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境界の双子〜二つの雷鳴が響くとき〜  作者: ユーディ
第二章 黄昏の再会、砕かれた誓い
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第二章7 『白銀の産声』

黄昏時の荒野に佇む、半ば崩壊した古代闘技場コロッセオ

そこは、凄惨な死闘の爪痕と、言葉に絶する悲哀に満ちていた。

1. 慟哭の果て


「カイル……カイルゥゥゥッ!! 目を開けて! 私を置いていかないで!」

昼国最強の聖騎士であり、リオナがすべてを捧げて愛した男、カイル・ヴァン・アストラル。

彼の肉体は、シオンの放った夜国の最大奥義『紫雷・神穿しらい・かみうち』を真正面から受け止め、見るも無残な状態となっていた。

白銀の聖鎧はドロドロに溶け落ち、右半身は呪いによって黒く炭化し、左胸には心臓を掠めるほどの致命的な大穴が空いている。彼の生命力を司っていた『太光』の魔力は、夜風に吹かれて金色の粒子となり、サラサラと天へ昇って消えていく。

「いや……いやぁぁぁっ! アリア! 誰か、誰か治癒魔法を! お願いだから……っ!」

第一皇女リオナは、炭化し崩れそうになるカイルの体を必死に抱きしめ、自身の『黄金の雷』をありったけ注ぎ込んでいた。しかし、神を穿つと言われる絶対的な呪いは、光の治癒魔術をことごとくすり抜け、あるいは弾き返してしまう。

カイルの体温が、急速に失われていく。

彼が最後に遺した『貴女の光で、お姉様を救ってあげて』という微かな声が、リオナの脳内で何度も、何度も木霊していた。

「私が……私が弱かったから……。お姉ちゃんを助けるなんて、傲慢な思い上がりが、あなたを殺したの……! ごめんなさい、カイル……ごめんなさい……!」

大粒の涙が、カイルの冷たくなった頬に落ちる。

愛する者を失う絶望。己の無力さへの限りない悲哀。

その感情が極限まで達した時、リオナの体内から溢れ出していた「黄金の魔力」に、劇的な変化が訪れた。

バチッ……。

太陽のように眩しく、すべてを焼き尽くす絶対的な正義の色であった『黄金』が、スッとその温度を下げたのだ。

代わりに発現したのは、すべての色を失ったような、静謐で、底なしに深く、そしてどこまでも優しい**『白銀プラチナ』の光**だった。

「……あ……」

リオナの全身を包み込んだ**「白銀の浄化雷プラチナ・レイ」**。

それは、父である光帝ソルから受け継いだ「他者を灼く暴力的な光」ではなく、リオナ自身が悲しみの底で掴み取った、「他者の痛みに寄り添い、呪いそのものを初期化する」という、神の領域に近い奇跡の魔力であった。

白銀の雷がカイルの遺体を包み込むと、炭化の進行がピタリと止まった。

失われた命が戻るわけではない。しかし、白銀の魔力はカイルの肉体を『光のひつぎ』のようにコーティングし、魂の完全な消滅と肉体の腐敗を、時間停止に近い形で強引に押し留めたのだ。

「カイル……。あなたの光は、私が守る。あなたが信じてくれた私のひかりで……全部、終わらせるから」

リオナは、光の柩となったカイルの胸に頬をすり寄せ、静かに、だが決して揺るがない決意の涙を流した。


2. 暁の砦からの急襲


「殿下ァァッ!! ご無事ですか!!」

闘技場の入り口から、馬の蹄の音と怒号が飛び込んできた。

昼国の最前線防衛拠点『暁の砦』から急行した、近衛騎士団長ジーグと、前衛隊長レオンハルト率いる十数名の精鋭部隊である。

彼らは、闘技場の惨状――特に、昼国最強の盾であったカイルが倒れ伏している光景を見て、一斉に息を呑んだ。

「カイル殿が……やられただと!? 馬鹿な、あの『絶対守護』の結界が破られるなど!」

レオンハルトが、残された左目を大きく見開いて絶句する。

「……遅かったか」

ジーグ将軍は大剣を握る手に力を込め、周囲に警戒の視線を走らせた。敵将『神穿鴉』の姿はすでにない。だが、闘技場を満たしている「空気」が、先ほどまでとは全く異なっていた。

「将軍……これは、一体……」

同行していた結界魔術師長ルミスが、震える手で大気を撫でた。

闘技場に充満していたはずの、夜国の『日蝕』の瘴気や、兵士たちの残留思念、呪いの残滓。それらがすべて、空間を満たす「白銀の光」に触れた端から、音もなく浄化され、清浄なマナへと還元されているのだ。

「リオナ殿下……その光は……」

ジーグが畏怖の念に打たれながら近づく。

光の国の頂点に立つ光帝ソルでさえ、これほどまでに純粋で、悪意を持たない巨大な光を放ったことはない。それはまさに、伝説に語られる『聖女』の再来を思わせる神々しさだった。

リオナは、カイルの柩の傍らに膝をついたまま、ゆっくりとジーグたちを振り返った。

その瞳には、もはや迷いはなかった。

「ジーグ将軍。ルミス。……カイルを、暁の砦へ運んでください。この『白銀の結界』を維持したまま、大司祭エラーラの氷温魔術で安静に保つのです」

「殿下! しかし、カイル殿はすでに……」

「命の灯火は、まだ完全には消えていません。彼の魂は、この光の中にあります」

リオナの毅然とした言葉に、レオンハルトがハッとして首を垂れた。

「は、はいっ! 何としても、我が命に代えてもカイル様をお守りいたします!」

ジーグは、白銀の雷を纏い立ち上がったリオナを見て、奥歯を噛み締めた。

「殿下。貴女は、どうされるおつもりですか。光帝陛下からの『シオンを討て』という勅命は、まだ生きておりますぞ。まさか、あの修羅をまだ救おうなどと……」

「ええ。救います」

リオナは、闘技場の崩れた石柱の向こう――夜国の陣営がある暗闇の彼方を、真っ直ぐに見据えた。

「私はもう、逃げない。お姉ちゃんが背負った十五年分の地獄を、私が終わらせる。……父様が何と言おうと、これは私の戦いです」

第一皇女のその宣言は、昼国の絶対君主に対する明確な反逆の意志を孕んでいた。

ジーグの背筋に、冷たい汗が伝う。

戦局は、単なる昼と夜の戦争から、神々の代理戦争へと、取り返しのつかない次元へ足を踏み入れようとしていた。


3. 剥がれ落ちた鉄仮面


一方、闘技場から数キロ離れた夜国陣営の本陣。

分厚い暗雲の下に設営された漆黒の天幕に、這いずるように帰還したシオンの姿があった。

「ガハッ……ゴホッ、あぁぁぁッ!!」

シオンは玉座にたどり着くこともできず、冷たい土の床に崩れ落ち、激しく血を吐いた。

彼女の背後から、心配そうに巨大な精霊獣ハクがすり寄り、クゥゥと悲しげな喉を鳴らす。

「神穿鴉様! いかがなされました!」

副長ゼッカが駆け寄る。天幕の入り口を守護していた鉄鬼ドレッドが、主の異常な魔力の乱れに反応してギシギシと鎧を鳴らした。

シオンの顔に、いつも張り付いていた『鉄の仮面』がない。

それはカイルの最後の一撃によって完全に砕け散り、闘技場に捨て置かれていた。

仮面という「感情の蓋」「修羅としての象徴」を失った彼女の素顔は、恐ろしい死神のそれではなく、ただひたすらに怯え、傷つき、泣きじゃくる十五歳の少女のものだった。

「ああ……あああ……っ」

シオンは、カイルの命を奪ってしまった自身の右手を、恐怖に引き攣った目で見つめ、ガタガタと震えていた。

(私は、あの子から……一番大切なものを奪ってしまった……。お母様が死んだ時と、同じ顔をして泣いていた……私が、あの子をあんな目に……!)

罪悪感が、致死量の猛毒となってシオンの精神を内側から食い破る。

自分が妹の身代わりになったという自負。世界を憎むことで保っていた自己肯定感。それらすべてが、「カイルの自己犠牲」と「リオナの涙」によって、木っ端微塵に粉砕されてしまったのだ。

「私は……私は、ただ、あの子に……私を、否定してほしかっただけなのに……!」

シオンが狂乱して頭を抱えた瞬間、彼女の左半身の「獣化」が、制御を失って暴走し始めた。

ボコォッ、と嫌な音がして、黒い獣毛と鱗に覆われた左腕が、さらに異形に膨張する。ハクとの『魂魄融合ソウル・アマルガム』は、主の冷徹な精神力があってこそ成り立っていた危ういバランスだった。

主の心が砕けた今、獣の呪いがシオンの人間としての肉体を完全に飲み込もうとしていたのだ。

「ギャウゥゥゥッ……!」

ハクがシオンの体にすり寄り、彼女の暴走する魔力を必死に自らの体内に吸い上げようとする。しかし、ハク自身の体にも白銀の雷のダメージが残っており、その巨体にはピキピキと亀裂が走り始めていた。

「シオン様、お顔の血を……」

死霊人形アニスが、無表情なまま濡れタオルを持って近づくが、シオンは暴走する左腕でアニスを乱暴に弾き飛ばした。

ガシャァン! と音を立てて、アニスの陶器の腕が砕ける。

「……ヒヒッ。こりゃあ傑作だ」

天幕の影から、這うように姿を現したのは影潜りカエレンだった。

彼は舌なめずりをしながら、床で苦しみ悶えるシオンを見下ろしている。

「神穿鴉様も、おっかない仮面が割れりゃ、ただの泣き虫のガキだったってわけだ。光のお姫様を泣かせて、自分も泣いて帰ってくるなんて、笑い話にもなりゃしねぇ」

「同感だわ、カエレン」

暗闇から顔を出した毒娘ニムが、手の中で毒薬の小瓶を弄びながらクスクスと笑う。

「あんなに震えてるんじゃ、もう『日蝕』なんて大魔法は使えないわよね。ねえゼッカ先生、私たち、もうこの小娘の命令を聞く必要、ないんじゃない?」

シオンによる絶対的な『恐怖の支配』。

それが、魔力の暴走と仮面の喪失によって、急速に瓦解しようとしていた。

「黙れ、下衆ども。……誰に口を利いている」

ゼッカが毒糸を構え、カエレンたちを牽制する。

だが、ゼッカの義眼の奥にも、かつての「野心」の火が微かに戻り始めていた。シオンによって精神を破壊され、傀儡にされていた彼の自我が、主の弱体化によって少しずつ拘束を解かれつつあったのだ。

「ゼッカ先生だって、本当はあの小娘を殺して、自分が総隊長になりたいんでしょう? 今なら、背中から毒を撃ち込めば一発よ」

ニムの悪魔の囁きに、ゼッカの手がピクリと止まる。

夜国の軍勢の頂点に立っていた修羅は、今、物理的にも精神的にも、完全に崩壊し、味方から牙を剥かれようとしていた。


4. 狂気と静寂の境界線


天幕の外、夜国の陣営全体にも、その異常な変化は伝播していた。

「……おい。空気が変わったぞ」

大量の死体の山の上で、キメラに肉を食わせていた魔獣使いオーガが、鼻をヒクつかせた。

「あの息が詰まるような『神穿鴉』のプレッシャーが……急にしょぼくれやがった。どういうこった?」

オーガの足元で、怯えていたキメラ・ハウンドたちが、枷が外れたように凶暴な唸り声を上げ始める。

「あぁ……血の匂いに、恐怖の味が足りない……。ひどく人間臭い、惨めな味に変わってしまった……」

血溜まりに這いつくばっていた吸血斥候ヴァニールが、不満げに舌打ちをする。

「呪いが……呪いが逆流している。天幕の方向から、恐ろしいほどの自己否定の呪詛が……!」

呪詛師マラディが、頭を抱えて地面に転がり回る。

「斬リタイ……首……誰デモイイ……斬リタイ……!」

処刑人ザンが、巨大な鉈を振り回し、味方のテントを無差別に破壊し始める。

死体回収人のイゴールは、「こりゃあいかん、軍が瓦解する。ワシは逃げるぞ」と、早々に死体袋を担いで陣営の端へと逃げ出した。

恐怖という絶対的なくさびを失った悪党の集団は、統制を失い、同士討ちや暴走を始めようとしていた。

だが、彼らのその小競り合いすらも、次の瞬間には『完全なる沈黙』へと強制的に上書きされることになる。


5. 空を裂く双王の影


「ガハッ……ハク……逃げて……」

天幕の中。

獣化の呪いが心臓の近くまで達し、シオンの肌は黒く変色し、呼吸すら困難になっていた。

ゼッカの毒糸が、無防備なシオンの背中に向けられたその時――。

ズゥゥゥゥゥン……ッ!!

戦場全体の大気が、物理的な重さを持って押し潰された。

「ぐ、がぁっ!?」

ゼッカも、カエレンも、ニムも、目に見えない巨大な圧力によって、床に顔を叩きつけられた。外にいたオーガやキメラたちも、重力魔法を食らったように地面に這いつくばる。

「……な、なんだこのプレッシャーは……!」

ゼッカが義眼をギョロつかせ、天幕の外を見た。

大地の底から、ドス黒いヘドロのような瘴気が噴き出している。

それに呼応するように、空も異常事態に陥っていた。

黄昏時の荒野。

その上空を覆っていた分厚い灰色の暗雲が、真っ二つに「引き裂かれた」のだ。

東の空には、夜の闇すらも焼き尽くすような、暴力的なまでの『巨大な黄金の十字』が浮かび上がり、光の柱が闘技場へと真っ直ぐに突き刺さっている。

そして西の空――夜国陣営の真上には、空間そのものが割れ、底なしのブラックホールのような『漆黒の深淵』が口を開けていた。

「ヒッ……! ま、まさか……!」

カエレンが絶望に顔を引き攣らせる。

「ああ。間違いない……。お出ましだ」

ゼッカは、恐怖でガチガチと歯の根を鳴らした。

昼国の絶対君主、光帝ソル。

夜国の絶対支配者、闇御門ルナ。

十五年間、互いに直接手を下すことなく、代理の将たちに戦争をさせていた二人の『神』が、ついに痺れを切らし、自らの足で最前線へと降臨しようとしていたのだ。

闘技場の光の柱の中には、六枚の翼を持つ大審問官メタトロンと、星導官セレスを従えたソルの冷徹な瞳が。

そして夜国上空の深淵の中には、暗黒竜ヴリトラと吸血魔女カーミラを従えたルナの、歪んだ哄笑が響き渡る。

「……お父、様……」

闘技場で白銀の雷を纏うリオナが、天を睨みつける。

「ルナ、様……」

天幕で死に瀕するシオンが、血を吐きながら地を這う。

真の殺戮の遊戯が始まろうとしていた。

愛する者を喪い、白銀に覚醒した妹。

罪に潰され、修羅の仮面を失った姉。

二人の少女は、この圧倒的な暴力の具現たる『父親たち』を前に、果たして自らの運命をどう切り拓くのか。

世界が、白と黒の絶望に塗り潰されようとしていた。

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