少年少女カタルシス 上
彼女は溌剌とした明るい少女だ。自慢の少し灰色がかった茶の髪は三つ編みやポニーテールなど日によって様々に変わるが、少し垂れた瞳はいつも楽しそうに煌めいている。
でも僕はそれが夥しい血で真っ赤に染まり、光を失う虚ろな様を知っている。冷たく固くなりゆく様を知っている。
今日も僕は彼女が死ぬ夢を見る。
◆ ◆ ◆
コインロッカーベイビーという都市伝説になりかけていた元亡霊の少女ミカゲがこの不思議な屋敷【蜃気楼】にて鎮目の娘として共に生活するようになってから半月が過ぎた。そして色々と分かってきたことがある。
雛形鎮目という男はまるで植物のような男だ。基本的にあまり縁側から動くことはなく、流されるままに受動的に生きているように思える。感情表現もあまり多くなく、実際はテレパシーなのだが、口数も少ない。初めて出逢った時が一番饒舌だったぐらいだ。なんでも喉が爛れているらしく、口を開くことすら稀である。
〈だって疲れるからね〉
身も蓋もない。あの時の頼りがいが嘘のように感じてしまうほどに、基本が無気力だ。
そんな彼の前を通り過ぎて、ミカゲは鎮目の羽織から仕立て直した紺の着物が邪魔にならないようにしっかりと襷をかける。そして、扉を引いて台所に入った。
「お、来たか」
そこにいたのは嵐堂だった。相変わらず【封】と書かれた顔の上半分を隠す藍染の布で前は一切見えないはずなのに、手慣れた様子で料理をしている。
嵐堂という男はまるで家政婦のような男だ。偉い軍人のような姿をしながら、料理だけでなく家事全般を一人でこなす。その見目から恐らく異国の生まれだと思うが和食を実に美味しく作る。彼がいなければ、いざミカゲを引き取ったとしても恐らく生活は破綻していただろう。
「今日の朝餉は何ですか?」
「赤出汁のお味噌汁に菜の花のおひたし、あとは鯵の干物だな」
実はこの男、本人曰く元は複雑な事情を持ちこの屋敷に預けられた客人である。が、鎮目のあまりの自堕落さに閉口し、こうやって世話をしているらしい。
「では干物を焼いておきますね」
「ありがとう。ミカゲは本当にいい子だなー」
にっこりと笑う彼に誉められるとミカゲは嬉しくなる。だから自然と彼を手伝ってしまうのだ。
ミカゲがそのまま網に干物を乗せようとすると門に付いている呼び鈴がからからと鳴った。
「……こんな早くからお客様?」
火に気をつけながら窓から顔を出す。
門のところに立っていたのはどこか少女のような顔をした学生服の美少年と目の下に濃い隈ができた男子中学生の二人組だった。
◆ ◆ ◆
「久し振り!」
応接間に案内された学生服の美少年は茶を持ってきたミカゲに向かって微笑む。その笑顔を見てミカゲは何故か彼とは初対面のはずなのにどこかで出逢ったことがあるような気がした。美少年の馴れ馴れしい態度のせいもあるかもしれない。
〈そういえばミカゲは初めてかな。この方は静さん。私に怪異の専門家【かがりびと】としての道を示してくださった方だよ〉
鎮目の言葉に同行者であるはずの男子中学生は息を飲んだ。
「怪異の専門家……まさか、妖怪退治とか!?」
〈本業は世界の歪みを縢ることだから厳密に言うと違うのだけれどね……一体どうしたんだい?〉
隈がくっきりと刻まれている彼の顔からは一切の血の気が引いていた。寝不足による顔色の悪さも合わさり、今にも卒倒しそうなほどだ。それを見て静は爆笑している。
「何その顔。別に妖怪だから退治するってことはないから安心したまえ! ついでに、嵐堂、この子の正体をミカゲちゃんだったっけ、彼女に教えてあげてよ」
ひぃひぃ言っている静に促され、嵐堂は少しだけ躊躇ったように口元を手で覆ったが、諦めたのか、すぐに溜息をついて答えを告げた。
「………夢を喰う怪異、獏と人間の混血? 構成割合は」
「クォーターね。さぁ、菊場ちゃん、さっさと悩みを話してみなよ」
どうやら少年は人間にしか見えないが、彼自身も怪異の類らしい。それにしてもよく一目でそれを判別できるものだ。ミカゲは嵐堂の見えない瞳を思い、寒気がする。きっと彼はその気になれば自分の事も見透かしたに違いない。
菊場と呼ばれた男子中学生は恐怖のためかしばらく震えていたが、やがて小さな声で語り始めた。
◆ ◆ ◆
△△中学の三年生、菊場正一には妖怪獏の血が混ざっている。そのせいか小さい頃から他人が見た夢を食べることが出来た。とはいえ、大部分が人間であるため、食べるといっても直前の夢を忘れさせるぐらいしかできないし、夢を食うだけでは生きていけない。むしろ夢以外の食事だけでも生きていける。フレーバー程度の妖怪要素しか持たない人間。妖怪としては実に世知辛い食生活だった。
それでも彼はそれを疎むことはなかった。悪夢を食べた相手がすぐ安らかな顔になると役に立てたと嬉しくなったし、幸せな夢を食べれば自分も幸福感を覚えた。勿論正体がばれないようにと異能は隠していたが。
そんな彼はある意味当然ではあるが周囲からは少々風変りな少年と見られていたらしい。だがそれでも明るく、人付き合いもよい菊場はクラスでもそれなりの地位にいた。
菊場がその悪夢に悩まされるようになったのは六ヶ月ほど前からだ。唯一家族以外に彼の異能について話した彼女、間宮なじむの夢を初めて喰ってから、文字通り彼にとっては悪夢の日々が始まった。
彼女が、死ぬのだ。ありとあらゆる方法で彼女は夢の中で殺される。高い所で突き落とされたり、夜道で切りつけられたり、車で轢き殺されたり。それはいつも菊場の目の前で起きる。そして自分の無力さに菊場が打ちひしがれていると、いつの間にか目が覚める。ちょうど時を同じくして彼女が現実世界で突然行方不明になってしまったこともあり、それは相当なストレスになっていた。
おかげで十人並みの顔には凄まじい隈が現れ、最近ではクラスでも遠巻きにされつつある。獏の異能がない両親は彼が魘される理由がわからず、専門家に相談すべきか、とさえ考えていたようだ。
「夢を喰う獏が夢で悩むなんて恥ずかしくて……」
「とか言ってるから心配した親御さんから他校に潜入してた僕に依頼が来た、ってわけ。怪異探偵静くん、ってね」
説明しながらも顔を真っ赤にして俯く菊場とへらへら笑う静をミカゲは見比べる。なるほど、着ている制服が異なっていると思ったらそれが理由らしい。
〈……普通に考えるとその、間宮なじむの夢が原因みたいだね。一体どんな夢だったんだい?〉
鎮目の問いに菊場は首を傾げる。
「えーと……確か動物が出てくる夢です。何の動物だったかな……」
〈動物か……これは複雑そうだ〉
菊場の答えに彼はしばらく考え込んでいた。そして代わりに十徳の袖に手を入れ何かを取り出す。
それは美しい羽を持つ蝶だった。微かに動いている透き通った羽は角度によって青や緑に煌めいて、まるで生きた水晶細工のようだ。明らかに普通の生き物とは違っている証拠にその胴体はサラサラと蠢く光る煙でできていた。
「鎮目さん、それは?」
〈【胡蝶の夢】という逸話を魔力で可視概念にしたものだよ。とりあえずこれで君の夢にお邪魔出来るはずだ〉
指先に止まっていた蝶がひらりと飛び立つ。そして菊場の鼻先に止まった。菊場は驚いたように美しすぎる蝶を見ていたが、すぐにその瞼が耐えがたい眠気で閉じてゆく。そのまま数秒後には座ったまま寝息を立てていた。
「さて、僕らも眠ろうか」
「え?」
「君も夢に乱入するんだろ? おいで」
静がミカゲを抱きかかえようとすると、すかさず嵐堂が後ろからそれを制し、ミカゲにクッションを手渡した。ミカゲがちょこんとクッションに座るのを白けた目で静は見ている。
「ちぇっ…じゃあ、おやすみ!」
静もチェアに深く腰掛ける。気付けばミカゲと嵐堂以外の全員が既に眠りについていた。
「寝ないのか?」
嵐堂は一人ドアの前に移動し、入り口を守るように座り込む。その手にはいつのまにか鞘に入った刀が握られていた。日常生活には必要ないもののはずなのに、何故か彼がそれを手にしているのは自然に感じられた。ミカゲは首を振る。
「いいえ……おやすみなさい」
そしてミカゲも不自然な眠気に身を委ねた。
◆ ◆ ◆
気がつくと彼女の目の前は真っ赤だった。
「なじむ!返事しろ!」
菊場の叫び声が聞こえてくる。ミカゲは視界に映ったものに思わず口元を押さえる。すぐ近くでは倒れた一人のセーラー服の少女を菊場が必死に揺さぶっていた。
ただその左胸には風穴が開いていた。やや垂れ目がちだが十分に可愛いと言える顔は驚いたように固まっており、ぐったりとした手足は動かない。誰が見ても既に死んでいると判断しただろう。
まさに街中を真っ赤に染め上げる惨劇だった。
そんな様子を鎮目達は険しい表情で見ていた。
「思った以上にリアルな悪夢だねぇ。獏だから?」
〈刺殺に爆殺、更に銃殺…この僅かな時間でさえこれとは今まで正気をよく保っていたものだ〉
鎮目が来てからミカゲが到着するまでだいぶタイムラグがあったらしい。ほんの数分の差だったはずだが夢の世界はでそうもいかないようだ。ミカゲは傍らの信号機の近くに何かが転がっているのに気付いた。大きさからして猫ではない。気になって近付こうとすると今まで無言だった嵐堂が一歩前に出る。そして先程持っていた刀を鞘から抜こうとする。と、静が溜息をつく。
「待って。直に次の夢に入る。下手にバラけると危険だ」
「……分かった」
嵐堂もあれに気付いたのだろうか。そんなことを考えながらミカゲは鎮目に駆け寄り、彼の十徳の裾を握る。それとほぼ同時に周囲の光景は塗り替えられた。
今度は燃え盛る市街地だった。先程の街中と比べると少し時代が古く感じる。けたたましくサイレンが鳴り、至る所で火や煙が上がっている。時折爆発音や怒号、そして悲鳴が聞こえた。灰色の空には飛行機が飛んでいた。逃げ惑う煤で薄汚れた人々の群れで菊場を見失ったミカゲは不安感に裾を握る手の力を強める。そのまますぐ横に立つ鎮目を見上げて、予想外のことに気付く。
鎮目は震えていた。元々乏しいと形容されがちな表情はあまり変化が無い。が、その瞳は確かに恐怖をたたえていた。
「鎮目さん……?」
〈許さない……嵐堂!〉
鎮目に応えるように控えていた嵐堂が刀を抜いた。
「応とも! 縛れ、【妖刀かげざくら】!」
刀から黒い靄が噴き出した。それと同時に周囲の全ての時が止まる。あれだけ騒がしかったのに風の音すら全く聞こえなくなった目の前の世界にミカゲは言葉を失う。すると静がにやりと笑った。
「影縫い、だよ。影は映し身、つまり魂の一部。それを動けなくされたら本体は動けなくなる。とはいえこの量を一斉に縛るのは困難だけど、まぁ、彼ならできる。あんなでも英雄様だからね」
嵐堂は刀を抜いたまま周囲の様子を布の奥から窺っている。まるで何かを探しているようだった。鎮目が動かない炎を見て深く息を吐き出した。
〈ミカゲ、静さんと菊場を探してきてくれ。二人がどこかへ走っていったのが見えた。私と嵐堂は影縫いの性質上、動けないからね。あときっと近くに動物がいるはずだ。それも連れてきてくれ〉
「はい!」
ミカゲは一刻も早くこの不気味な世界から抜け出したくて走り出した。
◆ ◆ ◆
「これは……」
「狸だね、うん、やっぱり」
ミカゲが二人を見つけた時、彼等の目の前にいたのは何故か首輪で杭に繋がれた狸だった。影縫いのせいで狸は剥製のように身動き一つしない。
「どういうことなんです?」
「狸や狐は化かすものでしょ? ……まあ、今回の場合はそれを利用された被害者、ってとこかな」
静は無造作に杭を引き抜いて狸を抱き上げる。そしてその耳元で何か呟くと狸は自由になったらしく腕の中で暴れ始めた。静はただ、笑みを浮かべた。
「気持ちは分かるけどさぁ……鬱陶しいなぁ」
ミカゲはその笑顔を見て後悔した。
一言で形容するならまさに狂気だった。笑顔自体は顔立ちのこともありとても綺麗である。ただ直視し続ければ確実に精神の均衡が崩壊していく。そんな危険性を狸は本能的に察知したのか、身動きするのを止め、おとなしくなる。この人は敵に回してはいけないとミカゲは心の中で誓った。
なんとなく急ぎ足で鎮目達の元に戻ると嵐堂が必死に不満そうな鎮目を宥めていた。
「ほら、連れてきたよ」
静はぞんざいに狸を放り投げる。狸は鎮目の腕の中に無事入り込んだ。
〈……これで彼の悪夢は終わる。あとは夢の結末を変えるだけだ〉
すると狸は鳴いた。それがどこか哀しげなのはミカゲの気のせいだろうか。同時に周囲の時間が動き出す。ミカゲは鎮目の視線の先に菊場と少女が立っているのに気付いた。そしてその頭上では黒煙を生み出しながら燃える角材がぐらぐらと揺れている。少しの衝撃でそれは落下してきそうだ。事実、崩れてきた建材がぶつかり、角材は空中へと飛び出した。その真下には何度も夢の中で殺されてきた少女。と鎮目は口を開いた。焼け爛れきった口蓋が僅かに見えた。
〈彼女と君自身、今すぐに大切な方を選べ!〉
その声ならぬ叫びは菊場に聞こえたのかは分からない。だが、彼は今までの夢とは違う行動に出た。
燃える角材が少女を焼き殺そうと迫ってくる。しかし、唐突に少年は少女を横に突き飛ばした。その結果、少年はバランスを崩し、少女が立っていた場所に倒れこむ。予想できる未来にミカゲは思わず目を背けた。だから数秒後、何かが潰れる音、そして少女と狸の叫び声だけが彼女の耳に届いた。