第三章14 『逆の特異点、次元を穿つ紫金の慟哭』
残酷な急転直下。全てを乗り越え、ようやく掴み取ったはずの平和な祭りの中、次元の壁を越えて現れた『追跡者』によって、最愛の妹・リオナが存在ごと消去されてしまいました。
すべてを失ったシオンの「魂の底からの絶望」が、やがて神のシステムすら凌駕する「究極の反逆」へと変貌を遂げる。ハクとカイルの決死の覚悟、そしてシオンが下す「新しい世界」への決断。
1. 虚無の海、黒く染まる紫雷
音が、ない。
光も、匂いも、風の冷たさすらない。
足場を剥がされ、暗黒のノイズ空間へと落下していくシオンの腕の中には、ただ、恐ろしいほどの『軽さ』だけが残されていた。
「…………ぁ、」
シオンの紫の瞳は、限界まで見開かれたまま、空虚な空間を彷徨っていた。
数秒前まで、そこにあったはずの純白のドレスの温もり。
「お姉ちゃん」と呼んでくれた、愛おしい声。
それが、緑色のワイヤーフレームに変換され、無数のピクセルとなって指の隙間からサラサラと零れ落ちていく感触だけが、脳裏に焼き付いて離れない。
死体のない死。
血の流れない殺戮。
『存在の消去』という、宇宙の管理者のみに許された究極の暴力が、シオンの心臓を物理的にではなく、概念的に抉り取っていた。
『……特異点ベータ、消去完了。
……続イテ、特異点アルファ、及ビ箱庭ノ完全初期化ヲ実行スル』
頭上から、のっぺらぼうの仮面を被った『追跡者』たちの機械的な合成音声が降ってくる。
「……あ、あ、ああああああァァァァァァァッ!!!」
シオンの喉が裂けるほどの絶叫が、暗黒の空間に木霊した。
それは、悲しみという言葉では到底生温い。自身の魂の半分を、無理やり素手で引き剥がされたような、原初的な欠損の苦痛。
(リオナが……私の、妹が……!)
十五年間。
血の泥をすすり、父を殺し、自らを修羅と化してまで守り抜きたかった、たった一つの光。
狂った神々を倒し、ようやく一緒に綺麗なドレスを着て、鏡の前で笑い合えたのに。
その全てが。システムという名の見えない神の指先一つで、「不要なデータ」としてゴミ箱に捨てられたのだ。
「……許さ、ない」
シオンの虚ろな瞳の奥底に、ポツリと、小さくも底知れない『真っ黒な炎』が灯った。
「許さない許さない許さない許さない……!! 誰の許可を得て、私の世界を……私の妹を奪った!!」
バチッ……! バチバチバチッ!!!
シオンの全身から、凄まじい魔力が吹き荒れた。
しかし、それはいつもの高貴な『紫金の反逆雷』ではなかった。
絶望、憎悪、殺意。そして、神の理そのものに対する純度百パーセントの『呪い』。
黄金の光が完全に失われ、すべてを呑み込む『漆黒の雷』へと変異したのだ。
「てめぇらのシステムごと、宇宙の果てまで切り刻んでやる!!」
シオンは、落下する重力を無視して空中で静止し、漆黒の雷を纏った魔剣『雷月』を両手で構え、上空の追跡者たちへ向けて跳躍した。
『……警告。特異点アルファの魔力波長が、規定値を大幅に超過。……ブラックリスト・レベル9。即時消去を実行』
追跡者たちが、一斉に無機質なデバイスの銃口をシオンに向ける。
何十本もの緑色の消去レーザーが、シオンの心臓、頭部、四肢を正確に狙い撃つ。
「消え失せろォォォッ!!」
シオンが漆黒の魔剣を振り抜く。
ガァァァァァァァンッ!!!!
物理法則を無視したはずの消去レーザーが、シオンの『漆黒の雷』に触れた瞬間、真っ二つに両断され、空中でデジタルノイズを散らして霧散した。
『……エラー。消去コードが、論理的矛盾により無効化。……対象の攻撃は、「プログラムの切断」ではなく「システムそのものの否定」へと変異している』
追跡者の一人が、初めて数歩後退する。
シオンの刃は、もはや魔法ですらなかった。
「お前たちの存在を許さない」という、特異点としての絶対的な『意志の力』が、箱庭のシステムに致命的なウイルスとして干渉し始めていたのだ。
2. 盾の誓いと、影の慟哭
「……リオナ、様」
同じくノイズの奈落へ落下していたカイルは、光の右半身を激しくバグらせながら、宙で呆然と呟いていた。
彼の存在意義。彼が半霊体という呪われた体になってまで守り抜きたかった光が、目の前で消え去った。
「ああ……ああ……!」
カイルの青い瞳から、一筋の光の涙がこぼれ落ちる。
胸の奥、心臓のあった場所が、物理的な肉体がないにもかかわらず、張り裂けるように痛んだ。
(僕が、盾を解かなければ。僕がもっと早く、あの攻撃に気づいていれば……!)
後悔が、自責の念が、カイルの純白の魂を黒く染めようとする。
カイルの光の右半身が、プツプツと音を立てて緑色のピクセルに分解され始めた。主を失った半霊体は、この世界に留まる錨を失い、システムによる消去を待つまでもなく自壊を始めてしまうのだ。
「……おい、半分幽霊!! 泣いてんじゃねぇ!!」
暗闇の中で、しゃがれた怒声がカイルの鼓膜を打った。
ハクだった。
彼もまた、シオンを支えていた右腕がバグに侵食され、肩から先が四角いピクセルの塊となって崩れ落ちていた。激痛に顔を歪めながらも、残された左腕と自身の影を使って、カイルの胸倉を強引に掴み上げた。
「ハク、殿……。僕は、リオナ様を……」
カイルが虚ろな目で呟く。
「バカ野郎が!! あの光の小娘が『死んだ』って、誰が決めた!!」
ハクの紫の瞳が、暗闇の中で獣のようにギラリと光った。
「え……?」
カイルがハッと息を呑む。
「てめぇの目は節穴か!? あの追跡者どもがやったのは、俺の存在を書き換えたのと同じ『データへの干渉』だ! リオナの肉体はこの箱庭からデリートされたかもしれないが、あの馬鹿デカい『魂』まで一瞬で消し飛ばせるわけがねぇだろうが!」
ハクは、上空で追跡者たちと狂気的な死闘を繰り広げているシオンの背中を指差した。
「見ろ! シオンのやつ、絶望で我を忘れてるように見えて、あいつの雷は一つも『次元の裂け目』を傷つけてねぇ! 追跡者のデバイスだけを狙って斬り落としてやがる!」
ハクの言葉に、カイルはハッとして上空を凝視した。
確かに、シオンの漆黒の雷は、追跡者たちの肉体や武器を粉砕しているが、彼らが現れた『空間のひび割れ(次元のポータル)』には、一切攻撃を当てていない。
「……シオンは分かってるんだ。リオナの魂のデータが、あの追跡者どものいる『現実のサーバー』に引きずり込まれたってことをな。……だからあいつは、ポータルを壊さないように、一人で血反吐吐きながら道を開こうとしてやがるんだよ!!」
ハクの怒号が、カイルの止まりかけていた時間を強引に動かした。
(……リオナ様の魂は、まだ、次元の向こう側に……!)
「……僕は、なんて愚かな……」
カイルは、光の右腕を強く握りしめた。
自壊しかけていた緑色のバグが、凄まじい白銀の光によって内側から浄化され、強引に元の形を取り戻していく。
「ハク殿。……貴方の言う通りです。僕は、自分の絶望に甘えていた。……彼女の魂が存在する限り、次元の果てだろうと、電子の海だろうと、僕の盾は彼女の元へ駆けつける!!」
カイルの瞳に、再び聖騎士としての強靭な光が宿った。
「へっ、それでこそ俺の認めたライバルだ。……行くぞ、幽霊! シオンを一人で戦わせるな!!」
ハクが、崩れかけた右肩の傷口から、強引に『影の腕』を噴出させる。
激痛に耐えながら、二人の騎士は、狂乱の漆黒を纏う主の元へと、闇の底から弾丸のように跳躍した。
3. 次元の壁を斬る、漆黒と白銀の共闘
ズガァァァァァァァァンッ!!!!
上空では、シオンと無数の追跡者たちの激突が、空間のテクスチャを次々と剥がし、虚無の黒を広げていた。
『……信ジラレナイ。単一のプログラムが、管理者権限にこれほど干渉するなど。……特異点アルファ、危険度を限界突破と認定』
追跡者の一人が、シオンの漆黒の雷によって右腕をデバイスごと切り飛ばされながら、無機質な声で宣告する。
『……ポータルを閉じろ。これ以上の接触は、現実世界のサーバーに致命的なウイルスを混入させる危険がある。箱庭の初期化は後回しだ、撤退しろ』
追跡者たちが、シオンの狂気的な攻撃を躱し、空中に開いた緑色のノイズの裂け目へ向かって後退し始める。
「逃がすかァァァッ!! リオナを返せ!!」
シオンが追撃しようとするが、追跡者たちが一斉に放った強固な『多重次元防壁』に阻まれ、剣が弾き返される。
「くっ……! 開けェェッ!!」
シオンが何度も漆黒の雷を叩きつけるが、次元を隔てる壁は、あまりにも厚く、硬かった。
ポータルが、ジジジ……と音を立てて、ゆっくりと閉じようとしている。
このままでは、リオナの魂が完全に次元の彼方へと連れ去られてしまう。
「シオン様!! 道を開けます!!」
その時、シオンの背後から、眩いばかりの白銀の光が飛び出してきた。
カイルである。
彼は、右半身の光を限界まで圧縮し、巨大な『白銀の神盾』を槍のような一点突破の形状に変形させた。
「――『絶対突破・白銀の聖槍』!!」
ガギィィィィィィィンッ!!!!
カイルの放った魂の聖槍が、追跡者たちの多重次元防壁に激突する。
物理法則の盾ではなく、システムのエラーに直接干渉するカイルの霊体攻撃が、防壁の表面に亀裂を走らせる。
「……カイル!!」
「シオン!! てめぇの雷を合わせろ!!」
カイルの真横から、片腕を影で補ったハクが飛び込んできた。
ハクは、残された影の魔力を全て前方に集束させ、巨大な『顎』ではなく、鋭い『牙』の形にして、カイルの聖槍の亀裂にねじ込んだ。
「オラァァァッ!! 俺の影で、システムの装甲を食い破る!!」
バキバキバキッ!!
カイルの光とハクの影。
相反する二人の騎士の執念が、高次元のデジタル防壁を内側からメリメリとこじ開けていく。
「……ハク! カイル!」
シオンは、二人の姿を見て、漆黒に染まりかけていた瞳の奥に、僅かに紫の光を取り戻した。
(私は……一人じゃない)
妹を失った絶望で、自分を見失いかけていた。
だが、彼らは諦めていない。リオナを助け出すために、己の魂を削って道を作ってくれているのだ。
「……ええ。終わらせないわ。私たちの世界は、ここで終わりなんかじゃない!!」
シオンは、魔剣『雷月』を両手で強く握り直した。
絶望の漆黒が、再び彼女本来の高貴な『紫金』の輝きを取り戻していく。ただの破壊の力ではない、全てを断ち切り、新たな理を切り拓くための、真の『神穿つ雷』。
「カイル! ハク! 退きなさい!!」
二人の騎士が、防壁をこじ開けた状態のまま、左右にサッと道を開ける。
シオンが、閉じかけていた次元のポータルに向かって、一直線に突進した。
「返してもらうわよ。……私たちの、明日を!!」
「――『紫雷・次元神断』!!!!」
シオンの魔剣から放たれた、極大の紫金の閃光。
それは、追跡者たちの防壁を完全に粉砕し、彼らの肉体を吹き飛ばし……そして、緑色に光る『次元のポータル』そのものを、十字に、無慈悲に切り裂いた。
4. 次元の崩壊、統合される世界
ガシャンッ……!!!!
ガラスが砕け散るような、世界そのものが割れるような、恐ろしい音が宇宙空間に響き渡った。
『……致命的エラー発生。次元境界線の維持が不可能。
……警告。箱庭の物理法則と、現実の物理法則が、強制的に統合されます――』
追跡者のシステム音声が、狂ったようにサイレンを鳴らし始める。
シオンの放った一撃は、ポータルをこじ開けるだけでなく、この箱庭世界を閉じ込めていた『次元の壁』そのものを完全に破壊してしまったのだ。
「……な、なんだこりゃあ!?」
ハクが、周囲の変化に絶叫する。
彼らの眼下に広がっていた『暁の自由都市』、黄昏時の荒野、そしてこの世界のすべてが。
強烈な閃光とノイズに包まれ、まるで巨大なパズルが組み替わるように、地形が、空が、大地が、凄まじい地鳴りと共に形を変え始めていた。
緑色のワイヤーフレームが現実の大地を侵食し、逆に、ファンタジー世界の魔力が、ワイヤーフレームの奥――見知らぬ鋼鉄とガラスの摩天楼がそびえる『別の世界』の景色へと流れ込んでいく。
「……シオン様! 世界が、二つの次元が、強引に混ざり合おうとしています!」
カイルが、激しい突風の中で光の盾を展開し、シオンとハクを守る。
「……ええ。分かってるわ」
シオンは、十字に切り裂かれた次元のポータルの奥を、鋭い瞳で睨み据えていた。
(追跡者たちは、リオナのデータを抱えたまま、あの向こう側へ逃げ込んだ。……なら、私たちがこの箱庭から出て、あいつらの世界へ乗り込むしかない)
前世の記憶にあった、高度な科学と魔法が融合した現実世界。
そこが、追跡者たちの本拠地だ。
「……みんな。聞いて」
シオンが、強風の中でハクとカイルに語りかけた。
「次元の壁が壊れたことで、私たちのこの世界(箱庭)は、現実世界の一部として統合されるわ。……たぶん、あの『自由都市』も、地形ごと向こうの世界に転移するはずよ」
シオンは、ポータルの奥から吹き込んでくる、生温かい機械の匂いのする風を肌で感じていた。
「私は、あのポータルの向こう側……『現実世界』へ行くわ。追跡者どもの本拠地に乗り込んで、リオナの魂を必ず見つけ出す」
シオンの決意に満ちた言葉。
「ハク。カイル」
シオンが二人を見る。
「あんたたちは、統合される『自由都市』と一緒に、地上に残りなさい。……世界が混ざり合えば、パニックが起きる。ジーグ将軍やゼッカたちと一緒に、みんなを守ってちょうだい」
「ふざけんな!!」
真っ先に噛み付いたのは、ハクだった。
「誰がてめぇ一人を、敵のド真ん中に行かせるかよ! 俺はてめぇの影だ! 地獄だろうが現実だろうが、ついていくに決まってんだろうが!!」
ハクが、片腕のままシオンのドレスの袖を強く掴む。
「……僕も、同じ気持ちです」
カイルが、静かに、だが決して譲らない瞳でシオンを見つめた。
「リオナ様を取り戻す。それは、僕の存在意義そのものです。……街の守りは、ジーグ将軍やレオンハルトたちを信じましょう。彼らなら、新しい世界でも必ず民を守り抜きます。……僕は、貴女の盾として、共に次元の向こう側へ行きます」
二人の騎士の、頑ななまでの忠誠と愛。
シオンは、二人の顔を交互に見つめ……やがて、フッと柔らかく、呆れたように笑った。
「……本当に、バカばっかりね。私の騎士は」
シオンは、魔剣『雷月』を腰の鞘に収めた。
「いいわ。なら、三人で行きましょう。……神様のシステムのド真ん中で、最高の反逆劇をやってやるのよ」
「おう! 追跡者の仮面、全部食い破ってやるぜ!!」
「僕の命に代えても、リオナ様を必ず……!」
シオン、ハク、カイル。
三人の若き反逆者たちは、互いにしっかりと手を取り合った。
「さあ、行くわよ!! 私たちの、新しい戦場へ!!」
シオンの号令と共に、三人は、強烈な光とノイズを放つ『次元のポータル』の奥深く――摩天楼のそびえる未知の現実世界へと向かって、躊躇うことなく飛び込んでいった。
ズガァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!
三人がポータルを抜けた瞬間。
箱庭の次元を支えていた最後のストッパーが完全に崩壊し、圧倒的な光の渦が、世界すべてを白く染め上げた。
『暁の自由都市』にいたジーグも、アリアも、トビーも、ゼッカも。
巨大な魔力の光に包まれながら、自分たちの足元の大地が、全く別の広大な世界へと『接続』されていくのを感じていた。
魔法と剣のファンタジー世界が、高度な科学とシステムに支配された現実世界の辺境へと、強引にパッチワークのように縫い付けられていく。
彼らの長い長い「黄昏時」の戦争は、ついに完全に終結した。
しかし、それは同時に。
次元の壁を失った新しい世界での、さらなる巨大な勢力との生存競争の幕開けを意味していたのだ。
光が収束し、世界が再構築されていく。
暁の星徒たちの反逆の物語は、ファンタジーの箱庭を完全に飛び出し、追跡者たちとの果てしない次元間闘争へと、その舞台を大きく移していくのである。
リオナの喪失という最大の絶望から、カイルとハクの叱咤によってシオンが再び立ち上がり、システム(追跡者)の次元防壁を力ずくで切り裂くという、カタルシス。
そして結末では、次元の壁が壊れたことで、『異世界』は現実世界の一部として統合されシオン・ハク・カイルの三人はリオナの魂を追って、追跡者のいる「現実の摩天楼(現代)」へと直接飛び込んでいきます。




