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第1話 勇者の称号剥奪

 俺の両腕の中に、小さな命がある。

 この赤子は魔王の娘。

 

 魔族の領域にも、人間族の領域にも、生きる場所のない赤子。


 

 だから――

「俺だけが守ってやれる。この子を守れるのは俺だけ……はは、皮肉なもんだな。元勇者が、宿敵の娘を守ることになるなんてよ」




 一か月前――――




 人間族最大の国家・王国ガルデシア。

 俺はその国家の象徴たる勇者の称号を授かっていた。

 『いた』……そう、それは過去の話。




――ガルデシア王城・宰相執務室


 深紅の絨毯・高価な調度品・魔石を磨き上げた透明度の高い窓。豪奢なシャンデリア。

 (ぜい)を尽くしながらも、強固な防備を誇る執務室。

 

 俺は渋墨塗(しぶずみぬ)りの執務机の前に立ち、机に載る筆記類へ翡翠色の瞳を落とした。

 宝石で彩られた万年筆……この一本で、貧困にあえぐ民をどれだけ救えるだろうか。

 この部屋にある品の百分の一でもよいから、民のため施せば多くが助かるというのに……。



 だが、これでも宰相アルダダスの執務室は、他の大臣や王侯貴族から比べると質素なものだった。

 執務机に座る彼は、俺のひそめた眉を紅玉の瞳に映し込み、小さな息を漏らす。


「不要に見えても、権威のためには仕方ないのだ。勇者ジルドラン」

 俺は名を呼ばれ、翡翠色の瞳を万年筆から宰相アルダダスへと向けた。


 彼は、十代半ばの女性に見間違えてしまうほど美しい男性。

 ダークブルーのボブカットを揺らし、四十歳とは思えない若々しさと瑞々しさに溢れる。

 非常に端正な顔立ちでありながらも幼さを宿し、声もまた男性とは思えぬ(しと)やかで女性的。

 とても華奢で、背も俺より頭二つ分は低い。

 


 俺は栗色の散切り頭をぼりぼりと掻いて、ばつの悪さを表す。

「別に宰相に不満をぶつけたいわけじゃないがね。けどな……」

「けど、なんだ?」

「終わりの見えない魔族との戦争。そうだってのに、権威とやらのために見栄を張るってのは――――」

「馬鹿げている、か?」


 続く言葉を奪われた俺は苦笑を見せて、少しばかりの補足を加える。

「あんたがそんな輩じゃないのはわかってるけどな」


 そう、彼は仕方なく贅沢をしている。

 他の貴族や大臣連中に配慮して。

 何故、そのような無駄をするかというと、清貧であることは彼らへの当てつけと受け取られるからだ。


 

 俺が小さな笑いを立てると、彼もまた小さな笑いを返す。

 宰相アルダダスとは、もう十五年の付き合い。

 当時、十五歳だった俺は、この王城で当時宮廷書記官だった二十五歳のアルダダスと出会い、世界平和のために誓いを立て合った仲だった。

 だが、今日、その誓いを破ることになる……。


 


 俺たちは互いに笑いを収める。そして、小さな間を挟み、宰相アルダダスは静かに切り出した。

「勇者ジルドラン。本日を()って、その称号を剥奪する。今後はクルス=オーウェンに譲渡される」

「……そうか」


 これはわかっていたこと。いまさら驚きもない。だから、簡素な返事をする。

 だが、俺とは対照的にアルダダスは顔をしかめて苦悩を表す。

 その顔を見て、俺は茶化すように言葉を出した。


「珍しいな、あんたが感情をそんな風に表に出すなんてよ」

「……本来ならば、たとえ称号の剥奪という不名誉なことであっても、しかるべき場で行うもの。それをこのような形で済ませるとは……。すまない」

「よせよ、あんたが謝ることじゃない。ってか、そんなもん盛大にやられる方が困るってもんだ。それに、謝るべきは俺の方だしな」


 

 そうだ、彼が謝る謂れは露ほどもない。

 勇者の称号剥奪――それは俺の不甲斐なさゆえ。

 勇者でありながら、多くを惹きつける魅力もなく、ただ剣を振り回すだけの大馬鹿野郎。

 だから、若き勇者である十四歳の少年クルス=オーウェンに椅子を奪われた。



 そうであるのに、アルダダスはその椅子を庇いきれなかった自身を責めて小さく言葉を落とす。

「……すまない」


 俺は無言のまま首を横に振り、話題を進めることにした。

「それで、俺の今後は?」

「いくら新たな勇者が誕生しようと、君の実力は人間族随一であることは変わりない」


「ふふん、そいつはどうも。もっとも、クルスの才能だと、あと数年で俺を超えられそうだけどな」

「私はそうは思わないが。だからこそ、前線で活躍してほしい。そう私は願っていた」

「ん、願っていた?」



 アルダダスは執務机の上に置いた手のひらを掻き毟るように閉じていく。

「クルスを支える貴族たちが君のことを疎んじ、中央から遠ざけるよう圧力をかけてきた」

「ああ、なるほど。あんたのそのらしくない感情の発露や謝罪はそれが原因だったのか」



 俺は小さな人間だ。

 大きな力を持ちながら天下国家を論じず、民のことに視線を向けてしまう。

 戦争のさなか、贅沢に浸る貴族を真っ向から批判する。そんな愚かなことを行っていた。

 たとえ、不満があろうと味方にするべき相手だったのに……。


 それが非常に危険な行為だと知った頃には、俺を擁護する者は去っていき、宰相だけが俺の弁明に走る。

 その彼も立場があり、俺を正面から守るわけにはいかない。


 貴族たちは政治的に無防備な俺に対して情報操作を行い、名声を地に落としていった。

 勇者の名を使い、横暴な行いをしているやら、軍の物資を横領しているやらと。


 そこに新たな勇者クルスが現れ、貴族たちはこぞって彼に乗り換えた。


 彼はまだ十四歳。老獪な貴族連中から見れば操るにたやすい存在。

 それにクルスは俺とは違い、素直な少年であるため、彼らを疑うなんて真似はしない。

 


 過去の自分の無謀な行為を思い返して、アルダダスから視線を外す。

「俺はひねたガキだったからなぁ。貴族連中なんてはなっから信じてないし。そのせいで、あんたには滅茶苦茶迷惑かけちまった。ま、それを知ったのは二十代半ばすぎてからなんだけどな」

「まったくだ。もっと早く気づいてくれれば、手の打ちようがあったんだが」


「……わりぃ」

「ふふふ、いまさらか。それに、常に魔族の主力を相手にしてきた君に、そこまでの負担はかけられない。だからこそ私が何とかするべきだったんだが、力不足だった」

「俺の方ももっとうまく橋を渡れた気もするが、過去は取り戻せない。で、明日(みらい)の俺はどこへ行けと?」



「人間族と魔族の境界線。東方領域の手前にある町だ」

「あそこは境界線でも難所が多く、人間族も魔族も放置している地域。何もない場所だったよな?」

「そうだ。だが、それでも住人はそれなりにいるようだ。東方領域のさらに奥――最東端には深い谷があり、そこを越えた先には人間族と魔族が共存しているなんて言う噂も聞く」


「ほんとかよ?」

「あそこは化外の地だからな。居場所のない連中が集まって集落くらいは作っているかもしれない」

「それで人間族と魔族が共存? それはそれは面白い話で」



 俺は肩をすくめて軽口を叩く。

 すると、それに対してアルダダスは拳で机を叩き、小さくも重い音を立てた。

「面白くはない。あのような何もない場所に君を向かわせるということは!」

「お払い箱ってことか。戦力的に魅力はあるが、それ以上に邪魔な存在。だから引っ込んでろってことだな」



 人間族の象徴たる勇者は二人もいらない。

 一人で十分。

 それどころか、俺にウロチョロされては大迷惑。


 名声は地に落ちたとはいえ、勇者としての功績は本物。

 俺を担ぎ上げたいと考える連中がいる。


 それは、クルスを担ぎ上げ損ねた連中……そんなのが俺を担ぎ上げれば、人間族内でややこしい内紛が起きかねない。

「理解した。俺としても人間族内で不和を起こす気はない。おとなしく(めい)に従うよ」

「従う、だと……?」


 アルダダスの声が震えている。

「今日は本当に珍しい日だな。あんたがここまで感情を制御でき――」

「ジルドラン! 君は何とも思わないのか!? 悔しくはないのか!?」

「アルダダス……」

「私は悔しい……腹立たしい……己の不甲斐なさが……」



 彼が見せた、一滴一滴こぼれ落とす心の声。彼の心の内を前にして、俺は素直な思いを吐露することにした。

 それは今まで誰にも見せたことない、弱い自分……。


「俺も悔しいさ」

「ならば!」

「だが、それ以上に疲れた。疲れたんだよ、アルダダス」

「ジルドラン……?」


「政治・権謀術数・駆け引き。俺は農民の出だ。政治なんて知らない。それでも、勇者である以上、学ぶ必要があった。学んだが……俺にその才はなかった。伏魔殿に住まう魔物たちと戦うための才能がなかったんだ」

「――――っ」


「すまない、アルダダス。誓いを破ることになって……」


「いや、悪いのは私もだ。今の今まで、君がそこまで追い詰められていたことに気づいていなかった」

「それは俺の悪い癖だ。つい、強がっちまう。あんたの前では、もっと素直になるべきだったのにな」



 俺は踵を返し、アルダダスに背を向ける。

「それじゃ、俺は行くよ。東方領域へ。監視の一人や二人くらいは付くだろうが、テキトーに仲良くするさ」

「飛空艇で送ってやろうか?」

「あはは、冗談はよせよ。人間族と魔族双方が一隻ずつしか所有していない、貴重な船をこんなことに使うなっての。じゃあな、アルダダス」

「その冗談も、もう言えなくなるな……達者でな、ジルドラン」


 俺は友であった宰相アルダダスの諦観とも言える声を背中で受け止めて、静かに執務室を後にした。

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