第4話 託された小さな命
俺は茂みから飛び出すや否や、最も後方にいた男の背中を深く斬り捨てた。
「があぁ!」
闇夜に轟く断末魔の叫び――だが、残る二人は驚きもせず、すぐさま俺に戦意を向ける。
(ほ~、よく訓練されているな)
男の一人がナイフを投げてきた。
俺がそいつを弾くと、そのナイフの影に隠れて黒塗りのナイフが現れる。
そいつも難なく弾き、俺はナイフの刃に付着していた液体に舌打ちをぶつけた。
「チッ! 二段構えのナイフに毒とはえげつねぇなぁ。てめぇら、魔族の暗殺部隊か?」
「…………」
「暗殺部隊が何故、そこの剣士と赤ん坊を狙う?」
「…………」
「ふん。ま、だんまりだよな。事情はそちらの女性から聞くとしよう」
俺は踏み込む。
彼らも体を前のめりにして反応を示したが、次には上半身と下半身を二つに分けて地面へと転がった。
「おせーよ」
四つに分かれた彼らに一声かけて、女性剣士へ近づく。
彼女は剣を下ろして、その剣先を地面に刺して立っているのがやっとの状態だった。
ぼたぼたと落ち続ける血の量に俺は顔を歪めた。
(流した血の量が多すぎる。それに毒も……これでは回復魔法でも助からない)
彼女は焦点の合わない暗緑色の瞳をこちらへ向けてきた。
「誰、だ……?」
「安心しろ。敵は全て斬った」
「すべて……あのロベリアの追手を……こうもたやす……」
「ロベリア!? 魔王直属の特殊部隊じゃねえか!? なんでそんな連中があんたを!?」
「はぁ、うぐ、だれかはわからぬが、おそらく人間なのだろう。たのむ、みのがしてくれ」
「おそらく? お前、目が……?」
「私はころされてもかまわない。だけど、この方だけは……」
女性剣士は剣を手放し、懐の赤ん坊を守るように両手で包み込みながら地面へと崩れ落ちた。
地面に広がる血の泉。
瞳にはもはや何も映っておらず、耳もほとんど聞こえていない。
そうであっても、彼女は赤ん坊を守ろうと、自らを盾にして庇おうとしている。
俺はそんな彼女の肩へ、とても柔らかく手のひらを置いた。
一瞬、彼女はピクリと体を動かしたが、その手のひらから敵意がないことが伝わり、すぐに緊張を鎮めた。
そして、懐から赤ん坊を取り出して、俺へ差し出してくる。
「た、たのむ。この方を……どこか、安全なばしょへ」
俺は赤ん坊を優しく両手で抱き上げて、彼女の耳元で言葉を伝える。
「ああ、わかった。約束しよう。必ず安全な場所へ送り届ける」
「必ず、必ず、必ず、その方を、あんぜんな……」
「わかっている! 心配するな。たとえ魔族であっても赤ん坊に罪はない! 必ずや、俺がこの子を守って見せる!!」
「……ありがとう」
彼女はだらりと両手を落として、ゆっくりと頭を下げていく。
そして、最期に耳を疑うようなことを口にした。
「……カルミア様。なぜ、ガルボグ様のお命を、うばったのですか? あれに、こころを? しんりゃ……せかい……かぎ……」
「ガルボグ? カルミア? おい、あんた!?」
首は力なく垂れ下がり、答えは返ってこない。
俺は二つの名を耳にして、言葉を震わせ疑問を纏う。
「カルミアは魔王の息子。その息子が魔王ガルボグの命を奪った? そ、そんな馬鹿な!? 何故そんなことを!? そもそも、カルミア如きじゃガルボグを討つなんて……だが、それが事実だとすると、この赤ん坊は?」
俺は赤ん坊に瞳を寄せる。
月明りに照らし出された赤ん坊はこのような状況下でも、すやすやと寝息を立てていた。
「ははは、こいつは大物だな…………ガルボグが息子に討たれた。そして狙われる赤子……」
俺は赤ん坊が纏っている紫のおくるみをそっと捲る。
「女の子だったのか。ん、この紋章は?」
おくるみの端に記されていた紋章。それは――
「真っ白な花糸・やく・花柱を中心において、赤と白が交わる花びらが囲むプロテアの花に、金龍の紋章。ヘデラ家の紋章。魔王ガルボグの一族。それに――」
おくるみの中には耐水紙に包まれたものがあった。
その包み紙を解き、見る。
「ヘデラ家の刻印をセンターストーンに据えた、青色の指輪。ヘデラ家一族の長の証。この子はやはり、魔王ガルボグの娘か」
両手に宿る小さな命――それは、宿敵である魔王の娘。
「いったい何が?」
頭を捻る。そして、すぐに悟る。
それは政変。
息子カルミアは父である魔王ガルボグの命を奪い、新たな魔王となった。
そして、自身の椅子を脅かす可能性のある者たちを粛清している。
粛清される筆頭が、魔王の血を引く者たち。
亡くなった女性剣士は魔王の娘と一族の証を託され、ここまで逃げてきたのだろう。
「問題は何故ここなのか? いや、それは考えるまでもないか」
カルミアの影響力は大で、魔族領域に安全な場所はなくなった。
だから、人間族と魔族の双方が手付かずである、東方領域の最東端に逃げ込もうとしてやってきた。
その途中に追手に捕まり、東方領域の最東端から離れた人間族領域の深くまで入り込んでしまった。
「となると……」
瞳を安らかに眠る赤子へ落とす。
「この子は魔族領域へ戻せない。戻せば殺される。ならば人間族領域に……と言うわけにもいかない。魔王の娘と知られれば、利用するために生かされ、利用価値がないとなれば……」
瞳を瞑り、眉間に皺を寄せる。
「この子は世界のどこにも居場所がない……俺だけが守ってやれる。この子を守れるのは俺だけ……はは、皮肉なもんだな。元勇者が、宿敵の娘を守ることになるなんてよ」
両手に伝わる温かさ。その身は綿毛のように軽くも、尊く、深く、重い命。
「……フッ、約束しちまったからな。この子を守ると」
俺は勇者をやめて、一介の戦士となった。
もはや、しがらみなぞない。
そりゃあ、俺が行方不明なれば騒ぎは起きるだろうが、むしろ不在を幸いとして政治家たちが俺を悪し様に罵り、クルスを盛り立てていくだろう。
さらに、魔族側の政変。
足元を固めるには時間がかかる。
その間、人間族領域に大攻勢を仕掛ける可能性は低い。
つまり、クルスたちが育つ時間が生まれたというわけだ。
ここで俺が消えても、世界の大勢に影響を与えることはない。
「ま、そもそもとして、影響力のない地域に飛ばされた時点でいないも同じだしな。いなくても一緒か。だから――」
俺は、まだ首もすわっていない赤ん坊を優しく優しく抱いて包み込む。
「教会で赤ん坊の持ち方を習っていてよかったな……安心しろ、俺がお前を守ってやる。必ずな」