「別れても好きな人」前編
彼は医者だった。首都の有名大学で医術を学び、片田舎の病院に赴任してもう10年。彼の名はレリック。
彼は真面目で浮いた噂もなく、腕前も確か。それでいて美貌の持ち主ということで、地域住民からの評判は上々。
そんな彼には何度も縁談が持ち上がっていたが、彼はすべてやんわりと断っていた。本気で愛した相手以外とは結ばれたくない。そう思っていた。
毎日、無難かつ冷静に仕事をこなしていた、そんなある日。
彼は、とある入院患者と出会った。彼女の名はクローゼ。
クローゼはこの地方では有名な名家の令嬢らしい。が、この世界では不治の病である肺結核にかかり、家族から見放される形でこの病院にかつぎ込まれたのだった。
彼女は色白で、本物のブロンドは少しだけ巻き毛だった。22歳という年齢よりも幼く見え、教養も高かった。
レリックはクローゼに一目惚れをした。彼女もレリックの評判を聞いていて、すぐに彼に心を許した。
真面目な美貌の医者と、不治の病に侵された、美貌の患者との相思相愛。
この話はとたんに地域の評判となり、クローゼの実家へ届くのに、そう時間はかからなかった。
レリックはクローゼの実家へ、結婚を申し入れた。
それに対しての実家の返答は、否だった。
保守的なクローゼの父親は、この地の者以外の血が混ざるのを嫌ったのだった。そして、学のあるレリックに嫉妬もしていたのだ。父親だけでなく、家族もクローゼの遺産目当てという目でレリックを見ていた。
結ばれぬ恋。だが、かえってそれは二人を燃えさせた。
日に日に二人は親密なものとなっていったが、クローゼの体も衰弱していった。
「私はこんな風になってしまったけど、私が死んだら、私の体はあなたが引き取って。そして、一緒になりましょう」
衰弱した彼女が呟いた言葉。それは、レリックの心に突き刺さった。
やがて、クローゼは死んだ。
レリックは葬式に参列させてもらうことはできず、霊廟の外から祈りを捧げることしかできなかった。
クローゼの家族は「娘のことを思い出してしまうから」という理由で、引っ越すことになった。それは建前で、本音は自分を遠ざけようという魂胆だと、レリックは思った。
そこで、彼は「引っ越すようなら、月500レント(現代の通貨価値で約5万円)で部屋を間借りさせてくれ」と頼み込んだ。
最初は鬱陶しがっていたクローゼの家族だったが、月500レントの間借り賃に心が動き、結局、レリックに家を貸し、彼らは別の町へと引っ越していった。
一人になったレリックは、クローゼがかつて過ごしていた部屋に住み、夜は彼女が眠っていた布団で、彼女の残り香に包まれながら寝るのだった。
そして彼はそれだけでは飽きたらず、葬儀屋を買収し、クローゼが永遠の眠りについている霊廟へと毎晩毎晩足を運んだ。
彼女の姿は生きている間とほとんど変わらず、今にも起き出しそうだった。
レリックは毎晩毎晩、彼女の体を拭き、そして彼女と話をした。彼女の声は霊廟に響くことはなかったが、レリックの頭の中には響いていた。
昼間は病院、夜は霊廟。そんな生活が続いていたある日。
彼は幻を見た。
「ここは嫌。狭いし暗いし、何よりも寂しいの」
クローゼはレリックにすがりつつ、瞳に涙を溜めて訴えてきた。
「お願い、あの時の約束、今こそ果たして」
彼女との約束。
死んだら彼女を引き取り、一緒に暮らす。
「わかったよ。今から迎えに行くからね」
レリックはそう答えていた。
幻から覚めたレリックはタキシードに身を包み、白手袋をして、荷車を押して霊廟に向かった。墓守りと葬儀屋にいつもよりも高い金を渡し、彼はクローゼが安置されている部屋へ入った。
「ようやく、一緒になる時が来たね……」
レリックは万感の思いでクローゼを抱き締めた。彼女は今にも崩れそうだったので、そっと、優しく。それでいて情熱を込めて。
彼はそのまま彼女を抱き抱え―いわゆるお姫様抱っこ―、荷車にそっと乗せる。折しも雨が降り出して、雨と、そして彼女の体から出てきた液で、彼のタキシードはベトベトになっていた。
だが、そんなことで彼の想いは砕かれなかった。
レリックは自宅に患者を運び込むと、ベッドにそっと寝かせ、まずは丹念に彼女の体を拭き上げた。胸の上で組まれていた腕は滑車で伸ばし、完全な防腐処理を施した。内蔵は取り除いて、代わりにほどよい固さのクッションを詰める。朽ちたドレスを丹念にピンセットで剥がし、髪に植物油を塗り込む。
腐り落ちていた瞳には義眼を入れて、患者の顔に石膏を塗った絹を貼り付けた。
「蘇った」クローゼは、生前の美貌を保っている。レリックは満足し、彼女に口付けた。
「もう、どこにも行かない。ずっと君を放さないから」
レリックはクローゼに、この日のために用意したウェディングドレスを着せて、髪を花で飾って、指輪をはめた。
そして再び口付けをし、彼女をそっとベッドに寝かせるのだった。
レリックとクローゼとの蜜月は、1年間続いた。
ある日、クローゼの霊廟に訪れた彼女の姉は、クルーゼの遺体がなくなっていることに気付いた。
姉は墓守りを問い詰める。最初は知らぬ存ぜぬを決め込んでいた墓守りだったが、繋がりのあるマフィアによる実力行使を示唆した姉の迫力に負け、レリックのことを話したのだった。
姉はすぐにレリックの家に乗り込んだ。
「妹を返して、この人でなし!」
姉はレリックの胸ぐらを掴む。しかし、彼は涼しい顔を浮かべたままだった。
「返す? これは異なることを。彼女は彼女の意志で、私と共にいるのですよ」
レリックはクローゼを眺める。彼女は何も語らず、ただ笑みを浮かべているように見えた。
「それよりも、あなたたちはこの半年の間、何をされていました? 彼女をずっと見捨てておいて、何を今更。私達はずっと一緒なのです。あなたたちに私達を引き裂くことは、もうできません」
「……狂ってるッ!! 最低ね、この変態ッ!!」
姉はレリックに平手打ちを繰り出し、クローゼを連れていこうとしたが、彼女に触れるのを、体が拒否するかのように、腕はそれ以上動かなかった。
「……どうしました? 彼女の体に触れることができないのですか?」
「そんなこと……」
「無理しなくても良いのですよ。まぁ、彼女は私のものですから、誰にも触らせはしないのですが」
戸惑っている姉を後目に、レリックはクローゼの頬をそっと撫でる。石膏の染みた絹でできた彼女の頬は、非常に撫で心地の良いものだった。
「お帰りください。もう二度と、私達の間を引き裂かないでいただきたい」
レリックの視線は、強い決意を帯びた、普通じゃないものだった。
姉はそれに恐れをなし、最後までレリックを罵倒しながら、去っていくのだった。
一難は去ったが、しばらくするとまた同じようなトラブルが起こることは目に見えている。
この家を去り、そして、かつて噂を聞いた魔術師の元を訪れてみることにした。
死者を蘇らせることのできる魔術師を――。