「依存症」
彼女は塾講師をやっていた。名前はミランダ。かつては結婚していて息子が一人いたが、夫と息子を流行り病で相次いで亡くし、それからは身寄りのない子供を拾ってきては養子としていた。養子とするのはいずれも少年で、彼女の養子となってからの消息は知れない。
身寄りのない子供の里親になる。その行為は褒められるものだった。
そして、ミランダ自身も品行方正かつ、おしとやかな美人であり、人当たりもよかった。周囲からは現代の聖女とまで呼ばれている。そのためか、消息不明になる養子の謎には触れられないままだった。
そして、彼女には絶対に知られてはならない秘密があった。
夜。
ジェニーがレンタルしてきた馬車に乗ったミランダは、セシリアの屋敷にたどり着いた。隣には眠っているように見える少年がいる。
馬車から降りると、セシリアが迎えに出てきていた。彼女の姿を確認したミランダは長い栗色の髪を解いて、目深に被っていた帽子を脱いだ。
「ミランダさん。お久しぶり」
「こちらこそ。セシリアさんもご健勝のようで何よりですわ」
二人は握手を交わすと、部屋の中に入っていった。隣に座っていた少年はジェニーが抱き抱えている。
ミランダが応接間に通されると、すかさずアンが茶を持ってくる。ミランダとセシリアはテーブルを挟んで座っている。
「あら、今回も可愛い子じゃない」
「でしょう? とっても素直で、とってもいい子でしたのよ」
ジェニーが少年をミランダの横に座らせると、ミランダは彼の頬を愛おしげに撫でた。少年はぴくりとも動かない。
「そう、とってもいい子で、とっても素直で――」
彼の頬はすべすべしていて、冷たくて。
「だから、この子が他の女の事を考えるだなんて、耐えられませんでしたもの」
ミランダが微笑を浮かべ、少年の頬をつねる。それでも少年はぴくりとも動かず、目を閉じたままだ。少年の頬は柔らかく、そして冷たかった。
そう、少年はすでに死んでいた。
「……それで3人目? 本当に独占欲が強いわねぇ……」
「私もたまに思いますわ。ひょっとして病気なんじゃないか、って」
「ひょっとしてじゃなくて、間違いなく病気よ」
セシリアが笑った。ミランダはセシリアの常連であり、長い付き合いでもある。
「今回も保存のほう、よろしくお願いします」
「えぇ。いつもどおり、保存だけね。1000レントでいいわよ」
遺体の修復とは異なり、遺体を保存するだけならさして手間はかからない。また、ミランダが常連ということもあって、前回から値引きが始まっていた。ミランダは札束をセシリアに渡し、セシリアはそれを数えてから微笑んだ。
「1000レント、確かに。毎度ありがとうございます。それで、今日はどうするの? もう遅いし、なんなら泊まってってもいいけど」
「そうですか。では、ご厚意に甘えさせていただきます」
「なんのなんの。アン、部屋まで送ってあげなさい」
「あいあい♪」
ミランダはアンに連れられて、宿泊用の部屋に向かった。この部屋には何度か泊まったことがある。広くはないものの落ち着いた部屋であり、ミランダは気に入っていた。
「ろうぞ。何か気になるとこがありましたら、遠慮せずに言ってくらさいね」
「えぇ。ご苦労様」
ミランダはアンに飴玉をいくつか渡す。アンはこれが楽しみらしく、嬉しそうな表情を浮かべ、ミランダにお辞儀した。
「れは、ごゆっくり〜♪」
アンが扉をそっと閉め、ミランダは部屋に一人っきりになった。
静かになった部屋の中で、ミランダは考え事にふける。
今回養子にした子は、本当に素直で可愛い子だった。だからこそ、絶対に他人に渡したくなかった。彼の食事に大量の睡眠薬を混ぜ、苦しまないように殺した。
彼の前に養子とした2人の少年も、同じ手口で殺した。
5年前に夫と息子を流行り病で亡くしてからというものの、ミランダは傍にいてくれて、愛情を注げる、そして愛情を注いでくれる存在を常に欲していた。
それも自分だけに。
自分以外に愛情を注ぐことは、絶対に認めないし、許しもしない。
セシリアに言われるまでもなく、自分が異常だということはわかっている。それでも、それでも――。
ミランダは誰に対してでもなく、少し泣いた。
翌日。
昨日と同じレンタルの馬車で自宅まで送られたミランダは、防腐処理の終わった少年を抱いてから地下室の鍵を開け、地下へと降りる。
地下には、ベッドが並んでいた。ベッドの周りは造花で飾られ、夫、息子、そして養子に取った少年が二人、それぞれのベッドに寝かされていた。いずれもセシリアの魔術による防腐処理がなされており、生前の姿を保っている。
5つ目のベッドに少年をそっと寝かせる。生前、寝かしつけていたときのように、そっと、優しく。
目の前に並ぶのは、かつて、いや、今でも彼女が愛して止まない男達。ミランダは彼らを見渡して、恍惚とした表情を浮かべる。それから傍の安楽椅子に座って、目を閉じた。
今までの思い出を楽しみながら、彼女は眠りにつくのだった。
地下で思い出を楽しみ続けていた、そんなある日。
「こんちはーっす」
「あら、ジェニーさん。どうかしました?」
ジェニーがミランダ宅にやってきた。彼女は両腕の長さが違ったり、体のところどころにはっきりとした縫い目があるせいか、この辺りに来るときはいつも大きな外套を羽織り、大きな帽子を被っている。
「いやいや、いつもの点検と、営業ですよ」
ジェニーは笑顔を浮かべながら、帽子を脱いでお辞儀する。その後、外套を脱いで軽く折り畳んだ。
点検は二週間に一度ほどのペースで、たいていはジェニーが遺体の状況を確認に来る。魔術で保存しているとはいえ、この世に存在する限り、物質は何らかの形で劣化する。点検時に遺体の劣化が見られれば、すぐに補修してくれる、いわゆる保証プランである。セシリアは面倒臭がり、アンはどこか抜けているため、この仕事はジェニーが一番適任ということらしい。
「あ、それはご苦労様です」
「いやいや、セシリアが人使い荒いのは昔からですしね。じゃ、ちょっくら失礼しますよ」
ジェニーは笑顔を浮かべてからお辞儀をして、地下へ向かう。額の右側から左の頬まで、はっきりとした縫い目が走っているせいで、どこか近寄り難い印象があるが、笑顔はずいぶんと人懐っこい。
ジェニーが地下に潜っている間、ミランダはコーヒーを淹れる。この辺りで主に飲まれているのは紅茶だが、ジェニーは紅茶が駄目だそうだ。ただ、コーヒーもブラックは駄目で、カフェオレと見紛うほどミルクと砂糖を入れる。甘党なのだろう。
いつも点検の後は、何気ない世間話やミランダの思い出話。ジェニーからすればつまらない内容だろうが、彼女はいつも最後まできちんと話を聞いてくれる。ミランダからすれば、ジェニーが来るのは楽しみだったりするのだ。
「点検、終わりましたー。異常は無しっすわ」
「どうも、ご苦労様。ちょうどコーヒーを淹れましたので、どうぞ」
「あ、いつもいつもすみませんね。んじゃ、お言葉に甘えまして」
地下から上がってきたジェニーを居間に招待して、先程淹れたコーヒーを振る舞う。ジェニーはいつものようにミルクと砂糖を大量に入れて、コーヒーを茶色にすると、しばらく放置している。猫舌でもあるらしい。
「ミランダさん、ちょっとお話があるんですけども」
「はい? なんでしょうか?」
「俺達が遺体の修復や保存の他に、死体人形を作っているのはご存知ですね?」
「えぇ。最初に聞かせていただきましたが」
「それで今回、死体人形に自我を持たせるって実験をやってるんすよ」
「自我……ですか?」
ジェニーがコーヒーを一口飲んで、顔をしかめた。彼女にとってはまだ熱かったようだ。
「熱ちち……っと、はい。今までの死体人形は、ただ息をしてるだけのものでした。いや、意識を持った死体人形もいるんすけど、それは別の魂を死体人形って器に放り込んだやつです」
「魂を器に?」
「要は瓶の中身を別の瓶に移し変えるようなもんです。俺やアンはそのタイプなんすよ」
「えぇ!?」
ジェニーやアンは死体人形。初耳である。ジェニーはともかく、アンはそうは見えない。
「俺はサンコイチの死体人形に放り込まれてるんすけどね。ついでに、こんなナリしてますけど、元々は男です」
「は、はぁ……」
突然の展開に、ミランダはなかなか頭の整理ができていない。とりあえず、ジェニーの男っぽい口調の謎は解けた。
「話を戻しますね。で、今までは1と0を0と1にするだけでした。今回は0と0を1にしようとしてるんすよ」
「0を1にというと、魂を放り込まないで……?」
「そういうことです。新しく命を作る。そんなことをやってるんすよ」
ジェニーは何気なく話しているが、よくよく考えるとかなり大それたことのような気がする。
「それで、ミランダさん。一体どうですか? まだ試験中ですし、ミランダさんなので、一体2000レントでいいですよ」
「……営業ですか?」
「最初に言いませんでした? 点検と営業って。容姿と性格はミランダさんのお好みに仕上げますよ。今までのことと比べれば、リスクは少ないと思いますけどね」
確かに、今までやってきたことが知られれば、自分の社会的な命はないだろう。だが、今回持ちかけられた話は、元々この世に存在しない人間を傍に置くことだ。誰も知らない人間が消えても、誰も気にしない。
そして、ミランダは渇望を覚えていた。傍に誰か居る事への。
「……では、お願いしてよろしいでしょうか?」
その言葉は、実にスムーズに口をついて出た。ジェニーは笑顔を浮かべ、メモを取り出す。
「わかりました。では、性格と外見のご要望をお聞きしますね」
二週間後。
ミランダはセシリアの屋敷にいた。
ジェニーに要望したのは、素直で言うことをきちんと聞いて、それでいて子供らしい子。多少おとなしいほうがいい。
外見は今まで養子にしてきた子供達と同様、10歳ほどの年齢で、小柄なほうがいい。髪の色は栗色。くりっとした可愛い瞳を持つ少年。
なんてことはない。実の息子と同じ容貌を望んでいるのだ。
「いやぁ、うまくいくか不安れしたよ」
応接間にいるのは自分とアンだけ。アンはなんだか上機嫌だった。
「それにしても、セシリアはろれらけのことがれきるんれしょうね。これが上手くいったら、また商売が広がりますよ」
「需要はありそうですからね」
「れすれす」
それにしても、アンが死体人形だとすると、この口調は何か事情があったのだろうか。上手くいかなかったとか。
「お待たせ」
セシリアが首を左右に傾けながら応接間に入ってきた。ミランダの正面に座って、軽く右肩を回す。
「いやー、肩こったわ。でもまぁ、自信作になったと思うわよ。気に入ってもらえるんじゃないかしら?」
セシリアの笑顔はいつもの笑顔と違っていた。どこか達成感を感じさせる笑顔だ。
「……では」
「急かさない急かさない。ジェニー、連れてきて」
セシリアの合図で、ジェニーが応接間に入ってきた。傍らには少年がいる。
栗色の髪と、くりっとした可愛らしい瞳を持つ、小柄な少年。
「お待たせしました。ほら、挨拶」
ジェニーが少年の肩を叩く。
「ルークです。よろしくお願いします、『お母さん』」
ルークと名乗った少年はお辞儀をすると、ミランダの傍に駆け寄った。
「……お母さん?」
お母さん。
そう呼ばれるのは、とても久しぶりのことだった。
「うんっ!」
ルークははじけるような笑顔でうなずいたかと思うと、ミランダの横に座る。
「……いかがですか? ご希望には添えました?」
「……そうですね……」
ちらりとルークを見てみれば、ミランダのほうを見つめながら、足を遊ばせていた。
その仕草はとても自然で、死体人形とは思えない。セシリアの技術に少々恐ろしいものを覚えるが、これを望んだのは他ならぬ自分自身だ。
「……はい。私は、こんな子が欲しかったんです」
ミランダの言葉で、ルークは嬉しそうにしがみついてきた。
「しばらく様子を見られてください。お金はそれからで構いません」
「何せ初めての試みだからね。まぁ大丈夫だとは思うけど」
自分の左腕にしがみついているルークをあやしながら、ミランダは笑顔を浮かべた。なんだか久しぶりに味わう感覚だ。
「ありがとうございます。では、また」
ミランダが立ち上がってお辞儀をすると、ルークも立ち上がって、見よう見まねでお辞儀をした。
「……どういう意図だ?」
ミランダとルークを見送ったジェニーは、セシリアに強い口調で問いかけた。
「意図?」
「守銭奴のあんたが代金を請求しなかった意図だよ」
セシリアは守銭奴かつ吝嗇家である。法外とも取れる技術料は、ほとんどがセシリアの懐に収まっていた。原価は薬品以外ほとんどタダのようなものであり、助手二人にもさして報酬を与えていない。まさに濡れ手に粟だ。
「意図って、説明したままだわよ。常連さんを実験台にするんだもの、それぐらいの思いやりは持ってあげなくちゃ」
「ミランダさんに何かあったらどうすんだ? 俺はあの人が淹れるコーヒー好きなのに」
「あんたはどんなコーヒーでも激甘にするから、味の違いなんざわかんないでしょうに」
セシリアが笑った。彼女は甘味が嫌いらしく、コーヒーはブラック、プリンなども砂糖抜きを好む。料理を作っているアンは、ジェニーのぶんとセシリアのぶんを作り分けていた。
「ミランダさんは嫌いじゃないから、何事もないといいけどな」
「そうねぇ。常連を無くすのも痛いし」
セシリアは意地悪そうに笑った。
ルークと暮らし初めてから、数週間後。
ルークはミランダが求めてやまなかった存在だった。
自分の言う事を素直に聞いてくれて、そして自分に愛情を注いでくれる。そんなルークに、ミランダも惜しみなく愛情を注いだ。
ルークは作り物だとしても、充実した日々だった。
そんなある日、地下室へ続く階段の鍵が壊れて、扉が閉まらなくなった。
ルークには「地下は危ないから行っちゃ駄目」と言いつけているが、何かの拍子に地下に入られると不味いことになる。
ルークならまだしも、赤の他人に地下に入られた日には。
そうなれば、自分の平穏な生活は終わりだ。
折角の充実した日々を終わらせるわけにはいかない。そのためにも、地下の鍵は修理する必要があった。幸い、ドアノブを付け替えれば自分で修理できそうだ。
「ルーク、ちょっと」
「はーい」
よそ行きに着替えたミランダは、ルークを呼び出す。
「お母さんね、ちょっと出かけてくるから。すぐ戻るから、お留守番しててね」
「うん、まかせてっ」
ルークは両手で握り拳を作り、小さくガッツポーズをする。ミランダはその仕草を見て、思わず微笑んだ。
「じゃあ、お任せします」
ミランダはルークの頭を撫でて、外に出た。今日はよく冷えている。これだけ冷えていると、夕飯は暖まる物がいいだろう。
鍵屋に行くついでに、夕飯の買い物も済ませておこう。
ミランダは買い物の予定を立てながら、市場へ向かった。
家の中に一人きり。ルークにとって、これは初めての出来事だった。うきうきした気持ちと、不安な気持ちが混じりあって、何をすればいいのかよくわからない。
せわしなく部屋の周りをうろうろするも、何もする気になれない。部屋を出て、今度は家の中をうろうろする。
ふと、鍵の開いた部屋が目に留まった。そう、地下室への扉だ。行ってはいけない。ずっとそう言い聞かされてきた。
言いつけに従う。そう「作られた」のだが、その一方で「子供らしい」という好奇心も持たされていた。
その二つの気持ちがせめぎあい。ルークはしばらく扉の前で立ち尽くしていた。
そして、彼は扉をくぐった。暗い階段におびえつつ、一段づつ下がっていく。
階段を降りた先にある、大きな扉。どうやらこちらの鍵も壊れているらしく―壊れたのはこちらのほうが先のようだ―、扉をゆっくりと開ける。扉の近くにあったランプに火を灯し、おそるおそる歩いていく。
そこには、造花で飾られたベッドが並んでいた。ベッドの上を照らしてみる。
ベッドの上に寝ているのは、ルークと同じ顔をした少年。
「うわっ!?」
思わず後ずさる。ランプを落として、灯が消えた。慌てて再度灯を灯す。
もう一度、おそるおそる確認してみる。やはり、自分と同じ顔。
不気味に思ったが、どこか懐かしく思えた。
寝ているのだろうか。その割には胸が上下していない。ひょっとして――。
「……ボクと同じ、なのかな」
寝ているのは防腐処理がされた、ミランダの息子の死体。
彼にかかっているセシリアの魔術に、ルークはどこか懐かしいものを覚えた。周りを照らしてみると、同じような死体が並んでいる。
不気味に思うよりも、懐かしいという感情の方が大きかった。懐かしく、どこか落ち着く空間。
ルークは床に座り込んで、しばらくそこにいることにした。すると、睡魔が襲ってきて。
目を瞑ると、再び目を開けることはできなかった。
「ただいまー」
ミランダは買い物を済ませ、家に戻った。すると、いつもあるはずの返事がない。
何かあったのか。嫌な予感がした。
「……ルーク? 寝てるの?」
ミランダは荷物を置くと、居間と子供部屋を見て回る。が、ルークの姿はどこにもなかった。自分の部屋、物置、風呂場。どこにもいない。外出したとは思えないし、まさか。
地下室への入口に走り込む。閉めたはずの扉が、少しだけ開いていた。……まさか。
階段を駆け降りると、案の定。とりあえず、忘れるように言おう。そうきつく叱るつもりはない。
下の鍵は前から壊れていた。上の鍵があるからと、直すのを怠っていたが、こんなことになるとは。扉を開けてみると、扉の側に置いていたランプがなくなっている。地上に戻り、別のランプを持ってくる。
中を照らしてみると、そこではルークが眠っていた。
まさかの事態に、ミランダの思考は停止した。ただただその場に立ち尽くすだけだ。
どれだけの時間が経っただろうか。ランプの灯りがまぶしかったのか、ルークが目をゆっくりと開けた。
「……お母さん?」
その一言で、ミランダの思考は元に戻った。
気がついてみれば、ルークに平手打ちをしていた。
「……どうして、どうして言うことを聞かなかったの!?」
「……お母さん……?」
「入っちゃいけないって言ったでしょ!? どうして、どうして言うこと聞かなかったの!!」
何を言ってるんだろう。さっきはきつく叱らないと決めていたのに。
「何を見たの!? 忘れなさい!! 言い訳は後で聞くわ、早く出なさいっ!!!」
違う。
違う。
こうじゃない。
「……さい」
ルークのかすかな声が聞こえてきた。
「ごめんなさいっ!!!」
悲鳴に似た叫び声。その後、ルークは部屋を飛び出した。
違うんだ。
自分がしたかったことは、これじゃない。
どれだけ呆然としただろうか。ルークの悲鳴で、ミランダは我に返って部屋を飛び出した。
どこから悲鳴がしたのか。周囲を見渡して、耳を澄ます。すると、居間から気配が感じられた。
居間に続く扉を乱暴に開け放つと、そこにはうずくまっているルークがいた。
「……ルークッ!?」
ミランダの声で、ルークは顔を上げた。
「……ッ!?」
ルークの目からは、血が流れていた。側にはペンが転がっている。それから予想されることは、そのペンで、自分の目を――。
「ルーク、どうしたの!? 大丈夫!?」
「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ!!!」
ルークの声は、悲鳴に近かった。
「ボクが、お母さんの言いつけを破ったから!! お母さんを怒らせた!! だから、ボクは、ボクはっ!!」
「違うの、お母さんは、お母さんは……」
「ボクは何も見ない!! 見たことも全部忘れる!! だから、だから……っ!!」
「違うっ!!」
ミランダはルークを抱きしめた。
「お母さんは、怒ってなんかないの……。さっきは、ひどいこと言っちゃったけど、今は怒ってない。怒ってないから……」
これも違う。最初は怒るまいと思っていたのに、真っ先にしたことは平手打ちだ。つまり、怒るまいと思っていたことはただの綺麗事。結局は自分の保身が一番大事なのだ。
だけど、ルークに嫌われたくない。その一心だった。
「……だから、お母さんのこと、嫌いにならないで……」
「……うんっ。嫌いになんかならないよ」
ルークの返事はそっけなかった。
「だって、『そう作られた』から」
ルークの声は無邪気だった。
そうだ。ルークは作り物。そして、それを望んだのは他ならぬ自分。
この状況を作り出したのは、自分なのだ。
「ああああああっ!!!!」
自己嫌悪の末、何を喋ればいいのかわからなくなって、気がついたら叫んでいた。
「え、お母さん、お母さんっ!!!」
かすかに聞こえるルークの声。
そのまま、意識は失われていった。
気が付いたら、セシリアの屋敷で寝込んでいた。アンがこちらを不安そうに見つめている。
「……あ。お目覚めになられましたか」
「……私、なぜここに……」
「ジェニーが点検に伺った時に見つけたんれす。気を失われてましたから不安らったんれすが……」
「ルークは、ルークは大丈夫ですかっ!?」
「はい、らいじょうぶれす。眼らけ新品に入れ替えさせてもらいました。モニターの一環れすのれ、無償にさせていたらきますね。あとお望みなら、記憶のほうも……」
「……いえ、結構です。セシリアさんは?」
「部屋にいらっしゃいます。ご用があるのなら、案内しますね」
ミランダは立ち上がると、アンに先導されつつセシリアの部屋に向かった。
「おはよう。今回は迷惑かけちゃったわね。ちょっと性格設定を間違えてたみたい」
セシリアは立ち上がると、ミランダの手を取る。
「いえ、今回の事件は、結局私が望んだことですので……」
「……そう。じゃ、ルークはどうするの?」
「今までどおり、育てさせていただけないでしょうか……?」
「それは何より。あ、これは地下室の新しい鍵ね。ミランダさんを連れてくるついでに、ジェニーに直させといたから」
セシリアがポケットから鍵を取り出す。
地下室があったから、こんな事件が起きた。そして、ルークが側にいる限り、地下室に行く必要はない。過去の愛にふける必要はない。今はルークに愛情を注ぐだけだ。それが、ミランダが愛情を注げるように「作られた」彼への、最大の贖罪になる。
だからずっと、ずっとルークに愛情を注ごう。
「……あの、お願いがあるのですが」
セシリアとジェニーはミランダを見送ると、屋敷に残された地下室の鍵を見つめていた。
「セシリア、どうするんだこれ」
「そうねぇ」
ミランダは地下室の鍵を預かってほしいと願い出てきた。今はルークに愛情を注ぎたい。そんな理由で。
「まぁ、しばらくしたらまた必要になるでしょうから、適当に保管しときましょうか」
「……必要になるって、ひょっとして」
「あの人はちゃんとした子供が欲しいのよ。あんな作り物じゃなくてね。ちゃんと成長する子供。じきに満足できなくなるわ」
セシリアはくすくすと笑うと、鍵を机の中に入れた。
子供の成長というのは子育ての楽しみの一つであろう。だが、ルークは成長しない。ずっと同じままの姿だ。だが、成長すると、母親よりも別の異性に愛情を注ぐようになる。それはミランダのお眼鏡にかなわない。
「業の深い人ねぇ。まぁ、病気ってとこかしら」
「本人いないからってめちゃくちゃ言うな」
「あら、当たってると思うけど?」
ミランダの性格はさておき、しばらくは死体人形のテストに付き合ってもらう。いい金づるなのだ。そうそう手放しはしない。
「……正直、この仕事は好きじゃないけどな」
「アンタの好き嫌いは聞いてないわよ。さ、そろそろ復元のほうも取りかからないと、納期に遅れるわよ」
「はいはい。ったく、もっと納期には余裕があったのによ」
「いいじゃない。たまには遊ばないとね」
「いつも遊んでるご身分で……」
二人は互いを罵りあいつつ、地下の仕事場へ姿を消していった。
そして2年後。
ミランダはルークを抱え、セシリアの屋敷を訪れるのだった。
そして、地下室の鍵は、ミランダのものになった。
まさかの続編。
今回もイントロのみ実話をモチーフとしています。
たまにはこういう黒い話も書きたくなるんです。