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境界の双子〜二つの雷鳴が響くとき〜  作者: ユーディ
第二章 黄昏の再会、砕かれた誓い
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第二章3 『敗走、聖騎士の盾』

「開けろ! 大門を開けろ!! 負傷者が多数いる! 急げェッ!!」

昼国の最前線防衛拠点『暁のあかつきのとりで』。

分厚い城壁の上で、砦の防衛司令官である老将ヴェインが血相を変えて叫んだ。彼の眼下に広がるのは、誇り高き第一皇女軍「天雷閣」の、あまりにも無残な敗走の列だった。

1. 泥濘の敗走と、暁の砦


「開けろ! 大門を開けろ!! 負傷者が多数いる! 急げェッ!!」

昼国の最前線防衛拠点『暁のあかつきのとりで』。

分厚い城壁の上で、砦の防衛司令官である老将ヴェインが血相を変えて叫んだ。彼の眼下に広がるのは、誇り高き第一皇女軍「天雷閣」の、あまりにも無残な敗走の列だった。

数時間前、黄金の輝きと共に進軍していった数万の騎士たちは、今や泥と自らの血に塗れ、亡霊のように足を引きずっていた。

「早く入れ! 呪いが侵食する前に結界を閉じろ!」

門の側で声を枯らしているのは、前衛部隊の生き残りである若き騎士隊長レオンハルトだった。彼の黄金の鎧はひしゃげ、右目は敵の毒によって赤黒く腫れ上がっている。

砦の中庭は、瞬く間に地獄の野戦病院と化した。

「痛い、痛いッ! 腕が、腕が溶けるゥッ!!」

悲鳴を上げるのは、後方支援部隊の荷馬車乗りである平民の青年トビー。彼の腕には、夜国のキメラが吐いた酸がべっとりと付着していた。

「押さえつけて! 神聖魔法が弾かれる……なんて禍々しい闇なの……」

大司祭のエラーラが、数十人の神官を率いて治療に当たっているが、シオンの『日蝕』の影響を受けた傷は、光の魔法を拒絶し、逆に傷口を腐らせていく。

「くそっ、俺の兄貴が……ボールス兄貴が、あのバケモノのギロチンで……!」

重盾兵の生き残りである弟のゴランが、泥にまみれた兄の兜を抱きしめて号泣している。

その傍らでは、魔導砲兵の生き残りである少年魔術師フィンが、恐怖で自身の杖を抱きしめたままガタガタと歯の根を鳴らし、完全に心神喪失状態に陥っていた。

「泣く暇があるなら傷を縛れ! まだ追っ手が来るかもしれんぞ!」

左腕を肩から失い、包帯から大量の血を滲ませながらも立ち上がったのは、歴戦の老矛兵ヴァルガスだ。彼は痛みを麻痺させる薬を拒否し、残った右腕で槍を握りしめている。

上空から、バサバサと弱々しい羽音を立てて一頭のペガサスが墜落するように降り立った。

「セリーヌ隊長……みんな、食べられちゃった……私だけ、私だけ……」

有翼騎士団の唯一の生還者である少女ミラが、ペガサスの首に縋り付いて嗚咽を漏らす。彼女の瞳には、キメラに群がられる仲間たちの姿が焼き付いて離れない。

「防壁結界、第三層まで展開! 魔力炉、限界突破します!」

砦の最上部では、結界魔術師長ルミスが、鼻と耳から血を流しながら、夜国の瘴気を防ぐための巨大な光のドームを維持し続けていた。

そこへ、血と泥に塗れた一台の装甲馬車が滑り込んできた。

カイルと治癒術師アリアが、意識を失いかけているリオナを抱え下ろす。

「殿下! リオナ殿下!!」

ヴェイン将軍やレオンハルトたちが駆け寄るが、リオナは虚ろな瞳で宙を見つめ、何かの呪文のように同じ言葉を繰り返すだけだった。

「お姉……ちゃん……どうして……お姉ちゃん……」

かつて軍の象徴であり、兵士たちの希望の太陽であった戦乙女ヴァルキリーのその姿に、砦の兵士たちは確信した。

自分たちは、絶対に勝てない「本物の絶望」に触れてしまったのだと。


2. 静寂なる夜の饗宴


一方、光の軍勢が逃げ去った黄昏時の戦場。

そこは、昼国の悲鳴と喧騒とは対照的な、不気味なほどの「静寂と歓喜」に包まれていた。

「ヒッヒッヒ……極上の死体だ。光をたっぷり吸い込んだ、極上の素材だァ……」

腰の曲がった小柄な老人、死体回収人のイゴールが、巨大な麻袋に昼国の騎士たちの首や手足を次々と放り込んでいる。彼はこれらを王都へ持ち帰り、新たな魔獣の苗床にするのだ。

「あぁ……甘い。光の連中の血は、恐怖で熟成されるとこんなにも甘い……」

戦場跡の血溜まりに這いつくばり、恍惚とした表情で泥ごと血を啜っているのは、吸血鬼の血を引く斥候ヴァニールだった。彼の長い舌が、カイルが斬り捨てた仲間の血と混ざった赤を綺麗に舐めとっていく。

「おい、ルック! キメラどもに内臓を食わせろ! 骨は残しておけよ!」

魔獣使いオーガの下働きである少年ルックが、怯えながら巨大な肉塊を切り分け、涎を垂らす魔獣たちに放り投げる。

大地では、黒いローブを目深に被った呪詛師マラディが、不可解な踊りを舞っていた。

「土に呪いを……光が二度と芽吹かぬよう、この血肉を贄として、永遠の腐敗を……」

彼女が歩いた跡からは、紫色の毒キノコと枯れた茨が異常な速度で異常増殖していく。

その傍らで、身の丈ほどの巨大な処刑剣を砥石で研いでいるのは、顔の上半分を布で隠した斬首人ザンだ。

「逃ゲタ……獲物……斬リタイ……首、斬リタイ……」

彼はずっと、逃げたジーグ将軍やカイルの首を刎ねる感触を夢想し、刃を研ぎ続けている。

「追うのは神穿鴉様のご命令があるまで待て。……私は、連中の砦の影に潜んでこよう」

音もなく影に溶け込んだのは、隠密部隊の影潜りカエレンだ。彼は物理的な壁を透過し、敵の防衛拠点『暁の砦』の内情を探るべく、闇の中を滑っていった。

「ゼッカ先生、あの白髪の騎士が落とした血です。猛毒のブレンドに使えますね」

副長ゼッカの横で、無邪気に小瓶を振っているのは、十三歳の毒娘ニム。彼女の指先は常に致死性の毒で濡れており、ニコニコと笑いながら恐ろしい毒薬を調合している。

上空では、有翼騎士団を壊滅させた空域を、石鬼乗りゴーンが、醜悪なガーゴイルに跨って悠然と哨戒飛行を行っていた。

そして、夜国陣営の最深部。

シオンの滞在する漆黒の天幕の周囲には、身長四メートルを超える全身鎧の怪物、鉄鬼ドレッドが微動だにせず立っていた。中には肉体はなく、数千の怨霊が鎧を動かしているだけの、絶対的な防衛兵器だ。

天幕の中。

死霊人形アニス――複数の死体を縫い合わせて作られた無口な少女が、シオンのブーツに付いた血と泥を、無表情で丁寧に拭き取っていた。

シオンは、天幕の隙間から、遠くに見える『暁の砦』の微かな光のドームを見つめていた。

彼女の左半身、ハクと融合した獣の部位は、血を吸ってさらにドクドクと不気味な脈動を打っている。

「……美味しかったかしら、ハク」

影の中で、ハクが満足げにグルルと喉を鳴らす。

シオンは自らの手で首を締め上げた、妹リオナの感触を思い出していた。

細い首。絶望に染まった、自分と同じ顔。

「お姉ちゃん」と呼ぶその声が、耳にこびりついて離れない。

(もっと憎みなさい、リオナ。もっと絶望しなさい。お前が信じた愛も絆も、この世界には最初から存在しなかったのだと……私が教えてあげるから)

シオンは自らの胸を強く掻き毟った。獣の爪が自分の肌を切り裂き、紫の血が流れるが、痛みは感じない。

ただ、心臓の奥底にある「空洞」に吹き荒れる隙間風だけが、彼女を永遠に苛み続けていた。


3. カイルの盾と、崩れゆく幻想


暁の砦、地下の特別治療室。

分厚い石壁に囲まれたその部屋は、重苦しい沈黙に包まれていた。

「……ひっ、いやぁっ! こっちを見ないで! お願い、お姉ちゃん、やめて……ッ!」

ベッドの上で、リオナが発作を起こして身をよじっていた。

治癒術師アリアが必死に彼女の体を抑え込み、鎮静の魔法をかけようとするが、リオナから無意識に漏れ出す黄金の雷がそれを弾き飛ばしてしまう。

「だめです、カイル様! リオナ様の魔力が暴走して、精神が完全に内側に引きこもろうとしています! このままでは、心が壊れて……!」

アリアの悲痛な叫びに、部屋の隅で自らの傷を縛っていたカイルが、よろめきながら立ち上がった。

カイルの右半身は、シオンの『日蝕』の瘴気と、拷問官ライラの毒鞭によって酷く焼け焦げていた。本来なら立っていることすら不可能な重傷だが、彼は自身の痛覚を『太光』の魔力で強制的に焼き切ることで、無理やり体を動かしていた。

「僕がやります、アリア。少し外してくれ」

「でも、カイル様のその体では……!」

「いいから。……僕の姫を、一人にはしておけない」

アリアが涙を拭いながら部屋を出ると、カイルはベッドの傍らに跪き、暴れるリオナの両手を、自身の火傷だらけの手で優しく、だが力強く包み込んだ。

「リオナ様。僕です。カイルです」

「いや……! 嘘よ、あんなの……あんな冷たい目をしたバケモノが、私のお姉ちゃんなはずない! 私のお姉ちゃんは、優しくて、いつも私を守ってくれて……!」

リオナの瞳から、大粒の涙が溢れ出す。

彼女の心は、幼い頃の『美しい思い出』と、戦場で突きつけられた『残酷な現実』のギャップに耐えきれず、完全に引き裂かれていた。

「あの子は私を殺そうとした! 私の顔を見て、あんなに嬉しそうに笑って……首を絞めたの! 私がずっと、ずっと探していたのに! どうして……どうしてあんな風になっちゃったの!?」

リオナの悲痛な叫びは、物理的な雷となってカイルの体を打ち据える。

ビリビリと肉が焦げる音がするが、カイルは決してリオナの手を離さなかった。

「……泣いてください、リオナ様。僕の腕の中で、好きなだけ」

カイルの声は、嵐の中の灯台のように、どこまでも穏やかで温かかった。

「世界中が彼女を魔王と呼び、彼女自身が貴女を拒絶したとしても。貴女が彼女を『姉』と呼ぶのなら……あの涙を流していた少女が、貴女のお姉様なのです」

「え……?」

リオナの動きが止まる。

「貴女の首を絞めた時の、あの人の瞳。……憎悪に満ちていましたが、同時に、誰よりも激しく『泣いている』ように見えました。深く傷つき、どうしようもない孤独の中で、自分を壊してくれる誰かを待っているような……そんな悲鳴が、僕には聞こえた気がしたんです」

カイルは、シオンの凶刃を受けた際、わずかに触れた彼女の魔力の奥底に、ひどく冷たくて寂しい「子供の嗚咽」のようなものを感じ取っていたのだ。

「カイル……でも、私は怖い……。あの子の闇が、私の中のすべてを否定してくるみたいで……私が信じてきた光は、あの子にとっては毒だったの……?」

リオナの震える背中を、カイルはそっと抱きしめた。

彼の温かい『太光』の魔力が、リオナの暴走する雷を優しく中和していく。

「貴女の光は、毒なんかじゃありません。貴女の光が僕を救い、この黄金の誓いをくれた。……だから、今度は貴女が、お姉様を救う番です。あんな悲しい闇の中に、たった一人の家族を置き去りにはできないでしょう?」

カイルの力強い鼓動が、リオナの耳に伝わる。

「僕が、貴女の盾になります。あの方がどれほどの闇と絶望をぶつけてこようと、僕がすべて受け止める。だから貴女は、決して諦めないでください。貴女のその美しい光で、お姉様の心の氷を溶かしてあげてください」

「……カイル……っ、カイルぅぅぅ……っ」

リオナはカイルの胸に顔を埋め、声の限りに泣きじゃくった。

自分がどれほど無力で、姉がどれほどの地獄を歩んできたのかも知らないまま、お姫様のような理想を語っていた己の甘さを恥じ、そして、どんな絶望の中でも自分を信じ抜いてくれるこの騎士への愛しさに。

カイルは、リオナの髪を撫でながら、静かに、だが確固たる決意を胸に秘めていた。

(たとえこの身が、あの紫の雷に焼き尽くされようとも……僕は、この人の光だけは絶対に守り抜く)


4. 闇からの亡命者


数時間後。

リオナが泣き疲れて微睡みの中に落ちた頃、治療室の扉が乱暴に叩かれた。

「カイル殿! 起きておられるか!」

入ってきたのは、血なまぐさい鎧のままのジーグ将軍と、前衛隊長レオンハルトだった。二人の顔は、かつてないほど険しい。

「どうかしましたか、将軍。敵の追撃ですか?」

カイルが立ち上がると、ジーグは首を横に振った。

「いや、敵軍は境界線でピタリと停止し、陣を張ったままだ。まるで我々を弄んでいるようにな。……それよりも問題は、スウィフトの偵察部隊が、戦場の端で『妙な捕虜』を捕らえたことだ」

「捕虜……夜国の兵士ですか?」

「兵士ではない。……奴ら夜国の陣営から、命からがら逃げ出してきた『亡命者』だ。ひどく怯えきっていてな。尋問したところ、あの敵将『神穿鴉』の過去を知る者だったのだ」

ジーグの言葉に、カイルの目の色が鋭く変わった。

「その男は、かつてバルザーク公爵家に仕えていた庭師だそうだ。……カイル殿、あの化け物がなぜあのような姿になり、なぜ皇女殿下をあれほど憎むのか。その凄惨な真実を聞いて、俺は吐き気がしたぞ」

ジーグの言葉の途中で、ベッドのシーツが衣擦れの音を立てた。

「……私も、聞きます」

振り返ると、そこには目を赤く腫らしながらも、自らの意志で立ち上がったリオナの姿があった。

黄金の皇女は、もう震えていなかった。

その瞳には、姉が歩んだ「地獄」のすべてを受け止めるという、悲愴なまでの覚悟が宿っていたのである。

捕虜から語られる、シオンの壮絶な「父殺し」と「修羅への道程」。

自分が光の国で愛されている間、姉がどのような地獄で泣いていたのかを知り、リオナは慟哭します。

そして、光帝ソルからの「非情な勅命」が下り、物語はさらに過酷な選択へと進んでいきます。

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