pursuit of knowledge
早く本筋に行きたい。
まっさらなキャンパスを黒のインキで一面塗りつぶしたかのような夜空に向かい、煌々と燃え上がる木偶人形。その光景を二人の男が眺めていた。辺りは森を切り開いた土盛りの訓練場といった様相で、一目では何に使うのか分からない器具も設置されている。
「これが火の精霊魔法で最も有名な『火球』です。下級魔法に分類されますが、残念ながら魔法適性があろうと誰もが扱える訳ではありません」
説明を続けながら、シェディムは火達磨と化した木偶人形に向けて『爆泡』を打ち出す。無数の水泡が燃え盛る木偶人形へと殺到すると一斉に炸裂し、火を一瞬にして消し飛ばした。その威力は木偶人形の残骸すら遺さない。ただ、火を消すためにわざわざ折り紙付きの破壊力を有する魔法を使用する必要があったのか、モーメットは少し気になったが深くは考えないことにした。モーメットも我が身が可愛い。
「精霊魔法の行使が可能か否かは、各属性を司る精霊の加護によって決まります」
シェディムは右手の掌に小さな灯程の火の粉を生み出すと瞬く間に大きな炎の塊へと変化させた。卵のようなその炎を中空へと放り投げると炎は鳥の姿を象り、まるで生きているかのように空を優雅に旋回してゆっくりとシェディムの肩へ降り立った。
「このような火の精霊魔法の場合、火精の加護の程度によって行使可能な魔法の種類、威力などが決定されます。尚、加護が強ければ強い程強力な魔法を行使することが出来ますが、逆に火精の加護を持たない者は火の精霊魔法そのものを行使出来なかったり、行使出来ても精々『火種』のみだったりと加護を持つ者との間に大きな隔たりが存在することを知っておいてください」
最後に精霊の加護が個人の資質の問題であって努力でどうにかなる問題ではないことを付け加え、精霊魔法について最低限の説明を済ませるとシェディムは肩に止まる火の鳥を消し去り、聞き役だったモーメットに木の枝のような一杖の木製杖を手渡した。一見何の変哲もないその杖をモーメットが手にした途端、二人の周囲がざわめき始める。
「どうやら精霊たちが敏感に察知しているのでしょう。その杖は世界樹の小枝と呼ばれる精霊の依り代に最も適したものです。本来はその杖を手にした状態で『魔力拡散』を行うことでどの精霊魔法が行使可能か調べるのですが、手間が省けましたね」
突然の事態に警戒するモーメットに対し、シェディムは何てこともないように淡々と落ち着き払った様子のまま解説をしていく。シェディムの何事にも動じない様子を目の当たりにし、何とも剛胆な人だと思うモーメットだった。
◇◇◇
モーメットが偉大なる魔法使いの門下となり、早一月の時が流れた。魔術回路を死と隣り合わせの手段で構築されたことを聞かされた時は流石に肝を冷やしたが、自らの内なる魔力が分かるようになったことは新鮮な驚きに満ちた体験だった。
現在、モーメットが居るのは迷宮都市ではない。カスパールと対面を果たしたその時には既に移動していたため、正確な場所は分からないが、それでもモーメットは此処が迷宮都市からかなり離れていることを周囲に群生する草花から理解したのだった。
この一月の間、手始めに魔力を扱う上で「一にして全」とさえいわれる『魔力制御』の手解きを魔法の師となったカスパール直々に受け、モーメットは魔術の基礎を徹底的に叩き込まれた。飲み込みが早かったこともあり、半月程でモーメットの『魔力制御』も荒削りながらも形となったため、次の段階へと進むことをカスパールに許されたのだが、指導はカスパールから兄弟子に当たるシェディムに引き継がれることとなった。カスパールは世界中に名を知られた大魔道士のため、常に多忙な身であるのだ。にも関わらず、モーメットが半月もの間直々に指導を受けられたことは異常事態とさえいえた。
モーメットがカスパールに代わり、カスパール門下の中でも有数の実力を持つシェディムの教えを仰ぐことになって半月、その指導は苛烈を極めた。
精霊魔法を精霊との意志の共有と真顔で語るシェディムが必要最低限の説明を済ませてモーメットに適性がある精霊魔法を調べた後に待っていたのは、『魔力制御』の基礎訓練である『瞑想』とシェディムが精霊魔法を延々と行使しながらモーメットを追いかけ回す壮絶な『鬼ごっこ』の繰り返しの日々だった。
シェディム曰わく、この『鬼ごっこ』は精霊魔法を肌で感じることが出来る至高の訓練法であるらしい。そう言われてもカスパール所有の敷地内に存在する広大な森の中を命からがら逃げ回るモーメットに向かって、表情を変えることもせず高威力の精霊魔法を乱発するシェディムの姿は加虐趣味を持つ異常者以外の何者でもなかった。
初めは『隠密』スキルを使うことでシェディムの追撃を躱すようにしていたモーメットだったが、シェディムが周囲一帯に『火球』や『風刃』などを無差別射出し始めたことで、『早足』『隠密』を駆使した生死を懸けた逃亡劇へと変貌を遂げたのだった。
何度か魔法の直撃を受ける危ない場面にはあったが、やがて魔力を認識出来るようになった影響からか精霊の存在を視認とはいかないまでも朧気ながら把握出来るようになったモーメットは、ただ闇雲に逃げ隠れるだけでなく精霊魔法が行使される直前にシェディムの周囲に集まる精霊の気配から次に発動する属性を判断し、それに対抗する精霊魔法で威力の軽減や相殺を図れるまでに成長した。そのことを踏まえると命懸けの『鬼ごっこ』にも意味があったようだと自分自身を納得させるモーメットだった。
当初は魔法のことを使えれば便利程度に考えていたモーメットだったが寝ても醒めても魔法漬けの生活を送るうち、より多くを学びたい、より世界の深淵へと近付きたいと考えるようになっていた。魔術の研鑽に没頭し、『魔力制御』を極めんとするモーメット。その傍らで森の木々の色合いは刻々と移り変わり、新たな季節の到来を報せていた。
随時改稿