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境界の双子〜二つの雷鳴が響くとき〜  作者: ユーディ
第三章 暁と黄昏の微睡み、新しき世界
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第三章12 『暁闇の祭囃子、不器用な狼の贈り物』

次元の壁を越えて現れた「スマートフォン」というSF的バグに直面したシオンたち。世界がシステムによって上書き(消去)されるのを防ぐため、明後日の『暁闇祭ぎょうあんさい』で民の祈りと双極の雷を合わせ、世界の次元壁を内側から補強する計画が立てられた。

1. 祭りの朝、提灯と泥だらけの英雄たち

『暁の自由都市』に、朝陽が昇る。

十五年間、この地を厚く覆っていた雷雲が消え去り、毎日当たり前のように空が青く澄み渡るようになってから、数日が経過していた。

そして今日。街は、これまでの復興作業の喧騒とは全く違う、浮き足立ったような熱気と色彩に包まれていた。


「おい、そこの赤の布をもっと右に引っ張れ! 提灯ちょうちんのバランスがおかしいだろうが!」

「ジーグ将軍、こっちの屋台の木枠、これで足りるッスかね?」

「よし、頑丈だ! 夜国の奴らが仕入れてきた変な香辛料を置くんだ、絶対に倒れないようにしろ!」


街のメインストリートでは、元・昼国の重盾兵ゴランや、近衛騎士団長ジーグが、甲冑を脱ぎ捨てて腕まくりをし、色鮮やかな布や提灯で通りを飾り付けていた。

彼らが準備しているのは、明日の夜に開催される『暁闇祭ぎょうあんさい』。

光帝の狂気と闇御門の恐怖から解放され、昼国と夜国の民が手を取り合って新しい世界を創り出したことを祝う、この街で初めての「お祭り」である。


「うおおぉぉっ! 祭りだ祭り! 俺の荷馬車も花で飾り付けて、パレードに出るぜ!」

昼国の御者トビーが、自分の荷馬車に不器用に花冠を巻きつけている。

「トビー、センス悪っ! 花の色合いが最悪だよ。俺のキメラ・ハウンドたちにリボン結んだ方が絶対可愛いって!」

夜国の元・魔獣使い助手ルックが、呆れたように笑いながらツッコミを入れる。

キメラの首にピンクのリボンが巻かれ、魔獣が少し恥ずかしそうに「クゥン」と鳴くという、以前の戦場では絶対にあり得なかったシュールで平和な光景が広がっていた。


「……平和ね。みんな、顔が筋肉痛になりそうなくらい笑ってるわ」


そのメインストリートの端で、木箱の上に腰掛けたシオンが、ミッドナイトブルーのドレスの裾を揺らしながら呟いた。

彼女の顔にはもう鉄の仮面はなく、その紫の瞳は、楽しそうに走り回る子供たちや兵士たちの姿を穏やかに追っている。


「平和すぎて欠伸あくびが出るぜ」


シオンの背後で、ハクが大きな丸太を軽々と肩に担ぎながら悪態をついた。

漆黒の髪に、首筋から腕にかけて刻まれた呪いの刺青。ガラの悪い青年そのものの彼は、文句を言いながらも、街の人々に頼まれるまま、屋台の骨組みとなる木材を運んで回っていた。


「あら、文句言いながらもちゃんと手伝ってるじゃない。偉いわね、ハク」

シオンがクスクスと笑うと、ハクは「チッ」と舌打ちをして顔を背けた。

「……レオンハルトの野郎が、涙目で『ハク兄貴の怪力がなければ祭りの準備が間に合いません!』とか泣きついてきやがったからな。うるせぇから手伝ってやってるだけだ」

「はいはい、優しい狼さん。……でも、少しは休んだら? 昨日の夜も、結界の補強に影の魔力をかなり使ってたでしょ」


シオンが持っていた水筒を差し出すと、ハクはそれを受け取り、無造作に喉を鳴らして水を飲んだ。

「……こんなの、疲労のうちに入らねぇよ。お前こそ、明日の夜は『魂魄連理』で空にバカでかい雷を撃ち上げなきゃならねぇんだろ? 今日のうちに魔力を溜め込んどけ」


「分かってるわ。……あのスマートフォンのような『バグのゴミ』が落ちてきて以来、空間の揺らぎは少し落ち着いているみたいだけど。絶対に油断はできないわね」

シオンが小さく声を潜めると、ハクも真剣な顔で頷いた。


「お姉ちゃーーん! ハクーーー!」


その時、遠くから弾むような声が聞こえてきた。

純白のドレスの上に、エプロンをつけた第一皇女リオナが、両手に大きなバスケットを抱えて走ってくる。

その後ろには、白銀の光の半霊体である聖騎士カイルが、なぜか首から「試食係」と書かれた木札を下げて、苦笑いしながらついてきていた。


「リオナ。そのバスケット、何が入ってるの?」

シオンが木箱から立ち上がる。


「えへへ、アリアやニムと一緒に、明日の屋台で出す料理の試作品を作ったの! お姉ちゃんたちにも味見してもらおうと思って!」

リオナが、バスケットの中から色とりどりの串焼きや、怪しげな色をしたクッキーを取り出す。


「……また、あの致死量の毒スープみたいなやつじゃないでしょうね」

シオンがジト目で睨むと、ハクもあからさまに嫌そうな顔をして一歩後ずさった。

「俺は遠慮するぜ。人間の胃袋はデリケートだからな」


「もう、失礼ね! 今日のはちゃんと美味しいわよ! カイルだって『香りが素晴らしい』って褒めてくれたんだから!」

リオナが頬を膨らませて抗議する。


カイルは、光の右手で後頭部を掻きながら、申し訳なさそうに微笑んだ。

「……僕は半霊体ですから、実際に食べることはできず、匂いと見た目で判断するしかないのですが。でも、本当に焦げた匂いなどはしませんよ。……たぶん」


「たぶんって何よ。カイル、あんたもリオナに甘いわね」

シオンはため息をつきながらも、リオナが差し出したピンク色のクッキーを一つ手に取った。


「……いただきます」

恐る恐る口に運ぶ。

サクッ、という音と共に、口の中に広がったのは……意外にも、上品なイチゴの甘さと、微かなハーブの香りだった。


「……あれ? 美味しい」

シオンが目を丸くする。

「本当!? やったぁ!」

リオナが両手を挙げて飛び跳ねる。


「アリアがね、傷ついた兵士たちの魔力回復を促すハーブを練り込んでくれたの。それに、ニムが『毒の調合の要領で、甘味を限界まで引き出す秘密の液』を入れてくれて!」

「……ニムの秘密の液ってのが死ぬほど不穏だけど、まあ、美味しいから許すわ」


シオンが二枚目のクッキーに手を伸ばすのを見て、ハクも恐る恐る串焼きを手に取った。

「……匂いは悪くねぇな。毒じゃねぇだろうな」

ガブリ、と串焼きの肉を噛みちぎる。

「……ん」

ハクの目が、パチクリと瞬きをした。

「……うまっ。なんだこれ、肉がとろけやがる。それに、このスパイス……ピリッとしてて、腹の底から力が湧いてきやがるぜ」

ハクは、あっという間に串焼きを一本平らげ、もう一本に手を伸ばした。


「それはね、ゼッカ先生が地下で育ててた『夜国の激辛キノコ』をすり潰してソースにしたの! ゴランたち昼国の兵士さんたちには少し辛すぎたみたいだけど、ハクのお口には合ったみたいね!」

リオナが得意げに笑う。


「……泥ネズミのキノコか。まあ、味は悪くねぇ。……カイル、てめぇも食ってみろよ。あ、幽霊だから無理か。残念だったな」

ハクが、串焼きをカイルの鼻先に突きつけてニヤニヤと笑う。


カイルは苦笑いしながら、光の左手でその串焼きの温かい湯気を手で扇ぎ、匂いを嗅いだ。

「……ええ。本当に美味しそうな香りです。でも、僕はリオナ様の笑顔を見ているだけで、最高のご馳走をいただいている気分ですから、全く問題ありませんよ」

カイルが、サラリと気障きざなセリフを吐く。


「もうっ、カイルったら!」

リオナが顔を真っ赤にしてカイルの生身の左腕をポカポカと叩く。


「……相変わらず、バカみたいに甘い空間ね」

シオンがクッキーをかじりながら呆れ顔をすると、ハクも「見てるだけで胸焼けがするぜ」と同意した。

だが、その二人の顔も、これまでにないほど柔らかく、人間らしい温かさに満ちていた。


2. 屋台巡りと、消えない『感覚』の記憶

「さあお姉ちゃん、ハク! 準備ばかりじゃなくて、私たちも少し街を回って遊びましょう! アリアたちも、今日はもうお店を開けてるの!」


リオナは、シオンとハクの手(ハクは袖)を強引に引っ張り、メインストリートの屋台が立ち並ぶエリアへと駆け出した。

カイルも、「お供します」と光の粒子を散らしながら、優雅に後を追う。


街の中心部には、明日の本番を前に、プレオープンのような形でいくつもの屋台が店を開いていた。


「いらっしゃーい! こちら、昼国名物『太陽の果実飴』だよ! 甘くてシャキシャキ!」

「こっちは夜国の『闇鍋スープ』だ! 見た目は黒いが、体力回復にはもってこいだぜ!」


商人たちの威勢の良い声が飛び交う中、シオンたちは一軒のひときわ怪しげなテントの前に立ち止まった。


『ニムの特製・運試しポーション屋』と書かれた看板が掲げられている。


「あ、シオン様! リオナ殿下!」

テントの中から、毒娘のニムが顔を出した。

「いらっしゃいませ! お祭りの景気づけに、私のポーションで運試しはいかがですか? 飲むまで効果がわからない、ドキドキの魔法薬ですよ!」


「……ろくな効果じゃなさそうね。爆発したりしないでしょうね?」

シオンが怪訝な顔をする。

「しませんよ! 平和なお祭りなんだから! えーと、効果は『一時的に声が高くなる』とか『髪の色が虹色になる』とか、そういう無害なイタズラ薬です! もちろん、大当たりの『魔力全回復薬』も入ってますよ!」


「へえ、面白そう! 私やってみる!」

リオナが、硬貨をテーブルに置き、ずらりと並んだ色とりどりの小瓶の中から、淡いブルーの小瓶を選んだ。

「カイル、見守っててね。えいっ!」

リオナが小瓶の液体を飲み干す。


ポンッ!

という軽い音と共に、リオナの頭の上に、真っ白でフワフワの『ウサギの耳』がぽこんと生え出したのだ。


「えっ!? なにこれ!」

リオナが自分の頭を触って驚く。

「大当たり(?)の『獣人化プチポーション』です! 三十分くらいで消えますけど、すっごく可愛いですよ!」

ニムが手を叩いて喜ぶ。


「……っ!!」

カイルが、リオナのウサギ耳姿を見た瞬間、鼻を押さえてその場に崩れ落ちた。

「カイル!? どうしたの、霊体が崩れかけてるわよ!?」

「だ、大丈夫です……。リオナ様があまりにも可愛らしすぎて、僕の魂の許容量を超えた破壊力が……」

カイルが、光の体を明滅させながら震える声で答える。


「……バカじゃないの、この騎士」

シオンが呆れ果てる。


「ハクもやってみなよ! はい、これ!」

リオナが、赤い小瓶を無理やりハクに押し付けた。

「俺はいい! そんな怪しげなもん飲んで、また獣に戻ったらどうすんだ!」

「大丈夫よ、ニムの薬だもの! ほら、一気飲み!」

シオンも面白がって、ハクの背中を押す。


「チッ、分かったよ! 飲めばいいんだろ!」

ハクが赤い液体を飲み干す。


シュゥゥゥ……ッ。

ハクの体から、微かに赤い煙が立ち上った。

「……ん? なんだ、何も起きねぇぞ。やっぱりニムの薬はポンコツ――」


ハクが喋ろうとした瞬間。

「……にゃん?」

ハクの口から、おっさん臭いしゃがれ声とは対極にある、信じられないほどキュートな「猫の鳴き声」が飛び出したのだ。


「……は?」

ハクが自分の口を押さえる。

「……にゃ、にゃにが起きたんだにゃ!?」


「あはははははっ!! ハクが、猫語になってる!!」

リオナがお腹を抱えて大爆笑する。

ニムも「声帯変調ポーション、大成功です!」とガッツポーズ。


「ふ、ふざけるにゃ! こんな声でシオンを守れるわけにゃいだろうが! 早く直すにゃ!」

ハクが涙目でシオンに助けを求める。


シオンは、必死に笑いを堪えながら、肩をワナワナと震わせていた。

「……っ、ハク、あんた……最高に似合ってるわよ、その声」

「笑うにゃシオン!! ぶっ殺すぞ!!」

「ぶっ殺すぞにゃ、でしょ? ふふっ、あはははは!」


シオンは、ついに耐えきれず、腹を抱えて大きな声で笑い出した。

それは、十五年間で一度も聞いたことのない、年相応の、心からの楽しげな笑い声だった。

ハクは、自分が笑い者にされていることに腹を立てながらも、シオンがそんな風に無邪気に笑ってくれたことが嬉しくて、最後には「……まあ、てめぇが笑うなら、三十分くらい猫になってやってもいいにゃ」と、不貞腐れたようにそっぽを向いた。


街の空に、彼らの笑い声が響く。

武器を持たず、誰も血を流さない、ただ「楽しい」という感情だけで満たされた時間。


ふと、シオンは屋台の喧騒の中で、自分の手を見つめた。

(……私、今、すごく幸せだわ)


復讐も、呪いも、追跡者の影も。

今この瞬間だけは、全てが遠くの出来事のように感じられた。

この温かい光景を、永遠に守り続けたい。その思いが、シオンの胸の奥で、静かに、しかし強烈に根を下ろしていくのを感じていた。


3. ドレスの魔法と、鏡に映る『私』

午後遅く。

街の喧騒から少し離れた、ルミスが管理する結界魔術班のテントの中に、シオンとリオナは呼ばれていた。


「さあ、お二人とも。明日の『暁闇祭』のクライマックス、空へ向けて双極の雷を放つ『魂魄連理』の儀式のための、正装の最終フィッティングです」

ルミスが、メジャーを首にかけ、誇らしげに二着のドレスを指差した。


それは、以前地下バザールで作ってくれたものよりも、さらに格式高く、そして魔力伝導率を極限まで高めた『儀礼用ドレス』だった。


リオナのドレスは、純白のシルクを幾重にも重ね、背中の『白銀の翼』が展開しやすいように特殊なカッティングが施されている。胸元には、太陽の意匠が白金プラチナの糸で美しく刺繍されていた。

シオンのドレスは、深い夜空色ミッドナイトブルーのベルベット生地で、タイトなシルエットながらも、彼女の紫金の雷が全身を巡りやすいよう、雷の模様が銀糸で織り込まれている。


「わあ……! 前のドレスも素敵だったけど、これはもっとすごい! まるで、本当のお姫様と女王様みたい!」

リオナが、目を輝かせてドレスに触れる。

「ええ。明日の夜、お二人はこの街の、いえ、この新しい世界の『象徴』として、人々の前に立つのですから。それに相応しい威厳と美しさを兼ね備えさせました」

ルミスが微笑む。


「……私が、女王様ね。柄じゃないわ」

シオンは苦笑しながらも、ルミスに促されるまま、テントの奥の試着スペースへと入った。


数十分後。

大きな姿見(鏡)の前に、二人の少女が並んで立っていた。


「……うん、ぴったり。リオナ殿下、少し回ってみてください」

リオナがクルリと回ると、純白のドレスがふわりと広がり、光の粒子が舞い散るような錯覚を覚えた。

「すごい、全然重くない! これなら、明日カイルと一緒に空を飛んでも大丈夫そう!」

リオナが笑顔でピースサインを作る。


「シオン様も、いかがですか? 窮屈なところはありませんか?」

ルミスの問いに、シオンは鏡に映る自分の姿を、じっと見つめていた。


鏡の中にいるのは、血に塗れた軍服を着た死神でもなく、鉄の仮面で素顔を隠した修羅でもない。

美しく結い上げられた黒髪。上品な夜空色のドレスに身を包み、凛とした姿勢で立つ、一人の美しい女性だった。


「……私、本当に、変わったのね」

シオンが、鏡の中の自分の頬にそっと触れる。


「お姉ちゃん。すっごく綺麗よ」

リオナが、シオンの隣に立ち、鏡越しにシオンと目を合わせた。


「リオナ……」

「十五年前、私が王宮でお姫様のドレスを着ていた時。お姉ちゃんは、暗い塔の地下で、ボロボロの服を着て泣いていた。……私、ずっとそれが心残りだったの」

リオナの白銀の瞳が、少しだけ潤む。

「でも今、こうして、お姉ちゃんと一緒に綺麗なドレスを着て、鏡の前に並んでる。……私、夢みたいに嬉しい」


シオンは、妹の言葉に胸が詰まり、そっとリオナの肩を抱き寄せた。

「……私もよ、リオナ。あんたの隣に、こんなに綺麗な服を着て並べる日が来るなんて、思ってもみなかったわ」


シオンは、鏡に映る自分たちの姿に、前世の記憶――あの摩天楼の世界で、孤独に研究を続けていた『一人の大魔導士』の姿を重ねた。


(前世の私は、一人ぼっちだった。誰かと美しい服を着て笑い合うことも、手を繋ぐこともなかった)


神に引き裂かれ、呪われた運命。

だが、その呪いがあったからこそ、彼女たちは今、互いの温もりを知り、こんなにも愛おしい時間を共有している。


「……ルミス。ありがとう。このドレス、最高に気に入ったわ」

シオンが、心からの感謝を込めてルミスに微笑みかけた。


「もったいないお言葉です、シオン様。……明日の夜、貴女方の放つ雷が、この世界を永遠の平和へと導くことを、我々全員が信じております」

ルミスが、深く頭を下げた。


4. 夕暮れの広場、不器用な狼の贈り物

ドレスのフィッティングを終え、シオンとリオナがテントから出てくると、外はすでに美しい茜色の夕暮れに包まれていた。


明日の本番を控え、広場の屋台は一旦店じまいをし、兵士たちは明日の祭りに備えて早めの夕食と休息の準備に入っている。


「リオナ様。お疲れ様でした」

テントの外で待っていたカイルが、光の粒子を散らしながら出迎える。

「カイル! 待たせちゃってごめんね。……ドレス、どうだったかな?」

リオナが、期待に満ちた目でカイルを見上げる。(今は普段着に戻っているが、ルミスがスケッチを見せていたのだ)


「ええ、スケッチだけでも、貴女の美しさが神の領域に達していることが分かりました。明日の夜、貴女の隣に立つのが、僕のような半霊体でいいのかと、少し自信をなくしてしまうほどです」

カイルが、困ったように微笑む。


「またそんなこと言う! カイルの光が一番綺麗なんだから、自信持って!」

リオナがカイルの生身の左腕に腕を絡ませ、二人は仲良く夕食の配給テントの方へと歩いていった。


取り残されたシオンは、周囲を見回した。

「……あれ? ハクのやつ、どこ行ったの?」

いつもなら「遅えぞ」と文句を言いながら待っているはずの、漆黒の狼の姿がない。


「ハク殿なら、先ほど『ちょっと野暮用ができた』と言って、街の裏手の瓦礫の山の方へ行かれましたよ」

遠ざかるカイルが、振り返って教えてくれた。


「野暮用? まさか、また魔獣を狩りに行ったりしてないでしょうね」

シオンはため息をつきながら、カイルが指差した方向へ歩き出した。


街の裏手。崩れた闘技場の外壁が転がる、静かな場所。

そこに、ハクの姿があった。


「……おい、ハク。こんなところで何してるのよ」

シオンが声をかけると、ハクはビクッと肩を震わせ、慌てて何かを背中の後ろに隠した。


「お、おう。シオンか。着替え、終わったのかよ」

ハクの言葉の端々に、まだ昼間の「猫語ポーション」の後遺症(語尾が少しにゃん、となりそうになる)が残っており、本人は必死にそれを誤魔化している。


「終わったわよ。……あんた、背中に何隠してるの?」

シオンがジト目でハクを睨む。

「な、何も隠してねぇよ! ただの石っころだ!」

「嘘おっしゃい。見せなさい」

シオンが強引にハクの背後に回り込もうとすると、ハクは観念したように、隠していたものをスッと前に突き出した。


「……チッ、しょうがねぇな。ほらよ。てめぇにやる」


ハクの手のひらに乗っていたのは。

歪な形をした、小さな『銀色のブローチ』だった。


「……これ、どうしたの?」

シオンが驚いてそのブローチを見つめる。

銀色の金属を叩いて伸ばし、不器用に花のような形に成形されている。そして中央には、紫色の小さな魔石(おそらくハクが狩った魔獣のコアの一部)が埋め込まれていた。


「……昼間、ゴランの野郎が、祭りの日に女にプレゼントを渡すのが人間の風習だとか、下らねぇこと言ってたからよ。……俺はそういうチャラチャラしたの、ガラじゃねぇし、金も持ってねぇから……」


ハクは、顔をこれ以上ないほど真っ赤にして、視線を明後日の方向へ泳がせた。

「その辺のクズ鉄と魔石を、俺の影の圧力でプレスして、適当に作っただけだ。……気に入らねぇなら捨てていいぜ」


シオンは、ハクの手のひらから、その不器用なブローチをそっと受け取った。

ゴツゴツとした手触り。宝石職人が作ったような洗練された美しさはない。

だが、あの粗暴で大雑把なハクが、自分のために、慣れない手つきで一生懸命にこれを作ってくれたのだと想像すると、シオンの胸の奥が、言葉にできないほどの温かさで満たされた。


「……馬鹿犬。こんな歪な花、見たことないわ」

シオンは、ブローチを見つめたまま、クスッと笑った。

「あァ!? だから捨てろって言っただろ! 返せ!」

ハクが顔を真っ赤にして奪い返そうとする。


「誰が返すか。私がもらったんだから、私のものよ」

シオンは、ハクの手をパチンと叩いて躱し、そのブローチを、自分のミッドナイトブルーのドレスの胸元に、丁寧に留めた。


「……どう? 似合うかしら」

シオンが、少しだけ上目遣いでハクを見る。


夕日の赤い光を浴びて、シオンの胸元で、紫の魔石が静かに輝いている。

それは、どんな高級な宝石よりも、彼女の夜空色のドレスに似合っていた。


ハクは、シオンのその姿を見て、またしても言葉を失い……そして、観念したように、深く息を吐き出した。


「……ああ。最高に似合ってやがる。……俺の不細工な石っころが、世界一の宝石に見えるくらいにな」

ハクは、大きな手で、シオンの頭をポンと優しく撫でた。


「ありがとう、ハク」

シオンは、ハクの手に頬をすり寄せ、目を細めた。


明日の夜。

二人は、この街を守るために、そしてこの平和な日常を永遠のものにするために、最大の儀式(戦い)に臨む。

だが、今夜だけは、この不器用な贈り物の温かさだけを感じていたかった。


5. 嵐の前の静けさ、小さな違和感

日が完全に沈み、街に提灯の明かりが灯り始めた頃。

シオンとハクは、並んで丘を下り、自分たちのテントへと戻ろうとしていた。


「明日は忙しくなるわよ。ハク、あんたも『魂魄連理』の時、カイルと一緒に私たちの防衛を……」

シオンが明日の段取りを話している時だった。


ジジッ……。


シオンの耳の奥で、微かなノイズが鳴った。

「……え?」

シオンが立ち止まる。


「どうした、シオン?」

ハクが振り返る。


シオンは、自分の胸元に留められた、ハクの作ったブローチを見た。

ほんの一瞬、瞬きをするよりも短い時間。

そのブローチの形が、四角いデジタルのブロック状に『ブレた』ように見えたのだ。


「……気のせい、かしら」

シオンが指でブローチに触れると、そこには確かに、ゴツゴツとした金属の感触があった。

昨日のスマートフォンの件がある。自分が神経質になりすぎているだけだ。そう自分に言い聞かせる。


「シオン? 顔色が悪いぜ。やっぱりあの毒スープのダメージが……」

「違うわよ。なんでもないわ。……さあ、明日に備えて早く寝ましょう」


シオンは、無理に笑顔を作って歩き出した。


だが、彼女の胸の奥に落ちた『小さな違和感』は、決して気のせいなどではなかった。

平和な祭りの準備の裏側で。

次元の壁の向こう側に潜む『追跡者』たちは、シオンたちが明日、世界の壁を補強しようとしている計画を、とうに察知していたのだ。


『……ターゲットの防壁構築プロセス、予測時刻は明日ノ日没。……ソレヨリ前ニ、箱庭ノ根本的ナ崩壊クラッシュヲ開始スル』


誰もいない荒野の暗闇の中で、緑色のノイズが不気味に瞬き、そして消えた。


平和な息抜きの時間は、今夜が最後。

明日、暁闇祭の熱狂の中で、彼女たちは、ファンタジーの理を根底から覆す、真の絶望(SF的崩壊)と直面することになる。


嵐の前の静けさは、あまりにも優しく、そして残酷なほどに美しかった。

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