らしい。ぐいぐいと引っ張ってソファの方へ向かう。

「あのなぁ、ユキ、これそんなに長くないんだから、この状態で寝転んだら俺の背中に触っちゃうんじゃないのか?」

「むー。では、仕方がない。その代わり、出来るだけ近くにいろ」

「はいよ。ちょっとリモコン取るから、離れるぞ」

 ユキはごろりと寝転んだ。

 ローテーブルの上からリモコンを取り、テレビのスイッチをつける。ニュース番組が流れる。とりあえずつけてみたものの、特に興味のあるニュースはない。

 いまのところ気になるのは今日の天気くらいだ。

 リモコンを操作し、天気予報を流しているチャンネルを探す。三局目で天気予報に当たった。

 今日は晴れのち曇り。雨は降らないようだ。

 良かった。

 最高気温は十℃、最低気温は二℃。風はやや強く、波も高いとのこと。今日もかなり寒そうだ。

「今日も寒そうだぞ、よかったな、ユキ」

 そう言って振り向くと、ユキはもう寝息を立てていた。

「早ぇな、寝んの」

 そぅっとその場を離れ、キッチンへ行くと、三人はまだいた。シャリシャリとリンゴを食べている。

「あら、ユキちゃんはもう寝たの? リンゴ、食べる?」

「寝た寝た」

 そう言って、一華から手渡されたフォークでリンゴを刺す。

「なんだか急にべったりになったのね。どう? お兄ちゃん気分は」

「……結構大変だな」

 シャリ、と音を立ててリンゴをかじった。


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