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境界の双子〜二つの雷鳴が響くとき〜  作者: ユーディ
第三章 暁と黄昏の微睡み、新しき世界
30/53

第三章1 『夜明け、泥だらけの朝食』

鳥のさえずりが、心地よく耳をくすぐる。

1. 暁の光と、失われた殺意


顔に当たる光は、薄暗い雷雲の隙間から漏れる刺すような寒光ではなく、柔らかな毛布のように温かな、本物の太陽の光だった。

「……ん」 

シオンは、眩しさにゆっくりと瞼を開けた。

視界に飛び込んできたのは、見慣れた漆黒の天幕の天井ではなく、白い帆布で作られた簡素なテントの天井だった。

体を起こそうとして、全身の筋肉がギシギシと悲鳴を上げる。昨日の神々との死闘――白銀と紫金の双雷を放ち、魂の限界まで魔力を使い切った代償だ。

だが、それ以上に彼女を驚かせたのは、自分の顔に『鉄の仮面』がついていないという、当たり前の事実だった。

「……そっか。終わったんだ」

シオンは、自分の白い頬に触れ、小さく呟いた。

十五年間、己の弱さを隠し、感情を殺すために被り続けてきた虚構の死神『神穿鴉』の象徴。それが無いと、なんだか顔の半分がスースーして落ち着かないような、不思議な開放感があった。

テントの外から、騒がしい声が聞こえてくる。

「おいコラ! そこは寝室区画にするって言っただろうが! 瓦礫の処理が先だ!」

「ジーグ将軍! 水源の確保ができました! これで三千人分の生活水が賄えます!」

「よし、よくやった! 次は防壁の修繕だ。ルミス殿の結界班に合流しろ!」

昼国軍の近衛騎士団長ジーグと、前衛隊長レオンハルトの怒号が響く。彼らは光帝ソルに反旗を翻し、この黄昏時の荒野に民のための避難所――『暁の自由都市』を建設すると宣言したのだ。

昨晩のうちに、昼国と夜国の生き残りたちが手を取り合い、崩壊した古代闘技場の周囲に急ピッチで野営地を設営していた。

シオンがテントの入り口から外を覗くと、朝日を浴びる荒野には、数え切れないほどのテントが立ち並び、泥だらけになった兵士たちが、信じられないほど活気のある顔で汗を流していた。

「……あ。お姉ちゃん、おはよう!」

「わっ!?」

シオンの顔のすぐ横に、ひょっこりと金色の頭が突き出された。

第一皇女リオナである。彼女は美しい白銀の鎧を脱ぎ捨て、どこからか調達してきた麻のシャツとズボンという、信じられないほど庶民的な格好をしていた。おまけに、顔には立派な炭の汚れがついている。

「な、なによその格好。……それに、顔、真っ黒よ」

「え? ほんと?」

リオナは無邪気に自分の顔を袖で擦ったが、逆に汚れが広がってしまった。

「ふふっ。今日はね、私が朝ご飯の当番なの! みんな徹夜で作業してくれたから、温かいスープを作ろうと思って!」

「……朝ご飯? あなたが?」

シオンの顔が、少しだけ引き攣った。

光の国の第一皇女として、蝶よ花よと育てられた妹である。包丁どころか、厨房に入ったことすらあるのか怪しい。

「任せて! アリアに色々教わってるから! お姉ちゃんも起きたなら、手伝って!」

リオナは有無を言わさずシオンの手を引き、テントの外へ連れ出した。


2. 修羅と皇女の、初めてのクッキング


野営地の中央に設けられた急造の野外炊事場。

そこには、巨大な鍋が三つ並べられ、治癒術師のアリアが頭にバンダナを巻き、大量の野菜を刻みながら指示を飛ばしていた。

「トビー! 火力が足りないわ、もっと薪をくべて! ゴラン! そこにある玉ねぎの皮を全部剥いてちょうだい!」

「へ、へい! 了解ですアリア師長!」

「俺、重盾兵なんですけど……玉ねぎ目に沁みるっス……」

かつての昼国の兵士たちが、エプロン姿のアリアの叱咤激励(という名の怒号)の下、見事な連携で調理を進めている。

「アリア! お姉ちゃん連れてきたよ!」

リオナがシオンの手を引いて駆け寄る。

「あら、殿……いえ、リオナちゃん。シオンさんも、おはようございます。お体の具合はどうですか?」

アリアは包丁を止め、にっこりと笑いかけた。

「ええ……まあ、死ぬほど全身が痛いけど、歩けるわ。……それより、リオナちゃんって。あなたたち、随分と打ち解けたのね」

シオンが驚いて尋ねると、アリアは少し照れくさそうに笑った。

「ここでは身分は関係ありませんから。ジーグ将軍が『自由都市』と名付けた以上、私たちも少しずつ変わっていかなきゃって」

「そうそう! だから私も、今日からただの『リオナ』! お姉ちゃんも、ただの『シオン』ね!」

リオナは嬉しそうに胸を張る。

「……まあ、いいわ。それで、私は何をすればいいの? 人を殺す以外で包丁を握るのは初めてなんだけど」

シオンの物騒なジョーク(本気半分)に、周囲の兵士たちがピクッと肩を震わせた。

「えっと……じゃあ、シオンさんはお肉を切ってもらえますか? 昨日の夜、ハクさんが周辺の森から『適当に見繕ってきた』という、謎の巨大な獣のお肉があるんですけど……」

アリアが指差した先には、丸太のような太さの、見慣れない巨大な赤身肉の塊がドンッと置かれていた。

「……ハクのやつ、また変なものを狩ってきたわね。まあいいわ。切ればいいのね」

シオンは腕まくりをして、まな板の前に立った。

包丁を手に取る。

(……軽い)

シオンは違和感を覚えた。十五年間、彼女が握ってきたのは、人の肉を断ち切り、命を奪うための重い魔剣『雷月』だけだった。

ただの野菜や肉を切るための、こんなに薄くて軽い刃物を握るのは、本当に幼い頃、母エレインの手伝いをした時以来だ。

シオンは、包丁を肉の塊に当てた。

「……ふっ!」

鋭い呼気と共に、シオンの腕がブレた。

タタタタタタタタッ!!!

目に見えぬ速さで包丁が乱舞し、巨大な肉の塊が、わずか数秒で寸分違わぬ一辺一センチの綺麗なサイコロ状に切り分けられた。

「……これでいいかしら?」

シオンが包丁を置くと、周囲は静まり返っていた。

「「「……ひぃっ」」」

ゴランやトビーたち兵士が、青ざめた顔で後ずさっている。

「す、すげぇ……剣豪の太刀筋だ……」

「あのスピードで指一本切ってないなんて……やっぱりバケモノだ……」

「お姉ちゃん、すごい! 完璧な一口サイズね!」

リオナだけが、無邪気に拍手喝采を送っている。

「……そう? なんだか、魔剣を振るうより神経を使ったわ」

シオンは少し得意げに鼻を鳴らした。普通の女の子らしいことをして褒められたという事実が、彼女の胸の奥をくすぐったのだ。

「じゃあ、次はお鍋にお野菜とお肉を入れて、味付けね! 私に任せて!」

リオナが、意気揚々と巨大な鍋の前に立つ。

「塩と……胡椒と……あ、この赤い粉も美味しそう!」

「ちょっ、リオナちゃん! それは激辛の香辛料――!」

アリアが止めるのも聞かず、リオナは謎の赤い粉を鍋に大量に投入し、さらに「隠し味よ!」と言って、紫色の怪しげな液体(夜国軍の保存食の残り)をドバドバと注ぎ込んだ。

グツグツ……ボコボコボコッ!

鍋の中身が、不気味な紫と赤のマーブル模様になり、鼻をつくような強烈な刺激臭が立ち上る。

「……リオナ。お前、何か恨みでもあるの?」

シオンが、顔を引き攣らせて鍋の中身を見下ろした。

「え? 美味しそうでしょ? 私の愛情たっぷりスープよ!」

「愛情が致死量を超えてるわよ。これ、毒娘のニムが作った麻痺毒と匂いが同じなんだけど」

シオンとリオナが鍋の前で言い争っていると、背後からあくび混じりの声が聞こえてきた。

「ふぁぁ……うるせぇな。朝っぱらからなんの騒ぎだ」

漆黒の髪を無造作に掻き乱しながら、人化した精霊獣ハクがテントから出てきた。彼はまだ寝ぼけ眼で、シャツのボタンも半分開いたままだ。

「あ、ハク! ちょうどよかった、味見してみて!」

リオナが、おたまにたっぷりと不気味なスープをすくい、ハクの口元へ突き出した。

「お? 朝飯か。気が利くじゃねぇ……ンッ!?」

ハクはスープを一口飲んだ瞬間、目を見開き、その場に棒立ちになった。

そして。

ドサッ。

ハクは白目を剥いて、地面に仰向けにぶっ倒れた。

「ハク!? ハクゥゥゥッ!?」

シオンが慌ててハクに駆け寄る。ハクの口からは、一筋の白い泡が吹いていた。

「……あれ? ハクのお口に合わなかったかしら?」

リオナがおたまを持ったまま小首を傾げる。

「あんたの味覚はどうなってんのよ! 神様をぶっ飛ばしたバケモノが、スープ一口で気絶してるじゃないの!!」

シオンの怒声が、平和な朝の野営地に響き渡った。


3. 半霊体の悩み、触れられない温もり


「……申し訳ありません、リオナ様。僕がついていながら、ハク殿を毒殺しかけるなんて」

炊事場の隅で、半霊体となった聖騎士カイルが、シュンと肩を落としていた。

彼の右半身は相変わらず白銀の光で構成されており、物理的な干渉が難しい状態にあった。

「カイルのせいじゃないわ。……私が、お料理の才能が絶望的だっただけで」

リオナも、すっかり落ち込んで項垂れている。

気絶したハクは、アリアの解毒魔法(と胃洗浄)によって事なきを得たが、彼が目を覚ますなり「あの小娘、俺を暗殺する気か!」と激怒したため、リオナの特製スープはあえなく廃棄処分となった。

「でも、カイル。体の方は大丈夫? 夜国との戦いの後遺症とか、あの……『変な眼』に繋がれた影響とかは」

リオナが、心配そうにカイルの光の右腕を見つめる。

「ええ。今のところ、黒い染みが現れるようなことはありません。この半霊体という状態にも、少しずつ慣れてきました」

カイルは、光の右手で自分の胸をトンッと叩いて見せた。

「疲労を感じませんし、魔力も常に満たされている感覚があります。……ただ、少し不便なこともありまして」

カイルは、足元に落ちていた薪を拾い上げようとした。

しかし、彼の光の右手が薪に触れた瞬間、手は薪を『すり抜けて』しまった。

「……こうして、物理的な物体に触れるには、いちいち魔力を物質化する意識を集中しなければならないんです。気を抜くと、すべてを透過してしまう」

「そっか……。それじゃあ、ご飯を食べたりするのも大変ね」

「食事は必要ないみたいです。魔力が僕の命そのものになっていますから。……ただ」

カイルは、少しだけ寂しそうな顔をした。

「……ただ?」

リオナが首を傾げる。

カイルは、リオナの泥で汚れた頬に、そっと光の右手を伸ばした。

しかし、彼の指先は、リオナの頬に触れる直前でピタリと止まった。

「……貴女の温もりを感じることが、難しくなってしまった。それが、少しだけ寂しいです」

カイルの指先が、リオナの頬を透過する。物理的な感触はない。ただ、かすかに温かい光の波動だけが、リオナの肌を優しく撫でている。

「カイル……」

リオナの胸が、キュッと締め付けられた。

カイルは、自分を守るために死の淵に立ち、そして自分のために、人間という枠組みを捨てて『半霊体』として現世に留まってくれたのだ。

永遠の命に近い存在となった代わりに、彼は「人と触れ合う」という当たり前の喜びを、半分失ってしまった。

「……いいえ」

リオナは、カイルの光の右手に、自分の両手を重ね合わせた。

「触れられなくたって、温もりは伝わるわ。カイルの光は、太陽みたいに温かいもの。……それに、私がずっと、あなたの左手(人間の手)を繋いでいるから。絶対に離さないから」

リオナが、カイルの生身の左手をギュッと握りしめる。

カイルの青い瞳が、少しだけ見開かれ、そして、蕩けるような優しい微笑みに変わった。

「……ありがとうございます、リオナ様。僕も、この左手がある限り、貴女を決して離しません」

二人は、朝日の中で静かに見つめ合った。

十五年間の戦争が終わり、身分も国境もなくなった新しい世界で。二人は初めて、純粋な『一人の男と女』として、愛を確かめ合っていた。

「……オイ。朝っぱらからイチャイチャしてんじゃねぇよ、半分幽霊」

その美しい空気をぶち壊すように、不機嫌極まりない声が響いた。

ハクである。彼は胃を押さえながら、ふらふらと歩いてきた。

「ハ、ハク! ごめんなさい、体調は……」

リオナが慌てて離れると、ハクは「ケッ」と唾を吐き捨てた。

「あの毒スープのおかげで、逆に胃がスッキリしたぜ。……それより、シオンの野郎はどこ行った? さっきまでそこにいたはずだが」

「お姉ちゃん? そういえば、見当たらないわね。……アリア、お姉ちゃん知らない?」

リオナが炊事場のアリアに声をかけると、アリアは首を横に振った。

「シオンさんなら、さっきフラッと野営地の外へ歩いて行きましたよ。なんだか、考え事でもしているような顔で……」

「野営地の外?」

リオナとカイル、そしてハクが顔を見合わせる。

黄昏時の荒野は、神々の暴風によって大半の魔獣が死滅したとはいえ、まだ安全とは言い切れない場所だ。

「……チッ。あの世話の焼けるあるじめ。ちょっと目を離すとこれだ」

ハクが舌打ちをして、野営地の外へ向かって歩き出す。

「待ってハク! 私たちも行くわ!」

リオナとカイルも、ハクの背中を追って荒野へと駆け出した。


4. 泥ネズミの闇市と、毒娘の商売


同じ頃、シオンは『暁の自由都市』の建設予定地から少し離れた、古代闘技場の地下遺跡へと足を踏み入れていた。

「……なるほど。光帝に見つからないように根を張るには、うってつけの場所ね」

シオンが独り言を呟きながら、薄暗い地下通路を歩いていく。

彼女がここに来たのは、散歩でも考え事でもなかった。ただ、ある『気配』を感じ取って、それを確かめに来ただけだ。

地下通路を抜けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。

「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 元・夜国軍の備品から、昼国軍の鎧のパーツまで、なんでも揃ってるよ!」

「傷薬はいかが? ちょっと匂いはキツいけど、傷口の腐敗は一発で止まるわよ!」

松明の光に照らされた地下の広場に、無数の小さな露店が立ち並び、雑多な人々が声を張り上げていた。

それは、昨日まで戦場で殺し合いをしていた兵士たちが作った急造の『闇市バザール』だった。

「……随分と手回しがいいわね、ゼッカ」

シオンが声をかけると、広場の奥で腕を組んでいた男――元・副長のゼッカが、義眼を光らせて振り向いた。

「おや。これは元・神穿鴉様。……このような泥ネズミの巣窟に、何か御用ですか?」

ゼッカの態度は、かつてのへりくだった副官のものではない。一人の情報ギルドの長としての、対等な口調だった。

「ただの様子見よ。ジーグ将軍たちが上で真面目に都市を作っている裏で、あなたたちが大人しくしているとは思えなかったから」

シオンが露店を冷やかすように見回す。

「でも、悪くないわね。綺麗事だけじゃ国は作れない。……あなたたちのような『裏の流通』がある方が、人はたくましく生きられるものよ」

「お褒めにあずかり光栄です。……我々も、生き残るために必死ですからな」

ゼッカが薄く笑う。

「ねえねえシオン様! 私のお薬、すっごく売れてるのよ!」

毒娘のニムが、満面の笑みで駆け寄ってきた。彼女の手には、先ほどリオナのスープに入っていたような紫色の液体が入った小瓶が握られている。

「毒の調合の逆をやれば、強い鎮痛剤や抗生物質になるって気づいたの! 昼国の治癒魔法使い(アリア)が足りないから、怪我人には私の薬が大人気なのよ!」

「……へえ。人殺しの毒娘が、今度は命を救う薬師くすし気取り?」

シオンが皮肉めいて言うと、ニムは「えへへ」と照れくさそうに笑った。

「だって、人を殺すより、感謝してお金払ってくれる方が、ずっと気持ちいいんだもん」

その素直な言葉に、シオンは少しだけ目を丸くし、そして、フッと柔らかく微笑んだ。

「……そうね。その気持ち、忘れないことね」

「シオン様! 情報なら俺に任せてくだせぇ!」

影潜りカエレンが、どこからともなく現れた。

「ここ数日、周辺の斥候に出てたんですがね……ちょっと妙な動きがありまして」

カエレンの声が、一段低くなる。

「妙な動き?」

シオンの顔つきが、修羅のそれに戻る。

「ええ。光帝ソルが撤退した東の空……王都の方角ですがね。空の色が、異常に明るすぎるんです。まるで、昼間の太陽が二つあるみたいに」

「……太陽が二つ?」

「ええ。それに、周辺の森にいる魔獣の死体が……みんな、干からびてミイラみたいになってるんですよ。まるで、魔力だけじゃなく『生命力』そのものを根こそぎ吸い取られたみたいに」

シオンの脳裏に、カイルの異変、そして空に現れた『創造神の眼』の記憶がよぎる。

(……光帝ソル。まさか、あの狂った王は、まだ何かを企んでいるの?)

「ゼッカ。カエレン。……その情報、引き続き追ってちょうだい。何か分かったら、私に直接報告を」

シオンが鋭く指示を出す。

「承知いたしました。……ですが、シオン様。我々はあくまでビジネスパートナーです。タダで情報を売るわけにはいきませんよ?」

ゼッカが、ニヤリと笑って要求する。

「分かってるわよ。……私があなたたちの『用心棒』として、裏で名前を貸してあげる。元・神穿鴉の威光があれば、周辺の野盗も寄り付かないでしょう?」

シオンの提案に、ゼッカは満足げに頷いた。

表の世界(光)で国を創るリオナとカイル。

裏の世界(闇)を束ねるシオンとハク。

十五年前、世界を引き裂いた双極の少女たちは、今、全く別の形で、新しい世界を支える『二つの柱』となろうとしていた。


5. 姉と妹、星降る丘の語らい


その日の夜。

『暁の自由都市』の野営地は、静かな寝息に包まれていた。

シオンは、テントを抜け出し、古代闘技場の跡地を見下ろす小高い丘に登った。

雲一つない夜空には、満天の星が輝いている。

十五年間、厚い暗雲に遮られて決して見ることのできなかった、本当の星空だ。

「……綺麗ね」

シオンが夜風に髪を揺らしながら呟くと、背後から足音が近づいてきた。

「お姉ちゃん。やっぱりここにいた」

リオナが、毛布を二枚抱えて丘を登ってきた。

「冷えるわよ。はい、これ」

リオナは、毛布の一枚をシオンの肩にかけ、自分も隣に座って星空を見上げた。

「……ハクとカイルは?」

シオンが尋ねると、リオナはクスクスと笑った。

「下の酒場で、ジーグ将軍たちと一緒に飲み比べをしてるわ。ハク、あんなに柄が悪いのに、意外とお酒に弱くて……カイルに介抱されてたわよ」

「馬鹿犬ね、本当に……」

シオンも苦笑いする。

二人は、しばらく無言で星空を眺めていた。

十五年間、ずっと殺し合うことしか考えられなかった二人が、こうして肩を並べて夜空を見上げている。それ自体が、奇跡のような時間だった。

「……ねえ、お姉ちゃん」

リオナが、ぽつりと口を開いた。

「あの『創造神の眼』を見た時……お姉ちゃん、何かを思い出したような顔をしてたわね。……私も、なんだか懐かしいような、すごく怖いような、不思議な気持ちになったの」

シオンは、自分の膝を抱えながら、ゆっくりと頷いた。

「……ええ。思い出したわ。私たちの、本当の始まりを」

シオンは、前世の記憶――自分たちが一つの魂を持った大魔導士であり、神に反逆して魂を割られ、この世界に転生させられたという真実を、リオナに語って聞かせた。

「私たちは、神の箱庭のバグ。……だから、あいつらは私たちを殺し合うように仕向けて、最後には消去しようとしていたのよ」

シオンの言葉に、リオナは少しだけ震え、そして、シオンの手をギュッと握りしめた。

「……そっか。私たち、元々は『一人』だったのね」

「……気持ち悪い?」

シオンが自嘲気味に笑うと、リオナは力強く首を横に振った。

「ううん。なんだか、納得したわ。……だから私、どんなにお姉ちゃんが怖い姿になっていても、どうしても嫌いになれなかったんだ。……だって、お姉ちゃんは、私自身だもの」

リオナは、シオンの肩に頭をコテンと乗せた。

「でもね、お姉ちゃん。私は、元の『一人』に戻りたくなんかないわ」

「え……?」

「だって、一人に戻っちゃったら、こうしてお姉ちゃんと手を繋ぐことも、一緒にお話することもできなくなっちゃうじゃない。……私は、『お姉ちゃんと私』っていう、今の二人がいいの」

リオナの純粋な言葉に、シオンの目から、不意に一筋の涙がこぼれ落ちた。

「……そうね。私も……お前の顔を見ながら、文句を言っている今の方が、ずっと好きだわ」

シオンは、リオナの手を握り返した。

神が定めた運命など、関係ない。

私たちは、前世の幻影じゃない。

今、ここで呼吸をして、笑い合っている、シオンとリオナという『二人の人間』なのだ。

「……お父様も、ルナ様も。そして、あの空の向こうの神様も。……必ず、私たちが終わらせる。そして、この星空の下で、今度こそ四人でゆっくりお茶を飲むのよ」

シオンの言葉に、リオナは満面の笑みで頷いた。

「うん! その時は、私が世界一美味しいケーキを焼いてあげるね!」

「……ケーキ? あなたが? ……お願いだから、毒見はハクにさせてちょうだいね」

星降る丘に、二人の姉妹の楽しげな笑い声が響く。

それは、嵐の前の静けさ。

第三章から始まる、本当の神々との死闘――『天地崩壊』の前の、短くも、愛おしい、奇跡のような微睡みの時間であった。

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