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境界の双子〜二つの雷鳴が響くとき〜  作者: ユーディ
第二章 黄昏の再会、砕かれた誓い
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第二章2 『崩れ落ちる幻想』

首を締め上げられ、宙に浮くリオナの瞳に映っていたのは、紛れもない「自分自身の顔」だった。

いや、違う。顔立ちは鏡のように同じでも、そこに宿る光が全く異なる。

凍傷で荒れた白い肌。右目には底なしの虚無が広がり、左目は爬虫類のように縦に裂けた獣の瞳孔が金色の光を放っている。

1. 砕け散った希望の鏡


首を締め上げられ、宙に浮くリオナの瞳に映っていたのは、紛れもない「自分自身の顔」だった。

いや、違う。顔立ちは鏡のように同じでも、そこに宿る光が全く異なる。

凍傷で荒れた白い肌。右目には底なしの虚無が広がり、左目は爬虫類のように縦に裂けた獣の瞳孔が金色の光を放っている。

「お……ねえ、ちゃん……?」

リオナの掠れた声が、戦場の喧騒の中で空しく響いた。

幼い頃、雷の鳴る夜にいつも抱きしめてくれた、温かくて優しい姉の面影。それが今、自分を虫けらのように見下ろし、その首の骨を砕こうとしているのだ。

「その名で呼ぶなと言ったはずよ、光の皇女」

シオンの獣化した左手に力が籠もる。ミシミシと、リオナの頸椎が悲鳴を上げた。

「あ、が……っ、う……」

呼吸ができず、リオナの視界がチカチカと明滅する。脳への酸素が絶たれ、手足から力が抜けていく。聖剣『ソル・ブレイカー』が手から滑り落ち、泥の中に突き刺さった。

(どうして……どうしてお姉ちゃんが、夜国の将軍に……? なんで、こんなに冷たい目をして……私を殺そうとしているの……?)

混乱と酸欠で、リオナの精神は完全に限界を超えていた。

『夜国の魔物に囚われている姉を救う』。その前提が根底から覆されたのだ。姉は囚われてなどいなかった。姉自身が、この地獄を統べるそのものであった。

「リオナ様ァァァッ!!」

血を吐くような絶叫と共に、光の結界を纏った銀髪の騎士――カイルが、副長ゼッカの毒蟲の壁を強引に突破して飛び出してきた。

「邪魔よ」

シオンが視線すら向けずに呟くと、冥雷鴉の陣営から新たな刺客たちが立ちはだかった。

「させませんよ、白馬の騎士殿」

闇の中から姿を現したのは、呪われた黒弓を構える狙撃手、ヴェックス。彼が放った影の矢は、物理的な装甲をすり抜け、直接魂を射抜く必殺の暗殺術だ。

「カイル様! 危ないッ!」

カイルの背後から飛び出したのは、彼を心から敬愛する若き従騎士スクワイアのエリアスだった。まだ十六歳のあどけなさが残るエリアスは、自身の盾ごとカイルを突き飛ばし、ヴェックスの影矢をその胸に受けた。

「が、はッ……!」

「エリアス!!」

カイルの悲痛な叫びを背に、エリアスの全身は一瞬にして黒い灰となって崩れ去った。

「ヒャハハ! 甘い甘い! 光の連中はすぐ庇い合うから殺しやすいぜ!」

哄笑と共に、猛毒の茨が編み込まれた鞭が宙を舞う。冥雷鴉の拷問官、ライラだ。彼女の鞭がカイルの右腕に絡みつき、その皮膚を焼き斬ろうとする。

「退けェェェェッ!!」

カイルは絡みつかれた右腕の肉が削れるのも構わず、腕を強引に引き寄せ、ライラの体勢を崩した。そして、左手に持った短剣で鞭を断ち切り、全身から命を削るほどの極大の『太光』を爆発させた。

「ぐっ、眩しッ!?」

ライラとヴェックスが光に目を焼かれ、一瞬怯む。

その命がけの数秒間。カイルはついに、シオンの懐へと飛び込んだ。

「リオナ様を……離せぇぇぇ!!」

カイルの聖剣が、シオンの獣化した左腕に向かって振り下ろされる。

刃がシオンの腕を浅く切り裂き、紫色の血が飛沫を上げた。

「……チッ」

不快感を露わにしたシオンは、舌打ちと共にリオナの首を手放した。

「ゲホッ、ゴホッ……カァ、ハッ……!」

地面に墜落したリオナは、むせ返りながら酸素を貪った。だが、その瞳は焦点が合わず、ただ虚空を彷徨っている。

「リオナ様! しっかりしてください!」

カイルはリオナを抱き起こすが、彼女の心は完全に壊れかけていた。

「お姉……ちゃんが……私のこと、殺す……? 嘘よ……だって、約束したのに……ずっと一緒だって……」


2. 光の軍勢、全面崩壊


中央での指揮官同士の接触は、戦場全体のバランスを完全に崩壊させた。

シオンの『日蝕』によって魔力を封じられた天雷閣の軍勢は、夜国の精鋭たちによる一方的な蹂躙を受けていた。

「陣形を崩すな! 大盾兵、前へ! 皇女殿下をお守りしろ!」

近衛騎士団長ジーグの下で、重装盾兵部隊を率いる巨漢の隊長ボールスが、兵士たちを鼓舞して前線に立ち塞がった。彼の持つ『金剛の聖盾』は、竜のブレスすら弾くと言われる名品だ。

しかし、そのボールスの前に、地響きを立てて歩み寄る巨大な影があった。

冥雷鴉の切り込み隊長、モルグ。身長三メートルを超え、言葉を発しない彼は、身の丈を越える巨大なギロチンの刃を無造作に引きずっていた。

「来い、夜の化け物! このボールスが一歩も――」

ボールスが盾を構えた瞬間。

モルグはギロチンの刃を軽々と振り上げ、無音のまま振り下ろした。

ズバァン!!

竜のブレスを弾くはずの聖盾が、紙のように両断された。そして、盾の裏にいたボールスの巨体も、頭頂部から股下まで真っ二つに裂け、左右に崩れ落ちた。

「隊、隊長ォォ!?」

「ひ、ひぃぃぃ! 逃げろ! 化け物だ!」

絶対の盾を失った光の騎士たちは、完全に戦意を喪失し、背を向けて逃げ出した。

上空では、さらに凄惨な事態が進行していた。

「空から敵将を狙うのよ! ペガサス隊、急降下!」

天雷閣の誇る有翼騎士団。その若き女性隊長セリーヌが、数十羽の純白のペガサスを率いて、シオンの頭上へと迫っていた。

だが、夜国陣営の深部から、不気味な紫色の煙が立ち上る。

冥雷鴉の幻術師であり死霊術師でもあるネロが、嘲笑いながら杖を振るったのだ。

「綺麗な鳥ですねぇ。でも、空は夜国の領域ですよ」

紫の煙に巻かれた瞬間、セリーヌたちの視界が狂った。

「え……? 嘘、お母様? なぜここに……」

ペガサスたちも幻覚に発狂し、空中で暴れ狂う。統制を失い、次々と墜落していく有翼騎士たち。

墜落した先で待ち構えていたのは、魔獣使いオーガの助手である小柄な獣使いゾルが操る、無数の小型キメラの群れだった。

「さあ、お食事の時間だよぉ! 骨まで綺麗にお食べ!」

セリーヌの悲鳴は、キメラたちが群がる咀嚼音に一瞬で掻き消された。

「クソッ! 上空部隊が全滅だと!? ならば後方の魔導砲塔を一斉掃射しろ!」

後方陣地で指揮を執る魔導砲兵隊長ダンテが、焦燥に駆られて号令をかける。

数十門の巨大な魔法砲の照準が、夜国軍へと向けられた。

しかし、ダンテの首筋に、冷たい刃が添えられた。

「……遅いな、光の魔術師」

いつの間にか影から這い出ていたのは、双剣を操る冥雷鴉の暗殺者、ガルムだった。

「なっ、いつの間に背後に――」

ダンテの首が飛ぶ。ガルムは流れるような動きで砲兵たちの間を舞い、わずか数秒で魔導砲兵隊を全滅させた。

もはや、軍隊としてのていを成していなかった。

『日蝕』というシオンの異常な領域の中で、天雷閣の軍勢は、ただの「餌」に成り下がっていたのである。


3. 敗走、そして癒えぬ傷


「退けェェェェッ! 全軍、後方の『暁の砦』まで撤退しろ!! これ以上は犬死にだ!!」

血まみれになったジーグ将軍が、怒号を響かせる。

不敗を誇った昼国の騎士団が、開戦からわずか一時間足らずで背を向け、泥泥になりながら敗走を始めたのだ。

「リオナ様! 立ち上がってください!」

カイルは、うわ言を繰り返し、完全に心が折れてしまったリオナを抱き抱えた。

「嫌……離して……お姉ちゃんが……お姉ちゃんが私を……」

ガタガタと震え、子供のように涙を流すリオナ。かつての凛々しい戦乙女の面影は、見る影もなかった。

「カイル様! こちらへ!」

混乱する戦場に、一台の装甲馬車が駆け込んできた。手綱を握っているのは、リオナの幼馴染であり、天雷閣の筆頭治癒術師であるアリアだった。彼女は泣きながら、必死に光の防壁を展開している。

「アリア! 助かる!」

カイルはリオナを馬車に放り込み、自らも飛び乗った。

「ジーグ将軍! 僕たちも出ます!」

「行け! 皇女殿下を絶対に死なせるな! 殿しんがりは俺が務める!」

ジーグが単騎で追撃部隊に立ち塞がるのを背に、馬車は泥を跳ね上げて戦場を離脱していく。

4. 残酷なる見送り

「……神穿鴉様。追撃部隊を放ちますか?」

副長ゼッカが、無感情な声でシオンに問う。

敗走する光の軍勢。今なら、一人残らず皆殺しにすることも容易だった。

しかし、シオンは獣化した左腕から滴る自身の血を舐めとりながら、冷たく笑った。

「いいえ。……追わなくていいわ。わざと逃がしなさい」

「逃がす、ですか。あの第一皇女の首こそ、闇御門様からの勅命では?」

ガルムやネロたち幹部が、怪訝な顔で集まってくる。

シオンは仮面を再び顔に当て、ガシャリと留め金を締めた。

「あっさりと殺してはつまらないでしょう? 彼女は今、私という『絶望』を知った。自分が信じていた光が、どれほど無力かを思い知ったはずよ」

シオンの背後で、ハクがグルルと満足げに喉を鳴らす。

戦場に散らばる数千の光の兵士の死体。それらが放つ『恐怖』と『絶望』の残滓を、ハクが美味しそうに吸い上げている。

「絶望は、時間をかければかけるほど、甘く、熟れるのよ。……お母様が死んだ夜、私がそうだったようにね」

シオンは、遠ざかっていく馬車のわだちを、憎悪と、そして微かな悲哀の混じった瞳で見つめていた。

妹の心が壊れる音は、シオンにとって最高の心地よさであり、同時に自身の魂をさらに深く傷つける刃でもあった。

「たっぷり泣きなさい、リオナ。……お前の世界が完全に真っ暗になるまで、私がじっくりとなぶり殺してあげるから」

夜国の軍勢は、深追いすることなくその場に留まった。

戦場に残されたのは、無数の光の騎士の骸と、大地を染める赤い血、そして、消えることのない紫色の『日蝕』の闇だけであった。

光の幻想は崩れ去った。

愛で救えると思っていたリオナの甘い誓いは、姉の圧倒的な憎悪の前に粉々に砕け散り、泥に塗れた。

本当の地獄は、ここから始まるのだ。

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