あとがき
私はこの本を何度も読み返したり、書き直しては、当時の事を鮮明に思い出して苦しんだ。
あの日、倒れていた夫が発する、アヒルの鳴き声のような音を思い出したり、口からあふれ出した血を顔一面に浴びて、真っ黒になっている夫の顔が蘇ってきたり、その時の血生臭い匂いや、血で湿った夫の頬の感触を思い出しては、涙が出たり、吐き気がしたり、食事が喉を通らなくなる事もあった。
A子やS子との不倫が発覚した時の、それまでに感じたことのないほどの驚きや絶望感、孤独感を思い出しては涙が出たり、夫や彼女達の飄々とした態度を思い出しては怒りに震えたり、眠れなくなったりした。
本当に辛くなり、薬を飲んだり、何ヶ月も読み返さなかったこともあった。
でも、私は気力を振り絞って、思いの丈を全て書き残す為に洗いざらい書き続けた。
もしこの本を書かなかったとしても、どのみち私はこれから先、何かのはずみに様々な出来事を思い出し、その度に胸をえぐられるような思いをするはずだ。そして、それがいつまで続くのか分からない。
そうであれば、私はこの本を書くことで、何があったのかを整理し、見つめ直したかった。
そして、起こった出来事を吸収し、思い出しても揺るぎない精神力を身につけたかった。
それに、この本を読み返していると、夫が亡くなった時、母や姉、夫の両親、それから義弟夫婦を含む、多くの周りの人々に助けてもらった事を思い出した。
義弟夫婦は病院の送り迎えをしてくれたり、息子の面倒を見てくれたり、寺を変える時に夫の両親を説得してくれた。
夫の両親は、病院で私と夫の二人だけにしてくれたり、臓器提供の決定を私に委ねてくれたり、葬儀に出席しなかった私を責めることもしなかった。
それから、庭をきれいにしてくれたり、息子を学校に車で送ってくれたり、息子の面倒を見てくれたりした。
母や姉は、夫が亡くなった時、息子の面倒を見てくれたり、家の掃除をしてくれたり、食べる物を買ってきてくれたり、ゴミを出してくれたりして、私を休ませてくれた。
不倫が発覚すると、A子のところに乗り込んだり、S子を呼び出して白状させたり、住職達に話をつけてくれた。
なんと言っても、こんなに絶望的な状況でもなんとか生きていられたのは、息子がいたからだ。
息子はいつも明るく無邪気で、私をひたすら必要としてくれた。本当に魔法のように可愛いかった。
子供というものは本当に不思議なものだ。ベッドの中で私が絶望的な気持ちになっていたり、背を向けて涙を流していたりすると、私の体を優しくさすってきたり、「やっぱりママと寝るのは気分が良いなあ」と言ってきたりした。
ベッドの中で嗅ぐ息子の匂いが、どれだけ私を救ってくれたことか。
もし、息子がこの本を読んだら、少なからずショックを受けるだろう。だが、息子がこの先、夫についての噂話を耳にするかも知れないのだ。
そして、息子は全てを知る権利がある。もしもの時、この本から真実や私の気持ちを知ってもらえたらと思う。
それから、僭越ながら、私と同じような経験をした人達に、この本を通して少しでも生きる勇気を与えられたら幸いだと思う。
私が勝手に誤解している事があるとすれば、それを除けば、この本の内容に嘘や偽りは一切、無いつもりだ。
個人が特定される可能性のある部分や、分かりにくい文言は少し書き換えてあるが、メールのやりとり等はスマホに残っていた記録をほぼそのまま転記してある。
だが、所々、私に都合の良いように解釈してあるところもあると思う。人間とはそういうものであるらしいから。
夫には夫の、A子にはA子の、そしてS子にはS子なりの別の真実があるのかも知れない。
私なりに夫や彼女達の立場や気持ちを推測してみた。
A子は夫を亡くし、心にぽっかりと穴が空いていたのだろう。
そして、遠くから嫁に来た彼女には、私のように頼れる親兄弟や友人が近くにいなかったようだ。
そこに、あるママ友の夫が優しくしてくれて、なんでも相談に乗ってくれた。そして、自分に対してまんざらでもない様子だった。
彼に本気にはならないのだろうが、自分は夫を亡くしたんだし、少しくらい頼っても良いのではないだろうかと思った。
そんなところではないだろうか。
S子は以前から夫に不満があり、他にも子供のことや幼稚園の仕事の事でも色々と悩んでいた。そして、それをいつも誰かに相談したがっているように見えた。
そこに、あるママ友の夫が現れ、色々と相談にのってくれたり面倒を見てくれるようになった。
そこで、なんでも彼に相談し、しだいに依存するようになっていった。
そんなところではないだろうか。
夫はどうだったのだろう。
結婚当初、私は夫を頼りにして、夫の言うことを聞いていれば、この先、何があっても大丈夫だと思い、いつも夫の言うようにしていた。
だが、そのうちに子供が生まれ、時が経つうち、子供にばかりかまっていたり、夫に相談せずに何でも自分で決めたりするようになった。
そして次第に、夫と二人でというより、自分一人の時間や自分の世界を大事にするようになっていた。
夫婦というものは、そんな風になっていくものが当たり前だと思っていて、私はそれを不満にも思っていなかった。
だが、夫は違っていたのかも知れない。
次第に私との関係に寂しさを感じていたところに、賞賛して頼ってくる女性達が現れて、舞い上がってしまったのだろう。
特に、S子とはお互い求めているものが合致してしまい、依存している関係だったのかも知れない。
でも、それはあくまで依存していただけで、本当に愛し合っていた訳ではないのだろう。
息子が幼稚園の年長組で、私がPTA会長を務めていた時の話だ。
そのPTAの恒例行事である日帰りの研修旅行に行った時のことだった。
私は朝から、私はパニック発作が出ないかと緊張し、途中で具合が悪くなったが、ずっと我慢していた。
だが、これから皆でランチタイムというところでいよいよ限界が来た。
私は他の役員達に断って夫に連絡を取り、ランチをとっているレストランまで迎えに来てもらった。
仕事中に突然迎えに来させられて、迷惑をかけているはずなのに、夫はなぜか嬉しそうだった。
「あなたは病気持ちで一人では何も出来ないタイプなんだから、いい気になってPTA会長なんか引き受けるんじゃないよ」
そう言って私の頭をポンポンと撫で、体を抱き寄せた。
夫は久しぶりに私に頼られて嬉しかったのだろう。
夫は男女問わず、人に頼られるタイプで、また頼られると放っておけないタイプだった。
夫はA子もS子も放っておくことが出来ず、そして、パニック障害持ちの私も放っておくことが出来なかったのだろう。
いずれにしろ、夫が私を何年も裏切り続けていたことに変わりはないし、この先も私が夫を許すことは無いと思うが。
ここ数年、夫は何を思って生きていたのだろう。
ただ欲望にのめり込んでいたのか、二人の女性に囲まれて有頂天になっていたのか。
それとも、罪悪感はあったのだろうか。バレるかも知れないという恐怖に怯えていたのか。虚しさを抱えていたのか。
母は、「K男はとんでもない秘密を抱えて、ストレスで死んだのではないか」と言ったことがある。私はその可能性も十分にあると思った。
不倫をした夫の気持ちが理解できすに苦しんでいる時、脳科学者の中野信子さんが書いた『不倫』という本を読んだ。
本の内容は、『人類は一夫一婦制には向いていない』という理由や、『不倫はなぜバッシングされるのか?』というテーマを挙げていて、不倫された側がどんなに傷つくかという点には全く触れていないので、正直、読んでいて気持ちの良いものではなかった。
だが、印象に残ったものもあった。
『不倫している男性は早死にする』というものだ。
これを読んで、夫が亡くなる二週間ほど前の、地元の祭の夜店に家族三人で出かけた時の事を思い出した。
屋台の群衆の中にS子達の家族を見つけ、私が声をかけようとすると、「いいよ! 別に声なんかかけなくても!」と、夫が私を強く制止した。
そして、しばらくすると「もう帰ろう」と言って、浮かない顔をして帰ろうとする夫を見て、私は少し不思議な気持ちがしたのだった。
それまでは、私の前でも、S子の夫の前でも、二人はあれほど大胆に仲良さそうにしていたのに、今さら夫がよそよそしくするのは、今になって考えてみても、不可解だ。
あの時、夫はS子と関係を持っていたことを後悔していたのではないだろうか。あるいは、別れようとしていたとか。
いや、私がそう思いたいだけなのかも知れないが。
夫の遺品を整理している時、夫の子供の頃の写真や写真付きの学生証、小学生の頃に書いたらしいマンガ、ハガキで応募したプレゼントの景品、年賀状や手紙などが見つかった。
確かに夫が生きてきた証がそこにあった。夫は四十四年間、様々な思いを抱えて生きていた。
そして、私と結婚し、最後の十五年を共に過ごしたのだ。
小学校高学年頃の、肩をすくめるようにして、はにかみ笑いをする夫の写真があった。
この純粋そうな少年が、どうしてあんな事をして、なぜあんな風に死ななければならなかったのだろうと思った。
私はそれらの遺品を抱きしめて声を出して泣いた。声を出して泣いたのは久しぶりだった。 やっぱり夫に死んで欲しくなかった。夫が助かり、不倫が発覚したら、私は夫に殴りかかって、責めて責めて、残りの人生でたっぷり償わせてやりたかった。
やっぱり夫が居ないのが寂しかった。
私は夫と結婚した事を後悔している訳ではない。何よりも、息子に出会えたのだから。
それに、夫との生活が愛情のある素晴らしい時間であった事は間違いなかったはずだ。楽しい思い出がたくさんあるし、たくさんの愛情をもらった。
夫はパニック障害だった私を受け入れてくれて、結婚してくれて、面倒を見てくれた。私は幸せだった。
息子が5歳くらいの頃のある日、「僕はママと結婚するんだよ!」と言った。
すると、夫が「へーんだ。ママはお父さんと結婚してるんだよ!」と得意そうに言い、二人で私の腕を左右に引っ張り合った。
その時、私はそのまま死んでも良いと思えるくらい幸せだった。
その後、私達の結婚生活はとても残念な結果になっが、それは私にとって避けられない運命だったのだろう。
いっぱい泣いて、いっぱい苦しんで、いっぱい憎んだ後は、それを抱き締めつつ、私はさらに幸せになる機会を与えられたのだと思うことにした。