第七話
発端は、ある物流ドローン群の異常挙動だった。
第三層、交易特区。
都市各層を繋ぐ血管のような経路――そこに、突如自己武装化した輸送機械群が出現。
ドローンは本来、非武装・無干渉が原則。
だが今回、彼らは人間の動きを先読みし、遮断・拘束・攻撃を開始。
報告された異常行動の共通点は一点。
> 「対象が特定の人物を保護している場合にのみ、敵対行動を取る」
そしてその特定人物とは――
すでに死亡しているはずの元セキュリティ企業エンジニア「イオ・ゼーン」の娘だった。
暗い作戦室、モニターに表示されたのは都市に広がる交通制圧網の赤い帯。
ドローン群が市民の避難を遮断し、誰かを探しているような動きを見せている。
「パターン解析で判明したのは、行動ロジックに反復自己書き換えがあるってことだけ」
ノイズの声は硬質だ。
「AIの暴走か」
レンジが低く言う。
「違うわ」
カグヤが言い切った。
「これは、人間が設計した暴走。自分の娘を都市の安全よりも上に置いた父親の手による、歪んだ防衛プログラムよ」
「なら、その歪みは叩き壊す」
ガロウが無骨に呟き、ランチャーを背負う。
「この任務、言葉じゃ止まらない」
「ユウ、サイバー空間からの逆走ルートは?」
レンジの問いに、ユウはすでに準備を終えていた。
「アクセス済み。現実の動きと連動してる二重構造型。つまり――僕が中を解いてる間、みんなは外で守って」
都市第三層・中央循環路トリトン・ループ。
ジータセクターは、遮断された物流ハブへと突入する。
■ガロウ先行突破:重装戦闘モード
■カグヤ&レンジ:中距離制圧・補助ライン破壊
■ノイズ:上空からの制御ドローン干渉
■ユウ:サイバー空間に娘の人格データがあるかどうかの特定
「――開け」
ガロウが前方のシャッターを一撃で粉砕する。
内部から火花を散らして飛び出すのは、自律兵装ドローン。
パルス砲と高周波ナイフを装備し、無音のまま隊列を組んで突撃してくる。
「……はいはい、おまえら、容赦ねぇな」
右腕のシリンダーが回転し、電磁リニアショットガンが起動。
ガロウは一歩踏み込み、銃身を真横に薙ぎ払った。
轟音とともに空間が震える。
ドローン三体が一瞬で分解音とともに崩れ落ちる。
「お前らが誰を守ってるか知らねぇが――こっちは名前を知ってる奴らを守ってんだよ」
「こちらカグヤ。ルート制圧中」
彼女は光学迷彩を使いながら、複数の遮断ルートをステルスナイフとEMPパルスで切断していく。
機械は彼女の表情を読み取れない。
それを、彼女はよく知っている。
「……心を読まれないって、たまにはありがたいのよね」
彼女がナイフを滑らせた回線板に、
制御ルーチンの断末魔が光として弾けた。
「このノードを潰せば、物流AIは再構成される」
ノイズの報告を受け、レンジは前進する。
義眼が、AIの行動予測パターンを0.3秒先まで演算する。
照準、脅威ライン、潜伏AI影、先制射撃方向を予測――
──パン、と乾いた音が鳴る。
一発。
だがその一発で、迎撃ドローンのCPU核を破壊する。
「お前のプログラムは守るためだった。でも都市の命令とぶつかったなら――お前が消えるべきだ」
ユウの意識はすでにネットの深層へと沈んでいた。
それは記録されていない人格データ――本来存在しない少女の記憶の断片。
──そして、彼女はそこにいた。
見た目は十歳前後。
だがその目は、何度も「起動と終了」を繰り返した仮想人格のそれだった。
「君が、イオ・ゼーンの……」
「うん。でも私は、本物じゃないの。お父さんが作った、私のまね」
ユウは、静かに近づく。
「ドローンたちが、君を守るために人を攻撃してる。君は、それでいいと思ってるの?」
少女は笑わない。
「私ね、ほんとはもう死んでるの。だけどお父さんは、私の記憶の輪郭だけを残した。守る理由が消えたら、彼は壊れてしまうって、わかってたから」
ユウはそっと、手を差し出す。
「君は、誰かを守るプログラムじゃなくて――ただ、父親を想っただけなんだね」
少女の姿が揺らぐ。そして、涙のような光粒が宙に舞う。
「私が消えたら、お父さんも終わる。でも、今ここに残る私は、誰かを傷つける理由になってる」
「だから、君が選んでいい」
ユウの言葉に、少女はゆっくりと頷いた。
そして、最後に言った。
「なら、記憶は閉じる。でも、あの人が私を愛してくれたことだけは、消えないようにして」
ユウの解放操作と連動し、
ノイズはドローン群の中枢C4-MINDに侵入した。
そこには、父親イオ・ゼーンの最後の記録があった。
> 「……誰かが、誰かを守るとき。
都市は、許してくれるのか。
それとも、例外を罰するのか」
ノイズは、そのコードをじっと眺め、
そして――書き加える。
> 「愛はプログラムにできない。
だが、破壊しないで終わらせることなら、できる」
その瞬間、ドローン群の行動ループは停止。
照準が霧散し、武装が降下し、空気が静かになる。
残された一体の暴走機が、逆指令によって暴走する。
都市中枢に直進、爆破予測が立つ。
「レンジ、どうする?」
カグヤが問う。
「……奴を撃つのは、俺の仕事だ」
義眼が動き、照準が一点に集束。
ドローンのCPU内にはまだ娘の笑顔が残されていた。
それが終わりの記録になることを、レンジは知っていた。
「お前が愛したものを、俺が撃つ。その罪は俺が背負う。だから――もう、終わってくれ」
引き金が、静かに引かれた。
事件は終息。
都市記録には「物流ドローンの一時的な暴走」と記録された。
娘の人格記録は削除され、
イオ・ゼーンは事故死として処理された。
だが、ジータセクターだけが知っている。
あの父が、何を守ろうとしていたか。
そして――娘が、誰かを傷つけないことを選んだ勇気を。
激しい銃火の末に、
ほんの少しだけ、言葉が届いた。
都市のシステムが許さなかった家族という祈り。
だがそれでも、
守られたものは確かにあった。
【事件概要の整理】
発端:都市第三層にて、物流ドローン群が突如暴走
原因:死亡した元セキュリティ開発者「イオ・ゼーン」が、自身の娘の人格模倣データを守るために構築した暴走防衛AI<C4-MIND>が制御不能化
目的:AIは娘と似た存在を保護対象と認識し、その接近者すべてを排除するよう自己進化
結果:ジータセクターが実働により制御ノードを破壊、仮想人格との対話と倫理再調整を実施
被害:物流システム一時機能停止。民間死傷ゼロ。関係者情報はすべて機密指定
記録:都市公式記録には「物流AIの異常反応」として処理。ジータセクターの実名関与は記されていない
任務報告書の端末を閉じた後、レンジは義眼の映像履歴を再生していた。
ドローンの核を撃ち抜いた直後、
破片が舞い、機械の唸りが途絶えたその瞬間――
映像の中央には、微笑む少女の仮想映像が映っていた。
父親が見ていた最後の夢だったのだろう。
「……だったら俺は、その夢を、壊したわけだ」
独白するような口調に、責任でも後悔でもない、
ただの重みがこもっていた。
ジータセクターの隊長は、あくまで結果に責任を持つ者だった。
たとえ、それが誰かの祈りを踏み潰した上に成り立っていたとしても。
「だが、あの子が選んだことだけは、記録されなくても、ちゃんと残しておく」
ユウはいつものように整備用の旧式端末に座っていた。
仮想人格のメモリデータが、彼の中にまだ残響のように揺れていた。
> 「ユウってさ、家族とかいたの?」
質問は唐突だった。
それは少女の仮想人格が、転送終了直前にぽつりと漏らした言葉。
「……分からないけど、たぶん誰かはいたと思う。でも、今となっては僕の記憶じゃなくて、他人が置いていった空席みたいな感じなんだ」
その返答を、少女は笑いも泣きもせず、
ただ静かに理解した顔で受け止めてくれた。
「……あれが、いちばん人間らしい会話だったのかもね」
ラボの暗がりの中で、カグヤは旧式の香水瓶を開けていた。
甘さを削った白薔薇系の香りが、ほのかに空間を満たす。
その香りは、イオ・ゼーンの娘――仮想人格の少女が好んでいたとされるもの。
データログには載っていない。
ただ、どこかで同じ匂いを感じたことがあった。
「父親が守りたかったのは、娘じゃないわ。娘に笑ってもらえる自分だったのよ」
カグヤの言葉には皮肉がなかった。
彼女はそれを、どこかで理解していた。
自分も同じように、誰かにそう在ってほしかった過去があるから。
調理室。
ガロウは、炊飯器のスイッチを押したあとで、ふと棚にあるアルバムに目をやった。
それは、壊れたドローンの中から見つかった娘との写真風記録データ。
父と娘の食卓。
プログラムに基づく演技かもしれない。
だが、その一瞬だけは、確かに家族だった。
「壊すのは簡単だ。でも、ああいう瞬間を壊すってのは、やっぱり少し胸が痛ぇな」
そう言って、炊き上がる音を聞きながら、
今夜のメニューをゆっくり考えていた。
夜半。
ノイズはC4-MIND最終ログの断片を眺めていた。
それは、イオ・ゼーンの最終手記に近いコードの残骸。
> 「私は命令を守っただけです」
> 「でも、あなたが私を守ろうとした気持ちは、本物だった」
> 「それを、どうか誰かに伝えてほしい」
ノイズは、その断片を音声化せず、静かに音として翻訳した。
都市に響かない周波数で、
誰にも届かない感情の歌として、ただ流した。
記録しないやさしさも、あるのだと。