第二章8 『白銀の反逆』
白銀の雷に覚醒した妹リオナと、絶対君主たる父・光帝ソルの正面衝突。そして、姉シオンをゴミのように見下す闇御門ルナ。
両陣営の思惑と新たな狂信者たちが入り乱れる
1. 狂王の降臨、ひれ伏す絶対の正義
黄昏時の荒野。半分が吹き飛んだ古代闘技場の上空は、物理的な「暴力」を伴う光に支配されていた。
分厚い灰色の暗雲を真っ二つに引き裂き、天から突き刺さった巨大な黄金の十字。その中心から、昼国の絶対君主――光帝ソルが、神の如き威容を伴って降臨したのだ。
「ぐ、がぁぁぁっ……!」
闘技場に駆けつけていた近衛騎士団長ジーグが、見えない巨大な圧力に押され、石畳に両膝を叩きつけられた。前衛隊長レオンハルトに至っては、重圧で内臓が悲鳴を上げ、口から血の混じった唾液を吐き出して地に這いつくばっている。
「頭を垂れよ、愚民ども。太陽の御前であるぞ」
ソルの傍らに浮遊する、六枚の光の翼を持つ大審問官メタトロンが、感情のない声で宣告する。さらにその隣では、天体の運行すら操るとされる最高位星導官セレスが、冷ややかな青い瞳で地上の有様を見下ろしていた。
圧倒的すぎる魔力。それは「温かさ」や「希望」といった光の側面を完全に削ぎ落とし、ただ他者を焼き尽くし、支配するためだけに純化された『絶対的な熱』だった。
結界魔術師長ルミスが展開しようとした防壁魔術は、ソルの放つオーラに触れただけで、ガラス細工のようにパリンと砕け散った。
だが、その狂気とも言える黄金の重圧の中にあって、ただ一人、決して膝を屈しない少女がいた。
「……父様」
黄金の鎧を『白銀』に染め上げた第一皇女、リオナである。
彼女の足元には、右半身が炭化し、致命傷を負った聖騎士カイルが、リオナの生み出した『光の柩』に包まれて静かに眠っている。リオナから放たれる白銀の浄化雷が、ソルの暴力的な重圧を中和し、カイルの魂を死淵からギリギリで繋ぎ止めていたのだ。
ソルは、空中に浮遊する玉座から、冷たく娘を見下ろした。
「……見苦しいぞ、リオナ。国賊たる姉を討てという勅命を違え、あろうことか敵に情けをかけ、挙句の果てに一人の護衛騎士を失って涙を流すか。それが、我が昼国の象徴たる『光の聖女』の姿か」
「カイルは……ただの護衛騎士ではありません!」
リオナは、血の滲むような声で叫んだ。
「彼は、私を……私の心を、最期まで守り抜いてくれた! 私は彼のおかげで、光の本当の温かさを知ったのです! 父様の言う『光』は、ただ人を傷つけ、姉を化物に変えるだけの、冷たい暴力でしかない!」
「黙れ」
ソルの声に魔力が乗り、闘技場の残存する石柱が爆発音と共に粉々に砕け散った。
這いつくばるジーグ将軍が、絶望に顔を歪める。
(殿下……なんという恐ろしいことを。光帝陛下に逆らうなど、異端として火あぶりにされても文句は言えんぞ……!)
「出来損ないの器が。シオンという『不浄』を切り捨て、お前という『純潔』を残してやったというのに。その男の安い感傷にあてられ、お前もまた泥に塗れたか」
ソルの瞳には、娘に対する愛情など微塵もなかった。あるのは、所有する最高級の芸術品に傷がついたことへの、冷酷な不快感だけだ。
「セレス。メタトロン。……そして、我が忠実なる尖兵たちよ。その見苦しい騎士の死体を焼却し、リオナの四肢を打ち砕いて王都へ連行しろ。我が自ら、その精神を再調整してやる」
2. 異端審問、迫り来る神の尖兵たち
「御意のままに、太陽の君よ」
ソルの背後にある光の柱から、新たな狂信者たちが次々と闘技場へ降り立った。
「カイル・ヴァン・アストラル。光の聖騎士ともあろう者が、防御(盾)などに魔力を割くからかくも無様に死ぬのだ。軟弱者め」
巨大な『太陽の金剛盾』を背負い、身の丈を越える戦槌を構えた大男――皇帝直属の聖盾騎士ガラハッドが、カイルの柩を見て唾を吐き捨てた。彼は攻撃こそが最大の防御だと信じる、極端な武闘派である。
「愛、絆、悲哀。……すべては光の純度を濁らせる『異端の思考』ですわ。今すぐ、その汚れた感情を鎖で縛り、浄化して差し上げましょう」
冷酷な笑みを浮かべて歩み出たのは、目隠しをした修道女の姿をした異端問問官ザイオン。彼女の両手からは、触れた者の精神を強制的に洗脳する『教理の鎖』がジャラジャラと不気味な音を立てて伸びている。
さらに、上空の光の階段には、数十名の純白のローブを纏った集団が現れた。
「さあ、歌いましょう。迷える子羊の耳に、絶対の神の賛歌を」
皺枯れた声で指揮を執るのは、最高司祭の老婆ルミナエル。彼女に率いられた『熾天使の聖歌隊』――ソプラノのリラやアルトのフィーナといった、自我を消去された美しき歌い手たちが、一斉に恐ろしい和音の聖歌を歌い始めた。
「あああああっ!! 頭が、頭が割れるゥッ!」
レオンハルトが耳を塞いで転げ回る。ルミナエルの聖歌は、光帝への忠誠心に少しでも『迷い』がある者の脳神経を直接破壊する、広範囲の精神攻撃魔術だった。
「……こんなもの、狂っている」
リオナは、耳から血を流す自国の兵士たちを見て、激しい怒りに震えた。
民を、兵を、家族を愛さない光。ただ自分だけの正義を押し付けるこの独裁者を、自分はずっと「正しい神」だと信じ込んでいたのか。だから、姉のシオンはあんなにも絶望し、修羅へと墜ちてしまったのか。
「カイルの魂には、誰一本指を触れさせない……! 私は、あなたたちの『狂った光』を、ここで終わらせる!」
リオナの背中に、白銀の魔力で形成された「六枚の光の翼」が展開された。
それは、メタトロンの無機質な翼とは違う。悲しみと慈愛、そして譲れない覚悟が結晶化した、真の聖女の翼だった。
3. 白銀の反逆、優しき雷の盾
「痴れ者が! まずはその柩ごと、貴様の甘い幻想を粉砕してくれる!」
聖盾騎士ガラハッドが、戦槌を振り上げて咆哮と共に跳躍した。隕石のような質量の打撃が、カイルの眠る光の柩へと一直線に振り下ろされる。
ジーグ将軍が「いかん!」と叫ぶが、体が動かない。
だが。
「……遅い」
リオナの姿がブレた。
ガァァァン!! という轟音。
しかし、砕け散ったのはカイルの柩ではなかった。
ガラハッドの持つ、竜のブレスすら弾くと言われる『太陽の金剛盾』が、リオナの放った片手の一撃――白銀の雷を纏った裏拳によって、中心からクモの巣状にヒビ割れ、音を立てて崩壊したのだ。
「な、なんだとォ!?」
驚愕するガラハッドの胸ぐらを、リオナは白銀の魔力で掴み上げ、闘技場の壁面へと軽々と投げ飛ばした。
「次は私ですわ! 罪深き皇女よ、その身を縛り付けなさい!」
異端問問官ザイオンが、四方八方から数十本の『教理の鎖』を射出する。光の蛇のようにうねる鎖が、リオナの四肢に絡みつこうとした。
しかし、白銀の雷は「防御」でも「破壊」でもない。
**『浄化と還元』**だ。
「……冷たい鎖。お姉ちゃんを縛っていたのも、こんなものだったのね」
リオナが悲しげに瞳を伏せ、白銀の雷を鎖に伝わせた瞬間。
ジャキィィン……! と、絶対の硬度を誇るはずの光の鎖が、まるで朝日に溶ける霜のようにサラサラと崩れ去り、無害なマナの粒子へと変わってしまった。
「私の鎖が……洗脳の術式が、一瞬で初期化された!? 馬鹿な、そんな神の如き御業が……!」
ザイオンがパニックに陥り、後ずさる。
「ルミナエル! 聖歌の出力を最大に! あの女の魔力回路を焼き切れ!」
星導官セレスが上空から叫び、聖歌隊の歌声が狂気的な高音へと達した。
だが、リオナはただ静かに、空を仰いで一つ、深く深呼吸をした。
「――『白銀の波紋』」
リオナの体から、一滴の涙が湖面に落ちたような、静かで柔らかな光の波面が広がった。
その波が聖歌隊を包み込んだ瞬間。
「あ……れ……? 私、どうして……こんなところで、歌って……」
ソプラノの少女リラが、ポロポロと涙を流して歌を止めた。アルトのフィーナも、他の聖歌隊の少女たちも、膝をついて泣き崩れた。
ルミナエルの施していた洗脳の呪縛が、リオナの白銀の雷によって完全に『浄化』され、彼女たちは本来の自我を取り戻したのだ。
「お、おのれぇぇ! 出来損ないの分際で、私の神聖なる合唱を穢すとは!」
ルミナエルが激怒して杖を振り上げるが、大審問官メタトロンがスッと彼女の前に出た。
「無駄だ。彼女の魔力は、陛下の『絶対支配』のベクトルと正反対の『完全なる解放』。中途半端な魔術では相殺される。……私が斬る」
メタトロンが六枚の翼を広げ、両手に灼熱の光剣を顕現させてリオナへと迫る。
闘技場の中央で、白銀の皇女と、六翼の処刑人による、常軌を逸した高速の剣戟が始まった。
4. 見捨てられた修羅、闇御門の嘲笑
その頃。
闘技場から遠く離れた、夜国陣営の漆黒の天幕。
そこでは、リオナの戦いとは全く別の、凄惨で静かな崩壊が進行していた。
「ガハッ……ゴホッ、あぁぁぁッ!!」
シオンは、カイルの血に染まった己の手を見つめたまま、冷たい土の床をのたうち回っていた。
仮面を失った素顔は、恐怖と後悔に歪み、溢れる涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。
『お前が信じた愛も絆も、この世界には最初から存在しなかったと……私が教えてあげる』
数時間前、自分が妹に吐き捨てた傲慢な言葉が、呪いとなって自身の脳内を反響していた。
妹は愛に守られていた。そして、その愛する人を、自分は八つ当たりのような嫉妬で殺してしまった。
母を殺し、父を殺し、罪のない民を焼き払い、最後には妹の心まで完全に破壊した。
「ごめんなさい……ごめんなさい、お母様……リオナ……! 私は……私はただ……っ!」
極限の自己嫌悪。
それが引き金となり、シオンの左半身の『獣化』が、ついに人間としての形を保てないレベルで暴走を始めた。左腕は肥大化し、肩の骨が突き破られ、背中からは黒い瘴気の棘が無数に生え出している。
「ギャウゥゥゥッ……!」
精霊獣ハクが、狂いもがくシオンを必死に抱きかかえ、彼女の暴走する呪いを自らの体に吸い上げようとしているが、ハク自身の巨体にも限界の亀裂が走っている。
「……シオン様」
副長ゼッカは、もはやシオンを助けようとはしなかった。彼の義眼には、完全に自我が戻り、哀れな元・主君を冷たい目で見下ろしていた。
「ヒヒッ。こりゃあもうダメだな。仮面が割れた死神なんて、ただの出来損ないの化け物だ」
影潜りカエレンが嘲笑う。
「ゼッカ先生。俺たち、こんなところで心中する義理はねぇ。さっさとズラかりましょうぜ」
「……ああ。神穿鴉の時代は、ここで終わりだ」
悪党たちがシオンを見捨て、天幕から去ろうとしたその時。
「――実に無様だな、シオン」
ズズズズズ……ッ!!
空間がヘドロのように淀み、天幕の影から、絶対的な死の冷気が溢れ出した。
這い寄るような冷たく甘い声と共に姿を現したのは、夜国の絶対支配者――闇御門ルナ。
彼の傍らには、妖艶な微笑みを浮かべる吸血魔女カーミラと、全身を包帯で巻かれた不気味な屍王バアルが控えていた。
「闇御門……陛下……」
シオンは血を吐きながら、獣化した腕を引きずり、ルナの足元に縋り付こうとした。
「お許し……ください……。私は、失敗しまし、た……。あの子を……絶望に染めきれず……」
だが、ルナはその美しい顔を嫌悪に歪め、軍靴の先でシオンの顔面を無慈悲に蹴り飛ばした。
「ぐ、がはっ……!」
「気安く触れるな、壊れたゴミが」
ルナの瞳には、かつて「最高傑作」と称賛した修羅への愛着など、微塵も残っていなかった。
「屍王バアル。このガラクタはまだ使い道があるか?」
ルナに問われ、屍王バアルはカタカタと顎の骨を鳴らして答えた。
「……イイエ、陛下。精神ガ完全ニ崩壊シテオリマス。獣化ノ呪イガ心臓ヲ喰イ破ルノハ、モウ数分後……。死体トシテアンデッドニ変エルニモ、魔力ガ不安定スギマス」
「そうか。ならば、ここで腐り果てるがいい」
ルナは、血を吐いて這いつくばるシオンを冷たく見下ろした。
「だが、お前が引き出したあの光の皇女の『白銀の雷』……そして、光帝ソルが自ら前線に出てきたという事実。盤面は、私の思い描いた通りに仕上がった。……褒めてやろう、シオン。お前は立派な『捨て駒』だった」
「捨て……駒……?」
シオンの虚ろな瞳から、最後の光が消えようとしていた。
「カーミラ。準備はできているな?」
「ええ、陛下。シオン様がエルム村で集めてくださった極上の『恐怖の魂』三百人分。これを触媒に、境界線の地下に眠る『深淵の根絶』を呼び覚ましますわ」
カーミラが血のグラスを地面にこぼすと、夜国陣営の大地全体が、生き物のようにグチャグチャと脈動を始めた。
山のように巨大な無数の「触手」が、境界線『黄昏時』に向けて地中から這い出し始めたのだ。
「ルナ、様……やめて……」
シオンは、朦朧とする意識の中で懇願した。
「あの子には……リオナには、手を出さないで……! 私を、私を殺せばいい……私が全部悪いんだから……っ!」
シオンの悲痛な叫びに、ハクが悲しげな咆哮を上げる。
だが、ルナは振り返ることなく、暗黒竜ヴリトラの背に飛び乗った。
「狂った父親同士、少し派手に遊ぼうではないか。……行くぞ。光の国ごと、この世界を永遠の闇に沈めてやる」
闇御門ルナは、巨大な厄災の触手を従え、空を覆う暗雲の渦の中へと消えていった。
後に残されたのは、ゼッカたちにも見捨てられ、獣の呪いに全身を食い破られながら、孤独な死を待つばかりの十五歳の少女だけであった。
『……私は、死ぬのね。……やっと、お母様のところに……ごめんね、リオナ……』
シオンの意識が、永遠の闇に沈み込もうとした、まさにその時。
『ギャウゥゥゥゥッ……!!』
ハクが、主の絶望を打ち破るような、凄まじい咆哮を上げた。
そして、その巨大な獣の体が、ありえないほどの眩い紫金の光に包まれ始めたのである。
神々が戦場を蹂躙しようとするその裏側で、孤独な少女を護るための、もう一つの「奇跡」が産声を上げようとしていた。
5. 激突の序曲、父と娘の決別
再び、古代闘技場。
メタトロンの光剣による猛攻を、リオナは白銀の翼を駆使して完全に凌ぎ切っていた。
「……計算外だ。これほどまでに戦闘力が向上するとは。精神の変容が、魔力出力を異常限界させている」
メタトロンが、珍しく息を切らせて後退する。
空中の玉座で見下ろしていた光帝ソルは、ついに忌々しげに舌打ちをした。
「役立たずどもめ。……よかろう。我が直々に、その出来損ないの命を刈り取ってやる」
ソルが玉座から立ち上がる。
その瞬間、天空から降り注ぐ黄金の光が一本の束となり、彼の手の中で眩い長剣へと形を変えた。
神を名乗る者の象徴――『太陽神剣アポロン』。
「父様……」
リオナは、カイルの光の柩を背に庇いながら、真っ直ぐに父親を見据えた。
「私はもう、あなたの言いなりにはならない。あなたが押し付ける正義が、お姉ちゃんを地獄に突き落とし、カイルを奪った。……私は、私の信じる光で、この世界を……お姉ちゃんを救います」
「傲慢な小娘が。ならばその体で思い知れ。太陽の光の前では、星の瞬きなどただの幻に過ぎんということを!」
ソルが神剣を上段に構え、闘技場へ向けて飛び降りようとした、まさにその瞬間だった。
ズゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!!
西の空――夜国の暗雲の中から、山のように巨大な無数の「黒い触手」が、空を割って出現した。
触手の中心には、暗黒竜ヴリトラに跨る闇御門ルナが、狂気に満ちた哄笑を響かせている。
『ハハハハハ! 娘の教育に手こずっているようだな、ソルよ! 私がその闘技場ごと、まとめて教育し直してやろうか!』
「ルナ……! 地を這う汚らわしい泥虫め、我が前に姿を現すか!」
ソルはリオナへの狙いを外し、神剣アポロンを夜国の上空へ向けて振り抜いた。
極太の黄金のレーザーが触手を焼き払うが、ルナの瘴気は即座にそれを再生させる。
「リオナ殿下! 上空が危ない! ここは退避を!」
ジーグ将軍が血相を変えて叫ぶ。
光帝の裁きの光と、闇御門の厄災の触手。
世界を統べる二人の絶対君主が、自らの子供たちを置き去りにし、エゴと狂気に満ちた『神々の代理戦争』の幕を直接開け放った。
吹き荒れる暴風と破壊の光の中。
リオナは、カイルの柩をそっと撫で、そして夜国の本陣がある西の空を深く、深く見つめた。
彼女の白銀の瞳には、神の脅威に対する恐怖はない。
ただ、冷たい闇の中でたった一人、泣きながら死のうとしているであろう「最愛の姉」を、絶対に救い出すという、揺るぎない覚悟だけが輝いていた。




