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地上最弱の女王様  作者: 宇部松清
第1章 冬の訪れ
1/19

「これと、それからこっちのクッキーね。あと、これこれ! ここのチーズケーキはぜったい外せないから!」

 一華はそう言って、礼二郎の買い物かごの中に商品を次々と入れていく。

「ちょっと、多いって! 姉ちゃん!」

 どんどん重さを増していくかごを両手で持つ。増しているのは重さだけではない。もちろん、それに比例して金額もだ。財布の中を思い出しながら、商品が一つかごに入る度に暗算していたのだが、一華のスピードに追い付くことが出来ず、それは早々に諦めた。

「あのね、北海道のお土産ってのは、定番と流行り、そして新商品を抑えるのが『常識』なのよ! アンタ何しに北海道に来たの?」

「少なくともこの土産のためだけじゃねぇよ!」

 抵抗してみるものの、この姉には敵わない。

 夏木一華、二十二歳。北海きたみ大学農学部四年生。別に実家は農家というわけではないし、本人も農業にはさほど興味がないらしいのだが、この学部の「昆虫学会の変わり者」と呼ばれる川俣仁策教授にほれ込んで農学部に入ってしまったのだった。

 興味がない割には、それなりにそつなくこなしていたようで、早々と内定を取ってしまってからは、毎日のように川俣教授の研究室に入り浸って、熱い「昆虫論」を交わしているらしい。

 特別美人でもないし、スタイル抜群というわけでもないが、人懐っこく世話好きで明朗快活な姉は、いつでも皆の人気者だった。礼二郎の回りにも、一華に憧れている奴らはたくさんいたし、友人の唐橋基樹に至っては「俺のこと、お義兄さんって呼んでもいいんだぜ」と、かなり本気である。

 それに引き換え、弟の礼二郎はというと、滑り止めを含むすべての大学に落ち、現在は浪人中の十八歳である。昔から要領が悪く、何をさせてもいまいちで、勉強だけではなく運動の方もさっぱりだった。恵まれているのは容姿だけ……と言いたいところだが、容姿も取り立てて良いわけではない。ただ、母に似て少し女顔かつ童顔と言うだけである。百六十五センチの身長と相まってクラスの女子からは「可愛い」という、年頃の男にとってはあまり有難くない評価をいただいていた。


『お姉ちゃんの方が男だったら良かったのにね』


 礼二郎は親戚からよくそう揶揄されていた。そして自分でもそう思っている。

 俺は何をやっても姉ちゃんには勝てない。

 礼二郎はいつも劣等感を抱いていた。

 そんな姉から、「たまには勉強を忘れてリフレッシュしなさい」という手紙と共に航空券が送り付けられたのは二週間ほど前だった。浪人生が勉強を忘れたらおしまいだよ、そう思ったが、何せ姉には逆らえない。

 それに、北海道へは行きたかった。

 礼二郎の志望校はすべて北海道の大学であり。第一志望は姉も通っている北海大学だったが、これといって学びたい学部があるわけではなかった。ただ、どうしても北海道に住みたかったのだ。

 理由は、ただ一つ。部屋の中を縦横無尽に、そして傍若無人に這いずり回る、『黒いアイツ(名前を出すことすらもおぞましい)』がいないから、である。

 そんなことで? と思う方が大半だろうが、極度の虫嫌いの礼二郎にとっては何よりも重要な志望動機だったのだ。

 もちろん、北海道は自然が豊かなので、虫がいないわけではないのはわかっている。しかし、『黒いアイツ』がいないのは大きい。それに、北海大は札幌の町中にあるので、周りも『大自然』というわけではないのだ。

 かくして、礼二郎は姉からのありがたいお誘いにより、一週間の北海道旅行を満喫したのだった。


「だいたいさぁ、これって、空港でも買えんじゃねぇの? なんでココで買うんだよ」

「そりゃー空港でも買えるけどさ、まずここで発送しちゃうのよ。で、空港内では、買い忘れたやつとか、あとはストラップとかのこまごましたものを買うの! いま千歳空港なんて見るとこいっぱいあるんだから、のんびりお土産見てたら乗り遅れちゃうよ」

「それも『常識』なのか?」

「あたしのね」

 一華は笑うと、礼二郎からかごをひったくり、颯爽とレジへ持っていく。

 えっ、財布……と慌てて鞄を漁る礼二郎を尻目に、一華はさっさとカードで支払いを済ませてしまった。

「姉ちゃんが買ってあげるって。あんたは発送伝票係に任命するから」

 そう言って、クール便の発送伝票とボールペンを手渡す。

 ほんと、姉ちゃんには敵わない。


 店を出ると、きりりとした北風が頬に刺さる。

 四年間の大学生活で一華はだいぶ慣れたようだが、礼二郎にとっては凍てつくような寒さである。

 これくらいで寒がってたらココには住めないよな、そう思い、首に巻いていたマフラーを口元まで引き上げた。

「お、礼二郎、それは正しい判断だよ」

 一華が感心したような態度で言う。自分はティッシュで唇のグロスを丁寧にゆっくりと拭き取ってからマフラーで口元を覆った。

「正しいってなんだよ」

「よーっく見てみぃ」

 そう言って、人差し指を宙に走らせる。その指の先には、白いものがちらちらと舞っていた。

「雪か。これって初雪? はぁ~、やっぱ北海道は早いな」

 寒さはこのせいかと、礼二郎は得心した。

「雪じゃないよ、これ。礼二郎には刺激強いかな~?」

 雪じゃない、と聞いて、礼二郎は目を凝らした。眼鏡をかけるには至っていないものの、特別目がいいわけではないので、眼前の白いものがなんなのか理解するまでに多少時間がかかる。

 数秒の後、徐々にピントが合って来て、その白いものが小さな小さな虫であることに気付いた。

「うっ、うわぁぁぁあっ! む、虫ぃっ? 虫かよっ、コレぇっ!」

 情けない声を発して、礼二郎は飛び上がった。期待通りの反応に一華は上機嫌である。

「これはね、雪虫。北海道の冬の風物詩だよ。この子達が雪を運んできてくれるの。ちなみに、雪虫ってのは通称で、本当はアブラム……ってごめんごめん。やっぱりこれくらいの虫でもダメ?」

 危うく雪虫の詳細を語り始めるところだったが、そこはぐっとこらえた(本当は大いに語りたかったが)。礼二郎は道端にしゃがみこんでいる。

「おーい、礼二郎! 礼ちゃーん! そんなところでしゃがんでたら通行人の邪魔だよ~」

 一華は礼二郎の腕を取り、引っ張った。しかし腕力はやっぱり女性である。小柄な礼二郎といえども、一華の力だけで引っ張り上げるのは骨が折れる。

 やっと落ち着いたらしい礼二郎が立ち上がった。

「さーって、空港に向かいますか。電車乗るよ。寒いから地下通って行こ」

 努めて明るくそう言って、一華は礼二郎の手を取った。本当は寒いからではなく、礼二郎がこれ以上雪虫に触れないようにだったのだが。

 マフラーとコートに結構くっついちゃってるんだけどなぁ、これ言ったらパニックになるだけよねぇ……。

 歩いているうちに取れるだろう、そう高を括って、一華は地下鉄の入り口を探す。適当な入口から地下に潜り、地下街を通ってJR札幌駅に向かう。

 すいすいと人の波をかき分けて、迷うことなく目的地に向かう一華の背中を必死に追いかけ、俺、一人でココ歩けるようになんのかな、と礼二郎はそう思った。

 四十分ほど電車に揺られ、空港に到着した。

 搭乗時間までは、一華の案内で空港内をぐるぐると見て回った。実家のある秋田県の空港とは違い、土産物屋も多く、さらには温泉まである。途中、ペアルックしようか、と『熊出没注意!』とでかでかと書かれたTシャツを買わされそうになったが、それは何とか阻止した。

 が、気付くとおそろいのストラップは買わされていた。やけにリアルな熊が鮭を口に咥えているデザインで、これは可愛いのか礼二郎には判断出来ない。キモカワとも評しがたく、強いて言うなら『怖カワ』だろうか。

 一華は、礼二郎と同じ熊のストラップを付けたスマートフォンを揺らし、おっそろい、おっそろい、と喜んでいる。

 これが春から社会人かよ、そう思って、礼二郎はため息をついた。

 おそろいのストラップが揺れるスマートフォンで、家に電話をかける。出たのは母の景子だ。手短に、もうすぐ飛行機に乗ることを伝え、切る。切った後で、ちょっと素っ気なかったかなと反省する。毎回、電話の度に反省するが、改善はされない。つまり、形だけの反省なのだ。

 搭乗時間が近づいてきたので、礼二郎と一華は手荷物検査場の手前で別れた。

 別れは実にあっさりしたものだ。ストラップを揺らしながら、スマートフォンを持った手を振り「じゃ、また電話かメールするね」とだけ言って、一華は踵を返して行ってしまった。

 映画か何かみたいに、途中で振り返ったりすんのかな、そう思ってしばらくその後ろ姿を見守っていたが、一向にその気配はなく、しかも、電話まで始めたので、礼二郎はあきらめて手荷物検査場へと向かった。


 一時間もかからず、飛行機は秋田空港の滑走路へ着陸した。

 こうもあっという間だと、いちいちシートベルトなんて外してらんないよな。

 礼二郎は道中一度も外さなかったシートベルトを外し、頭上の収納スペースから荷物を取り出す。

 到着ロビーで荷物を受け取り、市内へのリムジンバスの時刻を確認しにバス停へ向かった。

バスは運よくあと五分ほどで来るようだ。飛行機の到着に合わせているのだから当然といえば当然である。

 外は寒かったが、やはり北海道の比ではない。

 礼二郎は手に持っていたダウンのコートを羽織ったが、ファスナーは開けておくことにした。さすがにマフラーはまでは必要ないので、土産の入った紙袋の中に丁寧にたたんでしまう。


 リムジンバスと市内バスを乗り継ぎ、自宅へ着くころには十七時を過ぎていた。

 まだ父は帰って来ていないようだ。お帰りなさいという言葉と共に、景子が出迎える。

「お姉ちゃん、元気そうだった? 寒かったでしょう、あっちは」

 専業主婦の景子は、家の中での話し相手に飢えていたのだろう。一週間ぶりの息子にまとわりついて離れない。一華が人懐っこいのは景子に似たのだ。

「元気だったよ。つうか、あのまんま。変わってねぇ。ちょっと荷物置いてくる。これ、土産。明後日にはもっと届くから」

 土産は発送したものの、さすがに手ぶらで帰宅するのも、と思い、搭乗ぎりぎりに適当なクッキーを一つ買っておいたのだ。俺にしては気が利いてるじゃん、そう思った。

 男の荷物なんて、たかが知れてる。一週間の滞在であったが、キャリーバッグの中は割とスカスカだった。中を開けて、洗濯の必要なものを取り出す。ダウンのコートはコートハンガーに掛けた。

 北海道ではちょうどよかったけど、こっちではまだ早いかもな、見た目的にも、このフードなんかフサフサだしな……ん?

 礼二郎はフードのファーを凝視した。

 どこかで見た白い物体が弱弱しく動いている。

 もしかして……あの時の……。

「雪虫か? いや、でも、こんなにデカかったか……?」

 自分の口から『虫』という単語が出てきたことに嫌悪感を抱く。

 なんでだよ、なんでまだいるんだよ。

 つまんで引きはがしたかったが、気持ち悪くてそれも出来ない。そういうのは昔から一華の役目だったのだ。

 一華は「もー、礼二郎は~」なんて言いながらも嫌な顔一つせず、取ってくれたものだった。

 母さんを呼ぼうか。一瞬そんな考えがよぎったが、一華には見せられても、母にそんな情けないところを見せたくなかった。心のどこかでは『大の男が虫を怖がるなんて』という思いがある。いくら小柄で『可愛い』礼二郎でも男としてのちっちゃなプライドがあるのだ。

 仕方がないので、出来るだけ雪虫を見ないようにして、再度ハンガーからコートを外し、両手で肩をそれぞれつまむように持って、ゆっくりと窓の方へ向かう。

 ここへ来て、両手がふさがっていて窓を開けられないことに気付く。

 はぁ、とため息をつき、なるべくコートを揺らさないようにゆっくりと左手を離して、カーテンと窓を開ける。そーっとコートのみを外へ出して、目を瞑ってバサバサと振った。上下に振ると顔に飛んでくる気がして、左右に大きく振る。

 ぼちぼちいいだろうかとうっすら目を開けて確認すると、雪虫はいなくなっていた。

「……よかったぁ……」

 コートをベッドの上に投げ、窓とカーテンを閉める。だいぶ外気を入れてしまったので、室温はかなり下がってしまっただろう。エアコンをつけて部屋を暖めようとリモコンを探していると、階下から景子が呼ぶ声がした。

 適当に返事をして、コートをベッドに放置したまま電気を消して部屋を出た。

「いっけね」そう言って、再度戻り、電気は点けずに、洗濯物が入ったビニール袋を回収する。

 バタンと扉が閉まると、室内は闇に包まれた。ベッドの上では丸まった状態のコートがふるふると震えていた。


 リビングへ行くと、父もちょうど帰宅したところだったらしい。

 立ったまま、スーツの上着を左手に抱えて、礼二郎が買ってきた土産をつまんでいた。

「おお、お帰り礼二郎。これうまいな。母さん、お茶入れてくれないか。温かいやつ」

 孝義は景子に煎茶を所望し、ソファに身を沈めた。この恰好のまま、本格的に食べるつもりらしい。キッチンでは「私の分も残しておいてよー」という声が聞こえる。

 いや、それよりも着替えを勧めるんじゃないのかよ。

 こんな両親のやり取りを見ていると、俺って恵まれてるよなぁ、と思う。

 礼二郎が最初に不合格通知を受け取った時、景子と孝義は「次があるさ」と笑ってくれた。

 不合格通知が二通、三通と増え、頼みの綱の滑り止めすらも駄目だった時も、二人は大して気にしていない様子だった。息子の心境を慮ればこそ、大事にはせず、いつも通りに接した。

 就職するか、浪人するか、との選択の段になって、孝義は浪人を勧めてきた。

「一華も大学に行ったんだし、礼二郎にも行く権利はある。それに、大学は楽しいぞ!」

 この一言だった。

 のん気な父親のこの言葉に後押しされ、礼二郎は浪人することにしたのだった。

 しかし、浪人を勧めた割に、勉強勉強と言われたこともない。隙あらば、家族団らんに加えようとしてくるこの父の真意が、礼二郎にはわからない。

 ウチは特別裕福ってわけでもないんだけどな。

「もー、お父さんったらー、スーツのままだったのね。ちょっと中断して着替えてらっしゃいよー」

 お盆に湯呑を三つ乗せて、景子がやって来た。どさくさに紛れて自分もつまむ気のようだ。

「せっかくのお茶が冷めちゃうだろ。大丈夫大丈夫、気を付けて食べるから」

 などと言っているが、スラックスには結構な量の食べかすが落ちている。

「そんなこと言って、ぽろぽろこぼしてー。食べ終わったら玄関で払ってきてよ」

 景子は煎茶を啜って土産のクッキーに手を伸ばした。

 『払う』という言葉で、さっきの雪虫を思い出して身震いをする。

 そんなにでかい虫でもないのに、遠くから見れば雪にしか見えないのに、俺って 情けねぇなぁ。

 蝶々やカブトムシなら、それもある程度デフォルメされたイラストなら我慢出来る。でも、どんなにデフォルメされても、腹の部分は駄目だった。脚が六本ある、そのことを考えるだけで鳥肌が立つ。理科の教科書の昆虫の写真やイラストには、恥を忍んで一華に紙を貼ってもらった。その分野のテストは重要語句のみを覚えて適当に書いたのだが、案外当たっていて驚いたものである。


 結局、夕飯前なのに土産はすべて食べてしまった。

 孝義は、食べかすをこぼさないようにスラックスをつまんでそーっと玄関へ行く。

 パン、パン、とかすを払う音が聞こえる。そのまま寝室へ向かったようだ。さすがに着替えるのだろう。

 リビングで景子と二人きりになった。景子は空になった土産の箱をまじまじと見つめている。しっかりした作りの箱なので、再利用出来ないか考えているようだった。

 そして、何らかの目処がついたのだろう。その箱を持って立ち上がる。

「ねぇ、礼二郎。夕飯入る?」

「俺は大丈夫だけど。母さんは?」

「うーん、おかずだけにしとこうかしら。お父さんも晩酌だけよね、きっと」

「じゃね?」

 などと話していると、部屋着に着替えた孝義が戻ってきた。

「はー、母さん、今夜はおかずだけでいいかな」

 やっぱりね。景子と礼二郎は目を見合わせた。


 夕飯はトンカツに千切りキャベツ、ほうれん草の胡麻和えと豆腐の味噌汁だった。

 礼二郎は白米も食べる。孝義はビールをごくごくと飲んでいる。


 いつもの光景だ。少なくとも、いま、この場においては。


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