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境界の双子〜二つの雷鳴が響くとき〜  作者: ユーディ
第三章 暁と黄昏の微睡み、新しき世界
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第三章9 『国境を越える手紙』 

宇宙の理を司る『創造神の眼』が破壊され、空から降り注いでいた天使の群れが光の塵となって消え去った翌朝。

十五年もの間、分厚い暗雲と血の匂いに覆われていたこの世界に、初めて「何も脅かすもののない、ただ青く澄み切った空」が広がる。

生き残った人々は、剣を置き、泥だらけの手を取り合って、新しい世界の産声を上げます。しかし、特異点たる四人の若者たちは知っています。この世界が誰かの作られた「箱庭」であり、自分たちを消去しようとする真の刺客が、次元の彼方から迫っている。

1. 雲一つない空と、自由都市の産声

それは、絵の具をひっくり返したような、嘘のように鮮やかな青空だった。


光帝ソルの狂気的な黄金の威圧感もなく、闇御門ルナの底なしの漆黒の瘴気もない。そして、昨日まで彼らの頭上を覆い尽くしていた、あの無機質で恐ろしい『純白の天使たち』の姿も、跡形もなく消え去っている。


『暁の自由都市』――崩壊した古代闘技場を中心に急造された巨大な野営地は、信じられないほどの静寂と、それに続く爆発的な歓喜の渦に包まれていた。


「……消えた。天使のバケモノどもが、全部消えちまったぞ……!」

「空が……青い。俺、こんなに空が高かったなんて、十五年間忘れてたよ……っ」


昼国の重盾兵だったゴランが、焼け焦げた巨大な盾を放り出し、泥だらけの顔をくしゃくしゃにして泣き崩れた。

彼の隣では、夜国の魔獣使いの助手だった少年ルックが、ゴランの大きな背中にしがみつくようにして、声を上げて泣きじゃくっている。昨日までなら、昼国の兵士が夜国の少年に背を向けるなど、即座に刃を突き立てられる自殺行為だった。

だが今、二人の間にあるのは「共に生き残った」という、何よりも強固な戦友としての絆だけだった。


「終わったんだ……。俺たち、生き延びたんだな……!」

「ああ、そうだ! 殿下たちが、あの死神の姉ちゃんが、神様をぶっ飛ばしてくれたんだ!!」


広場のあちこちで、歓声と嗚咽が交差する。

傷ついた兵士たちを治療して回っていたアリアも、血に染まったエプロンのまま、その場にへたり込んで天を仰いだ。

「神様……。いいえ、もう神様なんて祈らない。私たちを救ってくれたのは、人間の意志の力だわ」


その歓喜の野営地の中心から少し離れた、小高い丘の上。

ミッドナイトブルーのドレスコートに身を包んだシオンは、朝の冷たい風に黒髪を揺らしながら、眼下に広がるその光景を静かに行き下ろしていた。


「……随分と、騒々しい朝ね」

シオンがぽつりと呟くと、隣に立っていた漆黒の青年――人化した精霊獣ハクが、大きく伸びをしながら欠伸あくびをした。


「平和ボケの連中には、ちょうどいい目覚ましだろ。……チッ、それにしても昨日の宇宙そらでのドンパチのせいで、俺の影のストックがすっからかんだ。腹が減って力が出ねぇ」

ハクは、自身の首筋の刺青をポリポリと掻きながら、シオンの顔を横目で見た。

「てめぇは大丈夫なのかよ、シオン。あの気味の悪りぃ『前世の記憶』とやらを脳みそに直接ぶち込まれたんだ。まだ頭が痛てぇんじゃねぇのか」


「……平気よ。ただ、なんだかすごく長い夢を見ていたような気分なだけ」

シオンは、自分の両手を見つめた。

大魔導士として、星の理を書き換えようとした前世の記憶。追跡者チェイサーに魂を二つに割られた激痛。それは確かに彼女の魂の奥底に刻まれていたが、今の彼女にとって、それは「遠い過去の記録」に過ぎなかった。


「私はシオン。それ以上でも、それ以下でもないわ。……それに、あの記憶を思い出したおかげで、連中(追跡者)がどんな手を使ってくるか、少しだけ予想がつくようになったしね」

シオンの紫の瞳に、静かな闘志が宿る。


「ケッ、頼もしいこった。どんなバケモノが次元の壁を越えてこようが、俺が端から噛み砕いてやるよ」

ハクが凶悪な牙を見せて笑う。


そこへ、丘の下から、二つの影が駆け上がってきた。


「お姉ちゃーーん! ハクーーー!」


純白のドレスの裾を泥だらけにしながら、第一皇女リオナが満面の笑みで手を振っている。彼女の隣には、朝日を浴びてキラキラと輝く半霊体の聖騎士カイルが、優しく微笑みながら寄り添っていた。


「リオナ。あんた、昨日脇腹を刺されたばっかりなのに、もう走り回って大丈夫なの?」

シオンが呆れたように言うが、リオナは「えへへ」と笑って自分の脇腹をポンと叩いた。


「アリアの治療と、私の白銀の魔力ですっかり塞がったわ! それに、カイルがずっと魔力を送ってくれてたから、むしろ元気いっぱいよ!」

「……リオナ様、あまり無理をなさらないでください。まだ傷口は完全に癒着していませんから」

カイルが、光の右手で過保護にリオナの背中を支える。


「あら、ごちそうさま。半分幽霊になっても、イチャつく機能はしっかり残ってるのね」

シオンが皮肉めいて笑うと、カイルは全く動じることなく、涼しげな顔で答えた。

「ええ。リオナ様をお守りし、愛でることこそが、僕の半霊体としての最優先プログラムですから」

「……あんた、本当に図太くなったわね」

「ハク殿に鍛えられましたから」

「オイ! 俺のせいにすんじゃねぇ!」


四人の屈託のない笑い声が、朝の丘に響き渡る。

神の箱庭から解放された彼らは、これから迫り来るであろう「真の追跡者」との最終決戦を前に、この短くも尊い平和な時間を、全力で噛み締めていた。


2. 瓦礫の街の復興、幽霊騎士の建築学

その日の午後。

自由都市の建設現場は、昨日までの「防衛拠点」としての殺伐とした空気を脱ぎ捨て、本格的な「人々の住まう街」としての復興作業へとシフトしていた。


「そこの資材、第三区画の居住テントへ運んでくれ! アリア師長、負傷者の移送状況は!」

「重傷者は地下遺跡の涼しい部屋へ移しました! 軽傷者はもうハンマーを握って手伝ってくれてます!」


ジーグ将軍の的確な指示の下、兵士たちが汗を流している。

その建設現場の中央で、一際異彩を放つ活躍を見せている者がいた。カイルである。


「……よし。この角度なら、崩れた石柱を再利用して、強固なアーチが作れますね」


カイルは、宙に浮いたまま、巨大な石のブロックを『光の神盾』の応用で持ち上げ、パズルのように正確に組み上げていた。

物理的な肉体を持たない半霊体の彼は、疲労を感じず、重力の影響も受けない。自身の魔力を物理的な力場に変換することで、数十人の屈強な兵士がかりでなければ動かせないような瓦礫を、一人で軽々と運搬・加工していたのだ。


「す、すげぇ……。カイル様、まるで生きた起重機クレーンだぜ……」

ゴランが、口をぽかんと開けて見上げている。


「カイルー! こっちの木材の切り出しもお願いできる!?」

リオナが、図面を抱えながら手を振る。

「はい、すぐに向かいます! リオナ様、その図面の基礎構造、少し魔力耐性が弱いかもしれません。後で僕が光のくさびを打ち込んでおきましょう」

カイルは、光の粒子となってフワリと移動し、リオナの元へ降り立った。


「ふふっ。カイルってば、戦うだけじゃなくて建築の才能もあったのね。王都の専属建築家になれるわよ」

リオナが、カイルの生身の左腕にギュッと抱きつく。


「騎士たるもの、城の構造を理解しておくのも防衛の基本ですから。……それに、貴女が安心して暮らせる街を、この手で作れるのは光栄です」

カイルの青い瞳が、優しく細められる。


触れられない光の右半身と、温かい生身の左半身。

不完全な体になっても、カイルは決して悲観することなく、その力を「愛する者たちの明日」を作るために惜しみなく使っていた。


一方、その光景を日陰からジト目で睨んでいる者がいた。


「……チッ。半分幽霊の野郎、すっかり街の人気者になりやがって。あんな便利屋みたいな真似、俺のプライドが許さねぇぜ」

ハクが、瓦礫の山に寝転がりながら悪態をつく。


「あら。ひがまないの。あんただって、さっきからその影で、崩れそうな壁をこっそり支えてあげてるじゃない」

シオンが、ハクの頭をポンと小突いた。


見れば、ハクの足元から伸びた無数の黒い影が、建設中の防壁の基礎部分に絡みつき、セメントが乾くまでの間、強引に形を維持する「支柱」の役割を果たしていたのだ。


「……う、うるせぇ! これはただの暇つぶしだ! 俺の影は本来、神の光すら噛み砕く最強の牙なんだぞ! こんな土木作業に使うなんて……」

顔を真っ赤にして言い訳するハクに、シオンはクスクスと笑い声を上げた。


「ええ、分かってるわ。私の最強の騎士殿。……でも、たまにはこういう地味な仕事も悪くないでしょ? 誰かを殺すためじゃなく、誰かを生かすために力を使うって」

シオンの優しい言葉に、ハクは「ケッ」とそっぽを向いたが、その影の支柱は、さらに太く、強固に防壁を支え始めた。


3. 泥ネズミたちのバザール、毒娘の処方箋

地上で華々しい復興作業が進む裏側で。

古代闘技場の地下遺跡では、夜国の残党たるゼッカ率いる『泥ネズミ』たちが、彼らなりのやり方で新しい世界に適応しようとしていた。


「いらっしゃいませー! どんな傷も一発で治る特製軟膏、今なら特別価格ですよ!」

毒娘のニムが、地下広場に設営されたバザールで、声を張り上げていた。


天使の襲来によって一時は避難所となった地下遺跡だが、脅威が去った今、ここは再び商人や裏稼業の者たちが集まる『闇市』として機能し始めていた。

ニムの店の前には、昼国の兵士や、避難してきた近隣の村の住人たちが、行列を作っている。


「嬢ちゃん、この薬、本当に効くのか? 昨日の天使の光の余波で、腕の感覚が麻痺しちまっててな……アリア先生の治癒魔法でも、完全に痛みが引かないんだ」

年老いた昼国の退役軍人が、不安そうにニムに尋ねた。


「任せてください! 天使の光は『魔力の概念消去』だから、普通の治癒魔法じゃ神経の繋がりまで修復できないんです。でも、私のこの薬は、夜国の『魔獣の神経毒』を極限まで薄めて、逆に神経細胞を活性化させるショック療法を取り入れてるの!」

ニムは、緑色のドロドロとした軟膏を、老人の腕にたっぷりと塗り込んだ。


「ひぃっ!? 熱い! なんだこれ、腕が燃えるように……あ、あれ?」

老人が驚いて腕を振る。すると、先ほどまでの麻痺が嘘のように消え去り、指先までしっかりと力が入るようになっていたのだ。


「おおぉっ! 動く! 指が動くぞ! あんた、毒娘なんて呼ばれてるが、本当はすげぇ名医なんじゃないのか!?」

老人が涙を流して感謝する。


「えへへ……。名医だなんて、そんな……」

ニムは、顔を真っ赤にして照れくさそうに頭を掻いた。

十五年間、彼女の作った薬は、人を苦しませ、殺すためだけに使われてきた。彼女の才能が、純粋に「誰かの痛みを和らげる」ために感謝されたのは、これが初めての経験だった。


「……ふん。調子に乗るなよ、ニム。我々はあくまで裏の商人だ。善人ぶるのも大概にしておけ」

店の奥で、帳簿をつけていた元・副長ゼッカが、義眼を光らせて冷たく言い放つ。


「もう、ゼッカ先生は素直じゃないんだから! 先生だって、さっきからお客さんにこっそり値引きしてあげてるじゃないですか!」

ニムが膨れっ面で言い返すと、ゼッカは「……それは、リピーターを獲得するための先行投資だ」と、苦しい言い訳をして視線を逸らした。


「ゼッカ先生! 表のジーグ将軍から、依頼の品が届きましたぜ!」

影潜りのカエレンが、大きな麻袋を担いで地下へ降りてきた。


「ご苦労。……中身は確認したか?」

「へい。周辺地図の最新コピーと、各村の避難状況をまとめたリストです。将軍の野郎、俺たち泥ネズミの情報網を完全にアテにしてやがりますね」


ゼッカは、麻袋から羊皮紙の束を取り出し、目を通した。

「……我々が地下の流通を牛耳る代わりに、表の光(治安維持)は彼らが担う。互いの利害が一致しただけの、ビジネスライクな関係さ。……カエレン、このリストを元に、まだ孤立している避難民の村へ『物資と手紙』を届ける手配をしろ」


ゼッカの指示に、カエレンはニヤリと笑った。

「了解です。……運び屋には、とびきり威勢のいいコンビを見つけておきましたぜ」


4. 国境を越える手紙、かつての敵と味方

その日の午後、自由都市の入り口。

一台の大きな荷馬車が、出発の準備を整えていた。荷台には、ニムが調合した薬品や、昼国軍の備蓄食料、そして、ジーグ将軍とリオナの名前で書かれた『自由都市への避難勧告と安全宣言』の手紙が大量に積まれている。


「よし、荷物の固定は完璧だ! 頼むぜ、相棒!」

荷馬車の御者台で手綱を握っているのは、昼国の荷馬車乗りである青年、トビーだった。

彼は、昨日の防衛戦で酸の傷を負いながらも生き延び、今ではすっかり元気を取り戻していた。


「おいおい、トビー! 荷馬車はいいが、護衛の準備はできてんのか? 俺の可愛いハウンドちゃんたちは、腹が減ると機嫌が悪くなるからな!」

荷台の横で、二頭の小柄なキメラ・ハウンドを撫で回しているのは、夜国の魔獣使い助手だった少年、ルックである。


「バカ言えルック! お前のその変な犬っころに、俺の大事な食料を食わせるんじゃねぇぞ! 護衛なら、俺のこの自慢の槍捌きで十分だ!」

トビーが胸を張る。

「ハッ! 昨日の天使の攻撃で、一番最初に腰抜かしてチビりそうになってたのはどこの誰だよ!」

「う、うるせぇ! あれは不可抗力だ!」


昼国の御者と、夜国の魔獣使い。

かつてなら絶対に交わることのなかった二人が、今、一つの任務のためにコンビを組み、軽口を叩き合っている。


「……随分と楽しそうね、あなたたち」


そこへ、ミッドナイトブルーのドレスコートを翻し、シオンが歩み寄ってきた。後ろには、相変わらず不機嫌そうな顔をしたハクが続いている。


「あ、シオン様! ハク兄貴!」

ルックとトビーが、慌てて姿勢を正す。


「今回の配達任務。……周辺の村には、まだ天使の残党や、狂った魔獣が徘徊している可能性があるわ。……本当に、あなたたち二人だけで行く気?」

シオンが、少し心配そうに尋ねる。


「はい! 俺たち、昨日の戦いで命を拾いました。殿下やシオン様が作ってくれたこの平和を、今度は俺たちの手で、まだ怯えている人たちに伝えたいんです!」

トビーが力強く答える。


「それに、俺のハウンドがいれば、魔獣の気配はすぐに察知できます! 危険な戦闘は避けて、確実に手紙と物資を届けてみせますよ!」

ルックも、胸を張ってキメラ・ハウンドの頭を撫でた。


シオンは、二人の少年の決意に満ちた瞳を見つめ……やれやれと息を吐きながら、微笑んだ。

「……そう。なら、好きにしなさい。ただし、絶対に無茶はしないこと。手紙より、あなたたちの命の方が大事なんだからね」


「へへっ、分かってますよ! それじゃあ、行ってきまーす!」


トビーが手綱を鳴らし、荷馬車がゆっくりと動き出す。ルックの操るキメラ・ハウンドが、その周囲を警戒するように走り出した。

二人の若者が、国境を越え、光と闇の境界線を消し去るための希望の旅へと出発したのだ。


「……あいつら、大丈夫ですかね」

ハクが、遠ざかる荷馬車を見送りながら呟く。


「心配なら、こっそり後をつけて護衛してくれば? あなたの影なら、誰にもバレずに動けるでしょ」

シオンがからかうように言うと、ハクは「ケッ」と顔を背けた。

「誰がガキのお守りなんかするかよ。俺はてめぇの護衛で手一杯だ」


「あら、私は一人でも十分強いわよ。……でも、そうね。少しだけ、あの子たちの勇気を見守ってあげましょうか」

シオンは、ハクの腕に自分の腕を絡ませ、歩き出した。

「ほら、行くわよ。……平和な世界のお散歩の続きよ」

「チッ、しょうがねぇな。……歩幅合わせろよ、シオン」


二人の影が、西日を浴びて、ゆっくりと荒野へ向かって伸びていった。


5. 届けられた希望、氷解する境界線

数日後。

トビーとルックの荷馬車は、自由都市から数十キロ離れた、谷間の小さな村に到着していた。


そこは、十五年間の戦争の最前線に位置し、昼国と夜国の両方から見捨てられた「難民」たちが隠れ住む、貧しく荒れ果てた村だった。


「……おい、誰か来たぞ!」

「昼国の軍服だ! それに、夜国の魔獣もいるぞ!? な、なんだあいつら!」


村の入り口に、警戒した村人たちがくわや錆びた剣を持って集まってくる。彼らの顔には、深い疲労と、見知らぬ者への強い恐怖が刻み込まれていた。


「待ってくれ! 俺たちは敵じゃない! 攻撃する意志はないんだ!」

トビーが、慌てて荷馬車を止め、両手を高く上げて御者台から飛び降りた。

ルックも、キメラ・ハウンドに「お座り」をさせ、敵意がないことをアピールする。


「敵じゃないだと? 昼国の兵士と夜国の魔獣使いが、一緒にいるなんてあり得ない! 俺たちを騙して、奴隷として連れ去る気だろう!」

村の長老らしき男が、震える声で怒鳴る。


「違うんだ! 嘘じゃない、戦争は……光帝と闇御門の支配は、終わったんだよ!」

トビーが、必死に叫ぶ。


「終わった……?」

村人たちが、信じられないというように顔を見合わせる。


「ああ! 昼国も夜国も関係ない、誰でも安全に暮らせる『暁の自由都市』ができたんだ! 俺たちは、その知らせと、支援物資を届けに来たんだよ!」

ルックが、荷馬車の幌を開け、中に積まれた大量の食料と、ニムの作った薬の箱を見せた。


「ほ、本当に……食い物だ。それに、薬も……」

村人たちの敵意が、徐々に戸惑いへと変わっていく。


トビーは、懐からシオンとリオナの連名で書かれた『手紙』を取り出し、村の長老に手渡した。


長老は、震える手でその手紙を受け取り、ゆっくりと読み上げ始めた。


『――すべての、明日を生きる人々へ。

長く苦しい、黄昏時の戦争は終わりました。光帝の狂気も、闇御門の恐怖も、もう皆さんを脅かすことはありません。

私たちは、昼と夜の境界線を無くし、誰もが手を取り合える新しい街を創りました。

もし、まだ暗闇の中で震えているのなら、どうか顔を上げてください。私たちの街は、いつでも皆さんを歓迎します。

……第一皇女リオナ・ヴァン・アストラル。

……そして、元・神穿鴉シオン』


手紙を読み終えた長老の目から、大粒の涙が溢れ出した。


「神穿鴉……あの、恐ろしい死神が……我々に、希望の手紙を……?」

長老は、その場に泣き崩れ、手紙を胸に抱きしめた。

「おお……おおぉぉっ! 戦争が、終わった! 俺たちは、もう怯えなくていいんだ!!」


村人たちも、次々と武器を投げ捨て、抱き合って歓喜の声を上げ始めた。

ある者は涙を流し、ある者は天を仰いで祈り、ある者はトビーとルックの手を力強く握りしめた。


「ありがとう……! 本当に、ありがとう!! 若い衆、お前たちは俺たちの救世主だ!」

「俺たちも、自由都市へ行く! 家族を連れて、新しい街へ!」


トビーとルックは、村人たちに感謝され、泥だらけの顔を見合わせて、照れくさそうに笑い合った。


「……大成功だな、相棒」

「ああ! やっぱり、この世界はもう変わったんだ!」


昼国の御者と、夜国の魔獣使い。

かつての敵同士が届けたその一枚の手紙は、冷え切っていた人々の心を溶かし、国境という見えない壁を完全に破壊したのだ。


そして、その感動的な光景を、村外れの小高い崖の上から、静かに見下ろしている二つの影があった。


「……どうやら、お守りは必要なかったみたいね」

シオンが、風に髪を揺らしながら、優しく微笑んだ。


「ケッ。あいつら、村人にちやほやされてすっかり調子に乗りやがって。帰ったら広場の掃除百周の刑だな」

ハクが、腕を組んで悪態をつく。


「ふふっ。いいじゃない。あの子たちが笑っているのを見ると、私たちが戦った意味があったんだって、心から思えるわ」

シオンは、自分の右手を見つめた。

血で汚れ、数え切れない命を奪ってきたこの手が、今は、誰かの希望を繋ぐ手紙を書くことができたのだ。


「……シオン。てめぇは本当に、立派になったな」

ハクが、珍しく真面目な声で言った。

「前は、自分の生きる意味しか見えてなかったくせに。……今は、この世界全部を抱え込もうとしてやがる」


「あら、褒めてるの? それとも呆れてるの?」

「両方だ。……てめぇが世界を抱え込むなら、俺はてめぇの足元が崩れねぇように、全力で影の土台になってやるよ」


ハクの不器用な誓いに、シオンは嬉しそうに目を細め、ハクの肩にコテンと頭を乗せた。


平和な空の下、二人はいつまでも、人々の歓喜の輪を見守っていた。


6. 次元の不協和音、忍び寄る追跡者の影

しかし。

彼らが享受しているこの美しく尊い平和は、宇宙の理からすれば、許されざる『バグの温床』に過ぎなかった。


その日の夕暮れ。

自由都市への帰路についていたシオンとハクは、荒野の真ん中で、奇妙な現象に遭遇した。


「……ん?」

シオンが、足元に咲いていた一輪の小さな黄色い花に目を留めた。

荒れ果てた黄昏時の大地に、初めて根を下ろした、生命の息吹の象徴。

シオンは微笑んで、その花にそっと指先を伸ばそうとした。


しかし、シオンの指が触れる直前。


ジジッ……!!


その黄色い花が、まるで水面に落ちた波紋のように、一瞬だけ不自然に『ブレた』のだ。

そして、物理的な花びらの質感が消え失せ、緑色の無機質な『デジタルワイヤーフレーム(多角形の線画)』のような状態に変換され――次の瞬間には、元通りの花に戻っていた。


「……え?」

シオンが、指を引っ込め、驚愕に目を見開く。


「おいシオン、どうした? 急に立ち止まって」

ハクが振り返る。


「……今。この花が、一瞬だけ……」

シオンは、自分の目を疑った。疲労のせいか? 幻覚か?

いや、違う。前世の記憶――大魔導士としての科学と魔法の知識が、今の現象の正体を正確に警告していた。


『空間のテクスチャの剥離』。

この世界(箱庭)を構成しているシステムの一部が、外部からの強烈なハッキング干渉によって、一時的にバグを起こしたのだ。


「……ハク。急いで街に戻るわよ」

シオンの声が、氷のように冷たく、張り詰めたものに変わった。


「あァ? なんだよ急に。敵の気配なんてどこにも……」

ハクが文句を言おうとした、その時。


ジジジジジジッ!!!


今度は花だけではない。

彼らの周囲数十メートルの荒野の景色が、一斉にノイズ音を立ててブロック状にモザイク化し、現実の風景と、無機質なデジタルのグリッド空間が、激しく明滅して混ざり合い始めた。


「なっ!? なんだこりゃあ!? 大地が……景色が、バグってやがる!!」

ハクが、自身の足元の影を広げて警戒するが、影そのものもノイズに侵食され、四角いピクセルのように崩れていく。


「……次元の壁をこじ開けて、直接この世界に干渉してきているのよ!!」

シオンが、魔剣『雷月』を抜き放ち、周囲の空間を睨みつける。


ノイズの中心。

空間がデジタルに引き裂かれた裂け目から、ゆっくりと、一つの影が姿を現した。


それは、天使のような純白の光体ではない。

黒いロングコートに身を包み、顔の部分には何ものっぺらぼうの『仮面』を被った、人間と同じサイズでありながら、圧倒的に異質な存在感を放つ者。


前世の記憶の中で、シオンとリオナの魂を引き裂いた、神の猟犬。

――『追跡者チェイサー』。


『……ターゲット・特異点アルファ(シオン)。座標特定、ロックオン。……コレヨリ、箱庭ノ強制初期化リセットヲ伴ウ、対象ノ完全消去デリートヲ実行スル』


仮面の奥から、一切の感情を排した、機械的な合成音声が響く。


「……来たわね。前世の、嫌なストーカー野郎」

シオンが、紫金の雷を限界まで高め、追跡者に向かって剣を構える。


「ハッ! 神様の使いっ走りが、一人でノコノコやってきたのか? 舐められたモンだぜ。俺が秒で噛み砕いてやるよ!!」

ハクが、ノイズに侵食されながらも、影の顎を巨大化させて咆哮する。


『……警告。特異点ノ抵抗確率、99%。……ヨッテ、第一段階トシテ、対象ノ精神的支柱エラー・コードヲ、優先的ニ破壊スル』


追跡者が、黒いコートの袖から、自身の腕ではなく、無機質な『銃』のようなデバイスを取り出し、ゆっくりとシオンに向けた。


「シオン! 危ねぇ!!」

ハクが、シオンを庇うように前に飛び出す。


『……射程圏内。対象・エラーコード「ハク」。……存在ノ書き換え(オーバーライト)、開始』


追跡者の銃口から放たれたのは、破壊の光線ではなかった。

それは、目に見えない『データの書き換えプログラム』。


「オラァッ!!」

ハクが影の腕でそれを防ごうとした瞬間。

プログラムは影を完全に透過し、ハクの胸の奥――彼の精霊獣としてのコアに、直接突き刺さった。


「ガ、アァァァァァァァァァァッ!!!」


ハクの口から、かつてないほどの凄絶な絶叫が上がった。

「ハク!?」


シオンが慌てて駆け寄ろうとするが、ハクの体から放たれる凄まじい魔力のノイズに弾き飛ばされる。


ハクの首筋に刻まれていた『呪いの刺青』が、毒々しい赤色に発光し、彼の全身の皮膚を侵食していく。

漆黒の髪が白く抜け落ち、人間の姿を保っていた肉体が、内側からボコボコと異様に膨張し、かつての巨大な精霊獣――いや、それよりもさらに禍々しい、理性を完全に失った『殺戮の獣』の姿へと、強制的に書き換え(オーバーライト)されていく。


「やめろ……! 身体が、俺の心が……! シオ、ン……逃げ、ろ……ッ!!」

ハクが、残された最後の人間としての意識で、血の涙を流しながら叫ぶ。


「ハク!! ハクゥゥゥッ!!」


シオンの絶叫が、バグに侵食された黄昏の荒野に虚しく響き渡る。

束の間の平和な閑話は、最悪の形で強制終了させられた。

次元を越えて現れた真の敵『追跡者』によって、最も信頼する騎士を狂わされたシオン。

物語は、決定的な転換点となる、最終局面へと雪崩れ込んでいく――。

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