表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地上最弱の女王様  作者: 宇部松清
第5章 水族館に行こう!
11/19

 一華は祥太朗との会話の後、しばらく家の前でぼんやりとしていた。

 ユキに出会ってから、不思議なことがありすぎて、頭の中がごちゃごちゃしている。

 冷たい風が頬を撫でる。そろそろ家に入るか。

「ただいまー……」

 家の中に入ると、夕餉の香りがする。この香りは煮物だ。成る程、和食なら冷めても美味しく食べられる。

 リビングでは、ユキと礼二郎が床に座ってテレビを見ている。

 この浪人生は、こんなことでいいのだろうか……。まぁ、一週間もの強制旅行に連れ出したあたしが言う台詞じゃないか。

「ただいま。仲良くテレビ?」

「ん? おお、お帰り。俺は部屋で勉強したいんだけどな。見ろよ、これ」

 そう礼二郎が示すのは、自分のシャツの裾だった。ユキが右手の人差し指と親指で、礼二郎のシャツの裾をつまんでいるのだ。

 近づいてみると、一応、参考書は近くに置いてあった。

「あらあら、どうしてそんなことになってんのよ」

「知らねぇよ。ココでテレビ見てろって言って、部屋に行こうとしたら、こうなったんだよ」

「……へぇ」

「おい、ユキ、姉ちゃん帰ってきたぞ。姉ちゃんいれば寂しくないだろ?」

 じーっとテレビを見ているユキに向かって問いかける。

「ユキちゃーん、イチカだよ。あたしと一緒にいようよ」

 一華はユキの顔を覗き込みながら話しかけた。しかし、ユキは口を固く結び、首を横に振って、礼二郎のシャツを引っ張る。

「……なんかいきなり好かれたみたいね。アンタ本当に心当たり、ないの?」

「……ないと思うけど」


 急に走り出したユキに追いついたのは、家まであと数メートルというところだったが、手を伸ばしかけて、止めた。触れてはいけないのだ。

「ユキ! おい! 止まれ! 止まれって!」

「嫌だ! 止まらぬ!」

「なんなんだよ。いきなりどうしたんだよ!」

「なんでもない!」

「なんでもなくねぇだろ! 止まらねぇと、飯抜きだぞ!」

 言ってみたものの、当然、礼二郎にそんな権利はない。あったとしても、果たしてこんなことで止まるものだろうか。

「なんだと?」

 そう言うと、ユキは急に走るのを止めた。もう家は目の前だ。

「なんだよ……、こう言えば……止まるのかよ……」

 礼二郎はゼイゼイと肩で息をする。

 こっちはこんなに息が上がっているのに、なんでユキは平気な顔をしてるんだよ!

「なぁ……本当にさ……。どうしちゃったんだよ。いきなりさぁ……」

 呼吸を整えながら、言う。ユキは礼二郎の方を振り向かずに言った。

「……レイジ、冬は好きか?」

「はぁ? 冬? まぁ、俺は暑いの苦手だし、冬は好きだぞ」

「いちばんか? いちばん好きか?」

 ユキはくるっと振り向き、礼二郎をじっと見つめる。

「そうだな……。そう言われると、一番かもしれないな。鍋料理も好きだし。ただ、浪人生にとっては厳しい季節だけど」

「……いちばんならそれで良い」

 それだけ言うと、また背を向け、家に向かって歩き出す。

「ええ? おい、先に行くなよ!」

 礼二郎はその後を追う。


「そんで、後はさっき言ったとおりだよ」

「成る程ねぇ……」

 一華はユキの隣に座った。

 ユキはよほどテレビが珍しいのだろう、CM一つ一つまでも真剣に見ている。

「で、何の番組見てたの?」

「んー、何だろ。適当につけたやつだからなぁ」

 ユキがシャツの裾をくいくいと引っ張る。

「お? 何だ? ユキ」

 ユキはテレビの画面を指差す。

 なんてことはない、水族館のCMだった。ここからなら車で一時間くらいか。

 画面では、シロクマがプールへ飛び込む瞬間が映っている。

「おお、ここよく行ったな。ちょっと前にこのシロクマに嫁さん来たんだよな」

「そうじゃないでしょ。ユキちゃん、行きたいんじゃないの?」

 単純に感想を述べてしまった礼二郎に対し、一華はごくごく冷静にそう言った。

「え? あ、ああそうか。ユキ、行ってみたいのか?」

 礼二郎が問いかけると、ユキは黙って首を縦に振った。

 礼二郎は一華と顔を見合わせた。

 行くか? 

 行くしかないでしょ。

 目だけで会話出来るのは、さすが姉弟といったところか。

「ユキ……、ココ、行ってみるか?」

「……いいのか?」

「いいに決まってるでしょ! 行きましょ! 明日!」

「やったぁ!」

「明日? 明日かよ! 急だな!」

「だって『善は急げ』って言うし? それに、ユキちゃん、時間がないって言ってたじゃない」

 そうだ……。ユキはずっと『時間がない』と言っているのだ。

 しかし、何の時間なのかは結局まだ聞けていない。

 でも、もしかしたら、それはユキが死ぬまでの時間なのかもしれない。そう考えると、聞くのが怖い。

 それを打ち消すように、努めて明るく礼二郎は言った。

「よし、行こう! 明日行こうぜ! えーっと、車は……どうする?」

「そっか、明日も父さん仕事だし……。母さんの車は使えないかな」

「いや、使えたとしても、誰が運転するんだ? まさか、母さんに連れてってもらうのか?」

 礼二郎も一華も運転免許をもっていない。礼二郎は大学が受かってから取りに行こうと思っていたし、一華に至っては交通の便が良いところに住んでいるため、必要ないと思って取らなかったのだ。

 かといって、景子を連れて行けばどこかでボロが出そうな気がする。

 いや、あるぞ……、方法は……。ただ、それには犠牲が……。

「……姉ちゃん、一日だけ、我慢出来るか?」

「……何が?」

「……車付の運転手の当てがあるんだ」

「あら、いいじゃない。で、あたしは何を我慢すればいいの?」

「その当てっつーのが、基樹なんだよな」

 そう、その『当て』とは唐橋基樹なのだ。『憧れ』の一華と水族館デートなどと言えば、どうなるのか容易に想像がつく。

「唐橋君か……。悩むなぁ……」

 一華はユキをちらりと見る。ユキは目を輝かせて一華を見つめた。

「イチカ、楽しみだな!」

「た、楽しみだね、ユキちゃん……」

 無理に笑顔を作り、答える。

 そして、礼二郎の方を見て、ため息をついた。

「頑張るわ……、あたし」


 夕食は和食中心のメニューだった。ユキの分だけ、早目に準備をし、冷蔵庫で十分に覚ましてある。

 一番心配だったのは箸だったが、パスタで鍛えたフォークさばきで何とか対応出来た。もちろん『くるくる』の出番はなかったが。

 初対面である孝義は、景子からあらかじめ電話で聞いていたようだが、やはり実物は違ったのだろう。初めてユキの姿を見た孝義は、一言「白いな……」と言ったきり、二の句が継げない様子だった。

 それでも、豪快な食べっぷりを気に入ったようで、自分の分の刺身も次々とユキに与えてしまった。

 犬猫じゃないんだから、餌付けすんなよ。

 ユキは何を食べても、冷めてさえいれば、うまいうまい、とよく食べた。

 

 皆、ユキを中心に楽しそうだ。

 きっと、明日も楽しい。明後日も、きっと。

 だけど、きっと、近いうちに、ユキは死んでしまうのだ。

 使命を、果たして。

 じゃあ、それを果たさなければ、生きていけるのか?

 いや、それでも、雪虫なのだ。永くは生きられないだろう。


 礼二郎は『その時』のことを考えると、胸が苦しかった。

 いまが楽しければ、楽しいほど。


 ユキは自分の運命をどう思っているのだろう。

 女王として生まれ、当然のように使命を果たして死のうとしている。

 少しでもその運命に抗おうとはしないのか……。


 いつもと変わらぬ、景子の作った夕飯も、まるで砂を噛んでいるように感じられた。


 

 夕食後、さっさと風呂を済ませ、基樹に電話をする。

 時刻は二十時を少し過ぎたところだ。

 基樹は家業の花屋を継ぐための修行中だ。その花屋『花のからはし』の閉店時間はたしか十九時だったはすだ。

 単調なコール音に飽きてきたころ、やっと基樹の声が聞こえた。

「悪いな、最後の客の注文がちょっと厄介で」

「いや、こっちこそ。もう、いいのか?」

「おお。今日のレジは親父が締めるって言うし。俺はシャッター下ろしたら業務終了よ」

 礼二郎はベッドの上に腰掛ける。ユキと一華は、いまごろ一華の部屋でテレビでも見ていることだろう。

「あのさ、明日仕事休めないか?」

「明日? 明日かぁ……。まぁ、休めなくもないけど。何だよ」

「実はさ、いま知り合いの子を預かってるんだけど、その子をな、水族館に連れてってやりたいんだ」

「知り合いの子って……、女の子か?」

「そう来ると思ったよ。女の子だよ。ただ、お前の守備範囲外だと思うけどな」

「……なんだよ。お姉さまじゃねぇのか」

 一華に憧れているだけあって、基樹の好みは年上のお姉さまだ。

「安心しろ、『お姉さま』もいる」

「何? マジか?」

「マジだ。俺の姉ちゃんだ」

「うおぉぉ! 一華さぁん! でかした! 義弟よ!」

「うるせぇ! 義弟と呼ぶな! まぁちょっと話を聞いてくれ。その知り合いの子なんだけど、ちょっと事情があってな……」

「ん? 何だ?」

「その子な、ちょっと特殊な病気でな。めちゃくちゃ暑さに弱い子なんだ」

「何だ? 暑がりさんか」

「いや、お前の思ってるレベルじゃない。お茶の湯気でやけどするレベルだぞ」

「……それは相当だな」「……だろ?」

 ここまでは一華との打ち合わせ通りだ。だが、ここから先は……。

「で、その子、たぶん、もう……永くないんだ……」

「えっ……? それって……」

「ああ……。だから、もしかしたら、最後の思い出になるかもしれないんだ」

「そうなのか……」

「悪いな。黙ってても良かったんだけど、俺が耐えられなかったんだ。ただ、姉ちゃんもその子も口に出すことはないと思うんだ。だから、お前も知らない振りしてほしいんだよ」

「……任せろ」

「あと、ちょっと癖のある子だけど、あまり突っ込まないでやってくれ」

「癖?」

「話し方とか、態度とか……。ああ、あと、見た目もな」

「見た目?」

「まぁ、そういうことだ! じゃ、明日十時に迎えに来てくれ!」

「お? 随分強引に締めようとするな。まぁ、いいけど。十時な。そんで、もう当然のように俺の車なんだな」

「頼むぜ、車付運転手!」

「……任せろ」

「じゃ、明日な。……あ! そうだ。明日は完全防寒仕様で来い。その子のために窓全開だからな。じゃ」

 基樹の返答を聞かずに電話を切る。

「え? お? おお? マジ?」

 基樹は声をあげたが、当然、返事はなかった。


「基樹、OKだってさ」

「そ。良かった。ユキちゃん、良かったね」

 ユキは床に敷いた布団の上ですやすやと眠っていた。

「さっきまで起きてたんだけどね。明日のために早く寝なきゃねって言ったら、すぐにコレよ。よっぽど楽しみなのね」

「そうだな……」

 ユキの枕元に座り、顔を覗き込む。口をぽっかりと開けて眠る様はまるで赤子のようだ。

「ユキさ、時間がないって言ってたよな」

「言ってたね」

「何の時間かって聞いた?」

 一華は、首を横に振る。

「なんとなく想像はつくんだけど」

「そうだね……あたしも」

「だから、明日はさ、楽しくやろうぜ」

「……そうだね。そうだよね!」

「姉ちゃんも明日は完全防寒でな。窓、開けっぱなしで行くからな」

「うっ……。わかった。恥ずかしいけど、モッコモコで行くわ」

「じゃ、俺部屋戻るわ。さすがに勉強しないとだし」

「おう、頑張れよ。浪人生!」

 それには答えず、立ち上がる。ユキの寝顔をもう一度見て、一華の部屋を出た。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ