【顛末記15】 尚侍
封建社会の常識として臣下には主君に人質を出す義務がある。
0万石とは言え政権内で最も広い封土を与えられた俺に対してのプレッシャーは並大抵の物ではなく、大切な人を何人も摂政に差し出している。
「だから、俺達姉弟のことは気にしなくていいって何度も言ってるだろ。
姉さんだって酷い扱いを受けている訳じゃない。」
『…スマン。
まさかニックと出会った頃はこんな事になるとは思わなかった。』
「確かに兄貴と出逢ってから波乱万丈だ。
俺は楽しかったよ。
…だから一々謝るな。」
我が義弟ニック・ストラウドとの付き合いは世間で思われているほど長くはない。
出会ったのは御一新の前年である。
互いにフラフラしていた時期だった。
たまたま遊んでいたビリヤード台が隣同士だったのでナンパの話題で盛り上り、その夜に2人でガールハントに行った。
よくある酒場の一幕である。
その際にたまたまニックの地元のスラムで彼の姉ナナリーとその乳飲み子キキに挨拶をした。
出会った切っ掛けはその程度の些細なものだった。
丁度懐具合がマシになり始めたタイミングだったので母子に幾ばくかの支援をしたのだが、振り返るとどうしてそんな軽率な真似をしてしまったのかがわからない。
そのすぐ翌年に大魔王が降臨して電撃的に天下平定を成し遂げ、妻・コレットが覇業を完遂させた。
幸か不幸か俺は大魔王に近侍する立場にあり、世間からは腹心と見なされていた。
俺が統一政府から距離を置く事は不可能だった。
スラムで慎ましく暮らしていたストラウド家も俺の係累と見做され、当たり前の様に時代の流れに呑み込まれた。
「兄貴、もう今はどうしようもない。
生活を安定させる事に専念しよう。
ほら、巣穴からサンドワームが出て来るぞ。」
『了解。
1射目は俺が射つから、ニックはトドメを頼む。』
「兄貴も弓が上手くなったな。」
『そりゃあ、晩飯が掛かっているからな。』
2人で昔を思い出して少しだけ笑う。
サソリや芋虫でも食えるだけマシなのかも知れない。
何せストラウド家は典型的な貧家だったのだから。
ニックの姉ナナリーは労働災害に遭い顔に大火傷を負ったことで新夫に逃げられ、シングルマザーとして乳飲み子を育てていた。
当時は食料不足であったことから、その生活は悲惨だった。
いや、腕利きの冒険者でもあったニックが家計に貢献していてあの惨状だったことを鑑みれば、御一新前の人民の生活はやはり酷かったのだ。
「兄貴は気に病みすぎなんだよ。
スラムの火傷女が今じゃ魔王城の住民だぜ?
大出世じゃねーか。
俺、帝国の連中からやっかまれてるもの。
姉の七光で出世した腰巾着野郎なんだってさ。」
『帝国はみんな大変だからな。
勘弁してやってくれ。』
「まあな。
国を失った連中からすれば、一言くらいは言ってやりたいんだろうよ。」
ニックの姉、ナナリー・ストラウドは語弊を恐れずに言えば俺の愛人だった。
こちらとしては年下の親友に気を遣って、その実家に差し入れをしていただけのつもりだった。
だが、それも世間的に見れば広義の愛人なのだろう。
今思えば軽率な話である。
何不自由なく暮らしている中央区のボンボンがスラム女を小銭で囲っている。
きっと周囲にはそう見えていたのだ。
だから俺が永劫砂漠公に任命されるよりも前、摂政が最初に身柄を押さえたのがナナリー母子だった。
後から知った話だが、拘束作戦の陣頭指揮は摂政が執ったらしい。
ニックが俺の補佐として活躍している様子は相当目立っていたらしいので、それも原因だろう。
名目は保護だったが、明らかに人質だった。
現に摂政親衛隊からも殺害を仄めかす旨の恫喝を受けた。
ナナリーが単に情婦であれば卑怯者の俺は理由を付けて見捨てていたかも知れないが、親友の姉にそれは出来なかった。
俺は摂政の天下構想の傘下に入った。
「お、珍しく一撃で倒した。
お見事だ。」
『まぐれだよ。』
「…なあ兄貴、あまり弓に感情を乗せるな。
こんな砂漠でもどこに人目があるかわからない。」
『そうだな、オマエの言う通りだな。
もう感情的になっていい立場じゃない。
さあニック、今夜は御馳走だ。
とっとと解体を済ませて宮殿に戻ろうぜ。』
俺が素直に砂漠に着任したのを見届けてから、摂政はナナリーを魔王ダンの乳母衆に加えた。
つまり、娘のキキは世界を統べる魔王の乳母子となったのだ。
【魔王の后候補という意味でもある。】
その時の政府からの書簡には、摂政の字で短くそう付け加えられていた。
御丁寧な事にキキには王国風の女官身分まで与えられた。
飴と鞭とはよく言ったものである。
彼女が3代目を産むようなこととなれば、ストラウド家は一躍コリンズ王朝の外戚の地位に登り詰めることとなる。
その事実が、ニックに対しての風当たりの強さに繋がっているのだろう。
本人は無言で耐えているが、守旧派からの心ない中傷が止むことはない。
『家族なんて持つものじゃないな。』
「かもな。」
いつもなら、軽率な発言を戒めてくれるニックがそうしなかった。
きっと俺達は疲れているのだ。
『なあニック。
俺、全部終わったら田舎にバーでも開いて、のんびり暮らすわ。』
「いいな、俺も混ぜてくれよ。」
『当たり前だろ。
客の居ない日はハンモックで寝転んどこうぜ。』
「あ、俺ギター弾いてミニライブしたいかも。」
『それいいな。
女の子のファンとかつくかもな。』
「男の夢だよな。
美人のウェイトレスも雇おうぜ。」
『…ああ、最高だな。』
「…そうだな、最高だな。」
2人でサンドワームを駱駝に括り付けて砂漠を疾走する。
遥か左側にスケルトンバッファローの群れらしき影が見えた。
本来なら索敵の必要があったのだが、俺達は気付かなかったことにした。
もう疲れたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
宮殿とは名ばかりの暗い岩場に帰ると、本国からの書簡が届けられていた。
キキが描いた絵が送られてきたのだ。
【魔王ダンの頭を笑顔で撫でているキキ】
3歳児の落書きにしては分かりやすく描かれていた。
魔王ダンを抱いている人物はナナリーだろう。
その証拠にとても寂しそうな表情をしている。
横に控えているのは、最近乳母頭から昇格した新侍従長だ。
見ればわかる。
そして離れた場所にポツンと描かれた人物が摂政だ。
ゴブリン風の珍妙な民族衣装は子供の目にも印象的に映るのか特に力を入れて描写されていた。
顔だけ描かれていなかった事に驚きはない。
子供は大人と違って嘘を吐かないのだから。
【魔王城では楽しく暮らしています。
皆様が親切にして下さります。】
絵の裏には消え入りそうな字でそう記されていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺とニックは岩場から十分に離れたことを確かめてから泣いた。
涙を流して詫び合った。
普段、あんなにも耳障りな砂嵐が俺達の嗚咽にだけは頑なに沈黙を守っていた。
【異世界紳士録】
「ポール・ポールソン」
コリンズ王朝建国の元勲。
大公爵。
永劫砂漠0万石を所領とするポールソン大公国の国主。
「クレア・ヴォルコヴァ・ドライン」
四天王・世界銀行総裁。
ヴォルコフ家の家督継承者。
亡夫の仇である統一政府に財務長官として仕えている。
「ポーラ・ポールソン」
ポールソン大公国の大公妃(自称)。
古式に則り部族全体の妻となる事を宣言した。
「レニー・アリルヴァルギャ」
住所不定無職の放浪山民。
乱闘罪・傷害致死罪・威力業務妨害罪など複数の罪状で起訴され懲役25年の判決を受けた。
永劫砂漠に収監中。
「エミリー・ポー」
住所不定無職、ソドムタウンスラムの出身。
殺人罪で起訴されていたが、謎忖度でいつの間にか罪状が傷害致死にすり替わっていた。
永劫砂漠に自主移送(?)されて来た。
「カロッゾ・コリンズ」
四天王・軍務長官。
旧首長国・旧帝国平定の大功労者。
「ジミー・ブラウン」
ポールソン大公国宰相。
自由都市屈指のタフネゴシエーターとして知られ、魔王ダン主催の天下会議では永劫砂漠の不輸不入権を勝ち取った。
「テオドラ・フォン・ロブスキー」
ポルポル族初代酋長夫人。
帝国の名門貴族ロブスキー伯爵家(西アズレスク39万石)に長女として生まれる。
恵まれた幼少期を送るが、政争に敗れた父と共に自由都市に亡命した。
「ノーラ・ウェイン」
四天王・憲兵総監。
自由都市併合における多大な功績を称えられ四天王の座を与えられた。
先々月、レジスタンス狩りの功績を評されフライハイト66万石を加増された。
「ドナルド・キーン」
前四天王。
コリンズ王朝建国に多大な功績を挙げる。
大魔王の地球帰還を見届けた後に失踪。
「ハロルド・キーン」
帝国皇帝。
先帝アレクセイ戦没後に空位であった帝位を魔王ダンの推挙によって継承した。
自らを最終皇帝と位置づけ、帝国を共和制に移行させる事を公約としている。
「エルデフリダ・アチェコフ・チェルネンコ」
四天王筆頭・統一政府の相談役最高顧問。
前四天王ドナルド・キーンの配偶者にして現帝国皇帝ハロルド・キーンの生母。
表舞台に立つことは無いが革命後に発生した各地の紛争や虐殺事件の解決に大きく寄与しており、人類史上最も多くの人命を救済していることを統計官僚だけが把握している。
「リチャード・ムーア」
侍講・食糧安全会議アドバイザー。
御一新前のコリンズタウンでポール・ポールソンの異世界食材研究や召喚反対キャンペーンに協力していた。
ポールソンの愛人メアリの父親。
「ヴィクトリア・V・ディケンス」
神聖教団大主教代行・筆頭異端審問官。
幼少時に故郷が国境紛争の舞台となり、戦災孤児として神聖教団に保護された。
統一政府樹立にあたって大量に発生した刑死者遺族の処遇を巡って政府当局と対立するも、粘り強い協議によって人道支援プログラムを制定することに成功した。
「オーギュスティーヌ・ポールソン」
最後の首長国王・アンリ9世の異母妹。
経済学者として国際物流ルールの制定に大いに貢献した。
祖国滅亡後は地下に潜伏し姉妹の仇を狙っている。
「ナナリー・ストラウド」
魔王ダンの乳母衆の1人。
実弟のニック・ストラウドはポールソン大公国にて旗奉行を務めている。
娘のキキに尚侍の官職が与えられるなど破格の厚遇を受けている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
異世界事情については別巻にて。
https://ncode.syosetu.com/n1559ik/