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境界の双子〜二つの雷鳴が響くとき〜  作者: ユーディ
第三章 暁と黄昏の微睡み、新しき世界
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第三章10 『狂乱の獣、魂を繋ぐ双極の雷』

愛おしくも短い平和な時間は、次元の壁を越えて現れた真の敵『追跡者チェイサー』によって無残にも打ち砕かれました。

前回の第九部終盤、シオンを庇ったハクは、追跡者の放った『存在の書き換え(オーバーライト)』プログラムをその身に受け、自我を失った殺戮の獣へと強制的に逆行させられてしまいました。

1. 暴走する影、血の涙を流す獣

「ハク……!! 嘘でしょ、ハク!!」


黄昏時の荒野に、悲痛なシオンの絶叫が木霊した。

彼女の目の前で、不器用ながらも温かい心を持った漆黒の青年は、無残にもその姿を失いつつあった。


『……対象・エラーコード「ハク」。存在の再定義リビルド進行率、八十パーセント。……人間態ヒューマン・フォームの維持プロセスを破棄。原初の殺戮設定へと回帰ロールバック中』


空間の亀裂から現れた顔のない『追跡者チェイサー』が、手にした無機質なデバイスを見つめながら、機械的な合成音声で宣告する。その言葉の通り、ハクの肉体は、物理法則を無視した異様な膨張を続けていた。


「ガ、アァァァァァァッ!! シオ、ン……逃げろ、俺の……そばから、離れろォォォッ!!」


人間の姿を保とうとするハクの必死の理性も虚しく、彼の首筋から腕にかけて刻まれていた『呪いの刺青』が、毒々しい赤色のデジタルノイズのような光を放ちながら全身を侵食していく。

バキバキと凄まじい音を立てて骨格が組み替わり、漆黒の髪は硬質な獣の毛へと変異し、四肢は丸太のように太く強靭な獣の脚へと姿を変えた。

かつて彼が精霊獣であった頃の姿――いや、それよりも遥かにおぞましく、全身から赤いノイズの瘴気を撒き散らす、理性を完全に失った巨大な『狂乱の獣』がそこに誕生してしまったのだ。


「グルルルルルルルルッ!!!」


完全に獣と化したハクの三つの瞳が、血走った赤い光を放ち、目の前に立つシオンを『敵』として捉えた。


「ハク……私よ! 分からないの!? シオンよ!!」

シオンは、逃げるどころか、巨大な獣の鼻先に向かって両手を広げた。

昨日、星降る丘で「お前は俺の家族だ」と誓い合ったばかりではないか。あの不器用な狼が、自分を忘れるはずがない。そう信じたかった。


しかし、オーバーライトされたシステムの命令は絶対だった。


「ガァァァァァァッ!!」

ハクの巨大な影のあぎとが、容赦なくシオンの細い体を噛み砕こうと襲いかかった。


「……ッ!!」

シオンは間一髪で真横に跳躍し、凄まじい牙の連撃を躱した。

ガゴォォォンッ!!

ハクの顎が地面を抉り、岩盤がクレーターのように粉砕される。その圧倒的な破壊力は、人間の時よりも遥かに増大しており、赤いノイズが触れた草木は瞬時にポリゴンのように四角く分解され、消滅していく。


「ハク! やめて!!」

シオンは魔剣『雷月』を抜いたが、その刃をハクに向けることができなかった。

彼を斬る? 冗談じゃない。彼は、自分の絶望を喰らい、自分を暗闇から救い出してくれた、たった一人の家族なのだ。


『……無駄な抵抗だ、特異点アルファ(シオン)。その獣は既に、我々「追跡者」が箱庭のシステム権限を用いて、ソースコードレベルで書き換えた』

追跡者が、デジタルにバグって明滅する荒野の景色の中に立ち、静かに語りかける。

『愛着、記憶、忠誠。それらは全て削除された。今の彼は、対象(お前)を抹殺するまで止まらない、完璧な自律型デリート・プログラムだ』


「……黙れ」

シオンの紫の瞳から、深い悲しみと、それを上回るほどの激しい怒りが沸き上がった。


「誰の許可を得て、私のハクの心を……勝手にいじくり回してるのよ!!」


シオンは、ハクの猛攻を紙一重で回避しながら、追跡者に向かって突進した。

右手に握られた『雷月』に、怒りのままに紫金の雷がバチバチと迸る。

十五年間、修羅として生きてきた彼女の『殺意』が、これほどまでに純粋に、ただ一つの敵に向けられたことはなかった。


「てめぇら神様のシステムがどれだけ偉いか知らないけどね! 私の家族に手を出したこと、後悔させてやるわ!!」


「――『紫雷・神断かみだち』!!」


全てを断ち切る絶対の斬撃が、追跡者の顔面――のっぺらぼうの仮面に向かって振り下ろされた。


2. システムの代行者と、届かない紫金の剣

ギィィィィィィィンッ!!!!


シオンの紫金の雷刃が、追跡者の仮面に届く直前。

空中に突如として展開された、緑色に発光する六角形のハニカム構造のバリア『次元防壁ファイアウォール』に阻まれ、激しい火花を散らした。


「なっ……! 私の雷が、斬り裂けない!?」

シオンが驚愕に目を見開く。


彼女の『紫金の反逆雷』は、魔力で構成されたものであれば、天使の概念兵器であろうと、狂神の絶対防御であろうと、必ずその回路を「切断」する特性を持っている。

しかし、この追跡者のバリアは、魔力ではなく、全く別の物理法則――高次元のデジタル・データで構成された強固な『壁』だったのだ。


『……魔法バグによる物理干渉、ブロック完了。……哀れだな、特異点。貴様がどれほどこの箱庭ファンタジーの中で強大な魔力を得ようと、システムの管理者である我々には届かない』


追跡者は、シオンの剣をバリアで受け止めたまま、手にしたデバイスを操作した。

『……反撃カウンタープロトコル、実行』


バリアの表面から、緑色の電撃のようなノイズがシオンの剣を伝って逆流してきた。

「が、ぁぁぁぁっ!?」

シオンの全身を、魔力とは違う、神経を直接ショートさせられるような激痛が駆け巡る。

彼女の体は弾き飛ばされ、荒野の硬い地面を数十メートルも転がった。


「ぐっ……げほっ……!」

シオンは血を吐きながら、震える腕で身を起こした。

追跡者の攻撃は、肉体を傷つけるのではなく、魂の設計図そのものを乱すような異質なものだった。


「グルルルルルルッ!!」

休む間もなく、赤いノイズを纏ったハクが、再びシオンに向かって跳躍してくる。

今度は逃げ場がない。


「ハク……っ!!」

シオンが、咄嗟に腕を交差して目を閉じた、その絶対絶命の瞬間。


「――お姉ちゃんに、指一本触れさせないッ!!」


天空から、隕石のような速度で一筋の『白銀の流星』が飛来し、獣とシオンの間に割って入った。


ズガァァァァァァァァァンッ!!!!


激しい衝撃音と共に、獣の巨大な爪が、空間に展開された巨大な『白銀の神盾』に激突し、弾き返された。


「……カイル!! リオナ!!」

シオンが目を開けると、そこには、純白のドレスの裾を翻し、白銀の聖剣を構えた第一皇女リオナと、その背後で絶対防壁を展開する半霊体の聖騎士カイルの姿があった。


「お姉ちゃん! 大丈夫!?」

リオナが、シオンを抱き起こす。


「どうして……街の防衛はジーグ将軍たちに任せておけって言ったでしょ!」

「お姉ちゃんとハクの魔力が、急に異常な乱れ方をしたのが分かったの! 放っておけるわけないじゃない!」


カイルが、光の右腕で神盾を維持しながら、前方の狂乱する獣を見据えた。

「……シオン様。あれは、ハク殿なのですか? 彼から発せられている気配が、これまでとは全く違う。まるで、冷たい機械と呪いが混ざり合ったような……」


「ええ。あの変な仮面の男……『追跡者』に、ハクの魂を書き換えられたのよ」

シオンは、追跡者を憎悪の眼差しで睨みつけた。


「追跡者……。前世の記憶で、私たちを引き裂いた、あの……」

リオナの顔に、恐怖と怒りが入り交じる。


『……増援か。特異点ベータ(リオナ)。……データ通り、二つの魂は互いを引き合う性質があるようだな。一網打尽にできるならば、好都合だ』

追跡者が、無機質な声で告げる。


「おのれ……! よくもハクをこんな姿に! 私が元に戻してあげる!」

リオナが、カイルの盾の横から飛び出し、白銀の聖剣をハクに向けた。

「――『白銀の浄化雷プラチナ・レイ』!!」


リオナの剣から放たれた、あらゆる呪いと悪意を浄化する優しい光の波面が、獣の体を包み込んだ。

かつて、カイルの死の呪いを食い止め、数多の兵士の傷を癒やした奇跡の光。これなら、ハクを支配している赤いノイズも浄化できるはずだった。


しかし。


「ギャアアアアアアアアアッ!!!!」


浄化の光を浴びたハクは、元の姿に戻るどころか、全身から煙を上げ、かつてないほどの激痛に身を捩らせて絶叫したのだ。


「えっ……!? 嘘、なんで!? 私の光は、癒やしの力なのに!」

リオナが驚愕して術を止める。

光が消えると、ハクの体はさらに異形に膨張し、赤いノイズがより一層濃く、凶悪に発光し始めてしまった。


「カイル! シールドを最大に!」

シオンの叫びと同時に、激怒した獣が、先ほどとは比べ物にならないほどの魔力ブレスを放ち、カイルの神盾を激しく軋ませた。


「ぐぅぅぅっ……! 重い……! リオナ様、シオン様、下がって!」

カイルが、半霊体の魂を削りながら防ぎ切る。


「どうして……私の魔法が、ハクを苦しませたの……?」

リオナが、震える手で自身の聖剣を見つめる。


「……気づかなかったのか、光の小娘」

追跡者が、冷ややかに解説する。

「我々が行ったのは『呪いの付与』ではない。『システムの書き換え』だ。今のあの獣の初期状態デフォルトは、『赤いノイズに支配された殺戮兵器』として再定義されている」


追跡者の言葉に、シオンはハッとして息を呑んだ。


「お前の『浄化・修復』の魔法は、対象を『あるべき元の姿』に戻す力だ。だが、システムの定義が書き換わっている以上、お前が魔法をかければかけるほど、システムは『殺戮兵器としての完全な状態』に修復しようとし、同時に、彼の中に僅かに残っていた『人間としての自我エラー』を消去しようと働くのだ」


「そんな……! じゃあ、私の光は、ハクの心を殺してしまうってこと!?」

リオナの顔から血の気が引く。


「……悪辣な罠ね。治癒魔法が逆に相手を殺す毒になるなんて」

シオンはギリッと歯を食いしばった。


『……そういうことだ。お前たちに、あの獣を救う術はない。大人しく、かつての忠犬に噛み殺されるがいい』

追跡者が、冷酷な宣告を下す。


3. 魂のデバッグ、姉と妹の解析

カイルの『白銀の神盾』の裏側で、三人は絶望的な状況に直面していた。


「……シオン様。僕の盾も、永遠には持ちません。獣の力は、攻撃を受けるたびに底上げされているようです」

カイルが、光の右腕を明滅させながら苦しげに報告する。


ハクを倒せば済む話かもしれない。だが、シオンにもリオナにも、そんな選択肢は最初から存在しなかった。

「ハクを助ける。絶対に。……何か、何か方法があるはずよ」

シオンは、高速で思考を回転させた。前世の大魔導士としての知識と、今のシオンとしての魔法の理屈を、極限までリンクさせる。


(……追跡者は、ハクの魂の『設計図』を書き換えた。だからリオナの『修復』魔法は、書き換えられた後の設計図に従って作用してしまう)


ならば、どうすればいい?

答えは一つしかない。


「……書き換えられた部分だけを、外科手術のように『切り取る』のよ」

シオンが、顔を上げて言った。


「切り取る? でも、どうやって?」

リオナが尋ねる。


「追跡者が撃ち込んだ『オーバーライトのプログラム』は、ハクの魂のコアに直接突き刺さっているはずよ。……私の『紫金の反逆雷』は、魔力回路を強制的に切断する力。私がハクのコアに直接剣を突き立てて、その不正なプログラム(赤いノイズ)との接続だけを、ピンポイントで『切断』する!」


シオンの恐ろしい提案に、カイルが息を呑んだ。

「お待ちください! シオン様の雷は破壊の力が強すぎる! 魂のコアに直接そんな真似をすれば、ハク殿の魂そのものが砕け散ってしまいます!」


「だから、あんたたちの力が必要なのよ」

シオンは、リオナとカイルを真っ直ぐに見つめた。


「私がプログラムを切断した直後、ほんのコンマ数秒だけ、ハクの魂は『空白状態まっさら』になる。その瞬間に、リオナ。あなたの『白銀の浄化雷』を全開で流し込みなさい。書き換えられる前の、私が星降る丘で言葉を交わした『人間のハク』の記憶を、あなたの光で『復元バックアップのリストア』するのよ」


「……切開と、縫合。二つの雷を、同時に、魂の奥底で噛み合わせるってことね」

リオナが、ごくりと生唾を飲み込んだ。


「ええ。そしてカイル、あなたには一番危険な役目を頼むわ」

「……なんでしょうか」


「私がハクのコアに剣を突き立てるためには、あいつの防御を完全に剥がし、懐に潜り込む必要がある。……カイル、あなたが盾を解いて、あの追跡者の相手をして。その隙に、私がハクの動きを止める」


それは、あまりにも無謀で、一歩間違えれば全員が全滅する狂気の作戦だった。

半霊体のカイルが盾を解けば、追跡者の概念消去攻撃が直撃する。

シオンが暴走する獣の懐に潜り込めば、噛み砕かれる危険がある。

そして、リオナの修復のタイミングが少しでもズレれば、ハクの魂は永遠に失われる。


「……シオン様らしい、無茶苦茶な作戦ですね」

カイルは、ふっと笑って、生身の左手で自身の聖剣を握り直した。


「でも、それでハク殿が、僕たちの悪友が戻ってくるなら、安い賭けです。……あの胡散臭い仮面男の相手、僕が引き受けましょう」

カイルの瞳に、聖騎士としての強靭な覚悟が宿る。


「お姉ちゃん。私、絶対にタイミングは外さない。……お姉ちゃんとハクの思い出の温かさ、私が全部繋いでみせる!」

リオナもまた、聖剣『ソル・ブレイカー』を胸に抱き、力強く頷いた。


「ありがとう。……二人とも、死なないでよ」

シオンは、魔剣『雷月』を構え、紫金の雷を静かに、極限まで刃に圧縮していった。


「カイル! 盾を解除! 行くわよ!!」


4. 紫雷のメスと白銀の縫合

「――シールド、解除!! 突撃します!!」


カイルの声と共に、巨大な白銀の神盾がパリンと音を立てて弾け飛んだ。


『……愚かな。自ら防御を解くとは。一斉掃射で消去しろ』

追跡者がデバイスを構え、緑色の概念消去光線を放つ。


「貴方の相手は、僕です!!」

カイルが、光の翼を羽ばたかせて追跡者の眼前に肉薄した。

「……半霊体の騎士か。物理干渉を持たない貴様では、私の防壁は破れない」

追跡者が『次元防壁』を展開する。


しかし、カイルは剣を振るわなかった。

彼は、自身の『光の右半身』を、あろうことか追跡者の次元防壁に直接『めり込ませた』のだ。


「なっ……!?」

追跡者が初めて動揺を見せる。

「僕の体は、物理法則を無視した純粋な魂の塊……! 貴方のデジタルな防壁と同調シンクロさせ、強制的にシステムをバグらせてやります!!」

カイルの光の体が、バリアと激しく反発し合い、凄まじいノイズを撒き散らしながら追跡者の動きを完全に封じ込めた。

「ぐっ……! エラー発生、ファイアウォール機能不全……! 貴様、自らの魂をウイルスの代わりにしているのか!」


「今です、シオン様!!」

カイルの決死の足止め。


その隙を縫って、シオンは暴走する巨大なハクの正面へと真っ直ぐに飛び込んだ。


「グルルォォォォォォォッ!!」

ハクが、赤いノイズを纏った巨大な爪を、シオンの頭上から容赦なく振り下ろす。


「シオン様!!」

カイルが叫ぶ。

避けられないタイミング。剣で防げば、その圧倒的な質量で押し潰される。


だが、シオンは避けなかった。防ぐこともしなかった。

彼女は、魔剣を下段に構えたまま、ノーガードでその巨大な爪を受け止めたのだ。


グシャァッ!!


「が、はァッ……!!」

シオンの左肩にハクの爪が深く食い込み、ミッドナイトブルーのドレスが鮮血に染まる。骨が軋む嫌な音が響いた。


「お姉ちゃん!!」

リオナが悲鳴を上げる。


「来るな、リオナ!! まだよ!!」

シオンは、左肩を噛み砕かれそうになりながらも、決してハクから離れなかった。むしろ、その爪に自分から体を押し付け、獣の胸元――赤いノイズが最も濃く集まっている『魂のコア』の目前へと、強引に肉薄したのだ。


(痛い……! でも、十五年間、あんたが喰ってくれた私の痛みに比べれば、こんなもの……!!)


シオンは、血反吐を吐きながら、獣の瞳を見つめた。

赤く濁り、理性を失った三つの瞳。

だが、その奥底に、ほんの僅かに、シオンを傷つけてしまったことに恐怖し、泣き叫んでいる『人間の青年』の魂の震えを、シオンは確かに感じ取った。


「……ハク。痛いのは、一瞬だからね」


シオンの右手に握られた『雷月』が、紫金の閃光を放つ。


「――『紫雷・魂魄切断デバッグ・スラッシュ』!!!」


シオンの魔剣が、獣の分厚い胸の装甲をすり抜け、その奥にある『赤いノイズのコア』にのみ、正確に突き立てられた。

物理的な肉体を傷つけることなく、追跡者が打ち込んだオーバーライトのプログラムと、ハクの魂を繋ぐ『接点』だけを、紫金の雷が完璧な精度で焼き切る。


ピィィィィィィィィンッ!!!!


ガラスが割れるような甲高い音と共に、獣の全身を覆っていた赤いノイズが、一瞬にしてプツンと途切れた。


「ガ、アァァァァァァッ!?」

獣の瞳から赤い光が消え、ハクの肉体が硬直する。

魂の接続を切られたことで、彼の存在が完全に「空白」となったのだ。

このままでは、数秒後に彼の魂は崩壊し、宇宙の塵となって消えてしまう。


「今よ、リオナァァァッ!!!」

シオンが絶叫する。


「任せて!! ――『白銀・魂魄連理こんぱくれんり』!!」


背後で待機していたリオナが、六枚の白銀の翼を爆発させ、シオンの背中越しに、ハクの胸の傷口コアに向かって、限界突破の『白銀の浄化雷』を全開で流し込んだ。


眩いばかりの純白の光が、荒野を昼間のように照らし出す。

リオナの光は、ハクの魂の中に残っていた『シオンとの記憶』『酒場で笑い合った記憶』『不器用な忠誠心』を、一つ一つ丁寧に、そして猛スピードで拾い上げ、繋ぎ合わせ、元の設計図通りに『再構築リストア』していく。


「戻ってきて、ハク……! お姉ちゃんには、あなたが絶対に必要などだから!!」

リオナの祈りが、光となってハクの全身を包み込む。


シュゥゥゥゥゥ……ッ。


巨大な獣の肉体が、白銀の光の中でドロドロと溶け、圧縮されていく。

骨が再構築され、毛皮が漆黒の髪へと変わり、四肢が人間の手足へと戻っていく。


光が収束した跡。


そこには、巨大な獣ではなく。

服はボロボロに破け、全身傷だらけになりながらも、確かに『人間の姿』を取り戻した、漆黒の青年が倒れ込んでいた。


「……ハ、ク……?」

シオンが、血に染まった左肩を押さえながら、恐る恐る青年の顔を覗き込む。


ハクの長い睫毛が震え、ゆっくりと、縦に裂けた紫の瞳が開かれた。


「……ッ、ってぇ……。全身の骨が、軋みやがる……」

ハクは、しゃがれた声で呻きながら、目の前にいるシオンの顔を見た。


シオンの左肩が血まみれになっているのを見て、ハクの瞳が大きく見開かれる。


「……てめぇ、その肩。……俺が、やったのか……?」

ハクの声が、震えていた。

自我を失っていた間の記憶が、断片的に彼の脳裏をよぎる。自分が、最も守りたかった主を、その爪で引き裂いてしまったという絶望。


「……馬鹿犬。女の子に怪我させるなんて、最低よ」


シオンは、激痛に顔をしかめながらも、残った右手で、ハクの頬を思い切り、バチーン! と平手打ちした。


「いっ……!?」

「でも、これでチャラにしてあげる。……おかえり、ハク」


シオンの目から、安堵の涙がポロポロとこぼれ落ち、ハクの頬を濡らした。


ハクは、ぶたれた頬を押さえながら、泣いているシオンの顔を見て……やがて、これ以上ないほど不細工に顔を歪め、子供のように声を上げて泣き始めた。


「……ッ、うあぁぁぁぁぁっ! ごめん、シオン……! 俺、てめぇを……てめぇをォォォッ!」

「いいの。もういいのよ。……あなたが無事なら、それだけでいいわ」

シオンは、血に染まった体で、泣きじゃくるハクの頭を優しく抱きしめた。


5. 退く追跡者、次なる崩壊への秒針

「……信ジラレナイ。物理的ニ書キ換エタシステム・コードヲ、魔法トイウ非論理的ナ現象デ『切断』シ、『復元』シタダト?」


空中でカイルのバグ攻撃に拘束されていた『追跡者』が、地上の奇跡を目の当たりにし、無機質な声に初めて「驚愕」の感情を滲ませた。


「言ったでしょう。彼らの絆は、貴方たちのような冷たいプログラムでは測れない」

カイルが、光の右腕を限界まで発光させ、追跡者の次元防壁を内側から破壊しようと力を込める。

「さあ、お帰りいただきましょうか。この世界はもう、貴方たちの箱庭ではない!」


パリンッ!!

カイルの魂の圧力が、ついに追跡者のハニカムバリアを粉砕した。


「チッ……! 個体ノ演算能力ヲ超エル異常事態イレギュラーダ。……コレ以上ノ単独行動ハ、システムニ致命的ナダメージヲ与エル危険性ガアル」


追跡者は、バリアを破られた瞬間に後退し、空間の裂け目へと身を翻した。


「逃がさないわよ!!」

地上から、シオンが『雷月』を振るい、追跡者に向かって紫金の斬撃を飛ばす。

斬撃は追跡者の黒いコートの裾を深々と切り裂いたが、追跡者は振り返ることなく、次元のノイズの中に姿を消していく。


『……特異点アルファ、ベータ。今回ハ戦術的撤退ヲ選択スル。

……ダガ、忘レルナ。貴様ラガ前世ノ記憶ヲ取リ戻シタ以上、この箱庭ファンタジート、我々ノ本拠地リアルノ次元境界線ハ、既ニ曖昧ニナリ始メテイル。

……次ハ、我々追跡者ノ『本体オリジナル』ガ、貴様ラノ世界ヲ丸ゴト削除シニクルダロウ』


不気味な警告を残し、追跡者の姿は完全に次元の彼方へと消え去った。

同時に、荒野を侵食していたデジタルのノイズも嘘のように消え去り、元の美しい夕暮れの景色が戻ってくる。


「……逃げられたか」

シオンが、剣を下ろして深く息を吐き出す。

その瞬間、張り詰めていた糸が切れ、彼女はガクンとその場に膝をついた。


「お姉ちゃん!!」

「シオン様!」

リオナとカイルが慌てて駆け寄る。

シオンの左肩の傷は深く、出血が酷い。リオナがすぐに白銀の治癒魔法をかけると、傷口は見る間に塞がっていったが、失った血液と魔力による疲労は限界を超えていた。


「……わりぃ、シオン。俺のせいで」

人間の姿に戻ったハクが、フラフラと立ち上がり、申し訳なさそうに俯く。


「……本当に、世話の焼ける犬ね。今夜は私のベッドの横で、朝まで土下座してなさい」

シオンが弱々しく笑いながら言うと、ハクは「……おう。一生でも土下座してやるよ」と、力強く頷いた。


夕闇が迫る荒野。

四人は、満身創痍になりながらも、互いの肩を支え合って自由都市の野営地へと歩き出した。


追跡者の脅威は退けた。

ハクの魂も救い出した。

しかし、彼らの心には、先ほどの追跡者の言葉が重くのしかかっていた。

『この箱庭と、我々の本拠地の次元境界線は、既に曖昧になり始めている』


前世の記憶と、現実の侵食。

ファンタジーの世界として確立していた彼らの日常は、もう後戻りできない領域へと足を踏み入れてしまったのだ。

第八章から始まる「現代への転生(逆転生)」という未曾有の展開に向けて、世界そのものの崩壊のカウントダウンが、静かに、しかし確実に時を刻み始めていた。


だが今は、ただ生き残ったこと、絆を取り戻せたことを喜びたい。

シオンは、左側にハク、右側にリオナ、その後ろにカイルという、自分にとって何よりも大切な『家族』の温もりを感じながら、ゆっくりと夜の帳が下りる街へと帰っていった。

「ハクの魂を救うために、あえてシオンがコアを斬り、直後にリオナが修復する」という、姉妹の完璧な連携による『魂のデバッグ』を描きました。

また、シオンがハクを家族として受け入れたからこその自己犠牲や、カイルの半霊体としての特性を活かした捨て身の足止めなど、各キャラクターの持ち味と関係性を深く掘り下げた戦闘シーンとなっています。


追跡者は一時撤退しましたが、「次元の境界線が曖昧になる」という不穏な宣告を残しました。

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