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境界の双子〜二つの雷鳴が響くとき〜  作者: ユーディ
第三章 暁と黄昏の微睡み、新しき世界
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第三章11 『忍び寄る不協和音、泥に咲く花と異界の鏡』

シオンの「魂の回路を切断する」紫雷と、リオナの「魂を元の設計図通りに修復する」白銀の雷。二人の魔法属性の理屈を完璧に噛み合わせた『魂のデバッグ』により、ハクは無事に人間の姿と心を取り戻しました。しかし、撤退する追跡者が残した「次元の境界線が曖昧になっている」という不気味な言葉は、彼らの世界に確実に影を落とし始めます。

1. 騎士の誇りと暗殺者の流儀(ジーグとゼッカの視点)

追跡者との死闘から、三日が過ぎた。

『暁の自由都市』の朝は、活気に満ちたつちの音と、人々の賑やかな声で幕を開ける。崩壊した古代闘技場の跡地には、木材と石を組み合わせた真新しいバラックが次々と建ち並び、もはや野営地と呼ぶには相応しくないほどの「街」の形を成しつつあった。


その街の防壁の上で、昼国の元・近衛騎士団長ジーグは、静かに朝焼けの空を見つめていた。


(……私は、一体何のために剣を振るってきたのだろうな)


ジーグは、手すりに置いた自分の分厚い掌を見つめ、自嘲気味に息を吐いた。

十五年間、彼は光帝ソルを絶対の神と信じ、疑うことなく異端(夜国の民)を斬り捨ててきた。光の正義こそが世界を救うのだと、本気で信じていた。

しかし、その神は自らの民を焼き殺そうとし、あろうことか、忌み嫌っていたはずの『神穿鴉』シオンと、彼女に付き従う闇の獣が、自分たちの命を救ってくれたのだ。


『光帝の狂気からも、闇御門の恐怖からも解放された、民のための避難所を創る』


そう兵士たちに宣言し、光帝に反旗を翻したあの瞬間の高揚感は、今でもジーグの胸の奥で熱く燃えている。

神を失った空虚さはある。だが、それ以上に、彼の心には今、確かな「重み」があった。


「……将軍。朝から小難しい顔をして、どうされましたかな。光の神に見捨てられた懺悔でもしているのですか」


背後の影から、音もなく現れたのは、夜国の元・副長ゼッカだった。

彼の左目に埋め込まれた義眼が、朝日に反射して冷たく光る。


「……ゼッカか。相変わらず足音を消すのが上手いな」

ジーグは振り返らずに答えた。

「懺悔ではない。ただ、不思議に思っていたのだ。……かつては戦場で相見えるたびに、貴様のその細い首をどう斬り落としてやろうかと考えていた。それが今、こうして同じ街の防壁に立ち、同じ朝焼けを見ている。……人の運命とは、滑稽なものだとな」


ゼッカは、ジーグの隣に並び、義眼ではない方の目で街を見下ろした。


「滑稽、大いに結構。我々暗殺者(泥ネズミ)は、生き残るためなら泥水でも啜り、敵の靴でも舐める。……だが、将軍。貴方たち誇り高き光の騎士が、我々のような卑劣な輩と手を組むとは、未だに信じられんのも事実ですよ」

ゼッカの言葉には、微かな挑発が混ざっていた。


しかし、ジーグは静かに首を振った。

「誇りなど、あの神々の狂気を見た時にとうに捨てた。……それに、私は貴様らを卑劣だとは思っていない。昨日の天使の襲来の際、貴様が地下に巡らせた毒ガスの罠がなければ、我々は全滅していた。貴様らは貴様らの流儀で、見事にシオン殿とこの街を守り抜いたのだ」


ジーグの真っ直ぐな称賛に、ゼッカは一瞬だけ言葉を詰まらせ、フンと鼻を鳴らして視線を逸らした。


(……この生真面目な男は、本当に調子が狂う)


ゼッカの胸の内にも、奇妙な変化が起きていた。

彼は元々、シオンの強大な魔力に恐怖して従っていただけの、野心溢れる暗殺者に過ぎなかった。シオンの仮面が割れ、彼女が弱さを露呈した時、彼は一度シオンを見捨てて逃げ出そうとすらしたのだ。

だが、そのシオンは、彼らを罰するどころか『自由にしていい』と笑って許した。そして、自分を化物と蔑む人間たちを守るために、自らの身を呈して戦い続けている。


(シオン様。貴女は、恐怖で縛るよりも遥かに厄介な『鎖』を我々にかけられた。……貴女のその眩しい背中を、我々はもう、見捨てることなどできなくなってしまったのですよ)


ゼッカは、内心の感傷を悟られないよう、咳払いをして本題に入った。


「……感傷に浸っている場合ではありませんよ、将軍。今日ここへ来たのは、私の部下カエレンが持ち帰った、妙な報告を伝えるためです」


「妙な報告?」

ジーグが眉をひそめる。


「ええ。周辺の荒野のパトロールをさせていたのですがね。……奇妙な死体が見つかったそうです」

ゼッカは、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。そこには、不気味なスケッチが描かれている。


「魔獣の死体か? 狂神たちの魔力に当てられて死んだものは多いだろう」

「いいえ。……死体が『四角いブロックの集合体』のように崩れていたのです。まるで、この世界の物質ではない、何か未知の法則によって切り刻まれたかのように。……それに、魔力の残滓が一切感じられない。完全に『無』に還元されている」


ジーグの顔色がサッと変わる。

「……三日前の、あの追跡者とかいう仮面の男の仕業か」

「おそらく。シオン様が奴らを撃退したとはいえ、あの連中がこの世界に開けた『穴』は、まだ完全に塞がっていないのかもしれません。……我々泥ネズミは地下の警戒を強めます。将軍も、表の兵士たちに『不自然な空間』には近づかないよう、通達をお願いします」


光の将軍と、闇の暗殺者。

互いの素性を知るからこそ、彼らは背中を預け合うことができる。

二人の指揮官は、静かに頷き合い、来るべき見えない脅威への備えを固め始めた。


2. 交差する少女たち、毒と癒やしの調合室

一方、街の中央に設けられた『共同医療テント』では、心温まる光景が展開されていた。


「トビーさん、腕の火傷の具合はどうですか? もう痛みはありませんか?」

純白のエプロンを着た昼国の治癒術師アリアが、荷馬車乗りの青年トビーの腕に優しく治癒のマナを流し込んでいる。


「へへっ、もうすっかり良くなりましたよ、アリア先生! これなら明日からでも、また物資の運搬に出られます!」

トビーが元気に腕を回す。


「ダメですよ、まだ無理は。……それと、この軟膏を一日三回、しっかり塗り込んでくださいね。神経の修復を早める特効薬ですから」

アリアの横から、ひょっこりと顔を出したのは、夜国の毒娘ニムだった。彼女の手には、怪しげな緑色の薬壺が握られている。


「おお、ニムちゃんの薬か! こいつは効くからな、ありがたくもらっておくぜ!」

トビーは笑顔で薬を受け取り、テントを出て行った。


アリアは、汗を拭いながら隣のニムを見て、ふわりと微笑んだ。

「助かるわ、ニムちゃん。私の治癒魔法だけじゃ魔力がもたないから、あなたの作るお薬が本当に頼りになるの」


「えへへ……。そんな、アリアお姉ちゃんに褒められると照れちゃうな」

ニムは、顔を真っ赤にしてモジモジと身をよじった。


(……不思議だな。私、本当にこんなことしてていいのかな)

ニムは、自分の小さな両手を見つめた。

ほんの数週間前まで、彼女はこの手で致死量の猛毒を調合し、昼国の兵士をいかに苦しませて殺すかだけを考えて生きてきた。

「毒娘」と蔑まれ、味方からすら忌み嫌われていた彼女にとって、他人の命を奪うことだけが、自らの存在価値の証明だったのだ。


それが今、かつて殺そうとしていた昼国の兵士たちから「ありがとう」と頭を下げられ、光の治癒術師であるアリアからは「お姉ちゃん」のように可愛がられている。

自分の作った『毒の逆算』による薬が、人々の痛みを和らげている。


(人を救うって……こんなに、胸の奥がぽかぽかするんだ……)

ニムの瞳に、少しだけ涙が滲む。


そこへ、テントの入り口の布がめくられ、一人の少女が姿を現した。

「……邪魔するわよ。左肩の包帯、替えてもらえるかしら」


ミッドナイトブルーのドレスコートを着た、シオンである。

彼女の左肩は、三日前の戦いでハクの爪に深く抉られ、リオナの魔法で塞がったとはいえ、まだ痛々しい傷跡が残っていた。


「あ、シオン様! いらっしゃいませ!」

ニムがパァッと顔を輝かせて駆け寄る。


アリアも、かつては恐怖の対象だった『神穿鴉』の登場に、今は全く怯えることなく笑顔で迎えた。

「シオンさん、お待ちしていました。さあ、こちらへ座ってください。傷の具合を見せていただきますね」


シオンが椅子に座り、ドレスの左肩を少しだけはだけさせる。

白く細い肩に刻まれた、赤い爪痕。


「……ハクの爪痕ね。だいぶ塞がってきてるけど、まだ魔力の乱れがあるわ」

アリアが、そっと手をかざして治癒魔法を流し込む。


「ふふっ。ニム、アリア。あなたたち、すっかり名コンビになったみたいね」

シオンが、二人の手際の良い連携を見ながら、穏やかに微笑んだ。


「はい! アリアお姉ちゃんは魔法の天才だし、私のお薬の知識と合わせれば、治せない傷はないんですよ!」

ニムが誇らしげに胸を張る。


シオンは、そんなニムの頭を、右の手で優しく撫でた。

「そう。……よかったわね、ニム。あなたはもう、誰も殺さなくていい。その才能を、誰かを生かすために使いなさい」


シオンのその言葉は、かつて夜国で「殺せ」としか命令してこなかった修羅の主の言葉とは、完全に真逆のものだった。


(……シオン様。貴女は、本当に変わられた)

ニムは、シオンの温かい掌の感触に、ポロポロと涙をこぼした。

「はいっ……! 私、シオン様やリオナ殿下みたいな、立派な人になります!」


その光景を、アリアもまた、優しい眼差しで見守っていた。

(光と闇。それが交われば、こんなにも温かい場所が作れる。……シオンさん、貴女は自分が思っている以上に、私たちに希望を与えてくれているんですよ)


3. 忠犬の贖罪と、揺らぐ光の霊体

同じ頃、野営地の建設現場では、一風変わった騒動が起きていた。


「ドォォォォォンッ!!」

「うおおぉぉぉっ! ハク兄貴、すげぇ!! 丸太を十本同時に片手で持ち上げやがった!!」


レオンハルトやゴランたち昼国の兵士たちが、歓声を上げて拍手喝采を送っている。

その中心で、上半身裸になったハクが、凄まじい怪力で巨大な木材や岩を次々と運搬していた。彼の背中からは無数の影の腕が伸び、まるで一人で数十人分の働きをしている。


「……オラァッ! 次の岩持ってくるから、そこ退いてろお前ら!」

ハクは、玉の汗を流しながら、一切の休憩を挟むことなく重労働をこなしていた。


「ハク兄貴! もう十分ッスよ! これ以上やったら倒れちまいます!」

ゴランが慌てて止めに入るが、ハクは聞く耳を持たない。


「うるせぇ! 俺は……俺は三日前、あいつ(シオン)の肩に、取り返しのつかない傷をつけちまったんだ! 俺の不甲斐なさのせいで、大事な主に牙を剥いちまった! ……これくらい体動かしてねぇと、俺の気が狂いそうなんだよ!!」

ハクの叫びには、痛切な後悔と自責の念が込められていた。


彼は、追跡者に操られていた間の記憶が曖昧だったが、自分がシオンの左肩を噛み砕こうとした感触だけは、手のひらに生々しく残っていた。

その罪悪感を振り払うために、彼はこうして、街の復興作業という名目で自らを極限まで痛めつけているのだ。


「兄貴……! なんて主思いの、熱い魂を持ったおとこなんだ! 俺たち親衛隊も、血反吐を吐くまでお付き合いしますぜ!!」

レオンハルトが感動の涙を流し、兵士たちも一斉に丸太を担ぎ始めた。

「だから親衛隊って呼ぶなっつってんだろ!!」


ハクが怒鳴りながら岩を運んでいると、不意に、彼の影の腕がピクリと不自然な動きをした。


「……ん?」

ハクが視線を向ける。

少し離れた場所で、同じく建設作業を手伝っていた半霊体のカイルの様子が、明らかにおかしかったのだ。


カイルは、光の右腕で木材を支えようとしていたが、その白銀の光が、チカチカと激しく明滅していた。

そして、光の粒子の間に、不気味な緑色の『ノイズ』――数字の0と1が羅列されたような、デジタルなバグの破片が混ざり込んでいた。


「……ッ、くっ……!」

カイルが苦悶の表情を浮かべ、生身の左手で右腕を強く押さえる。

しかし、ノイズは彼の光の右半身を侵食し始め、彼の腕の形が、一時的に四角いピクセルの集合体のように崩れかけた。


ガシャンッ!!

支えを失った木材が地面に落下する。


「おい! 半分幽霊!!」

ハクが岩を放り出し、凄まじい速度でカイルの元へ駆けつけた。


「カイル殿!?」

レオンハルトたちも驚いて集まってくる。


「……ハ、ク殿……離れて、ください……!」

カイルは、自身の右半身から放たれる不協和音のようなノイズを必死に抑え込みながら、後ずさった。

「僕の、魂の霊体が……この世界の物理法則から、剥離しようとしている……! 追跡者の干渉が、まだ……残って……!」


三日前の戦いで、カイルは追跡者の『次元防壁』に自身の魂を直接めり込ませ、ウイルスのように強制同調させるという捨て身の戦法をとった。

その代償として、彼を構成している白銀の魔力の中に、追跡者の持つ「高次元のデジタルプログラム」の破片が混入してしまっていたのだ。


「てめぇ、そんなヤバい状態ならどうして隠してやがった!!」

ハクが、カイルの胸倉を掴もうとするが、緑色のノイズに触れた瞬間、ハクの指先がジュワッと焼けるように痛んだ。


「カイル!!」


そこへ、騒ぎを聞きつけたリオナが、純白のドレスを翻して全速力で駆けつけてきた。


「リオナ様……ダメです、近づいては! 貴女までバグに巻き込まれてしまう!」

カイルが悲痛な声を上げる。


「馬鹿なこと言わないで!!」

リオナは、カイルの制止を全く無視して、彼のノイズに侵食されかけた光の右胸に、両手で思い切り抱きついた。


「あ……っ!」

リオナの手から、限界突破の『白銀の浄化雷』が放たれる。


バチバチバチッ!!

リオナの癒やしの魔法と、異世界のデジタルノイズが、カイルの魂を巡って激しく衝突する。


「元の設計図に戻りなさい……! カイルの魂は、私の光が繋ぎ止める!!」

リオナの額から滝のような汗が流れ落ちる。彼女は、自身の魔力を削りながら、カイルの中のバグを一つ一つ丁寧に浄化し、上書きしていく。


数分間の拮抗の末。

フゥゥゥ……と、緑色のノイズが霧散し、カイルの右半身は、再び美しい白銀の光を取り戻した。


「……ハァッ、ハァッ……」

リオナが、膝から崩れ落ちそうになるのを、カイルが生身の左腕でしっかりと抱き止めた。


「リオナ様……。また、貴女に無理をさせてしまった」

カイルの青い瞳から、申し訳なさの涙がこぼれる。


「……無茶したのは、お互い様でしょ」

リオナは、息を切らしながらも、カイルの胸の中で優しく微笑んだ。

「痛い時は痛いって、ちゃんと言って。……私たち、もう隠し事はなしって決めたじゃない」


その二人の様子を、ハクは腕を組んで黙って見つめていた。

(……チッ。あのバグの侵食スピード、三日前より明らかに早くなってやがる。……追跡者の野郎、逃げ帰っただけじゃなく、確実にこの世界(箱庭)の理を内側から腐らせにきてるな)


ハクの直感は、最悪の形で的中しようとしていた。

忍び寄る不協和音は、カイルの体だけでなく、この世界そのものに、異界の「鏡」を落とし始めていたのだ。


4. 異界の鏡、もたらされた『スマートフォン』

その日の夕刻。

シオンとリオナ、カイル、ハクの四人は、地下遺跡にあるゼッカの執務室に極秘で呼び出されていた。


「……ゼッカ。緊急の用事って、何?」

シオンが、長机を挟んでゼッカと対峙する。


ゼッカの表情は、いつになく険しかった。

彼は、隣に立つカエレンに顎でしゃくり、カエレンが慎重に布で包まれた『何か』を机の上に置いた。


「シオン様。先ほどお話しした『四角く崩れた魔獣の死体』の周辺を捜索させていた際、こんなものが見つかりましてね」


ゼッカが布を開く。

そこに入っていたのは、黒く、平べったい、ガラスと金属でできた長方形の板だった。

表面のガラスは蜘蛛の巣状にひび割れているが、このファンタジー世界には存在しない、極めて精巧で無機質な素材でできていることは一目でわかる。


「……これは、何ですか? 鏡……?」

カイルが不思議そうに覗き込む。

「さあな。だが、魔力は一切感じられねぇ。ただの鉄屑じゃねぇのか?」

ハクも首を傾げる。


しかし。

その物体を見た瞬間、シオンとリオナの二人は、雷に打たれたように完全に硬直していた。


「お、お姉ちゃん……これって……」

リオナが、震える指をその黒い板に向ける。


「……ええ。間違いないわ。なんで、こんなものがこの世界にあるのよ……」

シオンの顔から、完全に血の気が引いていた。


「お二人は、この正体をご存知で?」

ゼッカが目を細める。


「……知ってるも何も。これは……『スマートフォン(携帯端末)』よ」

シオンの口から出た未知の単語に、カイルとハク、ゼッカたちが怪訝な顔をする。


「すまーとふぉん? なんですか、それは。新しい魔導具の名前ですか?」

カイルが尋ねる。


「違うわ。魔法じゃなくて……科学システムの産物よ。……私たちが、前世の記憶でいた、あの摩天楼の世界(現実世界)の……日用品」


シオンは、震える手でそのスマートフォンを手に取った。

画面は割れ、電源は入らない。しかし、その手触りは、三日前に精神の深淵で見た「前世の記憶」の感覚を、恐ろしいほど鮮明に呼び起こさせた。


「……追跡者が言っていた、『次元の境界線が曖昧になっている』っていうのは、脅しじゃなかったのね」

シオンが、ギリッと唇を噛む。


「どういうことだ、シオン。分かりやすく説明しろ」

ハクが急かす。


「つまりね、ハク。この世界(ファンタジーの箱庭)と、追跡者たちがいる現実世界オリジナルの間に、物理的な『穴』が開き始めているのよ。……あいつらがシステムに干渉しすぎたせいで、現実世界のゴミや物質が、この世界に『バグ』として落ちてきている」


シオンは、スマートフォンを机にコトンと置いた。


「最初は、ただのゴミかもしれない。でも、この穴が大きくなっていけば……いずれ、この世界のルール(魔法や命の理)は、現実世界のルール(システム)によって完全に上書き(オーバーライト)されてしまう。……魔獣が四角く崩れて死んだのも、カイルの体がバグを起こしたのも、その前兆よ」


その言葉に、室内の温度が急激に下がったように感じられた。


「上書きされると、どうなるんですか?」

ジーグ将軍が、青ざめた顔で尋ねる。


「……この『暁の自由都市』も、生き残った人々も、みんなデジタルの塵になって『消去デリート』されるわ。なかったことにされるのよ。……世界そのものが、ね」


リオナが、絶望的な事実を口にした。


誰もが言葉を失った。

狂神を倒し、天使を退け、ようやく手に入れた平和な街。

それが、目に見えない次元の崩壊によって、根本から消し去られようとしているのだ。


「……ふざけんな。俺たちが、どれだけ血反吐吐いてこの街を守ったと思ってんだ」

ハクが、拳を机に叩きつける。

「消去だのバグだの、知ったことか! 穴が開いてんなら、俺の影で塞いでやる! 追跡者が来るなら、何万回でも噛み砕いてやるよ!!」


ハクの怒りの咆哮が、沈黙を打ち破った。


「……ハクの言う通りです」

カイルも、静かに立ち上がった。

「僕たちは、光帝や闇御門といった神の定めた運命にすら抗ってきた。……相手が次元の理であろうと、宇宙のシステムであろうと、退く理由にはなりません。僕の盾は、この街の明日を守るためにあるのだから」


二人の騎士の強靭な決意。

それに呼応するように、ゼッカもフッと笑って義眼を光らせた。


「……そういうことなら、我々泥ネズミも腹を括りましょう。次元の壁が壊れるなら、その割れ目に毒でも流し込んで、連中のシステムごと腐らせてやりますよ」


「みんな……」

リオナの瞳に、感動の涙が浮かぶ。


シオンは、机の上のスマートフォンを見つめ……そして、ゆっくりと顔を上げた。

彼女の紫の瞳には、かつての修羅の冷たさではなく、仲間たちと共に明日を掴み取るための、熱く、燃えるような『反逆の炎』が宿っていた。


「……ありがとう。本当に、頼もしい連中ね」


シオンは魔剣『雷月』を腰に帯び直した。


「敵の目的は、私たち『特異点』の消去と、この箱庭の完全リセット。……なら、連中が本格的に次元の壁を壊して攻めてくる前に、私たちがこの世界の『魔力のくさび』を盤石にして、現実からの干渉を弾き返すしかないわ」


「魔力の楔……? どうやって?」

リオナが尋ねる。


「明後日よ。ジーグ将軍たちが企画している、この自由都市の完成を祝う『暁闇祭ぎょうあんさい』」

シオンは、ジーグ将軍の方を見た。

「あのお祭りで、昼国と夜国の民全員の心を一つにして、膨大な『喜びの魔力』を生み出すの。……そして、その頂点で、私とリオナが『魂魄連理』による双極の雷を空に放ち、この世界の次元の壁を内側からコーティング(補強)する」


世界の人々の祈りと、特異点である姉妹の力。

それが完全に融合した時のみ、創造神のシステムすら干渉できない、真の『独立した世界』が完成する。


「……なるほど。神の箱庭から、人間の手による真の世界へと『独立宣言』を果たすわけですね」

カイルが、その壮大な計画に息を呑む。


「ええ。だから、明後日の祭りまでは、絶対にこの街をバグの侵食から守り抜くわよ。……ハク、カイル、ゼッカ! 準備はいいわね!」

シオンの力強い号令に、その場にいた全員が、迷いなく頷いた。

忍び寄る不協和音。次元の壁を越えてくる現実世界の異物。

平和な日常は、水面下で極限の緊張感へとシフトしていく。

だが、彼らはもう絶望しない。守るべき人々と、隣に立つ仲間がいる限り、彼らの光と闇は、決してシステムに屈することはないのだ。


祭りの夜に向けた、暁の星徒たちの最後の防衛準備が、今、静かに幕を開けた。

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