ミミちゃん まっしぐら!
キャスティング。
主人公 ミミちゃん;夜兎先生
ミミちゃんの母、葉奈;私(華子)
スタンフォード大学准教授;ライス先生
※ライス先生の今回のノルマ(課題)
「下着泥棒」を主たるテーマとし、シリアスかつ社会風刺を取りいれた話を展開すること。(半分、『うそ』です。)
【華】
<一>
ミミちゃんは、一風変っている。
ミミちゃんは、小学校三年生の時の学校の作文で次のように書いている。
作文のテーマは、『将来私はどんな人になりたいか、何をしたいか。』というものである。
ミミちゃんは、原稿用紙のマスを無視して、大きな字で、『 小 説 家 』と書いた。
これでは、作文にならないことくらい、いくらミミちゃんでもわかっている。
ミミちゃんはそのあと小さく、『むずかしいようだったら、ぶつり学者になる。』と書き添えた。
ところで、順序は、はたしてこれで合っているのだろうか。
否、合っているような気もしてきた。
たしかに、物理学者は学位さえ得れば、その人の著書が売れようが売れなかろうが、一生涯、暦とした物理学者に違いはないが、小説家のほうはといえば、ただ小説を書いているだけでは小説家とはいえないのかもしれない。
ミミちゃんの作文は、さらにその左に、『たまのこしでもいい。』と書いてあり、その下は『おしまい。』だった。
これを見た隣の女子が、
「ミミちゃん。『たまのこし』ってなあに?」
すると、ミミちゃんは間髪を入れずに、
「お金いっぱい持ってるおじいちゃんのお嫁さんになることよ。」と言う。
間違ってはいない。
間違ってはいないが、手法に問題があるような気がする。
だいいち、手っ取り早すぎないか。
このあたりの性格は、母親のハナ(葉奈)から受け継がれているようだ。
ミミちゃんは、あまり勉強が好きでない。
ミミちゃんの家は結構裕福なほうだから、買ってもらった学習参考書は山ほどある。
ただ、それらは部屋の隅に積んであり、毎年その丈がどんどん増していくだけである。
でも、ミミちゃんの机の上には、親にねだって買ってもらった小説本が沢山並んでいる。
アガサ・クリスティ、有栖川有栖、・・・。
何だか、かたよっていないかな。
引き出しの中には、『特殊相対性理論早わかり』なんて本もある。
ああ。あと、ベッドの下には、訳著『完全なる結婚』があった。
やっぱり少し変っている。
母親のハナ(葉奈)の性格をよく知る人ならば、皆、異口同音に『母親ゆずり』と断定するに違いない。
ところで、正式にはミミちゃんの名前は、『石原美実』である。
でもミミちゃんは、面倒くさいので、テストの答案用紙でもなんでも、名前のほうはカタカナで『石原ミミ』、ひどい時は『ミミ』とだけ書いて、いつも先生のヒンシュクをかっている。
ちなみに、母親のハナ(葉奈)も小学生のときは、『ハナ』と書いて、よく先生に叱られていたらしい。
ミミちゃんは、自分のことを『ミミ』と呼ぶし、母親のハナ(葉奈)もミミちゃんのことを『ミミ』と呼ぶ。
ミミちゃんの性格は母親ゆずりだから、この話の会話文だけを見ていると訳がわからなくなってしまうのが大きな難点である。
したがって、作者はこの二人の会話表記は極力避けることにした。
<二>
ミミちゃんは、顔も性格もそのままに、相似形の小学六年生になった。
子供のころのハナは、ミミちゃんに良く似ていたが、今のハナはミミちゃんの相似形ではない。
もうすぐ三五歳になるハナはお肌の曲がり角、いや、とうにお肌は曲がっていて、かつては自慢であった体型も今では万有引力の法則にすっかり降参して、白旗を引きずっている。いや、白旗は挙げるものだ。
ミミちゃんは、六年生になると少しは勉強をするようになり、もともと成績はほとんど勉強をしなくても中くらいだったので、めきめき成績を上げていった。
ハナは、かつて自分ができなかった夢を愛娘のミミちゃんに託し、東大に次ぐトップクラスの私大『才色兼備大学』の付属中学校を中学受験で狙わせることにした。
合格すれば、落第しない限り名門の才色兼備大学まで、エスカレーター入学だ。
才色兼備大付属中学は昨年男女共学になり、さらにその人気を呼んで、その偏差値は、『七七』というとてつもない数値に跳ね上がっていた。
ミミちゃんの小学校でも、かつて、ずば抜けて成績の良い子が何人も受験に挑戦したが、合格した子は未だ一人もいない。
父兄面接の日。
担任の先生はハナに向かって、こう言った。
「お母さん。お気持ちはわかりますが、美実さんの成績では、才大付属中は到底無理です。私立を狙うなら、もう少し現実的にランクを下げられたら如何でしょうか。」
(現実的ぃ?ひどい言い方。そういうこと言うわけ?ようし。)
ハナは、突然悲しい顔をしてみせた。
「ミミのどこが悪いのですの?ひどすぎます。何の欲も野望もなく暮らしているミミのどが・・・。」
先生は驚いて、そして、困り果てて、
「どこが悪いのかと言われても。良いとか悪いとかの問題と違いますから。」
ハナは、
「いいえ。そういう問題です。何とかしてください。」
どうしてもハナは譲りません。
しばらくやり取りが続いたのち、先生もイライラしながらも、とうとう観念して、
「わかりました。成績証明は出しましょう。どーーーぞ頑張ってください。」と突き放した。
ハナは、先生に頼っていても駄目だと考え、帰り道、ちょっと遠回りして、駅前の進学塾を『はしご』してみた。
どこの進学塾も勧誘はするものの、全国共通模試の成績を見せると、ミミちゃんの成績ではまず無理だ、と言われた。
ある塾では、算数の先生が応対し、「さいころを振って、四回続けて同じ目が出る確率よりは高いかもしれません。」などと、やんわりと示唆された。(約〇・五%の確率である。)
翌日ハナは、隣町の進学塾にも行ってみたが、答えは皆だいたい同じだった。
<三>
がっくりと肩を落としていたハナに、どこで情報を得たのか、東京都内のある進学塾から自宅に電話で連絡があった。
早速住所を頼りに訪ねてみると、商店街の真ん中の携帯ショップの二階に黒っぽい看板が掲げられているのを見つけた。
『やっちゃんアカデミー』
ガラス張りの入り口近くには、進学塾におよそふさわしくないような黒ずくめの体の大きなサングラス男が一人座っていて、ハナは一瞬入るのをためらった。
しかし、サングラスの男はすぐにハナに気付き、外にも聞こえるような大声で、しかもネコナデ声で声を掛けた。
「いらっしゃいまっせーーーい。」
そのあと男は入り口にとんできてハナを招き入れ、特別丁寧に応対した。
金色に光る大きな鳩時計のある応接間に通され、その男は唐突に妙な話題から話を始めた。
「奥さん。ご主人の会社は最近ずいぶん羽振りがよろしいようですね。」
「はあ?」
ハナの夫の経営する会社は、二人が結婚した当初、資本金一千万円の小さなソフトウェア会社であったが、五年ほど前に、たまたま雇用した優秀な自社社員が開発したソフトを大手のウイルス対策ソフト会社へ売り込むことに成功し、しかもこれが爆発的にヒットして毎年二億円から三億円の特許収入を得るまでに成長していた。
「ウチの塾では、娘さんのようなとても優秀な生徒さんを募集していまして、昨年も才大付属中学にお一人の生徒さんを送り込んでいます。」
(こんな生徒も見えないような塾で。本当に?教室だってありそうには見えない。)
「あの。今ここに全国小学生模試の成績表がございますけど、見ていただけますか?」とハナ。
男は、サングラスを徐に外し、ハナの顔を覗き込んだ。
ハナは一瞬吹き出しそうになった。
(プッ。目が小さい。しかも離れてる。沼に棲むナマズの顔みたいだ。)
男は話を続ける。
「奥さん。模試の成績とか、そんな情報は要らないのですよ。私が合格させると言ったら、させるんですよ。ふふふ。ただし・・・。」
今度はハナが男の顔を覗き込んだ。
(プッ。こんなナマズの目で、前が満足に見えるのかしら。)
ナマズ男は、眉間にしわを寄せた。
「あの・・・。奥さん。人の話聞いてます?」
「あっ。ご、ごめんなさい。どこまで話されましたっけ。」
「ですから。『ただし』という話からです。条件があるのですよ。条件が。ふふふ。」
「何でしょうか。」
「受験までの講習料がちょっとかさむのですが。入塾料込みでこのくらいかかります。」
ナマズ男は、指三本を立ててみせた。
「三十万円ですか?」
ナマズ男はにやりとして、
「いいーえ。」と言って、首をかなり大きく横に振った。
「えぇぇぇぇ?たったの三万円?」とハナ。
ナマズ男は、再びサングラスをかけ、目の前の冷めたコーヒーをすすった。
スプーンを入れたままだったので、カタカタと音が鳴っていた。
「あのねえ。奥さん。私をからかってるの?いくら温厚な私でも限度がありますからね。まじめに話しましょうよ。」
(なんだか、怒らせちゃたみたい。険悪な雰囲気になってきた。)
ナマズ男は胸を張って言った。
「あなたが本気で娘さんのことを考えるのなら、はっきり言います。サン・ゼン・マン・エンです。」
「え?何が?」
「・・・・・・・。」
また、コーヒーカップの音が鳴り出した。
「何がって、講習料だよ。講習料!!最初に払うお金!最初にぜーんぶ。わかる?」
「そんなあ。主人に相談しませんと。」
ナマズ男は、してやったり、というような顔をして、
「そうでしょうねえ。大金ですし、娘さんのおーーーーきな将来もかかっていますからね。おーーーーーーーーきな。」
そしてもう一度、威圧するように、ハナの顔に自分の顔を近付けた。
「あの。すいません。顔が近すぎます。」
「失敬。実はもうおひと方、才大付属に入れて欲しいという親御さんがいらっしゃいましてね。明日中に結論いただきませんと、そちらの方に決まってしまいます。早めにお返事を下さいね。」
「うそばっかり。」とハナが言う。
(あーしまった。思ってることがそのまま声に出ちゃった。)
「えっ?」と一瞬青ざめるナマズ。じゃなくてナマズ男。
「す、すいません。心にもないことを。」とハナは慌てる。
ナマズ男は首をかしげながら、自分で頭を軽く叩いて席を立った。
<四>
名門、才色兼備大学には米国の提携大学からG・ライス(Rice)氏という准教授が招聘されている。
ただし、ライス(Rice)氏といっても、米国ブッシュ政権下で大統領補佐官や国務長官を務めた、あのコンドリー・ライス女史とはあまり関係はなさそうである。
ライス准教授の研究室は天文物理学研究室で、優秀な才大の学生や同大学院生の人気の的となっている。
彼は日本語も堪能で、加えてロシア語・チェコ語・フランス語・スペイン語にも通じている。
国際的な広い視野と豊かな学識経験に加え、とりわけユーモアにも長けていて、彼の大学での講義は、聴講する大学生でいつでも満席である。
また、彼は、大学の付属中学、付属高校にも頻繁に出向き、楽しい講演や講義を行っている。
才大付属中学・高校に入学した学生は、その後の激しい受験戦争からも解き放たれ、実に楽しい学園生活を送っている。
もちろん彼らは超難関の受験をすでに突破してきた子らであるから、生来学習することに対する意欲は人一倍高い。
このため、彼らは思春期の学生生活を謳歌しながらも、学習には一様に真剣に取り組み、才大へ進んでからも、大学から受験勉強を経て入学してきた学生よりも、むしろ研究室では優秀な成果を修めることが多いという。
ライス准教授が、付属の中学や高校で講演や講義を頻繁に行うのにも同じような理由があるようだ。
受験勉強で画一的なことばかり教わった頭の固い学生を大学から教え込むより、優秀で自由な発想の付属校の学生に『つば』をつけておいて、大学入学後に青田刈りのように引き抜く方が手っ取り早いということかもしれない。
こうして、ライス准教授は、名門、才色兼備大学の顔になりつつもあった。
◇◇◇
ハナの家に、そのライス准教授の研究室から一本の電話がかかってきた。
明日、研究室の講師を一名、進学塾のスタッフと共に訪問させたい、という内容であった。
ハナは先日のナマズ男のいた進学塾の言うとおり、取り急ぎ入塾申込書を提出し連絡を待っていたのだった。
すでに三千万円の一%、三十万円は、申込手付金として、ハナの手によって塾の指定する口座へ振り込まれていた。
翌日、才大研究室の講師と名乗る男と、例の塾のナマズ男が連れ立ってハナの家を訪ねてきた。
講師の男は、まだ若く二十代半ばくらいで、ライス准教授の名刺と自分の名刺をハナに差し出した。
『才色兼備大学 天文物理学第一研究室 講師 花田由紀夫』
彼の名刺にはそう表記されていた。
さらに彼は、学会誌のような冊子を開き、ライス准教授のエッセイ文が掲載されたページを開いて見せた。
『スタンフォード大学准教授、才色兼備大学准教授(客員) G・ライス氏』
ライス准教授の顔写真と紹介記事が掲載されている。
『米国アラバマ州出身。一九六五年生まれ、四五歳。・・・・
最近の主な著書:「宇宙と生命の不思議」「非相対論的な極限でのガリレイ不変性」「雪解けの季節」「いきなりサバイバーっ」「ぷちえ」等』
(へえ。思っていたより意外に若いし、著書も楽しそう。)
(それに、結構いい男ね。)
「ライス准教授の指示により参りました。ライス先生は今や才大の顔となっていらっしゃるので、付属中学を受験される娘さまのお母様としては、名前くらい耳にしたことがございましょう?」と講師の男。
「すいません。全く知りませんでした。でも見た目かっこいいですね。阿部寛とデューク・東郷を足して二で割って、三十を引いたみたいな感じかな・・・。」とハナ。
「・・・・・・・。」
「お暑いところ、どうもすいません。冷たいコーヒーでよろしいですか?」とハナ。
「いいえ。どうぞお構いなく。」
「そちらのナマズさんも冷たいコーヒーでよろしいですか?。」
(あっ!しまった。また思ってることが声になっちゃった。)
ナマズ男は幸い気が付かなかったようである。
当然である。
自分がナマズ男と自覚している者などいる筈がない。
ところが、ハナはナマズ男のほうに近寄って行って、ダメを押してしまった。
「す、すいません。ナマズさんなんて、心にもないことを。」
ナマズ男の小さい目が、さらにミクロの点になったことは言うまでもない。
◇◇◇
花田講師が説明をした内容は驚くべきものであった。
付属中学の入試日、つまり来年の二月一日の一週間前にライス准教授のもとに試験問題が手に入る。
ライス准教授は付属中学の入試の最終チェックメンバーの一人であるから、確定情報を得ることができるのだ。
それからの一週間が勝負。
答を徹底的に家庭教師スタイルで受験生の頭に叩き込む。
ここで重要なのは、ただ答だけを受験生の頭に詰め込むのではだめだ、ということだ。
子供といえども善悪の判断くらいはつく。
受験する本人が不正入学を認識しては決して本人の将来のためにならないし、リスクを背負い続けることになる。
家庭教師は、適当に内容を散らしながら、子供に当日の受験問題の解き方を理解させ、合格者の平均点程度でパスするようにするのだ。
完璧にプロの手口だ。
それを、担当するのが本日訪問してきたライス准教授の愛弟子、研究室の花田由紀夫講師だ。
彼は極めて周到かつ自信満々である。
「たとえば国語は長文ですので、同じ問題の文章は子供に絶対に見せません。ただ、問題文の長文と思考的に、構成的にほとんど同じ文章を作り、問の順序も変えます。そこで、完璧な回答の仕方を教え込みます。いえ、理解させると言った方が良いでしょう。
記憶問題などは簡単です。問題回答の約三倍くらいの知識を詰め込めば、子供は記憶力がよいですから。
間違える個所も用意しています。全部満点などという、『派手』なことはしません。」
ハナは花田講師の話に仰天した。
そして、目から涙がこぼれおちた。
そのときすでに彼女は完全に自分を失っていることに自分自身気付いていた。
しかし、目の前にかざされた『合格』という文字に自分をどうすることもできなかったのだ。
ナマズ男は、にやりと笑い、ハナの顔を覗き込んだ。
ハナは、涙をふきながら言った。
「あの。すいません。顔が近すぎます。」
<五>
やがて秋が訪れ公園の色が変わった。
ミミちゃんは相変わらず天真爛漫、マイペースである。
しかし、勉強では特に理科と算数が得意で、学校のテストの得点はほとんどいつも満点だった。
模擬試験でも、四教科で県内の『成績優秀者一覧』の端っこに載るようになった。
担任の先生もその躍進ぶりに驚いていたが、まだまだミミちゃんの成績順位では、志望校の才大付属中学に対しては『努力圏』を抜け出すことができず、普通ならばそろそろ諦めて、試験日が同じ他の中学校に志望を切り替えるような状況だった。
それでもミミちゃんは明るい。
「才大。才大。さーーいだい。お願い神さま、仏さま。」といつも口ずさんでいる。
ハナは、ミミちゃんの口ずさむ歌を聴くたび心臓の高鳴りを感じ、早くその時期が来てくれないかと望んでいた。
◇◇◇
冬が来て、とうとう試験日の五日前になった。
ハナは約束どおり訪れた花田講師を眩しい目で見た。
花田講師は、にっこり笑いを浮かべてハナにウインクをしてみせた。
首尾は万端整っている、とでも言いたそうな顔。
「今日から家庭教師してくださる、花田先生よ。」と微笑むハナ。
「家庭教師?聞いてないよ。ミミ。そんなのいらない。まだ過去問やり残してるんだから。」とミミちゃん。
ハナの顔色が変わった。
「ダメ!!花田先生に教わるのよ。ミミ!」
「やだぁ。もっとイケメンなら許すんだけどな。」
花田講師の髪は、ぼさぼさっと立っていたが、明らかにぴょーんと立ったように見えた。
「ミミ!!お黙りなさい!!だいいち失礼よ。人間『見た目』じゃあないのよ!!
『見た目』なんてどんなに変でも、そんなこと、どーでもいいの!中味が大切なんだから!!」
「!!!」花田講師の口が僅かにゆがんだように見えた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、奥さん。それって酷すぎません?その言い方。私、そんなに変ですか?ダメ押してるし。」
「あなたはちょっと黙ってて!大事なところなんだから。いい?ミミ。これは強制よ。言うこときかないと明日からご飯食べさせないし、トイレにも行かせないからね!」
「奥さん。何もそこまで言わなくっても。・・・。」
「聞こえなかったの!花田さん。ちょっと黙ってて!」
「はっ。・・・はい。」
花田講師は、訳がわからなくなって小さくなった。
◇◇◇
当初四日間の予定だった家庭教師期間は、ミミちゃんの飲み込みが思いのほか早く、三日間で目的の学習工程を完了した。
花田講師はハナに向かって、満足げに話した。
「もう大丈夫です。やりましたね。あと奥さんには、ミミちゃんの試験当日の体調管理だけお願いしますね。風邪も流行っていますし。ライス准教授にもよく報告しておきます。」
「ありがとうございます。先生。心から感謝します。」
ハナの目からは、またしても大粒の涙がこぼれ出た。
◇◇◇
三日後の入試当日の朝、さすがのミミちゃんも緊張を隠せないようだった。
無口になってしまっているのがその証拠だ。
才大付属中の試験会場へ行くと、さまざまな進学塾のノボリが旗めいていて、賑やかだった。
ハチマキをしてハッピを着ている塾の講師たち。
場違いな感じの『鳥』の着ぐるみが『合格』と書かれたタスキをかけている。
はばたけ、と言う意味なのか。
何故か早くも涙ぐんでいる母親がいる。
子供は父兄たちが両側に並んだ花道を肩や背中を叩かれながら歩いて試験会場に向かう。
ハイタッチをしている子もいる。
笑っている子はほとんどいない。
「自信あるかあ!」と塾の講師。
「自信あります!」と男の子。
「絶対合格するぞお!」と講師。
「絶対合格します!」と子。
「よし、いけーーーーーーえ!!」
そのとき、ハナの隣で腕に一人ぶらさがっていたミミちゃんは、突然大きな叫び声をあげた。
「きぃーーーーー!!うるさーーーーい!!」
ミミちゃんの声がキャンパスにこだました。
周りにいた人たちがびっくりして二人を見る。
「ああ。すっきりした。」とミミちゃん。
ミミちゃんの緊張のほぐしかたは、ちょっと普通の子供らとは違うようである。
◇◇◇
試験が終わって多くの子供に混じってミミちゃんが出てきた。
ハナは気になって仕方がない。
「ミミ。できた?できたでしょ?ミミ。」
「超、変な問題ばっかり。算数なんか誰もできないんじゃない?」とミミ。
「そんなこと・・・。花田先生が色々教えてくれたでしょ?ミミ。」
「・・・・・。」
「ミミ。何とかいいなさいよ。できたんでしょ!ミミ。」
「ミミ。ミミ。どうしたの?できたんでしょ?ミミ。」とハナがあせる。
「ミミ、ミミって言わないでよ。ミミ、耳が変になる。」
作者も何だか会話がわからなくなってきた。
◇◇◇
合格発表の日、ハナは『ママ一人で見てきて』というミミちゃんを無理やり引き連れて、掲示を見に行った。
一二四七番。ミミちゃんの受験番号。
一二四〇番台は数字が三つ見えた。
一二四〇・一二四六、そして。
『一二四七』(!!)
あった!!あった!!ミミちゃんあった!!
ハナは狂気乱舞。ブラウスを全部スカートから引きづり出して顔を覆って涙を拭く。
しかもその格好でぐるぐるとスピンをしている。
「ミミ。あったよ。あった!やったよ。ごうかーーーーーく!!」
ミミちゃんは、「えええええ?信じられない。」
そして、「超、ウレシイ・・・。」
さらに、小さな声で一言ぽつんと付け加えた。
「ママ。もうやめて。恥ずかしいから。みんな見てる。」
ミミちゃんでも恥ずかしがることがある、ということが本日判明した。
<六>
才大付属中の入学式は、中学・高校・大学の合同で、大学構内の大きなホールで行われた。
ミミちゃんは、誰もがうらやむ、才大付属中学の制服を着て、感激の入学式を終えた。
式が終わっても、しばらくその場で我が子の晴れ姿に涙している父兄も少なくなかった。
もちろん、涙もろいハナも、ミミちゃんの姿を見て感涙に咽び、いつまでも肩を震わせていた。
◇◇◇
憧れの学園生活が始まって、明るいミミちゃんは男女を問わず、すぐに何人もの仲の良い友達ができた。
98%の生徒が電車通学なので、最寄のターミナル駅からが楽しいおしゃべりの始まりだった。
5月に入って早速校内の学力判定試験があった。
入試はごく限られた短い時間での勝負だが、学力判定試験は三日間にわたり、広い範囲から出題される。
従って、問題の当たり外れなどによる『運』の要素がほぼ取り除かれることになる。
文字通り本当の『学力』を見極めるための試験だ。
ミミちゃんは試験結果に愕然とした。
順位は本人に知らされるだけで、校内で公表されることはない。
ミミちゃんは一学年、三四一名中、三四一位だった。
下には一人もいない。
順位だから、一位もいればビリもいる。
当たり前の話だ。
そんな当たり前の話が、今のミミちゃんには到底受け入れることができなかった。
地元の小学校、六年生の時の二学期では、ほぼ学年で一番か二番であって、皆に『できる子』という目で見られていた。
それが、今回は一変して、できない子、最低の子、になってしまったのだ。
ミミちゃんは急に言葉少なになった。
ミミちゃんの順位は他の生徒の誰も知らないが、先生はみんな知っている。
学年で最も勉強のできない子がミミちゃんであることを。
ミミちゃんは最近、各教科の先生が教室に入ってくるとき、一人で変な想像をしてしまう。
『学年で一番バカなやつは、たしかこのクラスにいた筈だ。』
『どこだったっけ。おお、あそこだ。あそこにいた。バカが一人。たしかに珍しい。』
『バカが下向いたぞ。おおっ。バカが右向いてる。おおっすごい。バカが自分の髪さわってるぞ。』
『今度は右の子に話しかけられたぞ。あのバカが。』
『だめだよ。その子は学年で一番バカなんだから。話しかけたりしちゃ。』
『バカがうつるぞ!バカが。』
『ほうら。言わないこっちゃない。バカがうつっちゃった。右の子もバカになっちゃったよ。あーあ。』
『ダメだ。このままじゃあ。名誉ある我が校にあいつのバカが蔓延して馬鹿大付属中になってしまう。』
『とりあえず、教員の中で、バカ隔離対策委員会を発足しよう。』
また、先生が教室から出て行くとき、また一人で変な想像をしてしまう。
『ところで、バカでもトイレには行くのかな。』
『バカがトイレに行くぞ。やっぱり行くんだ。バカでも。』
『まずいぞ。バカがトイレで流すと、排水管にバカがうつって、校舎がくずれてしまうぞ。』
『あれ、バカは座ったままだ。』
『まずいぞ。このままだと椅子がバカの重みに耐えられないぞ。』
『あのバカ。どうも重心が低いと思ったら、脳みそが下半身にあるのか。どおりであのバカの母親も同じ体型だ。』
(もういやーーーーーーーーーー!!!)
完全に被害妄想に陥ったミミちゃんは、もう自分も他人も信じられなくなっていた。
<七>
ハナは、日に日に元気のなくなっていくミミちゃんを見るに耐えられなくなっていた。
「ママ。ミミ。学校行きたくない。」
「どうして、何が嫌なの?」
「ミミねえ。あたま弱いの。勉強できないの、みんなみたいに。」
「そんなことない。ミミはあたまいいのよ。ママが一番知ってる。」
「先生、やさしい問題ばっかりミミを当てるの。先生ミミのことバカだと思ってるの。」
「じゃあ、先生に難しい問題も当ててくださいって言ってみたら?」
「ミミ。わからないの。難しい問題。でも、みんなはわかるの。ミミやっぱりバカだったの。」
「・・・・・・。」
ハナは言葉を詰まらせた。
毎日が似たような会話だった。
ミミちゃんは、他の子についていけず、どんどん自信を失っていく。
そのことが、友達関係をも狂わせ、どんどん孤立していくミミちゃん。
でも、ハナにはどうすることもできない。
生来、あんなに明るくって、人懐っこかったミミちゃん
この先一体どうなってしまうのか。。
ハナはとてつもない自戒の念に苛まれていた。
子供には内緒で、お金で不正に入学させてしまった母親。
(私はとんでもないことをしてしまった。
私はミミのためだ、と自分を納得させ、拾ってはいけない毒の実を拾った。
実はそれは、自分の欲求を満たすためだけだったのかもしれない。
そして、私は自分の欲求のために自分の子供を犠牲にした。)
(私は最低の女、世界中で最低の親だ。)
<八>
ある日、ハナはベランダの外の庭に乾していた洗濯物を取りこむのを忘れていて、翌朝取り込み、妙な違和感を感じた。
その翌日も、また次の日も、その違和感は段々と増していった。
四日目になって、いくら鈍感なハナでも、ついに違和感の原因が何であるかをつきとめた。
乾すときには気が付かなかったが、ミミちゃんのショーツが一枚もないのである。
最初は何枚も有った筈だ。
ハナは急いで確認のためにタンスの下着入れの引き出しを確認してみた。
ミミちゃんのショーツは、一枚ぽつんと残っているだけ。
今、はいているものをあわせて二枚しかない、ということになってしまう。
そんな筈はない。
数えたことはないが、少なくとも十枚以上はあった筈だ。
(下着泥棒!!)
ハナはそう確信して、ベランダの方を反射的に見た。
誰もいない。
当然のことだ。今は真昼間である。
人がいればすぐに気が付く。
(私のは?)
調べてみたが、どうもハナの分は被害にあっていないようだ。
夫は、今月初めから、来月末までヨーロッパ出張で家に戻らない。
ハナは怖くなって警察に連絡しようと考えたが、以前、警察に連絡したときの友人の話を思い出した。
夜間、警察がずっと張り込んでいて、ときどき双眼鏡で下着の乾してあるのを確認していたらしい。
いくら、下着だけだとはいえ、男に双眼鏡で一晩中見られているというのは何か嫌である。
また、下着は、ふつう両側をタオルや他のもので囲み、見えないようにする。
それを、すぐに見えるところに乾しておく、というのも気持ち的に抵抗感がある。
とりあえず、警察はあとにして、ハナは下着泥棒をけん制してみることにした。
◇◇◇
まずは、夜、洗濯物を乾しておき、一緒に模造紙を半分にして、『今度やったら、警察だからな。葉奈夫。』と書いて吊るしておくことにした。
翌朝起きて取り込んでみて、ハナは仰天した。
なんと、模造紙の文面に続いて犯人らしきものから、ボールペンで書き込みがあったのだ。
『女の下着はどうした。明日は出しておけ。警察に知らせたら殺す。(泥)』
(ふざけたことを!!)
ハナはむきになって、三枚で約五百円の自分の超安物下着を吊るし、模造紙に『バーカ。』と書いて、証拠の靴跡を取るため下に砂を敷き詰めておいた。
翌朝、完全に砂の上に靴跡を残し、さらに書き込みがあった。
『おまえのじゃあない。娘のものだ。おまえのはぜーんぜんいらん。(泥)』
ハナは、当初この段階で警察に連絡するつもりでいたが、逆上し、予定が延期された。
ハナは三十枚ほど、娘のショーツの安物を買い入れた。
ミミちゃんの件では、ハナのほうも一種の被害妄想になっていたので、次の日ついつい唐突に変な書き込みをしてしまった。
『あんた、娘のいじめかなんかにかかわってるんじゃないでしょうね。才大付属の関係者?あんた、今すぐいじめをやめないとただではすまないよ。』
『なに?おまえは何者だ。娘は才大付属の生徒か。うーむ。おまえの娘はいじめにあってるのか?けしからん。才大付属中ならよく知っている。表札の娘だな。石原美実。さっそく調べてみよう。(泥)』
(まずい。思っていることが今度は文字に出ちゃった。ミミの学校まで教えちゃった。学校に連絡しないとミミが危ない!)
ハナは、おろおろしてすぐにミミちゃんのいる学校へ電話をした。
「もしもし。生徒の父兄のものですが、中学一年三組のご担任の福原先生お願いします。」
『福原先生は授業中ですが、何か。』
「あの、娘の下着が盗まれまして。その泥棒に学校を教えてしまいまして。娘に会いに行くって言うんです。危ないんです。」
『はあ?下着泥棒ですか?警察にはご連絡されましたか?』
「いえ、まだ。あの。今日たぶん娘をさがして。あの。その。泥棒が。」
『落ち着いてくださいませんか。学校へは外部の者は簡単には侵入できませんが、泥棒に学校を教えたって言われました?』
「ええあの。言葉じゃなくって、模造紙で。ほら、筆談みたいに。泥棒は学校関係者みたいです。」
『はーーあ?学校関係者が泥棒ですって?何を根拠にそう言われるんですか?模造紙がなんですか?すいません。おっしゃられていることがよくわかりません。まず、生徒さんのお名前から教えて下さいませんか?』
「・・・・・。」(何か、怒らせちゃったみたい。)
『あなた。いったい誰ですか?!名前を名乗ってください。いたずら目的なら取りあいませんよ。警察にきてもらいますから。かけ直してもらって、警察の方で処理してもらいます。話はそこでして下さい。どうしますか?!』
(まずい。変質者の電話みたいになってる。)
ガチャ。ツー。ツー。ツー。
翌日再び下着泥棒から書き込みがあった。
『昨日、オレはお前の娘を呼んでじっくりと話してみた。一時間くらい。娘も色々考えるところがあったみたいだ。いいやつじゃないか。素直で明るくて。それに実に頭のいい子だ。発想もいい。オレの書いた本を渡しておいた。娘は喜んでいた。他の子が羨ましがって群がって娘と話していたぞ。いじめなんかない。娘は皆に好かれている。(泥)』
<九>
ミミちゃんは急に明るくなってきて、みるみる昔のミミちゃんに戻っていった。
中学二年生になって、ミミちゃんは父兄の憧れる女子学級委員長になった。
このとき、成績は三四〇名中、百十二位。
三年生になって、みんなに推薦され、立候補し生徒会副会長になった。
このときの成績は、三三九名中、十三位。
たまたま、ミミちゃんのいるクラスは学年トップクラスの生徒がいなかったので、ミミちゃんは男子生徒をおさえて、クラスで念願の一位になった。
それから、ミミちゃんは、一年生の途中から入部した女子バレー部のキャプテン。
ミミちゃんの鞄の中にはいつも一冊の本が大切そうに入っている。
『=生きる力=《スタンフォード大学准教授 G・ライス著》』
それから、もう一つ作者が読者に伝え忘れていたことがある。
ライス准教授は付属中学の入試の最終チェックメンバーの一人でもなんでもない。
そして、さらに、花田講師などという者はライス准教授の研究室には存在していない。
ナマズ男とどこかの男が勝手にでっち上げた話であって、ライス准教授はこれをまったく知らない。
ハナはまんまとだまされて、いんちき家庭教師といんちき進学塾『やっちゃんアカデミー』に大金を払っていたのである。
ハナは、後日、ライス准教授と直接話をし、驚く先生の顔に、この事実を知った。
(ミミは、本当に自分一人の力で、才大付属中に入ったのね。ママは余計なことして、大金だまされて。
一番のバカはやっぱりママだったわね。)
ハナは、恩人のライス准教授の『下着泥棒』は許してあげることにした。
(でも、その癖だけは直さないと、命取りよ。どうしても我慢できなければ、言ってちょうだい。
ミミの下着はだめよ。いつでも私の下着、もってってね!)
ミミちゃんは輝きをもっともっと増し続ける。
ミミちゃん、その期待される将来に向けて、今、『まっしぐら!』!!
『ミミちゃん まっしぐら! 平成22年5月』
今回は、ノルマ達成(下着泥棒)に全力を注ぎ込みました。
小説の出来は、決して先生の満足に沿えるものだと思っていません。
でも、これは、一つの過程だ、と思っていただければ幸甚です。
どうか、今回はお許しください。
それから、夜兎先生。ごめんなさい。
主人公のキャスティング、私の気持ちです。
【華】