【顛末記21】 介錯役
老獪な武人を勝手にイメージしていた。
ンキゥル・マキンバ公爵の政戦における軌跡は極めて粘り強く泥臭いものだった。
無論、資料を読んで年齢を知ってはいたのだが…
それを忘れさせられるくらいに堅牢な手腕だった。
公爵は23歳。
実物は更に若々しい。
遊牧民族特有の童顔もあり、まるで学生にしか見えなかった。
…いや、違うな。
きっと俺が老いてしまったのだ。
「ポールソン公王陛下。
救援に来て頂いて本当に助かりました。
あのままですと、今月中には落城していたことでしょう。」
最初は如才ない若者特有のリップサービスかと思ったのだが、彼らの要塞に案内されて驚く。
投石機で石垣や土塁が滅茶苦茶に壊されていたのだ。
城内には重体の者が多数転がされており、摂政親衛隊が慌ててエナドリを飲ませて回っていた。
感謝はリップサービスではなかったのだ。
摂政コレット・コリンズは宣言通りマキンバ公爵領を救った。
立地的にかなり無理のある救援作戦だったが、見事に成し遂げてしまったのだ。
この行動で摂政及び統一政府の信頼度は劇的に向上したと俺は見ている。
挨拶に来た周辺勢力の口ぶりを見る限り、遠方の勢力が本格的に統一政府にコミットする動機付けにはなったと断言出来る。
王国を始めとして国際社会で摂政の出生への差別(若年過ぎるのも大きな不安要素)は未だ根強いが、少なくとも軍事指導者としては完全に信頼と畏怖を勝ち取った。
つまり遠隔地の勢力も形式的な臣従では済まされないことを皆が思い知ったのだ。
「まさか私なんかの為に来て下さるとは思わないじゃないですか。」
マキンバ公爵が照れ笑いをしながら続ける。
曰く、彼は遊牧社会でも使い走りの若僧に過ぎなかった。
たまたま王国の検問所でリンチされていた所を大魔王一行に救われ、その手先となっただけの縁に過ぎない。
その後、コリンズ派の走狗として王国情報をソドムタウンに送り続けた。
報酬があまりに高額だったので、自然と遊牧民族全体がコリンズ派の下部組織となった。
「命を救われた上に仕事を下さったのですから…
そりゃあ、はりきりますよ。
公王様のbarにもいつか行ってみたいと思ってました。」
『おお、そうでしたか!
では、臨時で開業しましょう。』
「いえいえいえ!!!
公王様は雲の上のお方です!
しかも命の恩人でもある!
そんな失礼なお願いは出来ないですよ。」
『上も下もありませんよ。
マキンバ公爵は私のかけがえのない戦友です。
是非とも敬意を払わせて下さい。』
摂政親衛隊を呼び止め、軍監ゲルゲ大尉を介して振る舞い酒の許可を申請する。
てっきり摂政裁可を待たされるかと思ったのだが、ケスラー中尉なる快活な少女がその場で許可をくれた。
「礼など滅相も御座いません。
公王陛下のお気遣いには常日頃から感銘を受けておりました。
必ずや摂政も賛同することでしょう。
小官もこの足で事務手続きに向かいます!」
まだ大学生くらいの年齢だろうか?
小動物のように愛嬌のある笑顔で中尉が関係各所に話を付けてくれたので、この振る舞い酒が罰せられる心配はほぼなくなった。
いつもながらの事であるが親衛隊は優秀無比である。
戦場で勇猛なことは当然として、政治や外交の場面においても信頼に足る機転を皆が備えている。
『マキンバ公爵、皆様もどうぞ。
遊牧生活で好まれるとされる馬乳酒をエナドリとカクテルしてみました。
いつも飲み慣れている味では物足りないでしょうから、ソドムタウンのテキーラカクテルもお召し上がりください。』
「おお!
本格的ですね!
まるで本物のバーテンだ!」
『ははは、公爵くらいの年頃にバーでアルバイトをしておりました。
ささ、オツマミもどうぞ。
即興で恐縮ですが燻製ナッツです。』
思い付きの座興だったが場は大いに盛り上がった。
酒が苦手な年少者も多かったので、羊乳で葛湯を作り振る舞う。
(クズなる厄介な外来種も、ようやく我々人類が使いこなせるようになってきた。)
「公王様は菓子にも精通されておられるのですね。」
『いえいえ。
昔、世界一のパテシエに振る舞われたものです。
私など猿真似に過ぎませんよ。』
或いは女所帯だからであろう。
親衛隊はこの甘味に大いに喜び、羊乳葛湯は魔王ダンにまで献上される運びとなった。
考えてみれば、長期滞陣は俺に限った事ではないのだ。
皆、ささやかな娯楽に飢えていて当たり前なのだ。
酒と甘味が功を奏したのか、この日は思いのほか諸隊が和気藹々としたムードで過ごすことが出来た。
最後にカロッゾ隊に余った羊乳葛湯を贈呈してから、俺は陣地に戻った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「まるで昔に戻ったみたいでゴザルな。」
『戻るも何もあっちが素顔さ。
元来、俺なんてバーテンがギリギリ勤まるかどうかの男なんだよ。』
「ご謙遜を。
ポール殿こそが魔王軍最強の将であると皆が讃えております。」
『ははは、冗談はよせよ。』
俺が流そうとすると、ジミーが真顔に戻る。
どうやら笑ってよい場面ではなさそうだ。
「先日の渡河一番槍。
あれが皆にとってかなり鮮烈だったようで。
特に王国人から武闘派として認識されてしまったようですな。」
『…参ったな。
俺は素人だからペース配分出来なかっただけだぞ。
自分が先陣を切っている自覚すらなかった。』
「そんな言い訳が通る程、世の中は甘くありませんぞ。」
『…だな。』
2人で杯を挟んでしばらく黙り込む。
最近、身体があまり酒を受け付けてくれなくなった。
敏感に察したジミーも酒量を減らしている。
そんなことまで付き合ってくれなくていいのに。
『実はな。
俺なら単騎で王国問題を沈静化出来ると思う。
もう腹案も出来ているんだ。』
「走狗極まれりですな。」
『俺さあ、摂政と違って王国に何の愛着もない。
どちらかと言うと嫌いな国だったしな。
滅びようが栄えようが本心から興味ないし、接収しようが独立させようが、どうでもいい。』
「まあ、ソドムタウンに育った我々の共通認識ですな。」
『摂政から言われたよ。
そういう無関心さは侵攻に有利に働くんだってさ。』
「いつもクレアが言っているでゴザロウ。
ポール殿は侵略軍の大将に向いておられると。
世俗に興味がないから、何のしがらみなく機械的に攻める事が出来るそうですぞ。」
『アイツ酷いこと言うよなぁ。
俺、世俗に興味ないのかなぁ…』
「王号を許されようが、大戦の一番槍に認められようが、何とも思わないでゴザロウ?」
『…どうしてそんな下らんことで一喜一憂しなくちゃならないんだ。』
「ところが、人間に擬態するには大はしゃぎする必要があるのです。」
『マジかー。
そういう大事なことはもっと早く教えてくれよ。』
「わざわざ指摘が必要な程にポール殿は浮き世離れしておられるのですよ。
戦争向きの逸材ですな。」
『摂政にも似たような事を言われたわ。』
「相当目を付けられてますなー。」
『ごめんて。』
「怒ってはおりませんよ。
ただ。」
『ただ?』
「王国を単騎で沈黙させるのは…
走狗良弓にも程がありますぞ。」
『だって、今って時間の無駄だもん。
世界のリソースを浪費し過ぎでしょ。
俺なら解決出来ちゃうもん。』
「出来るでしょうなぁ。
そして、そんな狂獣を生かしておくのは、あまりに危険でゴザル。」
『で、さっきケスラー中尉に、こんな書簡を渡された。』
「えー、いきなり爆弾ぶち込むのやめて下されよー。」
『ごめんて。』
「どれどれ。
《先日の王国平定案を採用する。
褒美を用意するので、望みを述べよ。》
…でゴザルか。」
『摂政も決断早いからな。
俺の提案を聞いてからすぐに意見調整したんだろうな。』
「今夜中に返書致しましょう。
では、褒美は何を望まれますか?」
『んー?
とっととあの人がくたばってくれる事を望んでるんだけどな。』
「それ以外で。」
『もう二度と声を掛けて来るなって書いておいて。』
「領地経営に専念したいと記しておきますぞ。」
『もうオマエに全部任せるわ。
オマエの欲しいもの書いとけよ。』
「拙者、ポール殿の安全以外に興味がありません故。」
『いつもすまないねえ。』
「いえいえ。」
『なあジミー。
俺、いつ殺されるんだろう?』
「そのうちでしょうなぁ。
ちなみに摂政も同じ疑念をポール殿に持ってますぞ。」
『あっそ。
正直さぁ。』
「はい。」
『俺、あの女がどんな死に方しようが興味ない。
だから勝手に猜疑心持たれるのは迷惑。』
「偏ってますなぁ。
王国は知らん、帝国も知らん、統一政府も知らん。
誰の生き死になら興味あるのですか。」
『ぶっちゃけ俺、オマエくらいしか興味ないかも。』
「…それは光栄です。
極めて光栄ですが、世界を憐れんでやるポーズくらいは取って下され。
最近のポール殿、洒落にならないほど恐れられておりますぞ。」
『俺は単なるニートだよ。』
「ところが残念ながら、今のポール殿は王なのです。
それも策に巧みで戦争が強い大国の王。
世間はそう認識しております。」
『…馬鹿な奴らだ。
俺が親元でフラフラしていたことなんて、公開資料を読めば明白じゃないか。
まともな職歴もないし、何より軍歴がない。
しかも掃除屋の息子だぞ?
掃除屋だぞ?
世の中で最下層と言われている。』
「だーかーらー。
そういう怪し気な経歴が逆に迫力の源になっているのですよ。
軍歴もない癖に器用に大軍を統率している。
経済学博士の癖に頑なに掃除屋を名乗る。
恐れられて当然でゴザロウ。」
『…心底馬鹿な奴らだ。
戦争なんて向き不向きなのに、そんなことでギャーギャー騒いでさ。』
「身分社会の王国人にそういう道理をぶつけるのは酷ですぞ。
彼ら知能が家系図の面積に比例すると本気で信じてますからな。」
『だったら、王国の奴らは災難だな。
宿屋と掃除屋に国土を蹂躙されているんだから。』
「加えて先日大活躍したノーラは孤児院上がりですしな。
そしてノーラ軍に援軍に向かったニックも元はスラムの不良少年。
彼らにとっては悪夢以外の何物でもありません。」
『ニックが率いているリャチリャチ族なんて、王国人からすれば人間ですらないだろうしな。』
王国人にとって現状は極めて屈辱的なはずである。
何せ自分達の文化圏で最も蔑んでいる層に圧倒されているのだから。
しかも魔王軍は今回トルーパーをまだ戦場に投入していない。
(地形的に運搬が面倒なので。)
なので、日頃トルーパーを多用するノーラ軍もカロッゾ軍も犠牲を一切顧みない肉弾戦で進軍を続けた。
当然のように両将は陣頭で血槍を振るった。
正気の沙汰ではないのだが、この狂気が不服従諸侯の戦意を大きく削いだ。
少なくとも、王国人が戦場で統一政府に物申すことは当面ないと俺は見込んでいる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【コレット・コリンズ北征記録】
魔王城 (大陸最南端の人工島)
↓
コリンズタウン (魔王ダンの私領)
↓
旧自由都市検問所 (憲兵総監ノーラ・ウェイン管轄)
↓
ノーラ・ウェイン所領フライハイト (旧連邦首都)
↓
御天領 (旧連邦ライナー侯爵【族滅済】領)
↓
人民農場地帯 (旧連邦オルデンブルク侯爵【族滅済】領)
↓
御天領 (旧連邦ミュラー伯爵【未族滅】領)
↓
人民牧場地帯 (旧連邦アウグスブルグ侯爵【族滅済】領)
↓
魔王城 (旧称・非武装中立地帯)
↓
王国側国境検問所 (摂政親衛隊が駐屯大隊を殲滅)
↓
王国軍都 (摂政親衛隊が将校居住区を殲滅)
↓
諸貴族領混在地 (魔王軍が接収、二公七民令布告)
↓
マキンバ公爵領 (救援作戦成功) ←イマココ
↓
旧伯爵領 (チャップマン家が統治権を魔王軍に献上)
↓
王国天領 (大魔王が摂政に求婚した聖地)
↓
教団自治区 (諸侯入り乱れる争奪戦の舞台)
↓
大草原 (諸侯が武力接収)
↓
侯爵領 (七人の僭王が乱立)
↓
中継都市ヒルズタウン (諸侯の草刈り場)
↓
王都 (情報錯綜)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「どうもー。
善良なゴブリンでーす♪
ポールソン公王陛下、並びにブラウン宰相閣下へお酌に参りました。」
「ポール殿…
ィオッゴ風の彼が件の。」
『うん。
悪い地球人。
一応大魔王の知り合いだから。』
「えー、酷いなーww
ボク全然悪いことしてませんやんww
ヘイト向けんとって下さいよぉww」
『随分と機嫌が良いようだが何か良いことはあったか?』
「じゃーん♪
な、な、な何とー♪
噂の摂政を口説いて参りましたーーww
いやー、思ったより話せる人ですね。
まさかゴブリン姿でダンスに誘って応じてくれるとは思いませんでしたww
トイチ君もオモロイ嫁さん捕まえたもんやwww」
『皆、あの御仁を恐れて目も合わせないからな。
そうやって一笑を提供してやる者は貴重だ。
君は一つ善行を積んだのかも知れない。』
「あはははは。
ボクも正直怖かったですけどね。
まあゴブリンに化けてたから振るえた蛮勇ですわww
匿名性バンザーイ、あはははwww」
『1つ補足しておくが。』
「はい?」
『摂政はゴブリンを精密に見分けるよ。』
「え?」
『大魔王コリンズの前任者ギーガーがゴブリン種だった関係から、配偶者である摂政の本籍も魔界にある。
よって、魔界から出向している連中は全員魔王城の付近にゲルを割り当てられている。
だから彼女は日常的にゴブリンやコボルトに囲まれている。』
「え?
あ、いや…
マジっすか?」
『摂政は最も魔族に精通した人間種だ。
恐らくゴブリンに化けた人間も見分けているだろう。』
「怖っ。
えー、ヤバいなー。
ボク、結構卑猥に口説いちゃいましたよ?」
『逆にピエロ枠に入れて貰えたんじゃないか?』
「その枠にどんなメリットがあるんでっか?」
『殺されるのが後回しになる。』
「ひょえー。
イランことせんかったら良かったわww」
『大体さぁ。
私でも見分けれるぞ?』
「え!?
ホンマでっか!?」
『いや、君の股関節の使い方。
人間丸出しだから。
ゴブリン師団の者は全員1秒で見抜いていたぞ?』
「えーーーーーー!?
そういう大事なことは先に言って下いよォ!」
『…だって聞かれなかったし。』
「ゴブリンの歩き方って…
こうでっか?」
『あ、上手いね。
もう少し重心を前に…
あ、背筋は曲げ過ぎない方がいいかな。』
「こうでっか?」
『おお、上手い上手い。
流石は偽装ナンパのプロだ。
二日酔いのゴブリンくらいなら再現出来ているかな。』
「こ、この歩き方…
膝に滅茶苦茶負担が掛かるんですけど。」
『そもそも別種族をトレースするって無理があるだろ。』
「痛たたたた。
降参降参、ボク普通に歩きますわ。」
『これに懲りたら摂政には近づくな。』
「ヤバいですかねー?」
『大魔王が逃げるくらいだからな。』
「いやーー。
トイチ君は元から逃げ癖ありますからね。」
『そうなの?』
「彼、苦手にぶつかると思考放棄する奴なんですよ。」
『例えば?』
「数学とか語学とか。
苦手な科目は理解を完全放棄してましたね。
社会科くらいちゃいます?
彼の知能でもついてけるのは。
何せ黙って教師に刷り込まれてればいいだけですからね。
ボクも結構好き嫌い激しいんですけど。
彼に対しては見かねて何度か注意しましたもん。」
『ふーーーん。
言われてみれば大魔王ってそういう面はあったかかもな。
好きな事には没頭するけど、苦手は丸投げするというか。』
「ボク、彼からクラスの女子への対応丸投げされたことありますからね。
酷いですよ、アイツ。」
『私もね。
ここに居るブラウン宰相に色々丸投げして来たから…
あまり人のことは言えないかな。』
「ブラウン宰相、そうなんでっか?」
「ああ、君の処分も丸投げされるだろう。」
「勘弁して下さいよおおおお!!
それ絶対粛清フラグやないですかーーー!!」
言葉とは裏腹に偽男は機嫌よく笑いながらゴブリン師団の陣中に遊びに行った。
後で通りかかると嬉々として干し草運びを手伝っていたので、良くも悪くも人懐っこい性格ではあるのだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ピエロの処刑が後回しとは初耳でゴザル。」
『その証拠にまだ俺が殺されてない。』
「なるほど。
信憑性が増しましたな。」
『だろ。』
「だとすれば由々しき事態ですな。」
『?』
「今のポール殿、ピエロ成分が消え掛けております。」
『そうか?
俺って自分の頭を叩いて卑屈に笑ってるキャラのつもりなんだがな。』
「その笑顔も消えて久しいですぞ。
陣中ではずっと無口無表情ですし、領外の新兵はみな怯えております。」
『この状況でヘラヘラ笑ってたら不謹慎だろう。』
「それはそうでゴザルがな…
少なくとも、ピエロ枠は適用されないことを覚悟しておいて下され。」
『マジかー。
いきなり命綱が消えたわ。』
「その上、王国を単騎で制圧してしまったら…
もう誰も笑ってくれませんぞ。」
『そうは言ってもな。
…長引かせるのはリソースの無駄だよ。
要は王国政治を誰が執行するかの話だろ?』
「…。」
『俺と摂政の意見は一致している。』
「…これだけ同じ未来を見据えているのですから、お2人にはもう少し融和的に振舞って欲しいものでゴザルな。」
『なまじお互いの末路が見えてるだけにな…
慣れ合うのは難しい。』
「どうやったら、公王vs摂政を回避出来るのでゴザルか?」
『俺達2人がとっととくたばるのがベストだよ。
わかってるんだろ?』
「では次善を教えて下され。」
『大魔王再降臨。』
「…まあ、それが本来の形でゴザルよな。
そもそも、大魔王様が後3年こちらに残ってくれたら…
我々がこんな苦労を背負わずに…」
『よせ。
ジミーにだってわかってるんだろ?
大魔王は世界に何万年分かの富をもたらした。
受け取ってしまった以上、俺達に文句を言う筋合いはない。』
「ですな。
拙者の失言でした。
今頃、大魔王様は何をしておられるのでしょうか。」
『さあ。
あの超人的な能力だからな。
今頃は故郷を平定しているだろう。
仮に苦戦していたとしても、貴族にはなっているだろうな。』
「実質的に無限の富を持っている訳ですからな。
きっと地球人は大魔王様の恩恵を受けて、栄華を満喫していることでゴザロウな。
人民は歓喜し世は空前の好景気。
羨ましいものでゴザル。」
『羨むのは筋違いだ。
元々、彼は地球のものさ。
大魔王に統治される権利は地球人にこそある。
俺達は既に受け取ったミスリルを大切に使おう。』
「…ですな。
運河、街道、トンネル、大農園の整地。
御一新以降に作られたインフラは全て大魔王の遺産でゴザル。
膨大な触媒がどれだけ世界を益したのか見当すらつきません。」
『そういうことだ。』
「それにしても王国人も意固地なものですな。
摂政が存命している間だけでも忠勤すれば、幾らでも経済支援が受けられますのに。」
『身分社会だからな。
宿屋や掃除屋に恵んで貰う構図には我慢が出来ないんだろう。
仮に俺達の軍が配給を担当するとなれば、王国人はゴブリンやダークエルフに救われる羽目になる。
彼のプライドが許さないだろう。』
「そんな王国人をポール殿はどう黙らせるのでゴザルか?」
『?
賢王エドワードを利用する。』
「安否確認が取れたのでゴザルか!?」
『いやいや、流石に死んでるだろう。
名前を借りるだけさ。』
難しい話ではない。
エドワードの縁者と交渉し、彼の名で布告を出させるのだ。
エドワードの本領のギャロ領は魔界と隣接している上に鎖国平和路線に成功している。
統一政府の要人が辿り着ければ別に難しい話でもなんでもない。
『あれほどの名君が生きてくれていればなあ…
全ての国際問題が解決してハッピーエンドだったのだが。』
「…折角、魔界で保護させましたのに…
やはり魔族に殺されたのでしょうか?」
『彼らは必死に否定しているがな…
まあ、気持ちは分かるよ。
自分達を攻めた総大将の保護なんてやってられんだろうからな。』
「あの王国の侵攻で数え切れない魔族が死んだそうでゴザルからな。
幾らエドワード王が侵攻反対派だったとしても、到底納得出来るものではないでしょうな。」
『ああ、似た様な立場の俺も他人事ではない。』
「統一政府が倒れたら、我々は腹を切らざるを得ませんな。」
『…せめてオマエだけは逃がしてやりたいのだがな。』
「ふふふ。
ポールソン劇場の特等席、最期まで見届けさせて下され。」
『…酔狂なことだ。
介錯は任せるぞ。』
「こんな事もあろうかと、《はじめての介錯》を読んでおいて良かった。」
『流石は宰相。
準備の良い事だ。』
「えへへでゴザル。」
ここだけの話、俺やジミーの軍事知識など慌てて読んだ初等本の水準でしかない。
教科書通りにきっちりやってるから、今の所は無敗なのだろう。
(戦場に立つようになってから知ったことだが、世の中には教科書通りに仕事が出来る人間があまりに少な過ぎる。)
こんな俺達の相手をさせられる王国人には心底同情する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『それでは魔王軍先遣隊の布陣を発表する!』
「うおっ、突然ですやん。」
『大将、俺!』
「まあ妥当ですわな。」
『先鋒、君!』
「えーーーー!!!
ボクですかー。
勘弁して下さいよー。」
『以上!』
「えーーー!?
ちょ、待っ!!
ちょ、待っ!!」
『それでは全軍出陣!!』
「総員2名ですやーーーーんッ!!!!!」
本当は俺一人の方が仕事が捗るのだが、介錯人が居ないと切腹する時に不便なので、この偽物野郎を同行させることにした。
この偽ゴブリンをよほど気に入ったのか摂政は船まで見送りに来た。
「公王。
解決までどれくらい掛かりますか?」
『往路に10日、復路に10日、実務に10日。
その他休養は不要ですのでひと月もあれば十分でしょう。』
「えー!?
休養は必要やん!!
どこのブラック企業やねん!!」
「ふむ。
褒美には何を望みますか?」
「はいはいはーい!
ボクはエロエロハーレムが欲しいでーす!」
『書簡でもお願いした通り、領地経営に専念させて下さい。』
「公王、それは既に前提でした。
諸将の中でも貴殿には一番負担を掛けておりましたから。
仮に求められなくとも、5年の軍役免除は保証すると決めていたのです。
四天王とハロルド皇帝に内諾を取れ次第、貴殿に朱印状を発給する予定でした。」
『左様でしたか。
お気遣い痛みいります。』
「それを踏まえた上でです。
貴殿への褒美は何を用意すれば良いですか?」
「はいはいはーい!
酒池肉林の1000年保証が欲しいでーす!」
『…思いつきません。』
「何かあるでしょう?」
『いえ、本当に思いつかないのです。
…逆にお尋ねしたいのですが、摂政に何かお望みはないのですか?』
「…私ですか?」
『ええ。』
「思いつきません。」
『何かないのですか?』
「急に言われましても…」
『例えば…
大魔王をお迎えするとか…』
「無論、妻として伴侶に再会したいのは当然です。
…ただ私は公人です。
大魔王を迎えるのは天下万民の為の公務であって、私事であってはなりません。」
『…恐れ入ります。
失言をお許し下さい。』
「いえ、気にしておりません。」
「ホッ。」
「君は斬罪相当ですよ。」
「ひえっ!」
『お待ち下さい、摂政。
この者を介錯役に任じたばかりです。』
「ふむ、なら殺せませんね。」
「ホッ。」
「ちなみにこの痴れ者の介錯役は誰が務めるのですか?」
「え!?」
『それは私が責任を持って務めます。』
「ちょ!!!」
「ふふふ。
公王であれば安心して任せられますね。」
「ちょーーーーーーッ!!!!!」
軍を引くタイミングで全権特使を送り込む案は摂政親衛隊の中でも何パターンか練られていたそうだ。
ただ摂政本人が行きたそうな素振りを見せたので、隊内でその議論が止まってしまっていたらしい。
彼女達のスタンスは当然である。
天下人がこれ以上リスクを負うべきではない。
逆に、それが俺なら問題はない。
「はい、公王陛下であれば問題はありません。
失敗すれば改易材料になりますし…
成功すれば公王脅威論を広めることが出来ますからね。」
『ケスラー中尉が言うならそうなんだろうな。』
「個人的には公王陛下に死んで欲しくないです!」
『そいつはありがとう。』
「ですが、残念ながら私は公人です。」
『ふむ。
では互いの立ち位置から天下の泰平に貢献するとしよう。』
「はいっ!」
ケスラー中尉が満面の笑みで敬礼しているうちに船は離岸し、陸はすぐに濃霧に消えた。
懐かしい魔界船の揺れ。
無為な俺の人生締めくくりにはお似合いなのかも知れない。
「ちょっと待って下さいよーー!!!」
『え?』
「何かボクまで死ぬ流れになってるやないですか!!」
『ああ、そのことか。』
「そのことです!」
『安心したまえ。』
「おお、何か活路が!?」
『それを見越して部下達を連れて来なかった。』
「ボクを死んでもいい奴リストに入れるのやめてーー!!!」
偽物野郎は形式的に一通り騒いだ後、船員達1人1人に愛良く挨拶をして回っていた。
大魔王もそうだったのだが、あの白々しい上辺の愛想は地球人特有の処世術なのだろうか?
まあ不愛想よりは余程マシだ。
ジミー曰く、最近全然笑えてないらしいからな。
笑顔を代行させる為に奴を連れてきた、それだけの話だ。
さて…
俺はゆっくりと船長室の扉を開き…
懐かしい揮毫と再会する。
【リン・コリンズ】
如何にも《書けと言われたから書きました》という不愛想な文字である。
…懐かしい。
あの少年は、この薄暗い船室で魔王になったのだ。
当時の光景が脳裏に浮かび、思わず笑いがこみ上げる。
大魔王か…
最初から最後まで奇妙な少年だった。
『ベッドもあの時のままか…』
懐かしい。
このベッドで大魔王がふてくされて寝転んでいたのだ。
もっとも、あの母娘と居る時よりは幾分上機嫌だったが。
あの時の大魔王と同じ体勢で寝そべってみる。
不思議とあの時に彼と交わした会話が昨日のことのように思い返された。
「これ、落しどころってあるんですか?」
『それを考えるのがリン君の仕事だよ。』
「いや、俺は別に。
魔界にあんまり興味ないし。」
『あのねえ、リン君。
世の中全体を救いたいってことは…
こういう道理の判らない相手も助けるってことだよ?
別に賢い人だけを助けるつもりはないんでしょ?』
確かこんな遣り取りだったな。
思い返して恥ずかしくなる。
あの時の俺、若者相手に随分偉そうなこと言っちゃったよなあ。
まあいいか…
その因果は、今こうして返って来たのだから。
あんまり興味のない御一新後の世界の為に、賢く振舞ってくれない連中を助ける。
その落とし所を考えるのが、公人たる俺や摂政の仕事。
…いや、違うな。
落とすべき首を落とすだけ。
考える必要もないだろう、それだけが俺の仕事だ。
【異世界紳士録】
「ポール・ポールソン」
コリンズ王朝建国の元勲。
大公爵。
永劫砂漠0万石を所領とするポールソン大公国の国主。
「クレア・ヴォルコヴァ・ドライン」
四天王・世界銀行総裁。
ヴォルコフ家の家督継承者。
亡夫の仇である統一政府に財務長官として仕えている。
「ポーラ・ポールソン」
ポールソン大公国の大公妃(自称)。
古式に則り部族全体の妻となる事を宣言した。
「レニー・アリルヴァルギャ」
住所不定無職の放浪山民。
乱闘罪・傷害致死罪・威力業務妨害罪など複数の罪状で起訴され懲役25年の判決を受けた。
永劫砂漠に収監中。
「エミリー・ポー」
住所不定無職、ソドムタウンスラムの出身。
殺人罪で起訴されていたが、謎忖度でいつの間にか罪状が傷害致死にすり替わっていた。
永劫砂漠に自主移送(?)されて来た。
「カロッゾ・コリンズ」
四天王・軍務長官。
旧首長国・旧帝国平定の大功労者。
「ジミー・ブラウン」
ポールソン大公国宰相。
自由都市屈指のタフネゴシエーターとして知られ、魔王ダン主催の天下会議では永劫砂漠の不輸不入権を勝ち取った。
「テオドラ・フォン・ロブスキー」
ポルポル族初代酋長夫人。
帝国の名門貴族ロブスキー伯爵家(西アズレスク39万石)に長女として生まれる。
恵まれた幼少期を送るが、政争に敗れた父と共に自由都市に亡命した。
「ノーラ・ウェイン」
四天王・憲兵総監。
自由都市併合における多大な功績を称えられ四天王の座を与えられた。
先々月、レジスタンス狩りの功績を評されフライハイト66万石を加増された。
「ドナルド・キーン」
前四天王。
コリンズ王朝建国に多大な功績を挙げる。
大魔王の地球帰還を見届けた後に失踪。
「ハロルド・キーン」
帝国皇帝。
先帝アレクセイ戦没後に空位であった帝位を魔王ダンの推挙によって継承した。
自らを最終皇帝と位置づけ、帝国を共和制に移行させる事を公約としている。
「エルデフリダ・アチェコフ・チェルネンコ」
四天王筆頭・統一政府の相談役最高顧問。
前四天王ドナルド・キーンの配偶者にして現帝国皇帝ハロルド・キーンの生母。
表舞台に立つことは無いが革命後に発生した各地の紛争や虐殺事件の解決に大きく寄与しており、人類史上最も多くの人命を救済していることを統計官僚だけが把握している。
「リチャード・ムーア」
侍講・食糧安全会議アドバイザー。
御一新前のコリンズタウンでポール・ポールソンの異世界食材研究や召喚反対キャンペーンに協力していた。
ポールソンの愛人メアリの父親。
「ヴィクトリア・V・ディケンス」
神聖教団大主教代行・筆頭異端審問官。
幼少時に故郷が国境紛争の舞台となり、戦災孤児として神聖教団に保護された。
統一政府樹立にあたって大量に発生した刑死者遺族の処遇を巡って政府当局と対立するも、粘り強い協議によって人道支援プログラムを制定することに成功した。
「オーギュスティーヌ・ポールソン」
最後の首長国王・アンリ9世の異母妹。
経済学者として国際物流ルールの制定に大いに貢献した。
祖国滅亡後は地下に潜伏し姉妹の仇を狙っている。
「ナナリー・ストラウド」
魔王ダンの乳母衆の1人。
実弟のニック・ストラウドはポールソン大公国にて旗奉行を務めている。
娘のキキに尚侍の官職が与えられるなど破格の厚遇を受けている。
「ソーニャ・レジエフ・リコヴァ・チェルネンコ」
帝国軍第四軍団長。
帝国皇帝家であるチェルネンコ家リコヴァ流の嫡女として生を受ける。
政争に敗れた父・オレグと共に自由都市に亡命、短期間ながら市民生活を送った。
御一新後、オレグが粛清されるも統一政府中枢との面識もあり連座を免れた。
リコヴァ遺臣団の保護と引き換えに第四軍団長に就任した。
「アレクセイ・チェルネンコ(故人)」
チェルネンコ朝の実質的な最終皇帝。
母親の身分が非常に低かったことから、即位直前まで一介の尉官として各地を転戦していた。
アチェコフ・リコヴァ間の相互牽制の賜物として中継ぎ即位する。
支持基盤を持たないことから宮廷内の統制に苦しみ続けるが、戦争家としては極めて優秀であり指揮を執った全ての戦場において完全勝利を成し遂げた。
御一新の直前、内乱鎮圧中に戦死したとされるが、その詳細は統一政府によって厳重に秘匿されている。
「卜部・アルフォンス・優紀」
御菓子司。
大魔王と共に異世界に召喚された地球人。
召喚に際し、超々広範囲細菌攻撃スキルである【連鎖】を入手するが、暴発への危惧から自ら削除を申請し認められる。
王都の製菓企業アルフォンス雑貨店に入り婿することで王国戸籍を取得した。
カロッゾ・コリンズの推挙により文化庁に嘱託入庁、旧王国の宮廷料理を記録し保存する使命を授けられている。
「ケイン・D・グランツ」
四天王カイン・D・グランツの長男。
父親の逐電が準叛逆行為と見做された為、政治犯子弟専用のゲルに収容されていた。
リベラル傾向の強いグランツ家の家風に反して、政治姿勢は強固な王党派。
「ジム・チャップマン」
候王。
領土返納後はコリンズタウンに移住、下士官時代に発案した移動式養鶏舎の普及に尽力する。
次男ビルが従軍を強く希望した為、摂政裁決でポールソン公国への仕官が許された。
「ビル・チャップマン」
准尉。
魔王軍侵攻までは父ジムの麾下でハノーバー伯爵領の制圧作戦に従事していた。
現在はポールソン大公国軍で伝令将校として勤務している。
「ケネス・グリーブ(故人)」
元王国軍中佐。
前線攪乱を主任務とする特殊部隊《戦術急襲連隊》にて隊長職を務めていた。
コリンズ朝の建国に多大な貢献をするも、コリンズ母娘の和解に奔走し続けたことが災いし切腹に処された。
「偽グランツ/偽ィオッゴ」
正体不明の道化(厳密には性犯罪者)
大魔王と共に異世界に召喚された地球人。
【剽窃】なる変身能力を駆使して単身魔王軍の陣中に潜入し、摂政コレット・コリンズとの和平交渉を敢行。
王国内での戦闘不拡大と民間人保護を勝ち取った。
「ンキゥル・マキンバ」
公爵(王国における爵位は伯爵)。
元は遊牧民居留地の住民として部族の雑用に携わっていたが、命を救われた縁からコリンズ家に臣従。
王国内で一貫して統一政府への服従を呼びかけ続けた為、周辺諸侯から攻撃を受けるも粘り強く耐え抜いた。
御一新前からの忠勤を評価され、旧連邦アウグスブルグ領を与えられた。
「ヴィルヘルミナ・ケスラー」
摂政親衛隊中尉。
連邦の娼館で娼婦の子として生まれ、幼少の頃から客を取らされて育った。
コリンズ家の進軍に感銘を受け、楼主一家を惨殺して合流、以降は各地を転戦する。
蟄居処分中のケネス・グリーブを危険視し主君を説得、処罰を切腹に切り替えさせ介錯までを務めた。
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異世界事情については別巻にて。
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