「別れても好きな人」後編
三日後。
セシリアの仕事場には、生前の姿を取り戻したクローゼが横たわっていた。枯れ木のように干からびていた手足は元のほっそりした、それでいて柔らかいものに。石膏に覆われていた顔も、皮膚が張り替えられ、義眼ではなく本物の瞳がはまっている。
「……おぉ、クローゼ……」
正装のレリックは感動を隠せないようだった。無理もない。彼の目の前にあるのは、生前の美貌を取り戻したクローゼなのだから。
「外見に違いはありませんか?」
「はい、確かにこれはクローゼです……!」
「かしこまりました。では、復活の儀式を執り行わせて頂きます」
漆黒のローブに身を包んだセシリアは、レリックにお辞儀をしてから奥の部屋に消えた。同じく漆黒のローブに身を包んだアンとジェニーがクローゼを抱え、セシリアの後を追う。
アンとジェニーはクローゼを魔法陣の上に寝かせて、燭台に火を灯した。薄暗い部屋が、一気に明るくなる。
「……我が名はセシリア。虚空を彷徨えるクローゼの魂よ、我が前に姿を現したまえ」
セシリアが呪文を唱えると、魔法陣が明るく反応した。
「セシリアの名の下に命ず。汝を待つ者の為に、我が前の器に宿り、再び現世の地を踏み締めよ」
アンがクローゼの口に、錠剤を放り込んだ。セシリアはそれを確認し、杖で魔法陣を叩いた。
「……目を開けよ。そこは冥府ではない。現世である」
少しの間の後、クローゼがゆっくりと目を開ける。
「……ここ、は……?」
「おはよう。……いえ、お帰りと言うべきかしらね」
クローゼは上体を起こし、周囲を見渡している。その様子を確認したセシリアは、満足そうに微笑んだ。
「レリックさんが貴女を生き返らせてくれたのよ」
「……レリックが!? 嘘でしょう!?」
「いいえ、本当よ。今は部屋の外で、貴女のことを待っているわ」
「……あぁ、神様……。また、レリックと会えるなんて……」
「ふふ、感謝ならレリックさんにすることね」
クローゼはひとしきり祈ったあと、起きあがってから部屋の外に走り出した。セシリアは慌てて彼女を制止する。
「ちょっと待ちなさい。今の自分の格好、見てみたら?」
「レリックさんから預かってた服がありますから、こちらへどうぞ」
クローゼの格好は裸だった。
セシリア達が奥の部屋に去ってから、だいぶ時間が過ぎた。
レリックはそわそわとセシリアの仕事場を歩き回る。じっとしていられない。
クローゼと再び会話ができる。温かい彼女を抱き締めることができる。
そのことを考えると、胸が高鳴って高鳴って、もはや張り裂けそうだった。
ドアが開く音がした。
ドアの向こうには、純白のドレスに身を包んだクローゼがいた。
「……クローゼ……?」
「レリック……」
二人は最初はゆっくりと歩み寄っていたが、少しずつ速度を速めていき、最後の方は二人とも小走りになっていた。
「クローゼ!!」
レリックはクローゼを抱き締める。彼女の体は温かくて、コロンの匂いではなく、クローゼの匂いがした。
「レリック!!」
クローゼの手が背中に回ってきた。最後に抱き合ってから、どれだけの時間が過ぎたのだろうか。クローゼが死んでから今まで、ずっとこの時を待っていた気がする。
「ずっと、ずっとこの時を待っていたよ。あぁ、これは夢じゃないよね……」
「ううん、夢じゃないわ。だって、私は夢を見ることもできなかったんですもの……」
クローゼはレリックの胸に顔を埋め、レリックは彼女の頭を抱いた。
「感動の再会れすねぇ……」
レリックとクローゼの姿を眺めていたアンは、思わずため息をついた。二人とも美形なので、本当に絵になる光景だ。
「いやはや、仕事した甲斐があったってもんだ」
「まだ終わっちゃないわよ。ギャラもまだだしね」
二人が落ち着いた頃合いを見計らって、セシリアはレリックに歩み寄る。
「おめでとうございます。……それで、お話があるのですが」
「……あぁ、はい。今回は本当にありがとうございました」
レリックはクローゼから離れ、大きな鞄をセシリアに差し出した。
「残りの代金です。お確かめください」
「アン、ジェニー、確認して」
レリックの鞄をアンが受け取り、アンとジェニーは奥の部屋に消えた。
「……それで、一つだけ確認事項があります」
「何でしょう?」
セシリアはクローゼに聞こえないよう、小声で囁いた。
「クローゼさんは一週間しか生きられない。そのことはご存知ですね?」
「……はい」
「一週間後、彼女の胸をこの剣で突いてください。これで彼女の魂は再びあの世へと戻ります」
セシリアはレリックに銀色の短剣を手渡した。
「それを怠った場合、彼女の魂は行き場を無くし、魔物に成り果てます」
「…………はい」
「いいですね。一週間後、必ず彼女の胸を突くこと。それを怠った場合、貴方の生命の保証はできませんので」
「……」
「その後、彼女を再び呼び戻したい場合は、半額で行わせていただきますので、またご贔屓に」
セシリアは微笑んだ。レリックは難しい表情を浮かべているが、説明は果たした。
「ご主人様、14万8千レント、確かにありました」
「ご苦労。……それでは、またお会いできることを願っています」
「こちらこそ、お世話になりました」
「アン、送りなさい」
「あいあーい♪」
アンがレリックとクローゼを玄関まで送っていった。
静かになった仕事場に、ジェニーが顔を出す。
「……あの人、刺せると思うか?」
「さぁね。まぁ、これで一仕事終わり。パーっと行きましょうか」
一週間後。
レリックとクローゼは偽名を使い、首都の安アパートに住んでいた。
二人の話はここまで広まっていたが、市民の反応は概ねレリックに同情的だった。
酒の席でネタにされることこそあれ、結局は「本当に愛していたのなら、やむを得ない」という結論に落ち着くのだった。
そのためか、クローゼの実家は思い切った行動を起こすことができず、二人は誰からも邪魔されることなく、「新婚」生活を満喫していた。
静かで落ち着いた、出会ってから夢に見続けた日々。
クローゼが再び「死んで」しまう日は、そんな生活が最高潮に達した日にやってきた。
時間は無慈悲である。だが、時計を巻き戻すことは誰にもできないことだ。
朝食を済ませた後、クローゼは台所で洗い物をしていた。
その間、レリックはセシリアから貰った短剣を眺めていた。
一週間は過ぎてしまった。
クローゼをこの手で、再び眠らせなければならない。
「あなた、お茶には砂糖を入れます?」
クローゼの声は無邪気だった。
この日々を終わらせたくない。だが、彼女を魔物にはしたくなかった。
「……あな……た……」
カップが割れる音がした。レリックは短剣を懐にしまい、慌てて台所に駆け込む。
「クローゼ!!」
台所では、クローゼが倒れていた。
「……あなた、とっても……とっても、苦、しいの……」
「喋るな、クローゼ!!」
レリックはしゃがみこんで、クローゼの頭を膝に乗せる。
セシリアが言っていたのは、このことか。
「……わからない……わ、怖いの……。私が……私じゃ……なくなっちゃう……」
クローゼの顔は苦痛に歪み、手は震えている。レリックはその手を握ることしかできなかった。
「……あなた、私を……、私を、殺して……」
「何を言ってるんだ!! そんなこと、できるわけ、ないだろう……ッ!!」
「体が、言うこと、聞いて、くれないの……。このままじゃ、私、何をするか……」
レリックは懐の短剣に手を伸ばす。
だが――。
出会ったときのこと。好きになったときのこと。死別したときのこと。霊廟に通った日々のこと。部屋に彼女を迎えたこと。
そして、生き返った彼女との、夢にまで見た同棲生活。
「……できるわけ、ないだろう……」
レリックが短剣から手を離した次の瞬間、クローゼはバネ仕掛けの人形のように起き上がり、レリックに襲いかかった。
「……クローゼ……」
クローゼはレリックを押し倒し、喉笛にかぶりつく。彼女の目は血走っていて、人間のものとは思えなかった。
愛しているよ、クローゼ。
レリックはそう呟いて―声は出なかったが―瞳を閉じた。
鮮血が飛び散った台所。
クローゼはそこで、レリックを貪り喰っている。彼女にもう意識はない。ただ、目の前の肉を食うだけの魔物と化していた。
「……やっぱりな」
玄関に立ったジェニーは、その光景をため息混じりに眺めている。クローゼがジェニーに気付くまで、そう時間はかからなかった。
新たな獲物に気付いたクローゼは、ジェニーに飛びかかる。が、ジェニーはそれを読んでいた。身をかわすと同時に、短剣を投げつける。
短剣はクローゼの目に刺さり、クローゼは動きを止めた。その隙をジェニーは逃さず、一気に間合いを詰める。
「……悪いが、もう一回死んでくれや。恨むんなら……」
そのまま長剣でクローゼの胸を突き刺した。長剣にはレリックに渡された短剣と同じ意匠の装飾が施されている。
「……レリックさんじゃなく、俺らを恨んでくれや」
胸を貫かれたクローゼはしばらくもがいていたが、じきに動きを止めた。ジェニーは剣を抜き取り、血を拭き取ってから鞘にしまう。
一週間後の後始末。それがジェニーの仕事である。
刺せていればそれでよし。もしも魔物と化していたら、仕留めなければならない。
「……あの世で、仲良くな」
ジェニーはレリックとクローゼの遺体の手を重ね、立ち去るのだった。
しばらくして、腐乱した二人の遺体が見つかった。
あまりにも損傷したレリックの遺体から、警察は遺恨混じりの事件として捜査をしたが、目立った証拠も見つからず、やがて迷宮入りした。
クローゼの遺体は実家が引き取り、今度こそ霊廟に安置された。
レリックの遺体は引き取り手がおらず、無縁仏として葬られた。
そして、セシリアの元には、今日も誰かが訪れるのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。
実験的要素の大きなお話でした。
ちなみに実話がモチーフです。
というか多分に反社会的な要素含んでますので、一応ここで止めておきます。
また気が向いたら続きを書くかもしれません。
11/4/1 続編書きました。