表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
境界の双子〜二つの雷鳴が響くとき〜  作者: ユーディ
第三章 暁と黄昏の微睡み、新しき世界
35/53

第三章6 『宴の夜、交わされる盃と影の告白』

明るい笑い声が響く一方で、特異点たる四人の若者たちの心には、夕暮れに見た「天の亀裂」の影が静かに落ちていました。人間になった獣の孤独、幽霊となった騎士の誓い、そして運命に抗う姉妹の覚悟。

平和な微睡みの頂点であり、同時に次なる絶望(創造神の襲来)への静かなるカウントダウン。

1. 篝火の狂騒、交ざり合う光と闇

パチッ、と爆ぜる薪の音が、夜空に吸い込まれていく。

『暁の自由都市』の中央広場――かつては昼と夜の軍勢が血で血を洗う死闘を繰り広げた古代闘技場の跡地は、今夜、これまでにない熱気と喧騒に包まれていた。


「さあ野郎ども! 今夜は無礼講だ! 光帝のクソジジイも、闇御門のヒョロガリも、俺たちの明日を奪うことはできなかった! 俺たちの勝利と、新しい街の誕生に……乾杯だァァァッ!!」


木樽の上に立ち上がり、巨大なジョッキを天に掲げて咆哮したのは、昼国の近衛騎士団長ジーグである。

彼のその掛け声を合図に、広場を埋め尽くす数千人の兵士たちから、地鳴りのような歓声が沸き上がった。


「「「乾杯ィィィッ!!!」」」


ガチン、ガチンと、あちこちで木や鉄のジョッキがぶつかり合う音が響く。

そこにあるのは、純白の鎧を着た昼国の兵士と、黒い外套を羽織った夜国の残党たちという、数日前までは絶対にあり得なかった組み合わせだった。


「おい夜国の兄ちゃん! お前ら、いっつもこんな度数の高い酒ばっかり飲んでんのか!? 喉が焼けるぞ!」

昼国の重盾兵ゴランが、顔を真っ赤にして咳き込む。

「ヒャハハ! 光のお坊ちゃんたちには刺激が強すぎたか? これは『泥殺し』って言ってな、寒い夜を越すためのガソリンみたいなモンさ!」

夜国の情報屋カエレンが、得意げに自分のジョッキを煽る。


広場の中央には、巨大な猪型の魔獣(昨日ハクが狩ってきたものだ)の丸焼きが豪快に回され、その横では治癒術師のアリアと毒娘のニムが、なぜか意気投合して大鍋でスープを煮込んでいる。

「ニムちゃん、そこの香草を取ってくれる? あ、その紫の小瓶は絶対に入れないでね!」

「わかってるってばアリアお姉ちゃん! これは食後の胃薬用に調合してるだけだもん!」

光の治癒魔法と、闇の毒物調合。相反する技術を持つ二人の少女が、味見をしながら笑い合っている光景は、この新しい世界の象徴のようだった。


その狂騒の渦から少し離れた、見晴らしの良い特等席。

美しいミッドナイトブルーのドレスコートに身を包んだシオンは、手渡された果実水のグラスを傾けながら、その光景を静かに見下ろしていた。


「……信じられないわね。ついこの間まで、お互いの喉笛を噛み千切ろうとしていた連中が、肩を組んで酒を飲んでるなんて」

シオンが呟くと、隣に座っていた第一皇女リオナが、純白のドレスの裾をふわりと揺らして微笑んだ。


「でも、これが本当の人間の姿なんだと思うわ。……お父様たちみたいに、誰かを憎むように仕向けられなければ、人はこうして笑い合えるのよ」


リオナの白銀の瞳には、篝火の温かい光が反射してキラキラと輝いている。

シオンは、そんな妹の横顔を見て、小さく息を吐いた。


「そうね。……でも、この平和がいつまで続くか。夕暮れに見たあの『眼』……思い出すだけで、胃の奥が冷たくなるわ」

シオンの言葉に、リオナの表情も少しだけ引き締まった。


「創造神。……私たちの前世を罰して、魂を二つに割った存在。……きっと、この世界が一つになることを、あのシステムは許さないわ」

「ええ。でも、もう二度と引き裂かせはしない。神がルールだと言うなら、私たちがそのルールごと宇宙を叩き斬るだけよ」

シオンは、傍らに置いた魔剣『雷月』の柄を撫でた。


「お二人とも。せっかくの宴の席で、そんな難しい顔をしないでください」


ふわりと、温かい光を伴って現れたのは、半霊体の聖騎士カイルだった。

彼は生身の左手に、色鮮やかなフルーツが盛られた木皿を持っている。

「リオナ様、シオン様。アリア殿が、お二人のために特別に切り分けてくれました。甘くて美味しいですよ」


「わあ、ありがとうカイル!」

リオナが嬉しそうにフルーツを受け取る。


「……カイル。あなた、その体で大丈夫なの? 夕暮れに、あの眼とリンクして暴走しかけてたじゃない」

シオンが鋭い視線を向けると、カイルは困ったように微笑んで、自身の光の右胸を押さえた。


「ご心配をおかけしました。ですが、もうあの『黒い繋がり』は完全に断ち切られています。……今の僕は、純粋な光の半霊体です。リオナ様の傍にいる限り、魂が揺らぐことはありません」

カイルの言葉に嘘はないようだったが、彼の青い瞳の奥には、神の恐ろしさを直接魂で触れてしまった者特有の、拭いきれない警戒の色が潜んでいた。


「そう。ならいいけど……無理はしないでね」

シオンがフルーツを一つ口に放り込んだ、その時。


「――オラァァァッ! 次の樽持ってこい! 昼国の連中、だらしねぇぞ!!」


広場の中央から、一際大きな怒号が響いた。

見れば、人化した精霊獣ハクが、木樽のジョッキを両手に持ち、ゴランやレオンハルトたち昼国の屈強な騎士たちを相手に、豪快な飲み比べ勝負を繰り広げているではないか。


「ちょっ……あいつ、昨日お酒に弱くてぶっ倒れてたはずよね!?」

シオンが目を丸くする。


「ええ……。どうやら『人間の内臓におけるアルコール分解』という機能に、彼の中の精霊獣の魔力が適応してしまったようで。……今は、どれだけ飲んでも酔わない、底なしの酒豪に変異してしまったみたいです」

カイルが、やれやれと肩をすくめた。


「ガハハハ! ハク兄貴! さすがっス! 俺たち親衛隊は一生ついていきます!!」

レオンハルトが、完全に出来上がった顔でハクの肩を組んでいる。

「だから誰が兄貴だ! 気安く触んじゃねぇ、噛み殺すぞ!」

ハクは悪態をつきながらも、注がれた酒を次々と胃袋に流し込んでいる。


「……馬鹿犬が。人間の体に順応するのはいいけど、変なところばかり吸収してるじゃない」

シオンは呆れ顔でため息をついたが、その唇には微かな笑みが浮かんでいた。


2. 裏の頂上会談、騎士と暗殺者の杯

若者たちが束の間の平和を享受している一方で、宴の喧騒から少し離れた闘技場の地下通路の入り口では、静かな、しかし極めて重要な「会談」が行われていた。


「……随分と豪快な飲みっぷりだな。光の国の騎士様は、もっと上品にワインでも嗜むものだと思っていたが」


闇の中から、音もなく姿を現したのは、元・夜国軍副長のゼッカだった。

彼の義眼が、岩の上に腰掛け、一人で強い蒸留酒を煽っている男――昼国近衛騎士団長ジーグを捉える。


「上品なワインなど、王宮の腐った貴族どもの飲み物だ。血と泥に塗れた戦場には、喉が焼けるような安酒の方がよく似合う」

ジーグは、ゼッカの姿を見ても驚く様子はなく、傍らに置いてあったもう一つの木樽のジョッキを、ゼッカの方へ無造作に放り投げた。


パシッ、とゼッカがそれを受け取る。

「……これはどういう風の吹き回しですか、将軍。表の世界の指導者が、私のような地下の泥ネズミと二人きりで酒を飲むなど」

ゼッカは、ジョッキの中の酒の匂いを嗅ぎながら、警戒を緩めずに尋ねた。


「簡単なことだ。私は、お前たちの『力』を評価している」

ジーグは、星空を見上げながら静かに語り始めた。


「昨日の防衛戦。お前たちが地下から放ったあの『毒』がなければ、我々は二つの要塞の熱波に焼かれて全滅していただろう。……正面からの正義だけでは、民は守れん。私は光帝の狂気を目の当たりにして、その痛いほどの真実を学んだ」


ジーグは、鋭い眼光をゼッカに向けた。

「ゼッカ。お前たちがこの地下遺跡に新たな拠点を築き、闇の流通バザールを牛耳ろうとしていることは分かっている。……私は、それを黙認する」


「……ほう」

ゼッカの義眼が、興味深げに点滅した。


「その代わり、この『暁の自由都市』への外敵からの侵入、および王都からの討伐軍の動きなど、裏の情報を全て我々に提供しろ。……表の光は私が守る。裏の闇は、お前たちが仕切れ。シオン殿とリオナ殿下が切り拓いてくれたこの街を存続させるためには、清濁併せ呑む覚悟が必要だ」


かつて、光帝の教えを絶対とし、異端を徹底的に排除してきた最強の騎士。

その彼が、自らの正義の形を歪めてでも、生き残るための「共存」を暗殺者に持ちかけているのだ。


ゼッカは、しばらく無言でジーグを見つめ……やがて、喉の奥で低く笑った。


「……ククッ。ハハハハ! 素晴らしい。脳まで筋肉と信仰でできていると思っていたが、貴方は想像以上に『王』の器があるようだ」

ゼッカは、ジョッキを高く掲げた。

「いいでしょう。我々泥ネズミは、泥ネズミなりのやり方で、この街の根に巣食う害虫を駆除してさしあげましょう。……我々の命を繋いでくれた、あの恐ろしくも美しい『紫金の修羅シオン』への、ささやかな恩返しとして」


ガチン、と。

表の光を統べる将軍と、裏の闇を牛耳る暗殺者のジョッキが、地下の入り口で密かに交わされた。

この夜の密約が、後に襲来する『天使の軍団』との絶望的な市街戦において、自由都市の命運を分ける最大の防衛線へと成長していくことを、今はまだ誰も知らない。


3. 半霊体の境界線、触れられない温もり

宴が中盤に差し掛かり、冷たい夜風が荒野を吹き抜け始めた頃。

カイルは、喧騒から少し離れた崩れた石壁の上に座り、一人で夜空を見上げていた。


(……空の亀裂は、完全に塞がっている。だが、あの眼は確かに僕たちを『特異点』と呼んだ)


カイルは、自身の右半身――淡く光る白銀の霊体を見つめた。

夕暮れ時、創造神の眼とリンクしてしまった際、彼は強烈な『初期化』の意思を感じ取った。この世界に存在する「光と闇の理」から逸脱した姉妹、そして人間から半霊体へと変異した自分。

神の箱庭において、自分たちは許されざるバグ(異常数値)なのだ。


「……僕の命が、あとどれくらい持つのか。……いや、そんなことはどうでもいい。ただ、彼女の笑顔が守れるなら」

カイルが静かに呟いた、その時。


「カイル。こんなところで一人で何してるの?」


背後から、純白のドレスをふわりと揺らして、リオナが歩み寄ってきた。

手には、温かい湯気を立てるスープの入った木皿を二つ持っている。

「夜風が冷えてきたから。はい、アリア特製の薬膳スープよ。……あ、ごめんなさい、カイルは食べられないんだったわね」

リオナはハッとして、申し訳なそうに眉を下げた。


「お気遣いありがとうございます、リオナ様。……ですが、貴女が僕のためにそれを持ってきてくださったという『想い』だけで、僕の魔力は十分に満たされます」

カイルは優しく微笑み、石壁の隣のスペースを空けた。


リオナは、カイルの左側(生身の側)にちょこんと座り、スープを一口飲んだ。

「……美味しい。お姉ちゃんとハクにも持っていこうとしたんだけど、ハクはまだ飲み比べをしてるし、お姉ちゃんはどこかに行っちゃってて」


「シオン様なら、先ほど一人で丘の方へ向かわれましたよ。ハク殿も、本当はそれを追いたかったようですが、レオンハルトたちに捕まって逃げ出せないようでした」

カイルがクスクスと笑う。


「ふふっ。あの二人、なんだかんだで息がぴったりよね」

リオナは、星空を見上げながら、カイルの生身の左手に自分の右手をそっと重ねた。


「ねえ、カイル」

「はい」

「カイルは……後悔していない?」


リオナの声が、少しだけ震えていた。

「私を庇って、こんな幽霊みたいな体になって。……ご飯の味も分からない。重いものも持てない。……私に、触れることもできない」


リオナの左手が、カイルの白銀の光で構成された右頬に、そっと伸ばされる。

しかし、彼女の指先はカイルの頬をすり抜け、ただ虚空を撫でるだけだった。

永遠の命と絶対の盾を得た代償。それは、愛する人と物理的に肌を重ね合うという、人間としての当たり前の幸福の喪失だった。


「……私、あの時、自分の命と引き換えにしても、カイルを完全な人間に戻したかった。でも、私の白銀の光は、カイルの魂を『光』として定着させることしかできなかった……。ごめんなさい、カイル」

リオナの瞳から、ポロリと一粒の涙がこぼれ、カイルの光の右腕をすり抜けて石畳に落ちた。


「リオナ様……」

カイルは、生身の左手で、リオナの頬を伝う涙を優しく拭った。

そして、彼は少しだけ真剣な表情になり、自分の光の右手を、リオナの胸の奥――心臓の鼓動が鳴る場所へと、そっと『重ねた』。


「あ……」

リオナが小さく息を呑む。

カイルの光の手は、物理的な肉体を透過し、リオナの魂に直接触れるような、不思議で、そして圧倒的な『温もり』を放っていた。


「……物理的な感触がないことは、確かに寂しいかもしれません。ですが、リオナ様。今の僕には、言葉や肌の触れ合いを介さなくても、貴女の心の痛みが、貴女の魂の震えが、直接伝わってくるんです」


カイルは、至上の愛おしさを込めて、リオナの瞳を見つめた。


「貴女が僕を想って流してくれた涙の温かさは、僕の魂を永遠に満たして余りある。……後悔など、あるはずがありません。僕は、貴女の魂の隣という、宇宙で一番特等席を手に入れたんですから」


「カイル……っ」

リオナは、カイルの生身の左胸に顔を埋め、声を上げて泣きじゃくった。

悲しみの涙ではない。カイルの深すぎる愛と、彼の強さに救われた、歓喜の涙だった。


「泣かないでください。貴女の白銀のドレスが、僕の涙で汚れてしまいます」

カイルは、生身の左腕でリオナを強く抱きしめ、そして光の右手で、彼女の背中を、魂を包み込むように優しく撫で続けた。


触れられない境界線を越えて、二つの魂が完全に共鳴する。

彼らの間には、もう言葉も、物理的な法則すらも必要なかった。


4. 影法師の憂鬱、犬と名乗る者

その頃。

喧騒から遠く離れた星降る丘の頂上では、ミッドナイトブルーのドレスを着たシオンが、一人で膝を抱えて夜空を眺めていた。


「……また、一人でこんな暗いところにいやがって」


背後の草むらを踏みしめる音と共に、酒の匂いを微かに漂わせたハクが現れた。


「ハク。……飲み比べは終わったの?」

シオンが振り向かずに尋ねる。

「あァ。レオンハルトの野郎が泡吹いてぶっ倒れたからな。……全く、どいつもこいつも弱すぎて欠伸あくびが出るぜ」

ハクは、シオンの隣にドカッと胡坐あぐらをかいて座った。


「そう。……人間の体には、だいぶ慣れたみたいね」

「まあな。飯の味も分かるし、酒も飲める。四つ足の頃より、できることが増えたのは確かだ。……だがよ」


ハクは、自分の足元に伸びる、濃い漆黒の『影』を見つめた。


「俺は、どう足掻いてもバケモノだ。……酒場で人間どもと笑い合ってても、心のどこかで『俺はこいつらとは違う』って、冷めてる自分がいるんだよ」

ハクのしゃがれた声には、珍しく弱気な響きが混ざっていた。


「……俺は、精霊獣の死骸から生まれた『呪いの塊』だ。てめぇの絶望を喰って、無理やり人間の形を保ってるだけの、空っぽの影法師だ」


ハクは、自身の首筋に刻まれた禍々しい呪いの刺青を、自嘲気味に指でなぞった。


「てめぇは仮面を外して、リオナっていう家族を取り戻して、人間の女の子に戻れた。……あの半分幽霊カイルも、体が透けてようが、元々は立派な人間の騎士だ。……俺だけが、魂の根本がバケモノなんだよ」


ハクの紫の瞳が、悲しげに揺れる。

「なぁ、シオン。……てめぇが絶望から抜け出して、誰かを恨むことも、泣きながら俺に縋ることもなくなった今。……俺という『影』は、てめぇの隣にいて、一体何の意味があるんだ?」


それは、人間としての心を得てしまったからこそ生まれた、精霊獣としてのアイデンティティの崩壊だった。

主の絶望を喰らうことで存在を確立していた影は、主が光の中で笑うようになった時、自分の居場所を見失ってしまったのだ。


シオンは、黙ってハクの横顔を見つめていた。

そして、彼女はゆっくりと手を伸ばし――ハクの頬を、思い切りつねった。


「いっ!? っってぇ!! 何しやがるシオン!!」

ハクが涙目でシオンを睨みつける。


「痛いんでしょ? ……なら、あなたは空っぽの影法師なんかじゃないわ」

シオンは、つねった手を離し、今度はハクの大きな両手を、自分の両手でしっかりと包み込んだ。


「ハク。あなたが私の絶望を喰ってくれたから、私は今、ここで息をしているの。……あなたが、私を一人にしなかったから、私は人間としての心を取り戻せた」


シオンの紫の瞳が、ハクを真っ直ぐに射抜く。

「私はもう、絶望の味はさせないわ。あなたを呪いで満たすような真似もしない。……でもね、私には、まだあなたが絶対に必要なの」


「……なんでだよ。てめぇはもう、一人で歩けるくらい強いだろ」

ハクが、顔を赤らめながら視線を逸らす。


「強いかもしれないわ。でも……一人で歩く道は、寒くて、寂しいのよ」

シオンは、少しだけ照れくさそうに笑った。


「あなたが隣で悪態をついてくれないと、私はまた、自分が何者か分からなくなって、冷たい修羅に戻ってしまうかもしれない。……だから、ハク。私の『影』じゃなくていい。私の『家族』として、対等な人間として、これからもずっと、私の隣を歩いてちょうだい」


家族。対等な人間。

その言葉は、精霊獣として生まれ、誰からも忌み嫌われてきたハクの魂に、雷のような衝撃を与えた。


「……てめぇ、本当に俺みたいなバケモノを、家族だって……」

「バケモノじゃないわ。……少し口が悪くて、お酒の飲み方も知らない、ただの不器用な男よ」

シオンが、ハクの手を優しく握りしめる。


ハクの目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。

人間の体になってから、初めて流す、熱い涙だった。


「……ッ、チクショウ……。てめぇは本当に、ズルい女だ……」

ハクは、涙を隠すようにシオンの肩に顔を埋め、大きな体で子供のように泣きじゃくった。


「……いいのよ。今日は泣きなさい。……でも、明日からはまた、私の頼もしい狼でいてね」

シオンは、ハクの漆黒の髪を、母のように優しく撫で続けた。


十五年間、互いの傷を舐め合うだけの主従だった二人が、初めて「対等な人間」として魂の契約を結び直した、美しい夜だった。


5. 天の亀裂、舞い散る純白の絶望

宴の熱気が最高潮に達し、シオンとハク、カイルとリオナが、それぞれに絆を深め合っていた深夜。

『暁の自由都市』の上空に、音もなく、ある『変化』が起きていた。


星空が、まるで薄いガラスのように、ピシリと音を立てて『ひび割れた』のだ。


「……ん?」


丘の上でハクを撫でていたシオンが、その微かな異音に気づき、ハッとして空を見上げた。

同時に、広場にいたカイルも、何か嫌な気配を感じて立ち上がった。


空の亀裂は、夕暮れに見た時よりもはるかに巨大に広がっていた。

そして、その亀裂の隙間から、月明かりとは全く違う、無機質で冷たい『純白の光』が漏れ出し始めていた。


「ハク! 泣いてる場合じゃないわ! 空が……!」

シオンが叫び、魔剣『雷月』を召喚する。

「……チッ。いい雰囲気だったのによ、無粋な神様だぜ」

ハクもまた、涙を乱暴に拭い、戦闘態勢に入る。


亀裂の中から、ふわりと、一枚の『純白の羽根』が落ちてきた。

それは、重力に逆らうようにゆっくりと舞い降り、宴の広場の中央――焚き火のすぐ傍に落ちた。


「なんだ? 鳥の羽か?」

近くにいた昼国の兵士が、不思議そうにその羽に手を伸ばした。


「ダメだ! 触るな!!」

カイルが絶叫するが、遅かった。


兵士の指先が、純白の羽根に触れた瞬間。

兵士の肉体が、まるで光に溶けるように、音もなく『消滅』したのだ。

血も、骨も、悲鳴すら残さず、ただ存在そのものが世界から切り取られたかのように、完全に。


「「「え……?」」」


広場にいた数千人の兵士たちが、一瞬、何が起きたのか理解できず、凍りついた。

しかし、上空の亀裂から、次々と『純白の光体』が降り注ぎ始めたのを見て、彼らはついに本当の絶望を理解した。


人型の光。のっぺらぼうの顔。六枚の金属的な翼。

それは、光帝の兵でも、闇御門の魔獣でもない。

世界を初期化するために『創造神』が放った、純粋な概念破壊兵器――『天使』の軍団であった。


『……目標、特異点アルファ(シオン)、ベータ(リオナ)。……コレヨリ、箱庭ノ初期化デリートヲ開始スル』


機械的なテレパシーが、全人類の脳内に直接響き渡る。


天使の一体が、手に持った光の槍を、近くのテントに向けて軽く振った。

それだけで、テントと、その中にいた数名の負傷兵が、空間ごと『消滅』した。


「う、うわぁぁぁぁっ!! なんだこいつら!! 攻撃が、物理法則を無視してやがる!!」

「逃げろ! 触られたら消されるぞ!!」

先ほどまで祝杯を上げていた広場が、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと変貌した。


「防衛陣形を取れ!! 結界を張れ!!」

ジーグ将軍が叫び、レオンハルトたちが盾を構えるが、彼らの展開した魔法結界すらも、天使の光の槍に触れた瞬間に『なかったこと』にされ、消去されていく。


「……これが、神の軍隊」

シオンは丘から飛び降りながら、その絶望的な光景に歯噛みした。


「シオン! どうする! あいつらの攻撃、俺の影でも防げるかどうか分からねぇぞ!」

ハクが並走しながら叫ぶ。


「やるしかないわ! 物理が通じないなら、魔力の根源ごと私の紫雷で断ち切る!」

シオンの魔剣が、極限まで紫金の雷を帯びる。


広場では、カイルが半霊体の神盾を展開し、リオナが白銀の雷を放って、必死に兵士たちを庇っていた。

しかし、空の亀裂からは、数百、数千という無数の天使たちが、終わりのない雨のように降り注ぎ続けている。


「……終わらせない。私たちが掴んだ明日を、こんな奴らに奪わせはしない!!」


シオンとハクが、広場の中央へ向かって飛び込む。

紫金の雷と、漆黒の影が、純白の天使たちに向かって牙を剥いた。


たった一夜の、平和な微睡みは終わった。

ここから始まるのは、前世の因縁を断ち切り、世界を箱庭から解放するための、人類と創造神の『真の最終戦争』である。

暁の星徒たちの、絶望と希望が交差する死闘の幕が、今、切って落とされたのだ。

ジーグとゼッカの「表と裏の頂上会談」、カイルとリオナの「触れられないからこそ深い愛の確認」、そしてハクの「アイデンティティの喪失とシオンによる救済」それぞれの「戦う理由(守るべきもの)」とは何か?真意が問われていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ