「ままごと」
これは、屋敷の住人の昔話。
その日は朝から雨が降っていた。
セシリアは気晴らしと称して旅行に出かけていたが、これじゃあろくに楽しめまい。
ざまぁみろ。
ジェニーはそうひとりごちた。
とはいえ、一人でずっと留守番というのも暇なものだ。まぁ、ほいほいと人前に出ることができない体であるのは自覚している。何せ、顔には縫い目があり、左右で腕の長さが違うのだから。人前に出たところで嫌な顔をされるに違いないだろう。それを楽しめるような性癖は持っていない。
閑話休題。
ジェニーは本棚から旅行エッセイを取り出す。昔は行商人をやっていたので、旅行本は過去のことをいくらか思い出させてくれる。なお、ここらの識字率はそう高くなく、ジェニーは学のある部類に入る。
三分の一ほど読んだところで、屋敷のドアが荒っぽくノックされた。休業との札はかけているのだが。とりあえず無視。
ノック。無視。ノック。無視。ノック。無視。
ああもう。字ぐらい読めろっての。
ジェニーは毒づきながら本を伏せ、玄関を開ける。
「休業、の文字が見えませんかね?」
玄関先には、ずぶ濡れの男が立っていた。十二歳ほどの少女を抱えている。彼の体格は痩せ気味で、目つきからは堅気でない雰囲気を感じさせた。彼の顔は見たことがある。
手配書で。
「……あんたが、死者を蘇らせる魔術師か?」
彼は低い声で喋りだした。なるほど、彼が抱えている少女はすでに。
「残念だが、違うよ。奴は今、留守にしてる」
セシリアが居ないから「奴」とか言える。居たら? それは愚問だ。
「……そうか」
男はがっくりと肩を落とした。手配書の内容からは想像できない仕草だ。彼にとって、胸の前に抱えられている少女はよほど大切な存在なのだろう。話を聞いてみる価値はあるかもしれない。これで自分の心が動かされたら、セシリアが帰ってくるまで少女を預かっておくまでだ。
「……まぁせっかく雨の中を来てくれたんだ。上がれよ」
「あんた、俺のことを知らないのか?」
「知ってるよ。『三十人殺し』のクラークさん、だろ」
市街地のいたるところに貼り出されている手配書。三十人殺しのクラーク。目の前の男にそっくりな男。
「じゃあなんで家の中に入れる」
「別に、気まぐれだよ。それに、俺は一回死んでるからな。もう一回死んだところで、別に後悔しねぇよ。痛みも感じねぇしな」
ジェニーの脳裏によぎる、昔の記憶。マフィアの抗争に巻き込まれ、一方の女親分の機嫌が悪かったのが運の尽き。そこで一回死んだかと思えば今度は殺人鬼。どうやら自分はつくづく運がないらしい。いや、こうして死体人形として生きているのだから、悪運だけはあるか。
「……冗談と思いてぇが、魔術師さんの家だからな。信じなきゃいけねぇか」
クラークは口元だけで笑うのだった。
「ほら、温かい飲み物だ」
「悪いな」
クラークに紅茶を渡す。彼が連れていた少女はとりあえず仕事場に寝かせている。こういうところで仕事熱心な自分はなんだかな、と思う。
「……で、彼女を生き返らせたいのか? 三十人も殺したあんたが?」
「悪いか」
「別に。お客さんのことを悪く言うつもりはねぇしな。ただ、興味があるだけだよ」
クラークは紅茶をすすって、おもむろに口を開いた。
「誰かを愛する、ってのはどういうことか、あんたはわかるか?」
「さぁな。そんなもん、決まった答えなんかねぇと思うんだが」
考えてみれば、特定の人物を愛するという経験はジェニーにはなかった。特定の人物を好きになったことはあるが、行商人だったせいか、深入りすることはなかった。愛という感情に発展することもなかった。そうやって今に至っている。
「そうか。……少し、昔話をしてもいいか?」
「ああ」
クラークは空になったカップを置くと、伏し目がちに語りだした。
俺の母親は娼婦だった。
大層商売熱心だったらしく、俺が産まれる寸前までそういう趣味の客を取ってたらしい。商売というか、完全に趣味みたいなもんだったのかもな。
俺の種は誰のかわからない。あいつはずっとそう言ってたな。自慢話じゃねぇよ。
あいつは女の子が欲しかったらしい。そりゃそうだろうな。
あんたが女だったらどんなによかったことか。
何回も言われた言葉だよ。
結局、ガキの頃は女の服を着せられて、商売の手伝いをやらされた。内容は言わねぇよ。胸糞悪ぃ。
今思い出すと、母親は完全にキチガイだった。人のこと言えた立場じゃねぇけどな。
さんざんぶん殴られたかと思えば、あんたは私のものなんて言われて甘やかされるし、訳がわからなかった。
十五になった頃、俺は耐えられなくなって、家を出ようとした。そのときだ。あいつは俺にこんなことを言ってきた。今でも一言一句覚えてる。
あんたは私の持ち物なんだ。あんたはどうやって飯を食ってきた? 私の股でだろう? それなのに、私を置いてどこかへ行くってのかい。産むんじゃなかったよ、あんたみたいな恩知らず。
その後、俺は何をしたのか覚えてない。ただ、血塗れの母親が転がってただけだ。
俺は矯正所にぶち込まれた。今までの生活よりも、矯正所のほうがはるかにましな生活を送れた。だから、俺は出たり入ったりを繰り返したよ。
あの頃の俺は我慢ってものを知らなかった。すぐに手が出た。蛙の子は蛙なんだよ。俺も母親と同じだった。
むかつく奴には手が出てた。動かなくなりゃむかつかないで済む。そうやって俺は生きていた。
あいつと会ったのはそんな時だ。あいつは娼婦だった。まだ子供なのにな。
俺には子供を抱く趣味はなかったが、ふと思ったんだよ。こいつはひょっとしたら俺なんじゃないかって、な。俺が女に産まれていたら、こんなふうに客を取らされていたんだろうな、って。
その日は料金だけ支払って、俺は何もしなかった。変な奴だって思われたろうな。だが、楽な客でもあっただろうな。何もしないで、話すだけで金を貰えたんだから。
それから、俺はたまにあいつの元を訪れては金だけ支払って、他愛ない話をして帰る、なんてのを繰り返してた。そのうち金も取られなくなったな。あいつにとっちゃ、貴重な話し相手だったんだろうよ。
……あれは、ままごとみたいなもんだったよ。あいつのところに行っちゃ、他愛ない話をして。下らない、しょうもない時間だった。だけど、その時間は俺にとって唯一の落ち着ける時間だった。あの時間だけは、俺は人並みの人間になれていたんだろう。あの時間が終わった途端、俺はまた元のキチガイに戻ってたんだ。
だから、あいつとずっと一緒にいるってのも悪くないと思った。
その時間を邪魔しにきたあいつの母親が許せなかった。俺のことを不能呼ばわりしやがったしな。
……気がついたら、二つの死体が転がってたんだよ。
「……長話、しちまったな」
クラークの話は終わった。彼の話から察するに、あの少女は、彼が初めて大事にしたいと思った少女なのだろう。
だから彼女に娼婦なんてことをやらせている母親が許せなかったのだろう。母親を殺したのはいいが、それで少女が取り乱し、無意識のうちに手が出た、ってところか。
遺体には首以外に目立った外傷はなかった。どうやら首を絞めただけらしい。修復は容易だろう。
「妙に喋りすぎちまった」
「他人の話を聴くのも仕事のうちだったからな」
伊達に昔行商人をやっていたわけではない。寂しい老人の話を聴いてるうちに、商品をいい値段で買ってくれたなんてことはたくさんある。他人の話を聴くというのも立派な技術なのだ。
「それだけ聞かせてもらっちゃ断れねぇな。……だが、うちの魔術師さんはドケチだ。料金を払えないと、間違いなく何もしねぇよ」
「料金? それは俺だよ」
手配書に書かれていた賞金は一万レント。相場には足りない。だが、クラークがそこまで言うのなら、便宜を図ってやってもいいだろう。
何も愛せなかった彼が、唯一愛せそうだった少女への手向けだ。
「ずいぶんと事故犠牲精神にお溢れで」
「もう、色々と面倒になったからな」
「わかった。それでなんとか手を打つ。……警察には今から行くか?」
「ああ。早いうちがいい。もう楽になりてぇんだ。それに、今度はあんたを殺しちまうかもしれねぇしな」
ジェニーは傘を二本取り出して、クラークに渡す。
「……そういえば聞いてなかったな。あの子の名前は?」
「……アンヌ。可愛い名前だろ?」
クラークが恥ずかしそうに笑った。
雨足は少し弱まっていた。
「たらいまれす……。もう、雨なんて聞いてないれすよ」
「……ん、アンか」
「ろうしました? ボーッとして」
「いや、あの日もこんな天気だったな。つい昔話を思い出しててな」
「年寄りは嫌れすねぇ」
「やかましいわ」
あの後、クラークはすぐに斬首となり、ジェニーには懸賞金の一万レントが入った。
そして、屋敷にはアンという死体人形が増えたのだった。アンナの身体に別の魂を入れた死体人形が。
これが、今回の昔話。
ネタが浮かんだのでまた細々と続けます。
需要? 知らない。