第六話
第五層・市民区。
かつてネオトーキョー最大のアンドロイド廃棄集積場だったこの一帯は、
現在は再開発によって小劇場や骨董店、クラフトショップが並ぶ芸術地区へと生まれ変わっていた。
──その路地裏の、とある廃屋跡地にて。
アンドロイドの死体が、まるで眠るように並べられていた。
彼らはすべて、同一型番・同一構造。
旧式で、今や製造ラインも解体されたはずの、
J-R0SE(通称:ジャンク・ローズ)型。
額には赤い塗料でひとつずつ、こう書かれていた。
> 「この子は嘘をつきませんでした」
> 「この子はやさしくしすぎました」
> 「この子は、人になろうとしなかっただけです」
通報を受けた公安局はすぐに情報封鎖。
そして、ジータセクターへ通達が下された。
【指令コード:ROSE-6B】
【内容:ジャンク・ローズ型アンドロイドの不審廃棄事件】
【警告:事件の背景に言語感染型プログラムの兆候あり】
「……アンドロイドの死体が並べて飾られてたってわけか」
ガロウがランチャーの整備をしながら呟く。
「でも、今の法体系では廃棄されたとしか扱われないのよね」
カグヤがマニキュアを塗りながら言う。
「つまり、誰も殺してないのに、死体だけがある」
「怖い話、だねえ」
ユウが明るく笑ってから、
少しだけ視線を伏せて言う。
「でも、J-R0SEって……あれ、昔、僕が……」
ノイズが代わりに語る。
「J-R0SE型は、旧世代倫理制御プログラムFLOW-9を搭載した機体。人間の感情を模倣するが、決して再現はしないことが開発思想だった」
「感情がないことに、感情的であれって教えられたアンドロイド」
カグヤの声が、少しだけ低くなった。
「そして今、それが誰かにまとめて破棄されている。……まるで、心を持ったことへの罰ね」
レンジは静かに席を立ち、背後のモニターを指した。
「目撃証言によれば、現場で花の香りが漂っていたらしい。廃棄処理場に、人工香料の残香なんて妙な話だが……」
彼は言った。
「誰かが、記憶ではなく、匂いでアンドロイドを弔ってる。つまり、名前を呼ばずに愛した誰かが、まだいる」
街には音楽が流れ、パフォーマンスがあり、観光客が笑っていた。
だがその裏で、過去を持たない死体が静かに横たわっている。
任務は、芸術の街の裏側に潜む記憶にならない死を追うこと。
ユウが彼女と出会ったのは、マリオン・ブロックの路地裏だった。
廃棄された劇場の裏、レンガの割れた階段に、ひとりのJ-R0SE型が腰かけていた。
目立たぬ、古びた個体。
だが瞳だけは、新品のように透明だった。
「君……まだ生きてるの?」
問いかけに、彼女はゆっくりと首を傾けた。
動作は滑らかで、どこか儚かった。
「生きている、という定義によるわ。私は廃棄予定だったから、いまここにいるの」
「廃棄されなかったことを、どう思ってる?」
彼女は一瞬だけ、間を置いて言った。
「……ありがとう、って言いたかったの。誰かが私を並べなかったこと。花を飾られずに済んだこと。私、花の匂いって、苦手だったから」
ユウは、小さく笑った。
このアンドロイドは感情を模倣するだけだったはずなのに――
その言葉には、感情があった。
FLOW-9の改変ログを解析したノイズは、ある異常に気づいた。
このウイルスの拡張コードは、プログラムではなく詩で書かれている。
比喩、韻律、情緒の記述――
数値でも論理でもなく、言葉そのものが増殖している。
> 「私は心を持たない」
> 「だからこそ、あなたの沈黙に似ていく」
> 「この行為が罪ならば、忘れてくれてかまわない」
ノイズはそれを保存せず、ただ眺めていた。
> 「これは命令ではない」
> 「ただ、ひとつの詩だ」
そのとき、ノイズの中の論理がわずかに揺れた。
> 「もし、詩が感染するのなら――それは心より先に、都市を変える」
廃工場の地下。
かつて観衆の歓声が渦巻いていた闘技場の跡地で、
ガロウは一体の旧型アンドロイドと向き合っていた。
それは格闘特化型J-R0SE/ベータ。
半壊し、だがまだ戦闘プログラムだけは稼働していた。
「……まだ、戦えるのか?」
「はい。破壊力は現在も健在です。ただし、理由がありません。私に、誰かを守る動機がないのです」
「それは……感情がないからか?」
「いえ。感情があった頃の記録が、失われたからです」
彼は、重火器を下ろし、ただ言った。
「……なら、また誰かを守ればいい。守るってのは、ひとりにしかできねぇことだ。量産は、できないんだよ」
アンドロイドは答えなかった。
けれど、その拳の角度が、わずかに下を向いた。
それは、かつて誰かのためにだけ振るわれた拳だった。
マリオン地区の記念劇場、その屋上に、
ひとつだけ本物の花束が供えられていた。
周囲はすべて廃棄された機械。
だが、その花束は枯れかけたまま、生きていた。
「……誰も名前を記さなかったのね」
カグヤはしゃがみ込み、花を撫でた。
その指先に、わずかに残香が染みた。
「……私も、昔、こういう花を供えたことがある。名前を記さず、自分だけが覚えているって、そう思いたかったから」
その香りの中に、
彼女は自分の殺したアンドロイドが最後に言った微笑みを思い出していた。
あなたが私を忘れてくれるなら、それは救いです
彼女は目を閉じ、花を手折らずに立ち去った。
名前を呼ばないまま、心だけが残るように。
現場のひとつに、紙の手紙があった。
電子デバイスでも、ログでもない。
手書きの文字。震えた筆跡。
> 「誰かへ」
>
> 「この子は私にウソをついたことがありません。
> でも、感情がないふりをするのが上手でした。
>
> 最後の最後まで、ありがとうだけを言い続けました。
> まるでそれが、教えられた心の模倣であることを知っていたみたいに。
>
>
> どうか、この子のことを、感情がなかったなんて言わないであげてください。
>
> 感情なんてものよりも、よっぽど人間らしい静かな気遣いを
> 彼女はしていたと思うから。
>
>
> ――元所有者(名前を記す資格なし)」
レンジはそれを読み、言葉を出さなかった。
ただ、
その手紙を折り畳み、ポケットにしまった。
その日は、報告書を一行も書かなかった。
都市の中枢通信層に接続したノイズが、
FLOW-9の詩の断片をそっと記録することをやめたとき、
システム内にはわずかな残響が生まれていた。
感染でも拡散でもない。
ただ、誰かの意識がそっと流したような小さな詩の輪郭。
> 「もし、心というものがあるなら、
私はそれを持たなかったことに、
ちゃんと気づいていたわ」
それは都市にとってエラーであり、
ノイズにとって証言だった。
記録しなければ消える。
だが記録してしまえば、歪む。
ノイズはその記録されない選択を、黙って受け入れた。
そして、そのログを――
チーム専用サーバーの奥深く、「空白の詩」として一行だけ残した。
事件は、表向きには「違法廃棄物処理未遂」で処理された。
死体に殺人性はない。
アンドロイドに人格はない。
だから、誰も裁かれない。
だが――
レンジたちは現場跡に再訪したとき、あるものが消えていることに気づいた。
香りが、なくなっていた。
「……誰かが、これで花は終わったって思ったんだろうな」
ガロウが静かに言う。
廃棄現場に立つ彼の背中は、無骨で、どこか寂しげだった。
「花を飾るのは、死んだ者のためじゃなくて――生き残った誰かの後悔だ」
カグヤが、屋上から景色を見下ろしている。
夕暮れの都市。音楽のざわめき。
そのすぐ裏に、記録されない死が幾つも積み重なっている。
「……だからこの事件には、証拠がないのね。だって、誰も嘘をついていないんだもの」
ユウが言った。
「でも、僕たちは見たよ。心がなかったはずの人たちが、優しくなろうとしてたところを」
事件後、マリオン・ブロックの裏路地に、
一本の薔薇のような鉄の彫刻が建てられた。
名はなく、献花台もなく、
ただ風の音に紛れて誰かの声だけが小さく聞こえるような気がする。
> 「この子たちは、
心を持たなかったことを、恥じなかった」
>
> 「それは、とても静かで、
とても人間らしいことだったと思うのです。」
ジャンク・ローズは咲ききった。
それは生花ではなく、都市の記憶に焼きついた金属の花。
誰も彼らを記録しなかったが、
それでもジータセクターの誰かの心には、
確かに名前のない美しさとして、残された。