deathblow
少年は戸惑いを覚えていた。信じられないほど地上までの道行きが順調過ぎることに。
行きの道程では幾度となく吸血蝙蝠の大群に襲われ、曲がり角でばったり出くわした牙狼にはフロアー中を追いかけ回されたものだが、地下二十九階から今現在、少年が居る地下十五階に至るまでの道程において一度も魔物に襲われることはなかった。行きの道程では襲い掛かってきたはずの距離にまで接近しているにも関わらず、此方に気付く素振りすら見せないのである。
少年は最初、『隠密』スキルが上達したのかと考えたが、その考えは直ぐさま捨て去った。都合よくスキルレベルが上がる程、世の中そんなに甘くない。
少年も自ずと魔具の効果に因るものではないかという考えに至ったが、魔具の正確な効果や発動条件が判らない状況下で魔具の恩恵を織り込んで行動するのは早計だと判断する。
少年は気を引き締め直して一層慎重な行動を心掛けたつもりだったが、魔具の恩恵を意識したことで残酷にも少年を死地へと誘う致命的なミスを招いてしまうのだった。
◇◇◇
それは地下九階、少年が物陰に身を隠して粉砕蛇が通り過ぎるのを待っている時だった。
粉砕蛇は第一界層でも強者に分類される体長五メルトルを超す蛇の魔物であり、その尾の一振りは鋼鉄製の防具ですら粉砕するといわれている。
少年の実力では到底敵うはずもなく粉砕蛇の索敵範囲から外れるのを今や遅しと待ちかねていると粉砕蛇の進行方向の逆手に角兎が姿を現したのだ。
粉砕蛇に気を取られていた少年にとって予想外の出来事であり、少年は心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じたが、何とか動揺を押し殺すと冷静に自らが取るべき最善の行動について考えを巡らす。
その間に粉砕蛇は角兎の気配に気付いて身を翻し、角兎との距離を瞬く間に詰めると牙による一撃でその命を刈り取った。
粉砕蛇が角兎に攻撃を見舞う際に生じる隙を利用して一気にこの場から離脱しようと考え、タイミングを窺っていた少年は予想を遥かに超える粉砕蛇の移動速度に一瞬呆気に取られたことで動き出すのが遅れてしまった。
この時、少年の中で迷いが生じた。このまま走り出して本当に逃げ切れるのか。本来、牙狼すら置き去りにする程の健脚を誇る少年にアドバンテージがある状況であれば粉砕蛇が追い付けるはずもないのだが、粉砕蛇が見せた驚異的な瞬発力はその少年の自信を揺るがせるだけの衝撃を秘めていた。
動くべきか留まるべきか、決断を迫られた少年の脳裏を過ぎったのは魔具の恩恵のことだった。
かくして、天秤は傾いた。この場に留まる選択へ。
しかしそれは、既に『隠密』が解けていた少年にとって愚策でしかなかった。
◇◇◇
恐るべき威力を秘めた尾が迫る。少年は自らの失態を悟った。咄嗟に右へ身体を投げ出すとそれまで少年が立っていた地面は尾の一閃によって粉々に砕け散る。その光景を一瞥することなく、少年は直ぐさま態勢を立て直すと一目散に駆け出した。しかし、不覚にも少年は先程の一撃により散乱した破砕に足を取られ転倒してしまう。
起き上がろうとした少年は足に痛みを覚えたことで抗う術を失ったことを理解した。
自らへと振り下ろされようとしている尾の影を眺め、少年は運命に身を任せた。
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