「痴人の愛」
その男は、無害という二文字が服を着ているような人間であった。白髪交じりの短い髪。やや痩せ気味の肉体。妬まれることも嫌われることもないであろう、特徴のない顔立ち。
彼の名前はオズワルド。小学校で教鞭を握っている男である。
酒はたしなむ程度。煙草も吸わねば博打も打たず。女遊びなどもっての外。そんな彼を周囲の人間は善良で便利な人間としか思っておらず、たまに酒の席でからかいの対象になる程度であった。資産家であった両親はすでに亡く、独り身である彼の資産は莫大であり、そんな彼に言い寄る女性は多かった。だが、全て無下に断っている。同性愛者でないか、という噂が立つほどに。
彼がそんな生活を送っているのには理由があった。
理想の女性を見つけるため。
いや。
理想の女性を作るため。
首都の外れにある洋館。雨がしとしとと降るなか、オズワルドは扉をノックした。
「はいはい、どなたれすかー?」
少女の声。しばらくして、扉が開いた。赤毛のサイドテール。十歳そこらの、可愛らしい少女だ。
「以前、手紙をお送りしました、オズワルドと申します」
「あ、はいはい。お話、伺ってます。雨も降ってますし、中へろうぞー」
舌っ足らずな喋り方だ。ともあれ、少女に案内され、洋館に入った。趣味のいい内装で、なかなか落ち着く空間だ。応接間に通され、ソファーに腰掛ける。
「お茶にミルクはお入れになります?」
「ええ、お願いします」
「はい、お待ちくらさい」
少女が一礼し、部屋から出て行く。机に並べてあった雑誌を流し読みする。少しの間の後、少女が茶を持ってきた。注文どおりのミルクティー。
「もう少々お待ちくらさい。セシリアは先程まで別の施術をしておりましたのれ、現在身を清めております」
「清める?」
「はい。色々と汚れますのれ……」
汚れる。ということは、噂話は本当だったようだ。かつて首都の大学に通っていた頃に聞いた、都市伝説めいた噂話。
死者を蘇らせる魔女。魔女は死者を蘇らせ、死体人形として売り捌いているらしい。愛する女を亡くした男に。愛する息子を亡くした母に。単なる死体愛好者に。
ひょっとしたら、望みが叶うのかもしれない。駄目元で連絡を取ってみれば、この洋館へと案内されたのである。
「では、清めていただいたほうがよろしいですね。私は神経が細いもので……」
苦笑してみると、少女も口元を隠してくすくすと笑った。
十分程経過したときに、部屋の扉がノックされた。
「お待たせしました。セシリアです。入ってよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ」
「失礼します」
入ってきたのは、想像していたものと違った。魔女ということで老婆をイメージしていたのだが、目の前に現れたのは絹めいた黒髪に、黒真珠めいた黒い瞳。寸分の狂いもない、まるで人形のような若い女性であった。
「はじめまして、セシリアと申します。……どうなされました? 私の顔に何か?」
唖然としていたのがばれてしまったらしい。
「いえ、あんまりお美しいもので……」
「嫌ですわ、褒めてもサービスはできませんよ?」
「いえ、これは失敬。そういうつもりではなかったのですが……」
セシリアがくすくすと笑ったので、オズワルドもつられて笑った。
「さて、お手紙は拝見しました。理想の女性が欲しいとか」
「……はい」
「お安い御用ですわ。これまでもいくらか卸させていただきました」
セシリアが机に写真を並べていく。これまでの実績なのか、どれも美しい女性の写真だ。「死体人形ですが、人間と同じように動きますし、人間と同じように考えます。それは全て、貴方のお好きなように」
理想の女性。自分の思うように動き、自分の思うように考える、理想の女性。
「……この女性のような姿を作ることは可能でしょうか……?」
オズワルドは懐から古びた写真を取り出す。それに写っているのは、彼の初恋、そして最後の恋の相手であった女性。子供の頃、近所に住んでいた年上の女性。
「失礼します」
セシリアは写真に目を通すと、にこりと笑った。
「問題ありません。前金さえいただければ、すぐにでも取り掛からせていただきます」
「これで足りるでしょうか」
オズワルドは鞄から札束を取り出す。五千レントの札束。
「失礼します。……ええ、問題ありません。最初に一つ、お聞きしてよろしいでしょうか?」
「はい」
「名前は、如何します?」
「キャサリン、と」
それは初恋の女性の名前であった。
それから二週間、オズワルドは仕事が手につかなかった。自分が求めた女性。長年の夢。それが叶いそうになっているのだ。落ち着け、というのは無理な相談であろう。
セシリアから手紙が届いたとき、オズワルドは飛び上がらんばかりに喜び、仕事を休んで屋敷へと向かった。日頃真面目に仕事をしていたので、こういうときには融通が利く。
「お待たせしました。あなたの望んだ、理想の女性です」
セシリアが連れてきた女性。それは、記憶の中、そして写真の中に眠っていた女性。
初恋の女性、キャサリン。
「はじめまして。キャサリンです」
キャサリンは微笑み、オズワルドにハグする。いい年をしてみっともないが、嬉しさのあまり固まってしまい、動けなかった。気の利いた言葉も言えなかった。
「いかがですか? 不備があるようでしたら、直させていただきますが」
「……いえ、このとおりです。私が望んでいた女性は……」
「よかったですわ。では、写真のほう、お返しします」
資料としてセシリアに貸していた写真を返してもらう。だが、この写真ももう不要となるだろう。
写真の中に居た女性は、目の前に居るのだから。
オズワルドは仕事を辞めた。
そして、一日中、キャサリンと愛し合った。
どこにそんな体力があったのか、不思議になるほど。
そんなある日、キャサリンは鏡の前で両手に目をやっていた。
「どうしたんだい?」
「いや、ちょっと左手が小さいような気がして」
確かに、キャサリンの左手は右手よりも少し小さい。今まで気にしたこともなかったが、言われてみれば。まぁ、彼女は継ぎ接ぎの死体人形なのだ。多少バランスがおかしいところもあるだろう。
「これ、左手を替えれば、もっと綺麗になれると思うの」
「どうして? 君は今のままで十分に魅力的だよ」
「ううん。もっと綺麗になって、あなたに喜んでもらいたいの」
キャサリンのことが、今まで以上に愛しく思えた瞬間であった。
セシリアにキャサリンの左手を替えてもらった。確かに、今まで以上に魅力的になった気がする。
「あなたは胸、もっと大きいほうがいい?」
好みとしては、もう少し小さいほうが。
セシリアにキャサリンの胸を替えてもらった。今まで以上に魅力的になった。
「脚、もうちょっと細かったら、もっと綺麗になると思うの」
セシリアにキャサリンの脚を替えてもらった。今まで以上に魅力的になった。
「鼻、もうちょっと高いほうがいいんじゃないかしら」
セシリアにキャサリンの鼻を替えてもらった。今まで以上に魅力的になった。
「眼、もっと大きいほうが、きっと可愛くなるわ」
セシリアにキャサリンの眼を替えてもらった。今まで以上に魅力的になった。
「ありがとうございました」
オズワルドとキャサリンを見送った後、セシリアはため息をついた。
「やれやれ。お得意様といっても、さすがにこれだけ続くとねぇ。それに……」
実績が収められているファイルを開き、作った直後のキャサリンの写真を見る。
オズワルドの理想の女性。
「あれは、あの人の理想の女性なのかしら?」
もはや別人と化したキャサリンを思い出すと、セシリアはくすりと笑った。
オズワルドが仕事を辞めて一年が過ぎた。
それを口実に、飲みにでも誘おうと、あわよくば集ろうとしていたかつての同僚だったが、ここ一週間ほど、彼の姿を見ている者がいないことに気がついた。彼と一緒に暮らしているという女性の姿も、誰も見ていなかった。
不審に思い、彼の自宅に向かい、呼び鈴を鳴らすが、返事はない。
もしや。
警察を呼び、ドアを突き破る。
家の中は死臭で満ちていた。
オズワルドは餓死していた。そして、彼の横には絶世の美女がいたが、彼女も胸に剣を突き立てて死んでいた。
調べてみると、彼の財産は塵一つ残っていなかった。
女の身元はわからなかったが、オズワルドの遺書があり、二人は同じ墓に葬られた。