第二章1『黄昏の開戦』
世界の境界線、「黄昏時」。
太陽と月が同時に空に張り付いたまま動かないこの灰色の荒野で、歴史上最も悲しい戦争の火蓋が切って落とされた。
1. 開戦のファンファーレなき激突
ゴオオオオオオオッ!!
大気が悲鳴を上げるような轟音と共に、東の「光」と西の「闇」が正面から激突した。
先陣を切ったのは、昼国・天雷閣の近衛騎士団長、ジーグである。
「光の聖戦だ! 怯むな! 我らが黄金の雷は、いかなる闇をも焼き払う!」
ジーグが掲げた大剣から、極太の稲妻が放たれる。それに呼応して、黄金の鎧を纏った数千の重装騎兵が、一斉に聖なる雷撃を放った。視界を埋め尽くす光の矢。それは通常の夜国の魔物であれば、触れた瞬間に浄化され、灰と化す必殺の弾幕だった。
しかし。
その光の波が、冥雷鴉の陣営に届く寸前、世界の色が反転した。
「……眩しいわね。消灯の時間よ」
夜国軍の中央。漆黒の飛竜の上で、鉄仮面の指揮官――シオンが、退屈そうに指を鳴らした。
固有魔術展開・『日蝕』
シオンを中心に、半径数キロメートルの空間が、ドス黒い紫色のドームに覆われた。
それは単なる闇ではない。「光」という概念そのものを食らい、魔力回路を凍結させる**「虚無の結界」**だ。
ジュッ……ジュウウウ……。
ジーグたちが放った数千の光の矢は、日蝕の結界に触れた瞬間、水が熱した鉄板に触れたように蒸発し、かき消された。
「な、なんだと!? 我が軍の最大出力が一瞬で!?」
驚愕するジーグの目の前で、シオンは冷ややかに両手をあわせた。
「総員、捕食開始」
2. 蹂躙する獣たち
シオンの合図と共に、夜国の陣営から「異形」たちが解き放たれた。
「ヒャハハハハ! 肉だ! 高級な光の国の肉だぁ!」
先頭を駆けるのは、巨体の魔獣使いオーガである。彼が操る鎖には、獅子と山羊と毒蛇を合成した合成魔獣・ハウンドが繋がれていた。
日蝕の影響で魔力が低下し、動きの鈍った天雷閣の騎士たちに、キメラたちが襲いかかる。
「うわあああ! 盾が、魔法障壁が発動しない!?」
「助けてくれ! 鎧ごと噛み砕かれ――ギャアアア!」
光の騎士たちは、誇り高い「一対一の決闘」を想定していた。だが、冥雷鴉の戦い方は戦争ではない。「狩り」であり「捕食」だった。
オーガが金砕棒を振り回し、騎士を馬ごと吹き飛ばす。キメラたちが喉笛を食いちぎる。
整然としていた光の陣形は、瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図へと変わった。
「落ち着け! 円陣を組め! 闇は光に弱いはずだ!」
ジーグ将軍が声を枯らして指揮を執るが、その声も絶叫にかき消されていく。
彼らは知らなかったのだ。今回の敵将が、単なる闇の使い手ではなく、光を知り尽くした上でそれを殺す術を編み出したと、、、
3. リオナの焦燥、届かぬ黄金
「……嘘。私の兵たちが、手も足も出ないなんて」
戦場の中央。
リオナは、目の前で繰り広げられる惨劇に言葉を失っていた。
彼女が放つ「黄金の雷」は、確かに強力だった。周囲に群がるキメラや闇の兵士たちを薙ぎ払うことはできる。だが、敵の本丸――あの上空に浮かぶ「黒い指揮官」には、指一本届かないのだ。
「リオナ様! 前を見てください!」
婚約者カイルの叫びと共に、彼の聖剣がリオナの眼前で火花を散らした。
弾かれたのは、死角から飛来した毒塗りの短剣だった。
「チッ。流石はアストラル家の若様。いい反応だ」
音もなく影から現れたのは、冥雷鴉の副長、ゼッカである。
かつてシオンに精神を破壊され、忠実な傀儡となった彼は、無表情のまま両手の指から猛毒の糸を放出した。
「神穿鴉様の命令だ。第一皇女、お前の首を頂く」
「くっ……! させない!」
カイルが『太光』の盾を展開し、毒糸を受け止める。
ジュワジュワと音を立てて光の盾が腐食していく。
「リオナ様、下がって! この毒、ただの毒じゃない。魔力を分解する呪いが混ざっています!」
カイルの額に脂汗が滲む。
リオナは唇を噛み締めた。
(私が守られなきゃいけないなんて……)
「退いて、カイル! 私がやるわ!」
リオナは恐怖を振り切り、愛馬を駆った。
狙うは敵将、神穿鴉シオン。あの不気味な日蝕の結界を張っている元凶を叩けば、この戦況を覆せるはずだ。
「黄金の雷よ! 邪悪な闇を穿ち、真実を照らせ!」
リオナの全身から、太陽のごとき魔力が噴き上がる。
聖剣『ソル・ブレイカー』に最大級の雷撃を収束させ、シオンに向けて一直線に放った。
それは、リオナの祈りと愛が込められた、渾身の一撃だった。
4. 絶対捕食者、ハクの顕現
黄金の雷撃が、空を裂いてシオンへと迫る。
だが、鉄仮面の奥の瞳は、微塵も揺らがなかった。
「……軽い。あまりにも、軽い」
シオンは避ける素振りすら見せない。
代わりに、彼女の影が爆発的に膨れ上がり、戦場を飲み込むほどの巨大な顎を形成した。
「ハク。……『おやつ』よ」
ガァァァァァァァァッ!!
影の中から実体化した精霊獣ハクが、リオナの放った必殺の雷撃を、まるで小魚を吸い込むように正面から飲み込んだのだ。
「え……?」
リオナの思考が停止する。
光の魔法が、闇に破られることはあっても、「食べられる」などという現象は聞いたことがない。
「ゲフッ」
ハクは満足げに喉を鳴らすと、飲み込んだ雷を体内で変換し、紫色の破壊光線として口から吐き出した。
ズドオオオオオオン!!
「きゃあああっ!?」
自らの魔力を倍返しにされ、リオナは愛馬ごと吹き飛ばされた。
地面を転がり、泥まみれになる黄金の皇女。美しい鎧は泥に汚れ、兜が外れて金色の髪が乱れる。
「リオナ様!!」
カイルが駆け寄ろうとするが、ゼッカの操る毒蟲の群れに阻まれ、近づけない。
5. 地に堕ちた聖女、見下ろす修羅
「……っ、うぅ……」
リオナは震える手で剣を杖にして立ち上がった。
視界が霞む。全身が痛い。だが、それ以上に心が寒い。
目の前に、漆黒の飛竜から降り立ったシオンが、音もなく歩み寄ってくる。
その威圧感は、生物としての格が違った。
左半身が異形の獣と化し、背後には山のように巨大なハクが控えている。
シオンが歩くたび、地面の草花が枯れ、周囲の空気から酸素が奪われていく。
「な、何なの……あなたは……」
リオナは後ずさる。
(この感覚……知っている。冷たくて、寂しくて、でもどこか懐かしい……。まさか、そんなはずない)
シオンはリオナの数メートル手前で立ち止まり、歪んだ鉄仮面の奥から、低く、ノイズ混じりの声を発した。
「失望したわ、光の皇女」
その声色は、かつての優しい姉のものではない。
地獄の底から響くような、怨嗟の響き。
「お前は何もわかっていない。光が強ければ強いほど、その足元に落ちる影がどれほど濃く、冷たいか。……お前は、その光で誰かを救っているつもりでしょうけれど」
シオンが左手の鉤爪を軽く振るうと、リオナの背後にあった岩が、豆腐のように切断された。
「お前のその無自覚な光が、私という怪物を育てたのよ」
「……どういう、こと?」
リオナは混乱の中、必死に言葉を紡ぐ。
「私は……私は、生き別れた姉を探しているの! あなたたち夜国に囚われているはずの、シオンという女の子を! 返して! あのお姉ちゃんを返して!」
その叫びを聞いた瞬間。
シオンの鉄仮面の下で、唇が三日月型に裂けた。
「ククッ……アハハハハハハ!!」
狂ったような哄笑が戦場に響き渡る。
ハクもまた、主の狂気に呼応して、空気を震わせる咆哮を上げた。
「探している? 私を? 囚われの姫だって? おめでたい頭ね、リオナ」
シオンは一瞬で距離を詰め、リオナの首元を、獣化した左手で鷲掴みにした。
「が、ぁ……っ!?」
リフトアップされ、宙に浮くリオナ。
目の前に、シオンの鉄仮面がある。
「よく見なさい。……お前が探している『大好きなお姉ちゃん』の成れの果てを」
シオンは空いている右手で、自らの鉄仮面の留め具を外した。
ガシャリ、と音を立てて仮面が落ちる。
露わになった素顔。
凍傷の痕。右目には虚無。左目には獣の縦瞳孔。
だが、その顔立ちは、間違いなくリオナと同じ――鏡に映したような双子の姉の顔だった。
「ひ……っ……!?」
リオナの喉から、言葉にならない悲鳴が漏れる。
「久しぶりね、リオナ。……死に損ないの姉と再会できて、嬉しい?」
シオンは、今までで一番残酷で、そして悲しげな笑顔を浮かべた。
その笑顔は、リオナの心にあった「希望」というガラス細工を、粉々に砕き割るには十分すぎた。
「嘘……嘘よ……お姉ちゃん、なの……?」
「ええ。そして、お前を殺す死神の名前よ」
シオンの手指に力が籠もる。
リオナの首の骨が、ミシミシと悲鳴を上げた。
黄金の誓いが砕け、絶望の夜が、今まさにリオナを飲み込もうとしていた。




