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地上最弱の女王様  作者: 宇部松清
第4章 櫻井家の事情
10/19

 一華には「皆で」と言ったが、佳菜子と千鶴は阿寒温泉で待機させ、阿寒国立公園に行ったのは信吾と祥太朗だけだった。

 目的は、魔法の修行である。

 祥太朗は、自分が魔法使いの息子であることを知るまで、魔法というのは、呪文を唱えたり、杖を振ったりさえすれば簡単に使えるものだと思っていた。なぜなら、漫画やゲームの世界ではそうだったからだ。もちろん、呪文を覚えるのには魔物と戦ったりして経験を積まなくてはならなかったし、杖もそうやすやすと手に入れられるものではないのだろうが、『魔法使い』という条件さえ整っていれば、ある程度の魔法は使えると思っていた。

 しかし、佳菜子から自分が魔法使いであることを知らされ、師である信吾が不在の中、見よう見まねで最初に出来たのは、自分の体内の物質を体外へ放出させることだった。簡単にいうと、指先から塩分を放出させて、液体に塩味をつけることしかできなかったのだ。

 祥太朗が絵本の中にある『いだいなるまほうつかいが コップのみずを かきまぜると どんどんどんどんあふれてきて ついにはまちじゅうを みずびたしに してしまうほどでした』を再現出来るよう(それでも町中は無理だったが)になったのは、魔法に必要な要素『利用したい物質への敬意と感謝の気持ち』を祖父に教わってからだ。それを知るまでは、勝手に使える『自分の身体』の物質しか扱うことが出来なかったのである。

 それから祥太朗は信吾に魔法を教わるようになった。ただ、教わると言っても、信吾は特に『教える』ことはしなかった。海や山へ行き、祥太朗とのんびりと過ごす。それだけだった。

 でも、そうしているうちに不思議と魔法の扱い方がわかってくる。信吾は語らずに、自然への敬意と感謝を伝えていたのだろう。

 他の魔法使いのことはわからないが、信吾は『誰かの役に立つため』に魔法を使うことをポリシーとしている。山火事を消火するために川の水を借りたり、遠くへ人を運ぶために空気中のヘリウムを集めて舟を作ったりもした。よって、自然への敬意と感謝が信吾にとっては最も重要なのだ。

 そして、当然、この世に存在しているものしか使うことが出来ない。たとえば、既に機能を失ってしまった臓器を復活させたり、咲く力を失ってしまった桜の木に花を咲かせることは出来ない。魔法使いは神ではない。全能の力を持っているわけではないのだ。なんだか、祥太朗が思い描いていた魔法使いより、ずっと現実的だった。

 ただ、生粋の魔法使いである信吾は自分の姿形を変えることが出来る。本来、決まった形のない信吾は、佳菜子と共に生きていくため、人の姿でいることを選択しているに過ぎない。以前、咲かない桜の木に花を咲かせてほしい、と依頼された際には、自らが桜の花になったこともある。こればっかりは人間とのハーフである祥太朗には出来ない。

 あの日も、信吾と祥太朗はのんびりと、国立公園内を散策していた。祥太朗は大学生活の話題を振り、信吾は最近の佳菜子と千鶴のやり取りを話す。休憩しながら歩き回り、お目当てのオンネトーが見える展望デッキに着くころには、辺りはどっぷりと更け込んでいた。

「さすがに、誰もいないな」

「そうだね。どうする? 僕らも帰るかい?」

「まさか。せっかく来たんだから、オンネトーにゆっくり挨拶させてよ」

 湖を『眺める』ではなく『挨拶』と表現するようになった祥太朗に、信吾は驚いた。

 しかし、あからさまに驚いた顔はしない。いつも通りの優しい笑みを浮かべる。

「そうだね。僕はここに来るのは随分久し振りだよ」

 辺りは暗く、五色沼自慢の色の変化はわからない。静かな水面をじっと見つめる。

 二人はしばらく無言で湖を見つめていた。

 さて、と信吾が小さく呟く。

「そろそろ帰るか。佳菜子も千鶴ちゃんも待ってるだろうし」

 湖に背を向けた信吾に祥太朗も続く。

「待ってるかなぁ。いまごろ、温泉入って一杯やってるんじゃねぇの」

「それは大変だ。急いで戻らないと!」

 信吾が祥太朗の方を振り向いて言う。やけに真剣な顔だ。

「え? なんで?」

「千鶴ちゃんと同じペースで飲んでしまうと、大変なんだ。僕がいないと、たぶん布団の上では寝られない」

 珍しく動揺している信吾をなだめ、とりあえず、千鶴に電話をし、佳菜子の安否を確認することにした。

「あ、祥太朗。あたし達もう温泉入っちゃったー。え? 酒盛り? してないしてない。

お義母さんこないだつぶれちゃったの気にしてて、お義父さんが戻るまで飲まないーって」

 千鶴の言葉をそのまま伝えると、信吾は安心したようだった。

「過保護なんだよ、父さんは。母さんだってもう立派な大人なんだからさ」

 自分で言っておいて『大人』という単語にやや引っかかるものがある。年齢はたしかに『大人』だけど、果たして、それだけで『大人』の条件をクリアしているのだろうか……。

「わかってはいるんだけど、どうしてだろうね。佳菜子の身に何かあったら思うと、この辺りの臓器が痛むんだよ。人間の身体って不思議な作りだよね」

 そう言って、心臓の辺りをさすっている。

 それって……。

「……父さんさ、それきっと病気だわ。魔法使いでも人型になると人間と同じなんだな」

 祥太朗はややあきれながら言った。

 まったく、何年生きてるか知らねぇけど、こっちもこっちで『大人』ではなかったかもなぁ。

「病気? それは大変だ。でも、僕って人間の病気になるのかなぁ。風邪とかも引いたことないんだけど」

 信吾は心臓の辺りをさすりながら考えている。やはり、この分野に関しては『子供』なのかもしれない。

「やっぱり父さんにはちゃんと言わないと通じないか……。あのさ、それ俗に言う『恋の病』ってやつだよ」

「『恋の病』?」

「だーかーらー、人間はさ、人を好きになると、ちょっとしたことでこう心臓の辺りがぎゅーってなんだよ。もう言わせんなよ、恥ずかしいんだから!」

 自分の口から『恋』なんて単語が飛び出すだけで、顔から火が出そうだった。

 顔を真っ赤にして力説する息子を、信吾はきょとんとした顔で見つめている。

「成る程。これが『恋をしている』という状態なのか……。僕もまだまだ勉強不足だなぁ。佳菜子と出会ってからちょくちょく痛むもんだから、おかしいなぁとは思っていたんだけど」

 この乙女親父! 出会ってからいままで何年経つと思ってんだ! いまだに恋愛中かよ!

 長年(信吾にとってはそうでもないのだが)の疑問が解消され、信吾は上機嫌だった。

「とりあえず、宿に戻ろうぜ。なんかどっと疲れちゃったよ」

 身体的な疲労にとどめを刺したのはもちろん信吾の乙女発言だった。まさか父親にとどめをさされるなんてな。

「疲れたかい? おぶろうか?」

 自分がとどめを刺したことも知らず、この父親はのん気なものだ。

「いや、さすがにそこまでは」

 さくさく、じゃりじゃりと草道と砂利道を歩く。辺りはすっかり夜の闇だった。三日月がぽっかりと浮かんでいる。

 信吾はランタンに火を灯した。ほんのりと明るくなる。

「もう少し明るくしようか」

 そう言って、ガラス越しの炎に右手をかざす。すると、炎の大きさは変わらないのに、光だけがどんどんと強くなる。

「いや、これはちょっと明るすぎ……。眩しい……」

「じゃあ……、これくらい……かな」

 光の強さを少しずつ調節する。これはどうやってやるのだろう。

「これは、君にはまだちょっと厳しいかもしれない」

 表情で読み取ったのだろう。祥太朗が尋ねる前に信吾が言う。

「厳しいって?」

「これはね、炎の大きさが変わっていないように見えて、実は、そうでもないんだ。でも、この中でこれくらいの光を出せるほどの大きさにしたら割れちゃうだろう? じゃあ、その『大きくなった分の炎』はどこへ行ったかというと……」

 そう言って、炎に近づけていた右手を離すと、光の強さは弱くなった。最初にランタンを点けた時の強さだ。そして、その離した右手をひらひらと振る。

「この中だよ」

「やっぱりそこか……」

「そう、炎の大きさだけを、手の中に溜めておくんだ。で、調節するときはランタンから光を吸収する」

 まるで何てことないように、さらっと説明する。

「で、俺には厳しいってのは?」

「熱いと思うよ、相当。僕の手は平気だけど……」

 魔法使いの手はぎゅっと握るとスポンジのようになっている。もちろん、強度や機能は普通の手と変わらない。このスポンジ状の手の中に、あらゆる物質を溜めておくことが出来る。量については、魔法使いの技量によるのだが、信吾ならば、海を丸ごとだって容易いだろう。そして、この手に溜めた物質を操作することが『魔法』なのだ。

 信吾は両手がスポンジ状だが、祥太朗はというと、人間とのハーフだからか、右手の第二関節までしかスポンジ状になっていない。しかし、これでも、高校生の時に比べたら成長した方である。

「熱いと言われるとなぁ……」

 祥太朗は自分の右手をまじまじと見つめる。この手が完全に『魔法使いの手』になる日は来るのだろうか……。

「指は熱さに耐えられると思うけどね。手のひらにも伝ってきちゃうだろうから……」

「たしかに厳しいな、いまのままだと」

 炎の調節は『手』が出来上がってからだ、そう思い、砂利道を歩き続ける。

 通常よりも明るいランタンの光を頼りにしばらく歩き続けると、視界の隅に一瞬白いものが見えた。

「ん?」

 急に歩みを止めた祥太朗に信吾が問いかける。

「どうしたの?」

「いや……。なんかいまちらっと白いものが浮かんでるように見えたんだけど」

 白いもの……。まさか幽霊とかじゃないよな。自分で言っておいて、背筋が寒くなる。

「白いもの……。ちょっと見に行ってみようか」

「えっ……、行くの?」

 自分から言い出したのに、祥太朗は少し腰が引けている。

 信吾はランタンの炎に手をかざし、光の量をギリギリまで絞る。足元が何とか見える程度だ。

 祥太朗は辺りを見回し、白いものを探す。

 光が弱くなると、一気に闇が押し寄せてくる。

 自分の身体も飲み込まれてしまうような気がして、祥太朗はなんだか恐ろしく感じる。

 やがて、濃紺の空と同化している木々の隙間の闇の中に、一本の細く白い柱が浮かんでいるのが見えた。

「あった。白いもの……。柱……? もしかして……」

 祥太朗は背負っていたリュックの中からデジカメを探した。

 どこに入れたんだっけ。こっちのポケットか? 

 いや、たしか、さっき使って、ケースに入れて……。

 くそっ、こんな時に……!

 リュックを逆さにせんばかりのパニック状態で大捜索をしている祥太朗に向かって、信吾が冷静に指摘する。

「ねぇ、そのベルトループに引っかけてるの、そうなんじゃない?」

「えっ? あ、ああ、そうだった……。俺ばかだな……」

 ガクッと脱力する。そうだ、さっき使った後、ケースについているカラビナでベルトループに引っかけたんだった。

 これならすぐに取り出せるな、なんつってさ……。意味ないじゃん……。

「ほらほら、こんなところでへたり込まないで。写真、いいのかい?」

 信吾の声で我に返る。そうだ、あれを撮らないと……。

「サンキュ、父さん。ちょっとココで待っててくれないか」

「わかった。足元危ないから、コレ、持っていきなよ」

 そう言って、ランタンを手渡す。

 父さんはいいのか? と聞こうとしたが、信吾は右手に炎を溜めてあるのだ。いざとなったら、それを使えばいい。

 ランタンを受け取り、ゆっくりと歩く。

 もしかしたら、あれは『氷柱』ではないだろうか。

 もしあれが『氷柱』だとすると、相手は雪虫だ。なるべく音を立てないように、出来るだけ気配を消して近づく。

 近づくと、その白い柱は、遠くで見るよりもずっと明るかった。まるで、月の光を全て吸収し発光しているかのようだ。

 デジカメのズームを最大にする。ちょっと高かったが、新しい機種を買ってよかった。

 フラッシュがオフになっていることを確認して、シャッターを押す。

 ちゃんと写っているだろうか。撮ったばかりの写真を確認したかったが、長いことこの場にいると、自分の体温が雪虫達に伝わってしまう気がして、視線は『氷柱』をとらえたまま、数歩、下がった。

 写真は思ったよりよく撮れていた。良かった……。ホッと胸をなで下ろす。

 『氷柱』はもう終盤に差し掛かっているようだった。柱は下の方から崩れていく。ガラガラと音まで聞こえてきそうだった。

 何が行われているのかはわからないが、あの白い柱の下には、無数の、光を失った、ただのアブラムシ達の死骸があるのだ。いまは風が吹いていないので、真下に積もっているのだろう。雪のように。

「雪虫って、雪を運んでくるんじゃないのか? お前達は、ここで死んじまって、いいのか?」

 闇に紛れて見えない、柱の下の死骸達に向かってつぶやく。返事がないことぐらいわかっている。

 やがて、柱の光がすべて消えた。完全に消える前に、雪虫にしては大きな光が、月に向かって飛んで行くのが見えた。

「お前が生き残ったのか……」

 光を見送ってからも、しばらくは月を見上げてぼんやりとしていた。

 この写真……、どうしよう。昆虫馬鹿の夏木に見せたら興奮するんだろうな……。

 ゆっくりと振り向き、信吾がいる方へ歩こうとして、気付く。

「やべ。なんも見えねぇじゃん……」

 ランタンを渡してしまったので、信吾の周りは真っ暗なのだ。いや、信吾の手の中には炎があるのだが、それを点けてくれないと、どこにいるのかがわからない。

 どうする……。大声で呼びかけるか? たぶん誰もいないと思うけど……。

 仕方ない、と思って、祥太朗が大きく息を吸った時、数メートル先にふわっと小さな火柱が上がった。炎に照らされて信吾の顔が浮かび上がる。

「うわっ……」

 炎の赤さで染まった信吾の顔はもはやホラーだった。よくよく見ると、にっこりと笑って左手を振っている。しかし、いまはそれが逆に怖かった。

「父さん、びっくりさせんなよ。助かったけどさ……」

 ぐちぐちと言いながら、近づく。合流するころには、手のひらの上に立っていた火の柱は消えていた。

「びっくりさせてごめんね。こっち振り向いたのが見えたからさ。明るくしないとと思ったんだけど」

 祥太朗からランタンを受け取り、また光をやや強めにして、歩き出す。

 しばらく歩き、停めていた車に乗り込む。運転は祥太朗だ。

 信吾も運転は出来るのだが、ずっと魔法を使っていたし、と、一応、気を遣ったつもりだ。しかし、信吾にとっては朝飯前なのだろう、いつもと変わらぬ涼しい顔をしている。

 しばらく車を走らせ、旅館に着くと、女性陣は二回目の温泉に向かうところだった。大浴場ののれんの前でぱったりと出くわす。

「あーお疲れさまー。あたし達もう一回温泉入りに行くけど、祥太朗達はどうする? 温泉行くなら鍵、預けちゃうけど」

 千鶴はルームキーをぶらぶらさせながら祥太朗に聞いた。

「温泉かぁ。だいぶ身体も冷えたし、行くか? 父さん」

「行こうか、僕らも。鍵は……僕も預かった方がいいのかな?」

 信吾は佳菜子に聞く。部屋は夫婦ごとに取ってあるのだ。鍵を預かるということは、女性陣は確実に長湯するということだろう。

 佳菜子は笑顔でルームキーを手渡す。

 お互いの伴侶からルームキーを受け取った亭主達は、荷物を置きに部屋に入る。どうやら女性陣は、信吾と佳菜子の部屋で過ごしていたらしく、お茶のペットボトルと食べかけのチョコレート菓子がテーブルの上に置いてあった。それに反して、祥太朗と千鶴の部屋は千鶴の鞄から衣服が飛び出している他は綺麗なものだ。

 祥太朗は荷物を置き、浴衣に着替える。貴重品だけを持って部屋を出た。信吾もほぼ同じタイミングで部屋から出てきた。やはり、信吾も浴衣を着ている。

「やっぱり父さんは和服だな」

 信吾の普段着は着流しだ。どうやら、佳菜子と出会った時から、ずっとそうらしい。さすがにアウトドアでは着流しだと不自然だ、という祥太朗の指摘で、こういう時はそれらしい恰好をするようになった。本人としては、山でも海でも着流しで問題ないらしかったが。

「僕も、こっちの方が落ち着くな、やっぱり」

 信吾は浴衣の胸の辺りをさすりながら、大きく息を吐いた。

 祥太朗としては洋装の方が楽だと思うのだが、やはり、慣れなのだろうか。

「じゃ、行こうか」

「背中、流してやるよ」

「ありがとう」

 男湯ののれんをくぐり、浴場に入る。身体を軽く洗って、湯船につかると、一日の疲れが湯の中に溶け込んでいくようだった。


 窓を見る。そういえばカーテンを閉めていない。そろそろ閉めないとな、と思い、ベッドから起き上がる。

 紺色の遮光カーテンの端をつかみ、引っ張ろうとした時、二重窓の奥にある網戸に雪虫が引っかかっているのが見えた。

 可哀相だが、取るためには触れなければならない。指で網戸をはじいてもよいのだが、どちらにせよ、この最弱の虫はそれだけで死んでしまうだろう。仕方ないんだ。そう思い、祥太朗はカーテンを閉めた。

 お前達の女王様は、津軽海峡を越えちまったぞ。

 閉め切ったカーテン越しに、つぶやく。


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