第三章13 『暁闇の宴、引き裂かれる世界の壁』
そして――その最も美しく輝かしい瞬間に、現実世界からの刺客『追跡者』の魔の手が、容赦なくこのファンタジーの箱庭を「バグ」として浸食し始めます。
1. 開幕のファンファーレ、泥だらけの英雄たちの夜
「皆の者! 武器を置け! 今夜、我々が掲げるのは剣でも盾でもない! 共に生き残った友と交わす、祝福の杯だ!!」
『暁の自由都市』の中央広場。
夜空に無数の提灯が赤々と灯る中、特設された高い木組みの櫓の上から、昼国近衛騎士団長ジーグの力強い声が響き渡った。
「光帝の狂気は去った! 闇御門の恐怖も消えた! 昼も夜もない、この新しい世界を自らの手で切り拓いた我々自身の誇りに……『暁闇祭』の開幕に、乾杯ッ!!」
「「「乾杯ィィィッ!!!」」」
数千人の兵士と避難民たちの怒号のような歓声が、夜空を大きく揺らした。
広場には所狭しと屋台が並び、肉の焼ける香ばしい匂いと、強い果実酒の甘い香りが入り混じっている。
かつては互いを異端と呼び、血で血を洗っていた昼国の純白の鎧と、夜国の漆黒の外套が、今夜は肩を組み、同じ火を囲んで笑い合っていた。
「おいおい! もっと肉焼け! 串焼きの屋台、全然追いついてねぇぞ!」
「るせぇな! さっきからバカみたいに食い続けてる黒髪の兄ちゃんがいるんだよ! 焼き鳥五十本目だぞ!?」
屋台の最前列で、屋台の親父に文句を言われているのは、人化した精霊獣のハクだった。
「チッ、手際が悪りぃな。こっちは昨日から死ぬほど土木作業させられて、腹の虫が暴れてんだよ。もっと辛いソースかけろ!」
ハクは、両手に持ちきれないほどの串焼きを抱え、文字通り猛獣のような勢いで肉を噛みちぎっている。
「……ちょっと、ハク。あんた少しは遠慮ってものをしなさいよ。周りの兵士さんたちがドン引きしてるじゃない」
呆れたような声と共に、人混みを割って現れたのはシオンだった。
彼女が身に纏っているのは、ルミスが仕立てた深いミッドナイトブルー(夜空色)の儀礼用ドレス。黒髪は美しく編み込まれ、胸元には昨日ハクが不器用に作った「紫の魔石のブローチ」が静かに輝いている。
「おっ、シオンか。……なんだよ、腹減ってんのはお互い様だろ。ほら、てめぇも食うか?」
ハクは、口の周りをタレだらけにしながら、シオンの口元に串焼きを一本突き出した。
「いらないわよ。これから大事な『演舞』があるってのに、油ギトギトの串焼きなんて……んっ」
シオンが文句を言い終わる前に、ハクが強引に串焼きの肉をシオンの口に押し込んだ。
「……っ!? むぐっ……こほっ! バカ犬! なにするのよ!」
「美味いだろ。ゼッカの地下農園で採れた激辛キノコのソースだ。気合入れるには丁度いい」
ハクがニヤニヤと笑う。
「辛っ……! でも、確かに……美味しいわね」
シオンは口元をハンカチで拭いながら、少しだけ悔しそうに咀嚼した。
ドレスアップした美しい元・死神と、屋台の飯を貪る粗暴な狼。ちぐはぐな二人だが、その間には誰にも入り込めない絶対的な信頼の空気が流れていた。
「お姉ちゃーーん! ハクーーー!」
そこへ、純白のシルクドレスをふわりと揺らして、第一皇女リオナが走ってきた。背中のカッティングからは、彼女の魔力の象徴である『白銀の翼』をいつでも展開できるようになっている。
「リオナ、走ると危ないわよ。転んだらどうするの」
「えへへ、大丈夫! カイルが後ろからちゃんと守ってくれてるもん!」
リオナの背後から、光の粒子を散らしながら、半霊体の聖騎士カイルが優雅に歩み寄る。
「リオナ様、あまり急ぐとドレスの裾が泥で汚れてしまいますよ。……シオン様、ハク殿、祭りの夜を楽しんでおられますか?」
「おう。飯は最高だな。半分幽霊のてめぇが食えねぇのが可哀想なくらいだぜ」
ハクが意地悪く笑う。
「ふふっ。僕はリオナ様のこの美しいドレス姿を特等席で拝見できているだけで、お腹も胸もいっぱいですから」
カイルが、光の左手でリオナの純白のドレスの裾をそっと直し、眩しそうに微笑んだ。
「もうっ、カイルったら! みんなの前で恥ずかしいよ……」
リオナが顔を真っ赤にして、カイルの背中に隠れる。
「……相変わらず、胃もたれしそうなバカップルね」
シオンがため息をつく。
「全くだ。激辛ソースの味が飛んじまうぜ」
ハクもやれやれと首を振る。
「シオン様! リオナ殿下!」
屋台の裏から、毒娘のニムと治癒術師のアリアが、手をつないで駆け寄ってきた。二人とも、今日は可愛らしい花飾りのついたお揃いのエプロンドレスを着ている。
「見てください! アリアお姉ちゃんと一緒に、屋台で『特製リンゴ飴』を作ったんです! 毒は一滴も入ってませんよ!」
ニムが、真っ赤に輝くリンゴ飴をシオンとリオナに差し出す。
「ありがとう、ニム。……本当に、毒は入ってないわよね?」
シオンがジト目で確認する。
「もう、シオン様! 私をなんだと思ってるんですか!」
「アハハ、大丈夫ですよシオンさん。私が隣でずっと見張ってましたから」
アリアがクスクスと笑う。
「ねえねえ、シオン様! あっちの広場では、レオンハルト隊長たちが『腕相撲大会』やってるんです! ゴランさんが三連勝中で、すっごく盛り上がってて!」
ニムが興奮気味に腕を引っ張る。
「腕相撲か。面白そうだな、俺が道場破りに行ってやるか」
ハクが腕をポキポキと鳴らす。
「ダメよハク! あんたが本気出したら、レオンハルトたちの腕が消し飛ぶでしょ! 大人しくしてなさい!」
笑い声が絶えない。
誰の顔にも、暗い影はない。
十五年間、ずっと探し求めていた、当たり前で、何よりも尊い「日常」の風景がそこにあった。
シオンは、リンゴ飴をかじりながら、隣で笑うハクと、カイルと手をつなぐリオナの姿を見つめた。
(……ええ。この時間を、永遠にするのよ)
シオンは、胸元の魔石のブローチをギュッと握りしめ、来るべき『儀式』への決意を固めた。
2. 双極の演舞、次元を閉ざす魂魄連理
夜が深まり、祭りの熱気が最高潮に達した頃。
中央広場の巨大な篝火が少しだけ落とされ、人々の視線が、広場の中央に設けられた特別ステージへと集まった。
「さあ、皆の者! 宴のクライマックスだ! この新しい世界を導き、神の理不尽から我々を救ってくれた二人の英雄……いや、我らが『暁の星徒』による、祝福の演舞をとくとご覧あれ!!」
ジーグの腹の底から響くような紹介と共に、数千人の兵士たちが息を呑み、静まり返った。
静寂の中、ステージの両端から、二つの影がゆっくりと歩み出た。
一人は、ミッドナイトブルーのドレスに身を包んだ、黒髪の少女シオン。
もう一人は、純白のドレスを纏い、金髪を輝かせる第一皇女リオナ。
二人がステージの中央で向かい合い、互いの手を取った瞬間、広場全体から地鳴りのような大歓声が沸き起こった。
「シオン様ーーー!!」
「リオナ殿下ーーー!!」
「俺たちの明日を、頼みます!!」
人々の祈りにも似た歓声。
それは、純粋な『喜びの魔力』となって、大気中にキラキラと金色の粒子を発生させ始めていた。
「……すごいわね、リオナ。みんなの魔力が、目に見えるくらい溢れてる」
シオンが、繋いだ手から伝わる温かさを感じながら微笑んだ。
「うん! これなら絶対に成功する! 私たちの雷で、この世界(箱庭)の壁を内側からコーティングして、もう二度とあの『追跡者』たちに干渉させないようにするの!」
リオナが、力強く頷く。
「行くわよ、リオナ。私に合わせなさい」
「ええ、お姉ちゃん!」
二人は、繋いだ手を高く天へと掲げた。
「――『顕現せよ、双極の雷』!」
シオンの右手から、全てを断ち切る『紫金の反逆雷』が。
リオナの左手から、全てを修復する『白銀の浄化雷』が。
相反する二つの極大魔法が、夜空に向かって真っ直ぐに立ち昇った。
パチパチパチッ……!!
二色の雷は、反発し合うのではなく、まるで美しい螺旋階段を描くように互いに絡み合い、一つに融合していく。
第八部の宇宙空間で創造神の眼を破壊した、あの究極の魔法――『神霊の剣』。
しかし今回は、それを「破壊」に使うのではない。
「みんなの祈りよ……この世界を包み込む、絶対の盾となれ!!」
シオンとリオナが、同時に魔力を全開に解放した。
ズァァァァァァァァァァッ!!!!
融合した双極の雷が、上空数百メートルで花火のように弾け、巨大な『無色透明のドーム』となって、自由都市の夜空を覆い尽くしていく。
それは、人々の放つ「喜びの魔力」を触媒にして、次元の境界線を内側から強固に縫い合わせる、壮大な世界結界の構築だった。
「うおおぉぉぉっ!! すげぇ! 夜空が、オーロラみたいに光ってやがる!!」
「美しい……。これが、シオン様とリオナ殿下の、本当の力……!」
地上で見上げているゴランやアリアたちが、そのあまりの美しさに涙を流し、祈るように手を組んだ。
ステージの下では、ハクとカイルが、二人の護衛として周囲を警戒しながら、その光景を見上げていた。
「……カイル殿。どうだ、次元の穴は塞がってるか?」
ハクが、目を細めて上空を睨む。
「ええ。シオン様とリオナ様の『魂魄連理』が、人々の魔力と完全に同調しています。これなら、追跡者のデジタルな干渉も、物理的に弾き返せるはず……」
カイルが安堵の笑みを浮かべかけた、まさにその時だった。
『……警告(WARNING)。対象領域ノ無断書キ換エ(上書キ)ヲ検知。
……システム権限ニヨリ、当該プロセスヲ強制終了シマス』
空から。
いや、彼らの頭の中の「直接的な意識の奥底」から、冷たく、機械的な合成音声が響き渡った。
3. 狂い出す歯車、空間の剥離
「……なっ!?」
シオンが、上空へ放っていた魔力の接続が、突如として『プツン』と音を立てて切断されたのを感じた。
「お姉ちゃん! 魔力が……雷が、空に届かない!」
リオナが悲鳴を上げる。
彼らが見上げる夜空。
先ほどまで美しく広がっていた『無色透明の結界ドーム』が。
まるで、画面の乱れた古いモニターのように、ジジジジッ! と激しいノイズを立てて、緑色の『四角いブロック(ポリゴン)』に変換され、パラパラと崩れ落ち始めたのだ。
「そんな……! 私たちの『魂魄連理』が、システムに上書きされてる!?」
シオンの顔から血の気が引く。
異変は、空だけではなかった。
「……お、おい。なんだこれ。俺の手が……!」
広場の最前列で歓声を上げていた昼国の兵士の一人が、自分の右手を見て絶叫した。
彼の手首から先が、物理的な肉体の質感を失い、緑色のワイヤーフレーム(線画)のような状態に変換され、そのまま空間に『溶けて』消滅してしまったのだ。
「ぎゃあぁぁぁぁっ!! 腕が! 腕が消えたァッ!!」
「な、何が起きてる!? 敵襲か!? どこからだ!!」
「将軍! 広場の屋台が……景色が、バグってます!!」
レオンハルトの悲痛な叫び声が響く。
見れば、広場を囲んでいた古代闘技場の石壁や、並んでいた色鮮やかな屋台が。
空間ごと、縦横に走る『緑色のグリッド線』に切り裂かれ、ノイズと共にチカチカと明滅を繰り返している。
「……クソッ! 来やがったな、追跡者の野郎!! どこに隠れてやがる!!」
ハクが、シオンとリオナの前に飛び出し、自身の影を巨大な顎に変形させて周囲を威嚇する。
カイルもまた、即座に『白銀の神盾』を展開し、二人を背後に庇った。
「シオン様! 儀式は中止です! 空間そのものが、現実の物理法則に書き換えられようとしている!!」
「分かってるわ! リオナ、魔力を切って!」
シオンがリオナの手を離し、魔剣『雷月』を召喚する。
だが、遅かった。
ジジジジジジジッ!!!!!
鼓膜を突き破るような強烈なノイズ音と共に。
シオンとリオナが立っていた特設ステージの『空間そのもの』が、まるでページをめくるように、ベリッと剥がれ落ちたのだ。
「きゃあぁぁぁっ!?」
「リオナ!!」
足場(空間のテクスチャ)を失い、真っ暗なノイズの奈落へと落下しかける二人。
「シオンッ!!」
「リオナ様!!」
ハクとカイルが、同時にステージへ飛び込み、それぞれの主の腕を間一髪で掴み取った。
「ぐっ……! ハク、カイル! 引っ張り上げて!」
シオンが叫ぶが、ハクとカイルの顔は、かつてないほどの驚愕に凍りついていた。
「……シオン。ダメだ。俺の腕が……!」
ハクの漆黒の腕が。
シオンを掴んでいる手首から先が、緑色のワイヤーフレームに変換され、パラパラと『崩壊』し始めている。
「カイル! カイルの光の腕も、バグで透けてるわ!!」
リオナが、自分を掴むカイルの光の左腕が、ノイズに侵食されているのを見て絶叫した。
『……対象・特異点アルファ、ベータ。及ビ、防衛プログラム。
……空間ノ初期化ニ伴イ、一括デリートヲ実行スル』
落下する四人の頭上。
剥がれ落ちた空間の裂け目から。
黒いロングコートに身を包み、のっぺらぼうの仮面を被った『追跡者』が、重力を完全に無視して、逆さまに宙に浮きながら現れた。
しかも、今度は一人ではない。
三人、五人、十人……。
同じ姿をした無機質な『神の猟犬』たちが、次元の壁をこじ開け、無数に群がってきている。
4. 追跡者の強襲、無力化される魔法
「……っ、ふざけるなァァァッ!!」
ハクが、崩れゆく片腕でシオンを必死に支えながら、残された影の腕を伸ばし、上空の追跡者たちへ向けて放った。
「オラァッ! 消え失せろ、仮面野郎ども!!」
ハクの影の顎が、追跡者の一人に食らいつく。
だが。
スッ……。
「……なっ!?」
ハクの影は、追跡者の体を『完全に透過』してしまった。
物理的な干渉はおろか、魔力としての衝突すら発生しない。まるで、実体のないホログラムを殴ったかのような手応えのなさだった。
『……無駄だ。我々ハ今、この箱庭ノ物理層ニハ存在シテナイ。
……高次元カラ、直接貴様ラノ存在コードヲ書キ換エテイル。魔法(ゲーム内ノ力)デハ、我々ニハ触レラレナイ』
追跡者の一人が、手にしたデバイスを操作する。
ジィィィィンッ!
「が、ぁぁぁぁぁっ!?」
ハクとカイルの全身に、緑色のノイズが電撃のように走り抜けた。
二人の体が、空中で激しく痙攣し、シオンとリオナを掴んでいた腕の力が、強制的に『切断』される。
「ハク!! カイル!!」
支えを失い、再び暗黒のノイズ空間へと落下していくシオンとリオナ。
その時、シオンの胸元で。
昨日、ハクが不器用に作ってくれた『紫の魔石のブローチ』が。
強烈なバグに侵食され、四角いピクセルの塊となって、パリンと音を立てて砕け散ったのだ。
「……あ」
シオンの紫の瞳が、絶望に大きく見開かれる。
ハクがくれた、温かい思い出。
彼らが人間として笑い合った、平和な時間の象徴が。
何の感情もなく、ただの『不要なデータ』として、システムによって消し去られてしまった。
「……よくも」
落下しながら、シオンの全身から、かつてないほどの漆黒の殺意と、紫金の雷が爆発的に膨れ上がった。
「よくも……私とハクの時間を、こんなゴミみたいに!!」
シオンは空中で強引に体を反転させ、魔剣『雷月』を両手で構えた。
「――『紫雷・神断』、全・魔力・解放!!!」
シオンの魂の全てを込めた、極大の斬撃。
それは、追跡者の言う『魔法の枠』すらも超え、シオンの「お前たちを絶対に殺す」という純粋な意志の刃となって、上空の追跡者たちへと放たれた。
空間そのものが、紫金の雷に悲鳴を上げる。
その規格外の斬撃は、高次元にいるはずの追跡者たちの『次元防壁』に直撃し、緑色のハニカムバリアに、ピキッ、と物理的な亀裂を走らせた。
『……エラー。特異点ノ攻撃ガ、次元境界線ヲ突破。……防壁損傷率、一二パーセント』
追跡者の一人が、初めて防御態勢をとる。
「お姉ちゃん! 私も!!」
落下しながら、リオナも白銀の聖剣を構え、シオンの雷に自身の浄化の光を重ねようとする。
だが。
『……危険度判定更新。特異点アルファ、即時排除対象』
追跡者たちの一人が、デバイスの銃口を、真っ直ぐにシオンの心臓へと向けた。
シュンッ。
音も、光もなかった。
ただ、空間の座標データを直接書き換える、絶対的な『削除命令』。
「お姉ちゃんッ!! 危ない!!」
リオナが、自身の背中の『白銀の翼』を限界まで引き伸ばし、シオンと追跡者の射線の間に、自らの体を投げ出したのだ。
5. 分断される手、最終部への序曲
「……え?」
シオンの紫の瞳に、信じられない光景がスローモーションのように映り込んだ。
リオナの純白のドレスの胸元に。
目に見えない『何か』が直撃し、緑色のノイズが、彼女の体を爆発的に侵食していく。
「あ……が、ぁっ……」
リオナの口から、声にならない吐息が漏れる。
「リオナァァァァァッ!!!」
シオンが絶叫し、落下するリオナの体を空中で抱き止めた。
「リオナ! リオナ!! 嘘でしょ、目を開けて!!」
シオンの腕の中で。
リオナの体は、物理的な傷を負っているわけではない。だが、彼女の存在そのものが、足先から徐々に『半透明』になり、空間に溶けて消えかかっているのだ。
「……お、姉……ちゃん……」
リオナが、霞む瞳で、シオンの顔を見上げた。
「ダメよ! アリア! カイル!! 早く、治癒魔法を!!」
シオンが叫ぶが、地上は既にバグとノイズに覆われた阿鼻叫喚の地獄であり、カイルもハクも、自身の崩壊を食い止めるだけで身動きが取れない状態だった。
「……ごめんね、お姉……ちゃん。……私、もう……雷、撃てない……みたい」
リオナの伸ばした手が、シオンの頬に触れる。
だが、その手の感触は、恐ろしいほどに冷たく、そして……重さがなかった。
「ふざけないでよ! あんたが私を助け出したんじゃない! 私の半分は、あんたなんだから!!」
シオンの目から、大粒の涙が溢れ出し、リオナの顔に落ちる。
「……泣かないで、お姉ちゃん。……お姉ちゃんは、一人でも……強い、から……。ハクと、カイルを……お願い、ね……」
リオナの体が、眩い白銀の光と、緑色のノイズに包まれる。
「リオナ!! ダメ!! 行かないで!!」
シオンが、リオナの体を強く、強く抱きしめようとする。
しかし、シオンの腕は、虚しく空を斬った。
パァァァァンッ……!!
第一皇女リオナの体は。
純白のドレスごと、無数の光の粒子とデジタルのピクセルに分解され、シオンの腕の中から、完全に『消去』されてしまった。
「…………ぁ、」
シオンの腕の中には、もう何もない。
温もりも、声も、愛する妹の重さも。
ただ、冷たいノイズの風が吹き抜けるだけ。
『……特異点ベータ、消去完了。
……続イテ、特異点アルファ、及ビ箱庭ノ完全初期化ヲ実行スル』
上空から、無機質な宣告が響き渡る。
シオンの瞳から、光が完全に消え失せた。
「…………あ、ああ、あああああああァァァァァァァッ!!!」
シオンの喉の奥から、獣のような、魂を切り裂くような絶叫が、崩壊していく世界に木霊した。
妹を失った。
平和な日常は、無残に踏み躙られた。
残されたのは、圧倒的なシステムという名の理不尽と、底なしの絶望だけ。
箱庭の世界は、今まさに、追跡者の手によって完全な崩壊を迎えようとしていた。
シオンの紫金の雷が、悲しみと憎悪で真っ黒に染まり始める。
最大の絶望。彼女は、この世界に残された最後の「バグ」として、神のシステムに、ただ一人で挑まなければならない。絶望のどん底から始まる、暁の星徒の最後の反逆。




