【顛末記19】 僭主
この荒野に名前はない。
王国・帝国・連邦・首長国・合衆国に挟まれた不毛の荒野。
各勢力が何度か開拓を試行するも、経済的合理性が一切見いだせなかったのか早々に断念している。
軍事拠点にも不向きで攻めにくく守りにくい地形。
歴史上、この土地に布陣した勢力は全て敗北し、作戦立案者は後世の史家から愚将の烙印を押されている。
なので、ここに住むのは凶暴なモンスターと哀れな逃亡農奴だけだった。
酷い時期などは、プテラノドンなる怪鳥まで異常発生したほどである。
誰かが名前を付けた時期もあったのかも知れないが、残ってないということはそういうことなのだろう。
【非武装中立地帯】
そう呼称することで、軍人達は赴任命令を避けて来た。
見捨てられた大地。
大魔王、受難の地。
我が最愛の師の故郷。
それが今、俺達が立つ荒野。
「皆の懸念は承知しております。
確かにこの地は本来、人が住まう土地ではありません。
将兵達に掛かっている多大な負担を見て、魔王様も非常に心を痛められております!」
目の前で摂政が演説している。
傍らには魔王ダンを抱いた侍従長。
摂政は我が手で魔王を抱こうとすると不思議と(別に不思議ではない)泣き叫ぶ為、最近は距離を置くようになったのだ。
何故かハロルド皇帝と共に最前列の席を与えられてしまったので、背後に控える四天王やその更に下段で平伏させられている連中がどんな表情をしているのか想像もつかない。
「公王。
貴殿の御意見は如何か?」
不意に摂政と目が合う。
え? 俺?
俺に意見を聞くの?
こういう時だけ?
「貴殿は天下に並ぶ者なき賢人です。
忌憚のない意見を皆に聞かせてやるように。」
いや、ハードル!
こういうのって普通、事前に打ち合わせとかするものじゃないの?
え? 俺?
俺が喋るの?
『…。』
気が進まないながらも振り返ると…
床几が許されている四天王以外は各省庁の局長クラスですら全員土下座させられている。
俺が咳払いすると皆の視線が一斉に集まる。
『古来よりこの地は不毛の地であり、未だに名前さえ無い。
水源乏しく、地質は毒性を含み、凶悪なモンスターが跋扈している。
そんな土地に歳若い魔王様を住まわせるなど、正気の沙汰ではない!』
つい本音で語ってしまう。
いや、皆もそう思ってるよね?
早く所領に帰りたいよね?
ここより酷い土地なんて永劫砂漠くらいだぞ?
だから、せめて賛同の拍手くらいはしてくれないかな?
『居住に適した軍都が眼前にあるにも関わらず!
このような荒野での起居を強いられる将兵の苦痛は如何ほどのものか!
今回の布陣を愚挙と呼ばずに何と呼ぶのであろう。
ましてや、この地への遷都とは意図が理解出来ない!
確かに地図上だけ見れば要地である事は認める!!
だがこの悪環境である!!
周辺地域全ての協力があったとしても、正常な都市機能を備えるのがやっとであろう!』
誰も止めないので言葉がどんどんエスカレートする。
おいおい誰か止めろよ。
まるで俺が摂政に不満を持ってるみたいじゃねーか。
(いや、勿論不満だけどさ。)
『私は断言する!
この地を都にするのは反対であると!
参集させられる諸民族の身にもなるべきである!!』
程よくオブラートで包む予定だったのだが、最後まで言い切ってしまう。
今日はジミーが側に居ないからね、仕方ないよね。
『…。』
眼前はただ静まり返っている。
将校も官僚も咳払い一つしない。
エルデフリダが退屈そうに爪を眺めている以外は、皆が謹直な表情で押し黙っている。
『…。』
いや、誰か何かツッコめよ。
俺一人が摂政と対立してるみたいな構図になるじゃん。
「公王は恐ろしきお人である。」
突然、摂政が立ち上がったので殺されるのかと思った。
「魔王様も穏便な解決を望んでおられたが、公王ほどの剛の者の主張であれば妥協せざるを得ない!」
どうやら俺の発言ターンが終わったようなので、摂政に向かい直って聞き役に戻る。
何やら俺の発言が真逆に歪められている気もするが、毎度の事なので驚きはない。
『魔王様がこんなに不便な土地で寝泊まりしているにも関わらず王国人は挨拶にすら来ない。
これは不敬千万である!
早々に自領を明け渡し、一兵卒として魔王様への隷属を乞うのが筋であろう!』
いつの間にか俺がそう言った事にされていた。
魔王への不敬に怒り狂ったポールソン公王が摂政の制止を振り切って合衆国経由で王国に攻め込むという酷いシナリオ。
俺が合衆国陣地に戻ると、攻城兵器やトルーパーが大量に搬入されていた。
軍備過大な気もするが仕方あるまい。
この世界で摂政に反抗的な態度を取っているのは、もはや王国くらいしか残っていないのだから。
兎に角、王国人はコレット・コリンズを毛嫌いしている。
(特に王国貴族。)
世界中が彼女に服従する中、祖国の王国だけがそうせずに済む方法を必死で模索している。
ある意味仕方ないことだ。
例えば、帝国人・首長国人・自由都市人といった南部諸国がコリンズ家と接触したのは、同家が基盤を築き終わってからである。
なので彼らから見たコリンズ家は最初から軍隊を引き連れた怪物資本家だった。
つまり、頭を下げる事にそこまでの抵抗はない。
一方、王国人にとってのコリンズ家は王都の隅で未亡人が細々と営む宿屋に過ぎなかった。
後の大魔王リン・コリンズもその入婿に過ぎない。
いや、王国軍への編入価値なしと見做されて王宮を追放された不名誉な経歴すらあった。
その上、大魔王と共に転移してきた地球人の何名かが彼を嘲笑するような発言を繰り返した為、評判は非常に悪い。
なので、王国人の統一政府への臣従は極めて形式的であり、その内心は現在の彼らの不遜な態度の通りである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【コレット・コリンズ北征記録】
魔王城 (大陸最南端の人工島)
↓
コリンズタウン (魔王ダンの私領)
↓
旧自由都市検問所 (憲兵総監ノーラ・ウェイン管轄)
↓
ノーラ・ウェイン所領フライハイト (旧連邦首都)
↓
御天領 (旧連邦ライナー侯爵【族滅済】領)
↓
人民農場地帯 (旧連邦オルデンブルク侯爵【族滅済】領)
↓
御天領 (旧連邦ミュラー伯爵【未族滅】領)
↓
人民牧場地帯 (旧連邦アウグスブルグ侯爵【族滅済】領)
↓
魔王城 (旧称・非武装中立地帯) ←イマココ
↓
王国側国境検問所 (摂政親衛隊が駐屯大隊を殲滅)
↓
王国軍都 (摂政親衛隊が将校居住区を殲滅。)
↓
諸貴族領混在地 (民兵割拠の無政府状態)
↓
マキンバ公爵領 (周辺諸勢力の侵攻に苦慮)
↓
旧伯爵領 (東西戦争の混乱に紛れて僭主誕生)
↓
王国天領 (大魔王が摂政に求婚した聖地)
↓
教団自治区 (諸侯入り乱れる争奪戦の舞台)
↓
大草原 (諸侯が武力接収)
↓
侯爵領 (七人の僭王が乱立)
↓
中継都市ヒルズタウン (諸侯の草刈り場)
↓
王都 (情報錯綜)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて。
魔王軍に喉元を抑えられ、更には俺の強硬演説が公表された事で、ようやく遠方の王国貴族達も内紛を中止して、魔王城に参上し始めた。
手ぶらで来た者や条件交渉が可能と錯覚していた者は当然その場で斬られた。
統一政府と王国貴族の間に途方もない意識の齟齬があった。
王国諸侯達は大魔王や魔王に忠誠宣言書を提出し終わっている。
なので摂政に言わせれば彼らは既に臣下であり、全ての命令を忠実に遂行し、命令のない時は能動的に忠誠の証を示すべき存在だった。
(エルデフリダですらそうしているのだ。)
なら、その責務を怠っている王国諸侯は逆賊でしかない。
俺もこの点には同意している。
ところが、王国諸侯にとって忠誠宣言書などはその場その場で優勢な者に提出しておく保険に過ぎなかった。
宿屋の小娘に頭を下げる気はさらさら無かったが、彼女が持つ大量の物資のおこぼれには期待していた。
三公七民税制についても身勝手な解釈をしており、「三割を統一政府に納めれば、後は何をしようが全て領主たる私の勝手ということだ。」と放言する者すらいた。
王国は広大なので、魔王城から離れれば離れるほど良貨が駆逐されていた。
反面、王国の更に北方に住まうエルフやドワーフは統一政府による支配を歓迎しているので、《王国さえ接収してしまえば、全て丸く収まるのでは?》と世論が考え始めている。
穏健派の俺ですら助命は改易との引き換えが最低条件と漠然と考えていたので、「5万石割譲するから支配権を認めて欲しい」とか「統一政府での貴族身分を保証して欲しい」という身勝手な主張を知って驚かされた。
あまりに意識が異なるので、急遽摂政に意見調整の為の面会許可を取り付けた。
再び新都まで騎走し、魔王城への入城を申請する。
ハロルド皇帝やカロッゾも同じ想いだったらしく、2人の愛馬も諸侯用厩舎に繋がれていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
魔王城への入城資格を持つ俺や四天王は高級将校用の綺麗なゲル (ソファーや茶菓子も用意されている)に案内して貰えるが、それ以外の将校は小隊用のゲルに纏めて待機させられる。
新参や外様に至っては野営用テントで待たされる。
帰属が曖昧な者はテントすら与えられずに、敷かれたムシロに平伏して侍従長の麾下にある宮内官僚の指示を待たねばならない。
「いえいえ!
私如きがムシロなど恐れ多い!」
そんな声が聞こえてきたので、思わず振り返る。
見れば王国軍服を着た男がムシロではなく、剥き出しの地面に額を擦り付けて宮内官僚に平伏していた。
何度も叩頭した為か顔と軍服が泥まみれになっていた。
「魔王様の御陣中に立ちいる事を許されただけでも、身に余る光栄でございますー!」
男は涙を流しながら何度も叩頭し、魔王への感謝を叫び続けた。
俺が怪訝な表情を浮かべていたのに気づいたのか、案内役の宮内官僚が耳打ちで教えてくれた。
「王国の僭主チャップマンですよ。
一兵卒から這い上がった男です。
謀反を繰り返して地位を掴んだので極めて評判の悪い人物なのですが、一貫して摂政殿下に臣従を申し出ております。
今回も本領を空にしてまで決死で紛争地帯をこじ開けて馳せ参じたとのことです。」
かつて王国にハノーバー伯爵家という由緒正しい名家が存在した。
王国からも藩屏として大いに期待されていた家なのだが、東西に分かれて家督争いを続けていた。
だが、ある日終戦交渉と騙って西伯爵家が東伯爵家を油断させ、奇襲を掛けて壊滅させてしまう。
東伯爵は嫡孫ジョージを女騎士イザベラに託して逃そうとするが、西軍側の下級将校チャップマンに捕らえられ惨殺されてしまう。
こうしてハノーバー伯爵家は西伯爵家が統一してしまうのだが、その新伯爵一族も魔王の経済テロの混乱に乗じたチャップマンに殺害された。
チャップマンは王家の落胤を自称しハノーバー伯爵領を私物化した。
【候王】なる聞き慣れない肩書まで名乗った。
これは彼なりに捻り出した伯爵より1段偉いというニュアンスらしいのだが、当然世間はその無教養を嘲罵した。
(彼が教育を受けられなかったのは、10歳の頃から伯爵軍に奴隷同様の徴用をされていたからである。)
当然周辺諸侯がこれを認める筈もなく孤立無援になってしまった。
生き残りを図るチャップマンは「我は大魔王夫妻に謁見を許された身ぞ!」と吹聴し始めた。
見え透いた苦し紛れのハッタリなのだが、周辺諸侯も万が一を考えてチャップマンを積極的に攻めれなくなった。
「事実です。」
摂政は悪びれずにそう言った。
『事実というのは、チャップマンを臣下に加える事を大魔王が認めたということですか?』
驚いて問う俺を見た摂政は声を立てずに笑った。
「まだコリンズ家が逃亡者だった頃の話です。
ハノーバー家の後継争いに巻き込まれてしまいました。」
『…それは初耳です。
少なくとも大魔王からは聞かされてません。』
「そうでしょうね。
だって半日掛からずに解決してしまいましたから。
大魔王は覚えてすらいないと思いますよ。」
『は!?』
「騎士イザベラでしたか。
最近調べさせたのですがかなりの有名人だったそうですね。
記録を見る限り婦人将校としてはトップの人材です。
【救国の聖女】の異名で知られていたとか。」
『ええ。
なので、イザベラを討ち取ったことでチャップマンが大いに武名を高めたと。』
そこまで俺が話すと摂政は声を立てて笑い始めた。
『摂政殿下?』
「失礼。
公王を笑った訳ではありません。」
『…はい。』
「騎士イザベラを討ち取ったのは大魔王です。」
『え?』
「ふふふ、信じられませんか?」
『あ、いえ。
疑う訳ではないのですが…
大魔王は軍隊経験がないと聞いておりましたので。』
「くすくす。
私の目の前に居る最強の将にも軍隊経験は無かった筈です。」
『…。』
「単なる騙し討ちです。
私とヒルダ・コリンズで水浴びに誘い、大魔王が凍結弾で殺しました。」
『…なるほど。』
「王国人共にとっては重大事であったようですが、大魔王や私にとっては大した問題ではありませんでした。
私も言われるまで忘れておりましたもの。
なので公王にも話した事が無かったのです。」
『理解致しました。
話しにくい事を話させてしまい申し訳ありませんでした。』
「話しにくい?
何故?」
『いえ、女性や子供が犠牲になった話ですので。
無論、他言しないことを誓います。』
摂政は機嫌良さ気に肩を揺すった。
「そうですか、公王は女子供の犠牲を嫌いますか。
なら、しばらくこの首は討たれずに済みそうですね。」
『御冗談を仰りますな。』
「公王。」
『は!』
「ジョージ殿をチャップマンに渡すと決めたのが私です。
後日、酷い殺され方をしたと聞きましたが、さしたる感慨を抱きませんでした。」
『…。』
「ドナルド・キーンからは何も聞いてませんでしたか?」
『いえ、あの男はどうでも良いことだけを私に聞かせる天才なので。』
「あら、そうなのですね。
殿方同士の友愛はどれも楽しそうで何よりです。」
『…。』
「さて本題に入ります。」
『ええ、チャップマン問題の着地点ですね。』
「公王に発言させる前に私の案を述べます。」
『はい。』
「政権イメージにとって都合の悪いことは全てチャップマンに押し付けて、この場で口を封じる。
これがセオリーです。」
『…。』
「と言ってもです。
これ以上、貴殿に目の敵にされたくありませんからね。
公王の腹案を採用致します。」
『まだ何も申してはおりません。』
「経緯を天下に対して正直に打ち明ける。
その上で、前向きな形の政治解決を図る。」
『…。』
「流石は公王です。
その案を採用しましょう。」
『お戯れを。
私は何も申しておりません。』
「では、今回の解決方法を提案して下さい。」
『経緯を天下に対して正直に打ち明けるべきでしょう。
その上で前向きな形の政治解決を目指して頂けるのでしたら、私も全力でお支えします。』
「…。」
『如何でしょうか?』
「その方針で行きましょう。
チャップマンの身柄を預けますので、2人で布告案を練る様に。」
『…チャップマン氏に意趣はないのですか?』
「さあ。
ハノーバー家もイザベラもジョージもチャップマンも。
あの頃の私にとっては単なる障害物でしかありませんでしたから。
…彼らがどうして自分を特別な何かと思い込めるのか不思議で仕方ありません。」
『確かに大魔王に比べれば、彼らは地位を得ているだけの人間に過ぎませんが。』
「ええ、大魔王や公王に比べれば、私達は地位を得ているだけの人間に過ぎません。」
『…。』
「あの日、大魔王に求婚されました。
すでに婿養子ではあったのですが、私の夫という意識は希薄だったのでしょうね。
2人でこっそりエリクサーを盗んでいる時の話です。
元本に用いたと言えば公王ならお分かりになりますね?
大魔王が申し訳なさそうに謝るのですよ。
私は大魔王との逃避行を心の底から楽しんでいたから、好きで一緒に居るのだから謝らないで欲しいと申しました。
彼の求婚の言葉はその直後です。
当然、その場で承諾しました。」
『…お、おめでとうございます。』
「世間にとってあの日は、イザベラが死にジョージが捕らわれた日なのかも知れませんが。
私にとっては掛け替えのない結婚記念日なのです。
エリクサーだの王国だのは些事です。
…他には何もいらなかった。」
『そういう経緯があったのでしたら、世間への発表は摂政殿下のご体面に傷が付かないような形で…』
「ロマンスなどは所詮私事。
故に私はこの問題を自分では扱いません。
公王殿が政治的に正しいと思う振舞をして下さい。」
『…承知しました。』
摂政は軽くため息を吐くと、水浴びをすると言って立ち上がった。
「凍結弾はお持ちですか?」
『いえ、残念ながら。』
笑いながらナナリー達との面会許可を与え摂政は俺を退出させた。
許された再会時間は数分だったが、何とかお互いの遺言を遺し合うことが出来た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
気は進まないがチャップマン氏に話し掛ける。
俺と目が合った瞬間に怯えた表情になったので、上意討ちではない旨を繰り返し伝えた。
無論、信じて貰えない。
チャップマン自身が騙し討ちを多用して地位を盗み取った男だからであろう。
それに彼は丸腰で、俺は式典での帯刀を許されている立場だ。
身構えるのは当然と言える。
「…ポールソン公王陛下。
ご武名は常々伺っております。」
『武名!?』
思わず聞き返す。
武名?
俺が?
「あ、いえ。
あの広大な砂漠を一瞬で平定されたとのことですから。
王国でも噂になっております。」
『平定も何も…
全ては魔王様の御威光ですから。
私は頭を下げて回っただけです。』
「…そうですか。
流石で御座います。
心掛けからして私などとは格が違う…」
『?』
チャップマン氏を俺のゲルに招き入れ茶菓を供する。
あまり怯えられても話が進まないので、毒見をした上で佩刀を入り口に放り投げた。
そして摂政との会話を包み隠さず明かす。
「私はどうなりますか?」
『殺されにくくはなったと思います。
チャップマン殿を斬ってしまえば、まるで口封じのように世間から思われてしまいますから。』
「いえ、何かお役に立てることはないかと。
魔王様の傘下に加えて頂ければ、一兵卒からやり直す覚悟です。」
『申し訳ありません。
私は貴方に活躍して欲しくないのです。
統一政府にこれ以上ダーティーなイメージを付けたくない。
無論、手遅れである事は承知の上ですがね。』
「そうですか。
統一政府にも居場所はないですか。
私なりに頑張ってきたつもりだったのですが…」
『摂政や私は別に怒ってはいませんよ。
単に損得です。
貴方を軍に組み入れてもメリットはない。』
チャップマンはしばらく唇を噛んで俯いていた。
そして拳を震わせながら呻くように言う。
「…私だけが悪者扱いされる。
みんな似た様な事をやってるのに。」
『…では私からも言わせて下さい。
摂政から聞きましたよ。
貴方、騎士イザベラを討ち取りジョージ殿を捕らえた手柄を全部ひとり占めしたそうですね。
大魔王に約束した謝礼も支払わなかったそうではないですか。』
「あ! いえ!
そういう訳では!!!
あの時は大魔王様が身元を教えて下さらなかったのです!
(株)エナドリを創業されてから、ようやく気付いたくらいでして!」
『謝礼を支払うと約束した相手の身元を尋ねなかったのですか?』
「…あ、いや、それは。」
『貴方は手柄を独占し、大魔王はエナドリを全世界に分け与えた。
ただそれだけの話です。
みんな似た様な事をやってる?
みんな?
冗談じゃない!
少なくとも大魔王夫妻は分配者だ。
貴方や私とは真逆のね。』
「…。」
周囲の予想に反してチャップマンは粘らなかった。
勝ち取った諸権利も魔王ダンに献上すると申し出た。
摂政は謁見こそ許さなかったが、チャップマンの一族郎党を呼び寄せる事を許し、少し条件の良い人民住宅を割り当てた。
話は終わりである。
チャップマンは老母の安全を手に入れ、摂政は大義名分を更に確保した。
「私は凡婦の身ではありますが、分配政策に関してだけは大魔王に恥じずに済むように進められていると自負しております。
勿論、この方針は今後も継続し天下万民に恩恵を行き渡らせるつもりです。」
集まった将兵達は無言で摂政のスピーチに耳を傾けている。
俺とチャップマンが包み隠さず語ったコリンズ家の逃避譚は一部の信奉者にとってはショックだったようだが、大半の者は冷静に話を受け入れてくれた。
「先ほど、この話を打ち明けさせたのは贖罪の意図からではありません。
王国にそこまでの思い入れがない事を皆に知っておいて欲しかったのです。
あの国は一応祖国ですが、それを理由に王国人だけを優遇することは誓って致しません。
公平な治世を約束します。
この後、王国人が色々と吹聴するかも知れませんが、真に受けて臆さないように。」
その後、チャップマンが再び進み出て大魔王夫妻との関係を過大に喧伝した罪を謝罪し、王国内の派閥毎スタンスを簡潔に解説した。
その説明があまりに分かり易かったので、流石は一代で成り上がった男であると皆が感嘆した程だった。
締め括りにチャップマンは貴種を僭称したことを世間に詫びたが、それは摂政が許した。
「僭称が罪だと言うなら、世の中には遥かに罪深い小娘が居るではありませんか。」
一瞬だけ自嘲するように笑うと、摂政はマントを翻して全軍を戦闘態勢に移行させた。
【異世界紳士録】
「ポール・ポールソン」
コリンズ王朝建国の元勲。
大公爵。
永劫砂漠0万石を所領とするポールソン大公国の国主。
「クレア・ヴォルコヴァ・ドライン」
四天王・世界銀行総裁。
ヴォルコフ家の家督継承者。
亡夫の仇である統一政府に財務長官として仕えている。
「ポーラ・ポールソン」
ポールソン大公国の大公妃(自称)。
古式に則り部族全体の妻となる事を宣言した。
「レニー・アリルヴァルギャ」
住所不定無職の放浪山民。
乱闘罪・傷害致死罪・威力業務妨害罪など複数の罪状で起訴され懲役25年の判決を受けた。
永劫砂漠に収監中。
「エミリー・ポー」
住所不定無職、ソドムタウンスラムの出身。
殺人罪で起訴されていたが、謎忖度でいつの間にか罪状が傷害致死にすり替わっていた。
永劫砂漠に自主移送(?)されて来た。
「カロッゾ・コリンズ」
四天王・軍務長官。
旧首長国・旧帝国平定の大功労者。
「ジミー・ブラウン」
ポールソン大公国宰相。
自由都市屈指のタフネゴシエーターとして知られ、魔王ダン主催の天下会議では永劫砂漠の不輸不入権を勝ち取った。
「テオドラ・フォン・ロブスキー」
ポルポル族初代酋長夫人。
帝国の名門貴族ロブスキー伯爵家(西アズレスク39万石)に長女として生まれる。
恵まれた幼少期を送るが、政争に敗れた父と共に自由都市に亡命した。
「ノーラ・ウェイン」
四天王・憲兵総監。
自由都市併合における多大な功績を称えられ四天王の座を与えられた。
先々月、レジスタンス狩りの功績を評されフライハイト66万石を加増された。
「ドナルド・キーン」
前四天王。
コリンズ王朝建国に多大な功績を挙げる。
大魔王の地球帰還を見届けた後に失踪。
「ハロルド・キーン」
帝国皇帝。
先帝アレクセイ戦没後に空位であった帝位を魔王ダンの推挙によって継承した。
自らを最終皇帝と位置づけ、帝国を共和制に移行させる事を公約としている。
「エルデフリダ・アチェコフ・チェルネンコ」
四天王筆頭・統一政府の相談役最高顧問。
前四天王ドナルド・キーンの配偶者にして現帝国皇帝ハロルド・キーンの生母。
表舞台に立つことは無いが革命後に発生した各地の紛争や虐殺事件の解決に大きく寄与しており、人類史上最も多くの人命を救済していることを統計官僚だけが把握している。
「リチャード・ムーア」
侍講・食糧安全会議アドバイザー。
御一新前のコリンズタウンでポール・ポールソンの異世界食材研究や召喚反対キャンペーンに協力していた。
ポールソンの愛人メアリの父親。
「ヴィクトリア・V・ディケンス」
神聖教団大主教代行・筆頭異端審問官。
幼少時に故郷が国境紛争の舞台となり、戦災孤児として神聖教団に保護された。
統一政府樹立にあたって大量に発生した刑死者遺族の処遇を巡って政府当局と対立するも、粘り強い協議によって人道支援プログラムを制定することに成功した。
「オーギュスティーヌ・ポールソン」
最後の首長国王・アンリ9世の異母妹。
経済学者として国際物流ルールの制定に大いに貢献した。
祖国滅亡後は地下に潜伏し姉妹の仇を狙っている。
「ナナリー・ストラウド」
魔王ダンの乳母衆の1人。
実弟のニック・ストラウドはポールソン大公国にて旗奉行を務めている。
娘のキキに尚侍の官職が与えられるなど破格の厚遇を受けている。
「ソーニャ・レジエフ・リコヴァ・チェルネンコ」
帝国軍第四軍団長。
帝国皇帝家であるチェルネンコ家リコヴァ流の嫡女として生を受ける。
政争に敗れた父・オレグと共に自由都市に亡命、短期間ながら市民生活を送った。
御一新後、オレグが粛清されるも統一政府中枢との面識もあり連座を免れた。
リコヴァ遺臣団の保護と引き換えに第四軍団長に就任した。
「アレクセイ・チェルネンコ(故人)」
チェルネンコ朝の実質的な最終皇帝。
母親の身分が非常に低かったことから、即位直前まで一介の尉官として各地を転戦していた。
アチェコフ・リコヴァ間の相互牽制の賜物として中継ぎ即位する。
支持基盤を持たないことから宮廷内の統制に苦しみ続けるが、戦争家としては極めて優秀であり指揮を執った全ての戦場において完全勝利を成し遂げた。
御一新の直前、内乱鎮圧中に戦死したとされるが、その詳細は統一政府によって厳重に秘匿されている。
「卜部・アルフォンス・優紀」
御菓子司。
大魔王と共に異世界に召喚された地球人。
召喚に際し、超々広範囲細菌攻撃スキルである【連鎖】を入手するが、暴発への危惧から自ら削除を申請し認められる。
王都の製菓企業アルフォンス雑貨店に入り婿することで王国戸籍を取得した。
カロッゾ・コリンズの推挙により文化庁に嘱託入庁、旧王国の宮廷料理を記録し保存する使命を授けられている。
「ケイン・D・グランツ」
四天王カイン・D・グランツの長男。
父親の逐電が準叛逆行為と見做された為、政治犯子弟専用のゲルに収容されていた。
リベラル傾向の強いグランツ家の家風に反して、政治姿勢は強固な王党派。
「ジム・チャップマン」
候王。
領土返納後はコリンズタウンに移住、下士官時代に発案した移動式養鶏舎の普及に尽力する。
次男ビルが従軍を強く希望した為、摂政裁決でポールソン公国への仕官が許された。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
異世界事情については別巻にて。
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