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広間の端から-彼女が壊れるのを知っていた-

作者:
掲載日:2026/03/27




 事件のことで話があるから広間に集まって欲しいという伝言を受けて狛島はその場に足を踏み入れて、あれ、と部屋の奥にいる中肉中背の冴えない風采の男に瞬いだ。広間に集まって欲しいというのは警察関係者から言われたことだというのに、この場を支配しているのは自分だといった様子でテーブルを置いて向かい合ったソファの傍に立っているのは探偵の五城目だ。少し草臥れた服装をしていて、どこか古く厳かな洋館には不釣り合いで浮いているように見えた。

 有名な探偵らしいが狛島は寡聞にして彼のことを知ることはなかった。元々犯罪に関しても興味がなかったのだ。

 探偵なんてものが事件に関わるとは思わず狛島はソファから少し離れて広間の端で立って部屋の中央のソファにいる人物達にそれとなく目を遣った。

 大学のサークル仲間の一部で同窓会を兼ねた旅行をしようと誘われて狛島は参加していた。社会人になって数年、大学時代の自由を恋しく思う気持ちもあった。洋館でゆっくりとハイキングなどをして過ごそうなんて触れ込みに狛島は少し楽しみながら現地に来たのだ。そんな浮かれた気分も今は霧散している。何しろ、昨日の朝、旅行に参加していた一人、瀬上が部屋で首を吊っているのを発見されたのだ。なにも旅行中に自殺なんて、狛島は思わなかったわけではないが、事態は急転する。確かに瀬上は首を吊っていたのだが、駆けつけた警察によって致命傷は後頭部の傷ではないかという情報がもたらされたのだ。後頭部に致命傷を負った被害者が首を吊るなんて現実的ではない。昨日の昼頃には致命傷が特定されて、自殺は急遽、殺人事件へと移り変わったのだ。

 こんなことに巻き込まれるなんて、と狛島は内心溜息を漏らす。このサークルで人が死ぬのは初めてではない。ほんの少し過去のことを思い出そうとしたところで広間の扉が開いた。

 不安げな顔をしている若尾の手を握りしめて支えているのは恋人の宗形だ。華奢な身体の若尾が宗形に寄り添うのは大木に可憐な花が一輪揺らいでいるようにも思える。若尾は昨日の事件にショックを受けているのか顔は蒼白で唇は血の気が引いていた。憂えの帯びた目を宗形に向けて、宗形は静かに笑みを返している。

 若尾を気遣ってか宗形はソファの空いている席を勧めるが、足が強ばっているのか若尾は立ち止まったまま小さく首を振った。

 若尾が気が引けたのは仕方ないことかもしれない、と狛島は小さく心の中で呟く。

 既にソファに座っているのは八木坂と永江、葉川の三名だ。若尾にとっては大学時代の二つ上の先輩で遠慮があるのだろう。

 八木坂は片方のソファの端に座って落ち着きがないように身体を揺すっている。対面の三人掛けのソファには永江と葉川が一人分の席を空けて端に座って居る。そんな三人を観察するような目で見ているのは五城目でそのやや後ろには警部の宮門も控えている。

 若尾の細い腰を支えるように触れている宗形の手を目視して狛島の眉が小さく跳ねる。この二人の関係も五年と長い春だ。

「藤、大丈夫?」

 宗形の気遣わしげな眼差しに若尾の目元にはパッと朱が差して目尻が下がる。

「ええ、大丈夫です。ありがとうございます和成さん」

 控え目に花が綻ぶように気丈に笑みを漏らした若尾は宗形を安心させるように少し丸まっていた背を伸ばして前に立っている五城目を不安げな目で見詰めた。ふと若尾の視線が揺らいで自分に向けられそうになった気配を察知して狛島は不自然にならぬように視線をソファの方へと向ける。

 事件の話をするということは関係者全員を呼び出したというのだろうが全員が揃っていないことに気付いて狛島が思わず部屋の後ろの両扉に目を遣るとぎぎぃっと音を立てて扉がゆっくりと開いた。

「遅くなりました」

 生気の薄い顔で広間に足を踏み入れたのは霧野だ。

 ドアの傍に居たからか宗形の顔がついっと霧野に向けられる。宗形の顔の動きに釣られたように若尾の視線が臆病に動き、宗形の視線の先を手繰って憂いを双眸に滲ませるとふっさりとした睫毛を伏せて顔を俯かせた。

 狛島は視線を霧野へと移ろわせれば見られていることなど気付かずに霧野は宮門警部に遅れたことを詫びている。

 茶化すように永江が霧野に軽口を叩いて場の雰囲気が少し軽くなる。

 太陽のように明るく気さくで彼女はサークルの中心にいたと狛島は思い出す。サークルのマドンナと謳われたのは今は昔で、朗らかさと茶目っ気は鳴りを潜めている。それが社会に出て成熟したということかもしれないが、肌は青ざめてそそけ立っていて、セミロングの茶色の髪は艶と潤いを失ってパサついている。たった一日で霧野の姿色は褪せているように思えて狛島は宗形に寄り添われている若尾に目を遣った。元々童顔なこともあるが、姿貌に衰えや時間の経過をあまり感じさせない。肩迄の黒い髪を揺らして若尾は真率な目で五城目を再び見詰めている。

 ソファの傍に近付いて霧野は立ち止まる。

 ソファに座らないことを選んだ霧野に永江が首を傾げる。

「どうしたんだよ。遠慮なんてらしくないだろ」

「良いのですよ。私は」

 永江の軽口に霧野はそう静かに告げる。

 正直に言えば、狛島は霧野のことが大学時代から少し苦手だった。気さくで明るいだなんて評価をされていた霧野だが狛島にはそれはデリカシーの欠如とがさつさに見えていたのだ。人に対する振る舞いにも作為的なものを感じていたがそれを口に出すのは憚られて狛島は秘めていた。永江をはじめとして先輩も同級生も霧野を可愛がっていてそれを知っている年少者の狛島は黙って見ているほかなかった。

「皆さん、これで全員集まりましたね」

 前方の五城目がそう声を発して弛緩した広間には緊張が走って一座の視線がそちらに注がれる。

 五城目の背にある大きな窓の外には色づいた葉が揺らめいていて、橙の陽光が差し込んでいる。

「警察の人に呼ばれたんだけど」

 少し不服そうな色を声にのせたのは五城目に近いソファに座っている永江だ。今回の同窓会を兼ねた旅行の発起人だ。

 困ったように笑った五城目はついっと自分の背後にいる宮門に目を遣った。笑うと目尻に皺が刻まれて五城目はなんとも言えない愛嬌を訴えかけてくる。

「五城目先生は我々も頼りにしている名探偵です。彼の言葉は我々警察のものと思って下さって結構です」

 一つ咳払いをした宮門の言葉に頷いた五城目は顔を正位置に戻して小さく笑った。

「ご理解頂けたでしょうか。皆さんには事情聴取の際にも同席をして挨拶はさせて頂きましたが、探偵の五城目と言います。今回の事件の謎を解き明かしたいと思っています」

 柔和な顔に反してその声は硬質でどこか断定的に響いた。

 既に事件の詳細を知っているようにも見えて狛島は五城目の顔を凝視してしまう。

「探偵なのは知っているけど、なんで探偵がいるんだよ」

 永江の小さな不満の声に狛島も心の中で同意をする。いつのまにか警察に交じっていた五城目は事情聴取の際にも当然の顔をして同席をしていた。警察が私立探偵を捜査で活用するなんて話は聞いたことがない。

「俺がお願いしたんだ」

 スッと手を上げたのは永江の対面のソファに座っていた八木坂だ。

「瀬上が殺されたかもしれないって判明して調査を依頼したんだ。先生も丁度こっちに静養にきていたんだ」

 到着が早かったのはその為か、と狛島は薄く笑う八木坂を見る。

 八木坂はノリが良くて明るい闊達な質だ。実家が裕福で余裕があるというのが性格を形成している一因だと狛島は大学の時より思っていた。少し日焼けした肌と白い歯に金茶の髪は時間を自由に使えるように見える。

 殺された、という八木坂の言葉に永江が小さく息を呑んで、やおら胡乱な目を八木坂に向ける。

「友人が殺されたんだ。犯人を探して欲しいって思うものだろ、普通」

「ええ、そうです。私は八木坂さんに依頼をされたのです。犯人を見付けてくれ、と」

 八木坂に何かを言おうとして言葉を控えた永江を横目で確認して五城目は補足するように言葉を漏らす。

「……本当に、瀬上くんは殺されたの? 自殺したんじゃないの……?」

 震える唇でそう紡いだのは葉川で怯えるように背を丸め膝に肘を置いた両手で顔を覆っている。

 殺人よりも自殺ならば憂いは少なくなるといった様子の葉川に五城目が可哀想なものを見詰める目を向けた。

「葉川さん。残念ながら瀬上さんは殺されています。貴方達が発見した時は、縄に首を括っていたので自殺だと思われているのも不思議はありません。ですが、致命傷は後頭部の傷です」

「後頭部に傷……」

 ぽつりと呟いて葉川は深い溜息を漏らす。

「ええ、そうです。皆さんが誤解されるの無理はありません。皆さん、自殺だと思われて警察と救急を呼ばれていますね」

 五城目のその言葉に広間の空気が一度下がったような気がして狛島は心の中で溜息を漏らす。

 昨日の朝の光景を否応にも思い出して胃から酸が迫り上がりそうで狛島は顔色の悪い一座の顔を順に見詰める。誰もが青白い顔をしていて、痛苦に耐えるように目を伏せている。その中で霧野の目が戸惑うように宙を揺蕩うのを狛島は目視する。吊された瀬上を見た時に霧野は悲鳴を上げていたことを思い出す。無理もないことだ。あの光景は狛島も脳裏から消したいひとつだ。葉川は腰を抜かしていたし、若尾も気を失いそうになっていた。

「警察も当初自殺と判断していました。吉川線もなく首は縄の痕だけでしたが、後頭部の傷を発見したのです。瀬上さんは殺害されています」

 疑う余地はないという五城目のきっぱりとした言葉に狛島はほんの少し身体を強ばらせた。

 殺害をされたというのならば、加害者が存在するのだ。

 胃が鉛を飲み込んだかのようにずーんと重くなって狛島は順にサークルメンバーを見詰める。この中に犯人がいるのだ。

「昨日の取り調べで皆さんの犯行時刻のアリバイを確認しましたが、皆さんアリバイがありませんでしたね」

「当たり前だろ。夜中なんて寝てる時間だ。しかも、こんな山奥にきて久しぶりに身体も使ったし疲れてたって。そうだろ」

 五城目の言葉に食ってかかった永江はメンバーの同意を求めるように顔を左右に向ける。

「誰にでも犯行は可能だったということですよね。ただ、女性の方は恰幅の良い瀬上さんを梁に吊すなんていうのは難しいですよね」

 五城目が葉川、霧野、若尾、と順に見詰めて小さく笑って女性陣は強ばっていた肩を静かに落とす。

 ほっと息を吐き出した若尾の頬に血潮が戻って狛島は視線を五城目に戻す。

「まぁ、瀬上さんを一人で吊したとは限りませんがね」

 完璧に女性の犯行を排除しているわけではないと笑みを携えて告げた五城目に若尾の頬が小さく引き攣ったのを狛島は目視して眉根を寄せる。

「アリバイが全員ない。そうなると考えるべきは動機の観点ですよね。相手を殴りつけて死んだのを確認してから縄で吊ったのか、相手を殴りつけて気を失ったところを縄で吊ったのかは未だ定かではありませんが、あまり計画的ではありませんね。咄嗟の犯行という体ですが、皆さん何か心当たりはありますか? 喧嘩をしていた、恨みを買っていたなど」

 随分と暢気なことを大勢の前で聞く、と狛島は五城目の無神経さに呆れる。昨日の事情聴取でも心当たりはないかと尋ねられていて、何か言いたいことがあればその時に言っているだろう。何しろ、その時は公衆の面前ではなかった。密やかなことを告げるならばその時が一番適していたのだ。

「瀬上さん、高い時計をされていましたよね。皆さん、お気づきでしたか?」

 ちゃらんぽらんな男の腕には不釣り合いな高級時計を狛島は思い出す。自慢をするように見せ付けてきたが相手をするのも億劫だと黙殺をした狛島を面白くないと、一昨日瀬上は永江達に自慢をしていた。

「失礼ですが彼の稼ぎではあのような時計はとてもとても……どなたかスポンサーがいなければ無理でしょうね」

 スポンサーと言われて狛島の脳には即座に、恐喝、という単語が過ぎった。金に余裕があるのは実家が裕福な八木坂だが、と狛島は考えたところで頭を振る。広間に呼び出された面々は高給取りが多い。それに借金をして工面をしているという可能性だって捨てきれない。

「瀬上さんのスマホには恐喝していた相手の本名は書いていなかったのですが、誰かから貰ったお金の記録は付けられていました」

 五城目の言葉に一座の視線は大学を卒業してからも交流が途絶えていなかった永江と八木坂の方へと向けられる。

「俺は違うぞ。そりゃ、偶に会って呑んだりとかはしてたけど、金なんて融通できるほど俺に生活の余裕はねぇよ」

「俺だってそんなに会っていたわけじゃないよ。仕事に忙しくて会う時間なんてそんな」

 即座に否定をした永江に続いて八木坂も頭を振る。

「誰を脅していたかは不明ですが、瀬上さんは誰かを脅していた可能性があります。心当たりはありますか?」

 五城目の目が忙しなく一座に向けられる。

 その表情を探っている目は鋭いものだ。

「次に殺害現場についてですが、空いていた客室と判明しています。床の血を拭った痕を発見し、血液反応も出ています。つまり、瀬上さんは空き部屋で殴られた後、自室で首を吊らされたということになります」

 殺害の手順を五城目が口に出したことで何人かが眉を顰めるのを狛島は目視する。聞いていて当然楽しい話ではないのだ。

「犯罪現場の隠蔽をしようとしての何かしらの痕跡は残るものです。血を拭ったタオルがごみ箱に捨てられていたようにね。被害者の血液が加害者に付着していると考えるのは自然でしょう」

 そう言葉を途切ると五城目は笑みを深める。

「警察の方にお願いして何人かの部屋を今調べてもらっています。隠したりと処分する時間もないので証拠は犯人の手に残っていると私は信じています」

 勝手に部屋を調べられている、と一座はざわついた。ソファに座っていた葉川は腰を浮かせたし、永江は憎々しげに五城目を睨んでいる。

「見付かりました!!」

 そう言って広間に駆け込んできた警察官が手にしていたのは青いシャツだ。

 誰が着ていたかとこの数日のことを思い返すが狛島の記憶は曖昧だ。確実に違うと言える人物が数人いるに留まっていた。

 警察官から渡された青いシャツを広げて五城目は警察官に指差された袖口をじっと見詰める。袖口には赤黒い色は見当たらない。袖口についている灰色のボタンにも血の付着は見当たらない。

「ああ、これは。よく見付けてくれましたね。袖口の血は綺麗に洗ってありますがボタンを留めている糸の部分が左右で色が違います。右袖は黒ですが左袖は灰色です」

 黒と告げたのは酸化した血液の色だと気付いた狛島は誰の持ち物かと考えながら視線を順繰りに向けて青ざめてそそけ立ち、目が上擦っている人物に目を留めた。

「どういうことでしょうか、霧野さん」

 五城目の言葉に霧野の唇が戦慄いた。

「ちがっ、私――」

 頭を振って狼狽えた霧野は荒い呼吸のまま弁解の言葉を紡ぐ。

「それは、ちょっと指を切った時のもので――」

「待って下さい。真琴は犯人ではありません。貴方も言っていたではないですか!! 女性の力で瀬上を吊すなんて無理だと」

 若尾の傍にいた宗形が爆ぜたように飛び出して霧野の前に躍り出た。まるで五城目から霧野を守るかのようなその仕草に苦いものを覚えた狛島は思わず若尾を見詰める。

 傍らに居た筈の恋人が嘗ての恋人を庇うように進み出たことに若尾は虚を衝かれたように瞬いでいたが、はくと唇が頼りなく動いた。やがて状況を脳で咀嚼したのか宙を掻くように伸ばした手を下ろして失意と落胆を滲ませた顔を少し俯かせ唇を噛んだ。肩が強ばって少し上がり、握りしめられた拳は白く震えている。憂いを帯びた双眸には名状にしがたい情調が過ぎっている。

「そう、我々も勘違いしていました。どうして殴った相手と吊した相手が同じだと考えていたのでしょう。卑劣な犯行をする人間が二人いるなんて考えてもいなかったのです」

 芝居染みた仕草で頭を振った五城目は真っ直ぐに宗形と霧野を見据える。

「何を仰りたいのですか」

 宗形の硬質な声は少し震えていた。

「貴方が吊したのですね、宗形さん」

「何を――」

「貴方が今仰ったではないですか。女性の力では吊せない、貴方はそういう状況を作って霧野さんを庇おうとしたのですね。殴った犯人と吊した犯人が違う可能性を考えた時、私は吊した犯人が殴った犯人に向ける情のようなものを感じていました。貴方は、霧野さんの大学時代の恋人だったそうですね」

 五城目の言葉に若尾の顔が青白くなったのを狛島は痛ましい気持ちで見詰める。

 大学時代宗形と付き合っていたのは霧野が先だった。とある事情で破綻した後に宗形と付き合い始めたのが若尾だった。それまではサークルでも理想のカップルとして持て囃されていたのだ。

「和成……」

 霧野の双眸には微かな安堵に似た色が揺蕩った。

 宗形の目には惻隠の情が滲んでいる。

「それとも、殴ったのも吊したのも貴方がやったということでしょうか」

 どこか挑発するように五城目が宗形を見詰めれば、宗形は顔を強ばらせて睫毛を伏せた。

「……ええ、そうです」

「やめて、和成!!」

 宗形の後ろに立っていた霧野が宗形の腕に縋った。

 若尾の整った容に走った悲痛の色に狛島は胸を締め付けられる。

「私よ。私が瀬上さんを殴ったの」

「真琴、いけない。黙ってるんだ」

 霧野に向き直った宗形が顔を歪めて頭を振る。そんな様子にふっと落ち着きのある笑みを漏らした霧野は宗形の身体の影から一歩進み出て五城目に身体を向けた。

「探偵さん。仰る通り、私が犯人よ」

 覚悟を決めたかのように少し晴れやかな顔をした霧野の唇が綺麗に弧を描いた。

「それは自白と捉えて宜しいですか?」

 五城目の平坦な言葉に霧野は小さく頷く。

「昨夜、瀬上さんと言い争いになり置いてあった、置物で殴ってしまったわ。呼んでも反応がなくて、翌朝、首を吊っていたから気を取り戻した彼が自殺をしたのかとあの時は驚いたわ」

 その時のことを思い出しているのか少し青ざめた霧野は当時のことをポツリポツリと零し、言葉を途切り宗形を見遣る。

「貴方が私を助けてくれていたなんて思ってもみなかった」

 霧野の青ざめた肌にさっと朱色が差す。その声は喜びに満ちていて狛島は睫毛を震わせて顔を俯いている若尾の細い身体が一層縮こまったように思えた。

「……俺は二人が空き部屋にはいって言い争いをしているのを立ち聞きしていて、真琴が部屋から逃げ出した後、瀬上さんの遺体を見付けて、どうにかしなきゃと思って部屋に引き摺ったんです」

 罪の告白をした宗形の声は徐々に凋んでいく。

「そうですか。霧野さん貴方は――」

「なんだ、霧野と宗形が犯人だったのか」

 五城目の声を遮ったどこか気安い声を漏らした八木坂は揺らしていた身体を止めるとソファに深く座り直して背もたれに身体を預けた。

「刑事さん、これで解決でしょ」

 投げ遣りにも聞こえるその声はどこか急いていて、終わりの宣言を求めていた。

 犯人が見付かったという安堵というのにどこか横柄の色を感じ取って狛島は八木坂を冷めた目で見詰めてしまう。実家が裕福な八木坂は自分の境遇を鼻にかけることが多い面もあった。それは若さや明るさと軽妙さで相殺されていたものだったが、社会人になってもその質は変わらないらしい。

「いいえ、解決していませんよ。動機を聞いていないではないですか」

 話は終わったと席を立ちそうな八木坂を引き留めたのは五城目の言葉だ。

「動機なんて、そんな――」

「大事なことです。それこそが今回の事件の原因だと私は推理しています」

 八木坂の言葉を遮ると五城目は頭を振って言葉を途切る。霧野に目を向けると小さく頷く。

「そうですよね、霧野さん」

 水を向けられた霧野は驚いた様子で瞬いで五城目を見詰める。

「……知っているのですか?」

 その声は不安に塗れていて掠れていた。

 霧野の目には不安と期待が入り交じっている。まさか、そんな、と零す霧野を支えるように宗形が心配そうな様子で寄り添う。

 若尾の双眸の色に宿る悲痛の色が強くなり薄い皮膜が浮かび上がるのを狛島は見詰める。その細い足は小さく震えていてややもすれば直ぐにでも崩れ落ちそうなほどか弱く見えた。

「皆さん、サークルでの死は初めてではないと記憶している筈です」

 五城目の言葉に狛島の心臓は小さく跳ねる。

 記憶を掘り起こされた一座の顔にも微かな緊張が走る。

 瀬上が死んだ時に、狛島の脳には二度目だという言葉が頭を過ぎっていた。五年前の夏合宿の時に不幸な事故があったのだ。海の見える学生向けの宿に泊まっていたのだが、その近くの断崖から一人、足を滑らせたとされている。その被害者こそ霧野の兄で八木坂や永江、瀬上と同じ当時四年生だった真一郎だった。その時分は付き合っていたのはあの二人だった、と狛島は霧野を壊れ物のように大事に抱き寄せている宗形を見る。あの事件の後暫くして二人は破局し、宗形は若尾と交際するようになったのだ。

「霧野くんの事故が関係あるっていうの?」

 同級生だったので葉川はその当時のことが印象に残っているのか目に涙を溜めながら五城目に尋ねる。

「あれは、事故だろ。事故だって……まさか、瀬上が真一郎を崖から突き落としたのか!?」

 話の途中で顔色を変えた永江は信じられない想像をしたと言った様子で悲鳴のような声を上げた。

 事故死が一転殺人の疑惑を駆けられて広間はざわめく。

 あの不幸な事故が殺人だったとしても、どうにも今回の事件とは噛み合わないのではないかと狛島は五城目の言葉を待った。

「いいえ、瀬上さんは落としていませんよ。そうですよね、八木坂さん」

 五城目はそう告げると手前のソファに座っている八木坂を冷めた目で見詰めた。

「は? 俺? なんで俺にいうわけ。俺を疑ってる? 俺じゃないって、冗談きついって。俺は瀬上の友人ですよ」

 頬を引き攣らせながら八木坂が頭を振ると怒りで身体を震わせていた霧野が宗形の腕を解くように藻掻いた。

「やっぱり、あんたが、お兄ちゃんを!! あんたの所為でお兄ちゃんは――」

「真琴、落ち着け」

「だって、お兄ちゃんがっ……――」

「これ以上罪を重ねちゃ駄目だ」

 泣き叫ぶ霧野が八木坂に詰め寄ろうとするのを宗形が抱き竦めて落ち着かせるように優しく背を撫でる。

 瞬ぎもせずそれを見詰める若尾の表情は徐々に削ぎ落とされて生気が希薄になって狛島の指が小さく震えた。

「五城目先生、誤解ですよ。証拠はあるんですか? 俺は依頼人ですよ」

「ええ、貴方は依頼人です。ですが、貴方は私に嘘を吐いていましたね。貴方は瀬上さんに脅されていたと一言も教えてくれませんでした」

 感情的に訴える八木坂に反して五城目は平坦な目で淡々と言葉を紡ぐ。

「脅されていたなんて誤解ですよ。瀬上、誰に脅されていたかは記録してないんでしょ」

「そうですね、脅した金銭の管理のフォルダには7と書かれていました」

 五城目の言葉に八木坂は肺に詰めていた息を吐き出したように小さく笑う。

「それじゃ、誰を脅してたか分からないですよね」

 ただの数字に過ぎないと八木坂は寛いだように目元を和らげる。

 7を暗示するような名字の人間はいない、と狛島は視線を広間の方々に彷徨わせる。数字と言えば学生の時分には学籍番号なんてものがあったが、7というのは随分シンプルすぎる。七画ということが閃いて狛島は名字の頭を脳の中で思い描いて心の中で舌打ちした。

「瀬上さんスマートフォンにもノートパソコンにもそのフォルダを作っていました。ただ作成日がパソコンのフォルダの方が古いんです。つまり、7のフォルダを作ったのはパソコンが先ということです」

 随分と確信があるかのように五城目は手札を披露する。

 パソコンのキーボードを思い出して狛島は、雷が走ったかのように目を見開いた。キーボードには複数の記号や英字、平仮名が配置されている。

「パソコンの日本語配列のキーボードお分かりですか? 7のところには“や”と書かれているんです」

 五城目の言葉に八木坂の顔が一瞬で引き攣った。はく、と何かを訴えようと唇を動かすが掠れた音が漏れるだけだ。

 数拍の沈黙の後八木坂は芝居染みた動きで両手を肩まで上げて小さく頭を振った。

「誤解ですよ。それだって偶然ですよ。7なんてただの数字。キーボードの配列を瀬上が使ったなんて分からないだろ」

 口吻は最後には荒れたものになって八木坂はぐっと拳を握って膝を軽く叩く。

「フォルダの中には金を受け取っていた場所も日時も全て記載されたテキストがあります。隈無く捜査すれば、何かしらの証拠はでると思いますよ。何しろ今は防犯カメラが豊富ですからね」

「既に捜査は始めている」

 五城目の言葉を捕捉するように宮門の低い声が投げかけられる。

「貴方は脅されていることが判明すれば疑惑の目が向けられる。その前に犯人を見付けようと私を利用しようとした」

 不愉快そうに眉根を寄せた五城目は座って居る八木坂を見下ろして小さく息衝く。

「随分と侮られたものですね」

「違っ、そうじゃない。本当に事故だったんだ!! 霧野が足を滑らせて崖から落ちただけだ!!」

「嘘!! 瀬上さんが言ってた、論文の実験結果の数値を弄った上に実験結果のデーターを盗んだって、あんただったのね」

「真琴」

 宗形の腕を振り解いて掴み掛からんとばかりに霧野の腕が宙を掻いた。情動に突き動かされて飛びかかりかねない勢いの霧野を宗形が抑えこんだ。

「なるほど。そういうことでしたか」

 霧野の言葉に五城目は神妙な顔をして頷く。

 この男の中ではパズルのピースが揃って綺麗な絵が眼前に浮かび上がっているのではないかと思いながら狛島は喧騒から視線を外す。

 虚脱したようにゆっくりと瞬いている若尾は胸の前で手を組んで震えている。既に寄る辺はなく、大海に揺れる小舟のように不安定だ。

「私、少し前、瀬上さんが電話しているの聞いたのよ。脅している電話で証拠があるからって、漸く兄の事故死が殺人だったって思った。瀬上さんに犯人を教えて欲しい、警察に証言してって一昨日の夜、頼んだら、そんなのお金にならないって断られて、私っ……私――」

 泣き喚く霧野を慰めるように宗形は懸命に優しく名前を呼ぶが悲嘆に暮れている霧野は子供がむずがるように頭を振っている。

「私、私っ、うぅ――」

「真琴、分かってる。分かってる」

 霧野の涙からハラハラと涙が零れるのを狛島は目視してついでそれを保護者のように慰める宗形に目を移ろわせた。

 心の中央から冷ややかになるのを自覚して狛島は、所在なさげに宙に視線を彷徨わせている若尾の表情を睫毛の影から確認する。陶器のように肌は白く血の気が引いている。焦点が定まっていない目は果たして物体を認識しているか定かではない。霧野を抱き締める宗形や五城目の方に身体を向けているというのに、何の感慨も双眸には浮かんでいない。呼吸が浅くなっているのか、小さく動いた唇からは悲しみが零れているようだ。

「随分と真一郎の研究していたテーマに卒論が似ているとは思ってたけど、まさか――」

「違うっ、本当に違うんだ!!」

 疑義の目を向けた永江に八木坂は勢いよく首を振るが、その口吻は酷く弱い。

「違う。違うんだ……」

「どうやら五年前の再捜査が必要と言うことですね。署に同行して頂けますかな」

 五城目の後ろから進み出た宮門の威圧感に怯んだように八木坂は唇を震わせて両手を無軌道に動かした。

「パパに、パパに連絡してくれ、弁護士をっ、弁護士!!」

「弁護士を呼ぶのは権利ですからね。ねぇ、警部」

 騒ぐ八木坂に反して五城目は笑顔で宮門に同意を促し、宮門は気乗りしない様子だが頷いた。

「これから何が出るかが楽しみですね」

 依頼人に謀られていた男の酷薄な笑みを目視して狛島は視線を切った。

「いっ、嫌だ。違う、俺はなにもしていないんだっ」

 警察の手から逃れようとソファから立ち上がった八木坂がバタバタと足音を立て広間の扉へと駆け寄ろうとして控えていた警察官に取り押さえられる。

「放せっ」

 暴れる八木坂は呆気なく抑えこまれて、騒ぎを聞きつけたのか広間の扉が開け放たれて制服姿の警察官が幾人も足を踏み入れる。

「その二人も連行するんだ」

 警察官達に宮門はそう告げると警察官達は抱き締め合う二人を引き離して暴れないように二人組で一人の腕を両脇から抱えた。

「和成……」

「真琴……」

 引き剥がされた二人は惜しむかのように顔を見詰め合わせて悲しげに微笑む。その作り物めいた光景に狛島は嫌悪を抱きながら連行される二人の姿を目で追う。

 暴れる八木坂が連れられて部屋から去って数拍、一歩一歩、連れ去られる二人の姿が小さくなって狛島は自分の中から二人が消失するような感覚を覚えた。そのゆったりとした歩みはまるでバージンロードを歩く時のような遅さだ。終ぞ、宗形は一度も若尾を振り返ることなく広間から連れ出されてしまう。

 その背が見えなくなって腹の底から染み出る重苦しい感情に支配されないように狛島は深呼吸を一つする。

 嵐の去った広間は途端、水を打ったように静まりかえった。

「これで事件解決ですな。五城目先生」

「捜査はこれからでしょう? 宮門警部、頼みますよ」

 五城目の言葉に、任されたと深く頷いた宮門は事件の顛末に驚いている残された一座に顔を向ける。

「皆さんももう一度事情聴取を受けて頂きますので、どうぞ署へご足労願います。荷物なども片付けて準備して下さい」

 宮門の言葉にソファから立ち上がった永江と葉川が扉の方へと重い足取りで向かうのを目の端で捕らえながら狛島は漸く情動に従って足を動かした。

 心を連れ攫われたように動きを止めた若尾の足は小刻みに震えていた。広間で起きた全てのことが受け入れ難かったのだろう。ほんの少し風を受けただけで崩れ落ちそうな若尾に一歩、と距離を縮めて狛島は咽喉を震わせた。

「藤さん」

 少し掠れた声だったがその声は届いたのか近くを通り過ぎた葉川が小さく狛島に顔を向けて歩を進めた。一方、より近くに居る声を掛けられた当人の若尾は身動ぎしない。ふいに、声の圧を受けたというのか若尾の身体が傾いだ。

「……藤さん」

 若尾の腰に手を回して狛島は膝から崩れ落ちそうなその細い躯殻を支える。

 名前を呼ばれたことに脳の処理が追い着かないといった様子で若尾はパチパチと屡叩く音が鳴りそうに睫毛を上下させた。

「あ――」

 名前を呼ばれた、と認識をしたのか若尾は何の感慨も浮かんでいなかった双眸に柔らかな色を湛えて、口角を上げようとして失敗をする。泣き笑いのように見えたが、眸睛に薄い皮膜こそあれど目尻に潤みはなかった。

「……透くん」

「藤さん、大丈夫ですか? 少し部屋で休んで座りますか?」

 手近のソファは片方は五年前の殺人犯と思わしき男が座って居たものだと狛島は休める場所として部屋を口にする。

「そうね……。でも、事情聴取、準備しなきゃ駄目、よね」

 混乱しているのか若尾は途切れ途切れ言葉を漏らすと小さく頭を振る。

 どこか心が身体の中心にないようで若尾の目はふわふわと宙を彷徨っているし、言葉に芯がない。

「俺も手伝いますよ」

「でも、透くんも――」

「大丈夫ですから、ね」

 頼って良いのだ、と狛島が言外に匂わせれば若尾の目が何かに怯えるように上擦った。

「歩けますか? 俺に体重掛けて大丈夫ですよ」

「あ、ごめんなさい。私ったら、失礼なことを――」

 そう言って若尾は狛島の腕から身体を離そうとして、スラリとした細い足が空足を踏む。

「駄目ですよ。無理しちゃ」

 こんな時でも節度を守ろうとする若尾の楚々とした振る舞いに驚きながら狛島は抱きかかえるように若尾の身体に腕を伸ばした。

「……ごめんなさい」

 誤る必要など一毫もない、と思いながら狛島は小さく頭を振っておぞましい事件にショックを受けているように控え目な笑みを口に刻んだ。

「事情聴取が終わったら、家まで俺が送りますから。ね」

 困惑したように揺れた目を向けられて狛島は殊更優しい声でそう囁く。

 漸く、傍らに立つ権利を手に入れたのだと仄開く喜悦を押し殺し狛島は若尾の手を引いた。


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