daredeviltry
大きな背嚢を担いだ少年は生きるために迷宮へと足を踏み入れる。
静謐な迷宮の闇は新たなる夢追人を迎え入れた。彼の怪物は何者も拒むことなくすべてを喰らい続ける、歓喜も絶望も皆等しくーー
迷宮へと足を踏み入れた冒険者たちがはじめに通されるのは地下二十五階からなる第一界層。武器を振り回せさえすれば、序盤は大して苦戦することもない。そして弱い魔物を何体も屠ることで新参者は仮初めの自信を植え付けられる。
魔物を倒したことによる達成感。
己が強くなったかのような充足感。
何事も成せるかのような万能感。
それらは驕りを生み出し、より強力な魔物との戦いにおいて相手の力量を読み違えさせ死を招く。
自らの力を過信することなく常に冷静さを失わずに立ち回れる者だけが迷宮の奥へと歩みを進めることを許されるのである。
しかし、この区分は必ずしもすべての者に当てはまるわけではない。
持たざる者。少数ながら迷宮にやってくる駆け出しの中にも戦う術を持たない者は存在していた。
第一界層だろうと戦う術を持たない者の末路は一つだ。序盤の魔物ですら倒すことができず、逃げ惑ったにせよ遅かれ早かれ命を落とすことになる。迷宮に慈悲などない。
しかし、何事にも例外は存在する。
第一界層だからといって戦う術を持たない少年は徘徊する魔物を息を殺して物陰に隠れることでやり過ごし、脇目も振らず下層への道を走り続けた。そして少年は丸一日かけて地下百階からなる迷宮の地下二十六階、第二界層へと辿り着いたのだった。
その所業はまさに奇跡としか言い表すことができない。
ここまでの行程において魔物の討伐数はゼロ、それでも隠れてやり過ごすにも限界があったために魔物とは幾度も遭遇していたので、少年の身体には夥しい数の傷が見受けられた。これまで何度も危ない場面はあった。それでもまだ死んではいない。少年は生きていることを実感するのだった。
迷宮探索に挑む際、少年の手持ちは道具屋で見繕って貰った初心者向けの救急セットのみで、既にギルドから貸与された『拡張』の刻印が施してあるポーチには神経毒の解毒薬しか残っていない。
少年が身に着けているのはボロボロの布の服だけで靴すら履いておらず、武器と呼べるものは首から下げた石のナイフしかなかった。そんな少年の有り様にギルド貸与のポーチと何も入っていない背中の大きな背嚢は異様に浮いていた。
常識的に考えれば、武装も調えず最低限のアイテムのみで迷宮探索に挑むのは自殺行為としかいえない。
何故、少年がそんな危険を冒してまで迷宮へとやってきたのか。
少年の目的は第二界層以降のトレジャーから手に入る魔具の入手である。ギルド公表によれば第二界層の適性ランクはC+とされている。これは鬼熊を倒せる力量を持つ冒険者を含むパーティでなければ危険であることを示しており、そこに第一界層の魔物ですら満足に狩ることもできない駆け出しの冒険者が単騎で挑むのは無謀を通り越して正気の沙汰ではないといえよう。
それ故に第一界層では手に入らない魔具には価値がある。魔具の種類は武具や触媒、装飾品と千差万別。クラスⅠの魔具一つでも売れば半年分の生活費に化ける。
これは冒険者が魔具を手放すことが少ないことも理由に挙げられる。なにせ大抵の魔具は身に着けるだけで自力の底上げをしてくれ、魔具の組み合わせ次第でいくらでも戦略の幅が広がる。そのため魔具を使うことにより迷宮探索が楽になれば、魔具を売り払うことで手に入る端金以上に儲けを出すことなど第二界層に到達した実力を持つ者にとっては大して難しいことではないからだ。
ただ駆け出しや冒険者の大半を占める有象無象の三下にとって魔具は一獲千金の夢に違いない。
◇◇◇
第一界層同様に少年は物陰に隠れ、魔物をやり過ごしながら体力が自然回復するのを待っていた。既にポーションは手持ちにない。このフロアーからは第一界層よりも強力な魔物が徘徊しているため用心するに越したことはない。ここまで一体も魔物を倒せなかった少年にとっては尚更である。
行動に支障がない程度には体力が戻っていることを確認し、少年は今回の目的である魔具を入手するべく第二界層の探索を開始するのだった。
◇◇◇
幾度となく魔物の襲撃を命からがら逃げ果せフロアー内のトレジャーを探し回ること数刻、少年は地下二十九階にまで辿り着いていた。各階フロアーを隅々まで虱潰しに探索することで、少年は数多くのトレジャーを発見していた。トレジャーの中身は魔具よりも触媒や魔導書が多かったが、それでも入手した魔具の数は八となった。魔具の内訳としては武器一、防具三、装飾品四、防具には重量のある金属鎧が含まれている。残念ながら手に入れた武器はロッドだったので魔道士ではない少年には扱うことができなかった。
ここまでは順調にことが運び魔具の入手という目的は果たしたが、少年にはまだ試練が残されている。この迷宮には帰還門と呼ばれる転移装置は五十階にしか設置されてないため、それよりも浅い階層では来た道を引き返すしか地上へ戻る術はない。
死の恐怖に直面しながら進んできた道を重い荷を担いで戻らなければならない、流石に現状の装備では心許ないと考えた少年は手に入れた魔具の中からフーデッドローブとブーツを身に着けることに決めた。
装飾品の使用を見送ったのは装飾品は呪われていることが少なくないため、一度鑑定してからでないと命に関わることもある。それに呪いを解くにはかなりの費用が掛かる。命懸けで魔具を手に入れたのに呪いを解くためにその成果を手放さなければならない状況に陥るのは愚の骨頂、装飾品の効果は魅力的でもリスクは避けるべきだと少年は判断したのだった。
フーデッドローブとブーツを身に着けた少年は行動に支障がないかを確認する。防具が手に入っても戦う武器がないため、行きと同様全力で走り抜けなければならないのだ。動きづらいとなればそれは死に直結することも有り得るのでその場合は脱ぐ必要がある。例え、魔具であるフーデッドローブとブーツに何かしら特殊効果があったとしても鑑定スキルを持っていない少年には判らないため、そのような不確定な要素は判断材料になり得なかった。
少年は知る由もないが、フーデッドローブは暗黒魔法『闇衣』の永久効果を持つアビスローブであり、ブーツは風の精霊魔法『浮遊』の効果を持つフェザーブーツだった。これらは第二界層のトレジャーから魔具が手に入ると言えど早々お目にかかれない稀少な魔具である。偏に少年が達成した偉業への迷宮からの褒賞といえた。
ある程度動くのに支障がないことを確認し、少年は大きな背嚢を担いで地上を目指して歩き出すのだった。
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