【顛末記13】 聖女
元嫁が妊娠した。
相手は分からない。
この宮殿で男性機能を保有しているのは俺・ロベール・ジミー・ニックの4名。
元嫁は機械的にローテーションしていたので、誰の子なのか本当に分からない。
分からないので、俺たち男はこの共有妻をポーラ同様に尊重するようになってしまった。
そりゃあそうだ。
俺達は生物だもの、自分の血を残す可能性の高い相手を優先的に保護する。
かつて元嫁を嫌っていた弟達(俺も好きではなかったが。)も、今では積極的に彼女に配慮するようになった。
男同士の競争も構造的に発生しにくくなった。
隣の雄を倒さなくても生殖出来るのなら、争いというリスクを負わなくなるのが摂理だ。
元々ポールソン四兄弟は仲が良かったが、更に親密になった気がする。
反面、少し排他的になった。
兄弟であれだけ話し合っていた男手増加案は、いつの間にか立ち消えたし、ポーラと元嫁を人目から隠すようになった。
女共の主張する【近代国家の建国よりも原始部族の立ち上げの方がメリットがある】との言い分を俺達は受け入れたのだ。
無論、ポーラ・ポールソンはこの戦略が致命的に悪手であることも熟知している。
分が悪いと理解した上での大博打に踏み切ったのだ。
許される訳がない。
生存に特化したこの原始的乱婚は、我々の文明圏の価値観とは明確に異なっているのだから。
いや、もっとハッキリ言ってしまおう。
妹の提案は長らく人類社会に規範を示し続けてきた神聖教の教義と真正面から対立しているのだ。
彼女は人類史そのものを打倒する道を選んだ。
我々が行っている近親相姦や重婚だが、当然神聖教の教義においてもタブーである。
それも時代が時代なら、噂が立っただけで火炙りにされていた程の禁忌。
知られて良いわけがない。
間が悪いことに、今の神聖教は開闢以来最高の信仰を集めているのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ねえ兄さん覚えてる?
ソドムタウンで神聖教と言えば…」
『ああ、覚えているさ。
社会腐敗の象徴のような連中だった。』
「ワタクシのお友達もみんな嫌っていたわ。
おカネか選挙の話しかしないって。」
『皆が皆とは言わんが、あれは酷かった。』
「1番酷いのは孤児に免罪符を売らせたことよ。」
『…。』
「…。」
俺達ですら、そこで会話を止めてしまう。
当時の教団は孤児院事業を独占し、安価な労働力として彼らを酷使していた。
痛ましいとは感じていたが、愚かにも俺達は彼らに何もしなかった。
長年の習慣なのだから、そういうものだと思っていた。
「ワタクシ、あの2人のことは覚えているわ。
屋敷に押し掛けて来る孤児は何百回も追い払ったけど、その中でもあの2人は特に印象的だったから。」
『そうだろうな。』
【孤児を追い払っておきます。
いえいえお代は結構ですよ奥様。】
その孤児はポーラに抜け抜けとそう言ったそうだ。
「貴女にそれが出来るとは思いませんわ。」
「はっはっは。
確かにボクは卑しい孤児の身です。
なので、個別訪問禁止法案を提唱しておられるマイヤー候補に話を繋いでおきますよ。」
「…貴女、免罪符を売りに来たのでなくて?」
「欲しい方がおられればお譲りしていますが…
顧客に利益を与えない取引は長続きしませんからね。」
その後、逆転当選を果たしたマイヤー議員は個別訪問禁止法案を提出し、非合法なロビー活動で稼いだカネで孤児院の食糧事情を劇的に改善した少女は過酷な折檻を受けた。
それから数年後に発生した御一新に少女は私兵団を率いて参戦し各地を転戦、破格の栄達を遂げた。
四天王憲兵総監ノーラ・ウェインである。
治安部門の総責任者に任命された彼女は人類史上最大規模の粛清劇を現在進行形で遂行している。
かつては彼女に2000ウェン払えば罪が許されたのだから、免罪符とはつくづく良心的な制度であったのだ。
「小官が神であれば、貴殿を許していたかも知れないな。」
今ではすっかり有名になった処刑場でのノーラの決まり文句である。
(つまり、彼女はまだ誰も赦免したことがない。)
革命の負の側面をこれだけ体現した女も珍しいとは思わないだろうか?
さて、ノーラが資本家や封建諸侯を殺し続けることで公庫は大いに潤ったのだが、1つ大きな問題が生じた。
膨大な数の刑死者遺族、つまり孤児や未亡人が発生したのだ。
憎悪を原動力に這い上がった孤児が、同じ境遇の孤児を大量に産み出す。
悪夢のような循環構造である。
本来ならノーラが生み出した孤児はもっと野党性を帯びる筈だった。
だがこの暴力革命は極めて幸運だった。
最悪の酷吏と同時期に理想の受け皿が登場したのだから。
その勇敢な少女は刑死者の家族を庇護するだけでなく、統一政府に対して粛清によって生まれた孤児や未亡人への迫害防止を求めた。
単なる感情的な抗議運動ではなく、政権に利害を提示する極めて理性的な提言だったので、統一政府も冷静に対応した。
大衆は少女を聖女と讃えることで、ジェノサイドを傍観する自分への免罪符とした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【罪など最初からありません。
ですので免罪符などは不要です奥様。】
こともあろうに訪問者の眼前で免罪符を破り捨てて回る少女がいた。
ポーラも噂は聞いていたが、遭遇するまでは実在するとは思わなかった。
もう1人の少女の言い分はこうである。
「私にはあなたが地獄に堕とされるような罪人には見えない。
喜捨には感謝するが、罪のない人を免罪のしようがない。」
表情一つ変えずに免罪符を破り捨てる少女に、みなが多めにカネを持たせた。
金額まで覚えていないが、ポーラにもそれなりのチップを渡した記憶があるらしい。
彼女はそのカネで免罪符を売れずに罰を受けている仲間のノルマを肩代わりし続けた。
当然彼女の所業は孤児院側に発覚し、矯正名目でヒステリックな虐待を受けた。
目を付けられた彼女には見せしめとして重労働ばかりが割り当てられた。
酷い時には不眠不休で鯨の死骸清掃までやらされた。
少女とノーラは出会ったのは、暗く冷たい懲罰房の中でだった。
そこは神聖教の坊主共が騙る地獄とやらよりも遥かに酷い場所だった。
こういう劇的な邂逅を果たした者達が築く人間関係は2つしかない。
友情か敵対かである。
残念なことに前者を選ぶには彼女達は高潔過ぎた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『やあ、聖女様。
噂は聞いているよ。
君こそが神聖教の体現者だと皆が褒めている。』
「…その呼ばれ方は好きじゃない。」
『ああ、気を悪くしたなら謝罪するよ。
ゴメンな、ビッキー。』
当時四天王職にあった俺は大魔王の天下振舞に積極的に協力した。
勿論、ずっとニートだった俺に大した助力が出来るはずもなく、ノーラをはじめとした友人達に協力を要請した。
このビッキーなる少女もその1人である。
ノーラと面識があるとのことだったので、2人部屋を割り当てた。
俺としては完全に善意のつもりだった。
「公王陛下。」
『その呼ばれ方は好きじゃないな。』
「では貴方はなあに?」
『…ただのポールさ。
と答えたいところなんだけどね。
もうそれが通用する状況でもなくなった。』
「公王陛下、謁見を賜れたことに感謝します。」
その頭の下げ方があまりに堂に入っていたことが俺の心を強く傷付けた。
『いや、俺も君と再会出来て嬉しい。』
「…その言葉が本当なら嬉しかった。」
『まるっきりの嘘じゃない。
合わせる顔がなかっただけさ。』
「貴方はよくやっている。」
『ありがとう。』
「今日は旧交を温める為ではなく乞食に伺った。
まずは非礼を謝罪させて欲しい。」
『いや、神聖教開闢のおりは御開祖様もそうやって貧民救済を行った。
君のやっている事は恥ずかしいことでも悪いことでもないよ。』
「…。」
『…。』
「助けて欲しい。」
『わかった。
具体的にはどうすればいい。
俺に出来ることなどたかが…』
「マクロの話。」
『…。』
「助けて欲しい。」
『具体的には…』
「わからないフリはよくない。」
『…わかった。
流血の抑止を図ることを約束する。
死人が少ないに越したことはない。』
玉座の間で俺と向き合うビッキーは虚ろな目でただ中空を眺めていた。
「私は公王と違って無学。
願いはあっても、叶える方法を知らない。
いつも歯痒い想いをしている。」
『いや!
卑下する必要なんかないさ!!
君はまだ少女の年齢なんだ。
俺が君の年頃は家族に甘やかされて、何も知らずに生活していた!
…これはエゴかも知れないが、俺はビッキーにはまだまだ子供で居て欲しい。』
「私もそうしたかったけど、天がそれを許さなかった。」
『…君にこそ、ちゃんとした子供時代を満喫して欲しかった。
前にも手紙で伝えたが、君個人になら幾らかの支援は出来る。』
「どうせ支援を貰った所で、私はみなに分けてしまう。」
『…ビッキー、慈善が悪いとは言わない。
でも、前から言ってるじゃないか。
たまには自分自身の為に生きてくれないか?』
「御開祖様や大魔王も自分の事には興味すら持たなかった。
バルトロ先生やポールもそう。」
『ロメオ・バルトロも君には伸び伸び育って欲しいと願っていた。
無論、俺もだ!
普通に同年代の友達を作って幸せに暮らして欲しい。』
「残念ながら【普通】も【友達】も【幸せ】も【暮らし】も縁が無かった。
でも、ポールが強く願ってくれたから、【同年代】とは親交を深めることにした。」
『あ、ああ。
それは良かった。
喜ばしいことだ!』
「貴方が祝福してくれてとても嬉しい。」
『勿論だとも!!
これからは御友人と過ごすことにもっと時間を割いて欲しい!!』
一瞬だけ、ビッキーが何かを諦める様に溜息を吐いた。
「…コレット・コリンズとノーラ・ウェインに同盟を持ちかけた。
あの2人は現実主義者、これまでの遺恨を必ず水に流してくれると確信していた。」
『え!?』
「摂政には魔王ダンの与党を提供する。
憲兵総監には任務への支援を提供する。
引き換えとして2人は私の要望を全て叶える。
それだけの話。」
『ちょ!
…いや、そうか。
あまり政治には深入りして欲しくなかったが。』
「…マーティン師には引退して貰った。」
『え!?』
マーティン・ルーサー。
大魔王の宗教講師も務めた高僧。
信頼出来る人物だったので、ビッキーの保護を頼んでいた。
「これ以上、大切な人が傷付く場面を見たくないから。
師には故郷で平穏な余生を送って貰うことに決めた。」
『…ビッキー、君は。』
「後任には満場一致で私が指名された。
肩書は大主教代行。
事務処理が完了次第布告される。」
『…おめでとうと言った方がいいのか?』
「めでたくはないけれど、死人は減る。」
『…そうか。』
「ポールソン公王。」
『…はい。』
「助けて欲しい。」
『…はい。』
「勿論、マクロの観点で。」
『…畏まりました。』
「では早速。
貴方が秘蔵しているミスリル貨。
寄進して欲しい。」
『…。』
「…私はノーラ・ウェインと同盟関係にある。
不正蓄財を発見した場合、彼女に通報することも協定に含まれている。」
『…喜んで寄進致します。』
「ポールソン公王の協力的な姿勢に感謝する。
これにより、多くの人々が救済されることだろう。」
『…。』
「バルトロ先生が不慮の事故でお亡くなりにならなければ、私はもっと別の人生を歩んでいたと思う。」
『俺も君にはそうあって欲しかった。』
「旧東部地方州に摂政殿下から土地を賜った。
行き場のない孤児や未亡人を住まわせる許可も取得済。
かなり広い土地だが、今年度中に整地協力をお願いしたい。」
『いや、私も派兵計画が。』
「お願いしたい。」
『…。』
ビッキーはつまらなそうな表情でポーラに視線を切り替えた。
「御無沙汰しております奥様。
その節はお世話になりました。」
「あら、よく覚えていらっしゃたのね。」
「奥様から頂戴した5万ウェンで仲間を7人救済出来ましたから。
そのうちの1人は無事に生き残れることが出来ました。」
「ねえ。」
「はい。」
「あの時10万ウェンを渡していれば6人の冥福を祈らずに済んだ?」
「どうでしょう。
親のいない子供なんていつ死んでもおかしくありませんから。」
「でしょうね。」
「最近になって奥様がマイヤー議員を御友人に推薦して下さったと知りました。
ノーラ・ウェイン共々感謝致しております。
もっとも、評議会など既にありませんが。」
「勘違いしないで。
近所を孤児が徘徊するのが不快だっただけ。
もっとも、屋敷なんて既になくなってしまったけれど。」
それで話は終わったらしく、ポーラとビッキーは表情のない目でお互いを眺め続けていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ビッキーは俺の懐事情を大体推測していたらしい。
駱車に積んでやった大量のミスリルに驚く様子はなかった。
目線の動きからして俺が体内にオーラロードを仕込んでアイテムボックス的に運用していることまで気づいているのかも知れない。
「ポールソン公王。
深く協力に感謝する。」
『お役に立てて何よりだ。』
「おかげで手荒な真似をせずに済んだ。」
『?』
「代行に就任するにあたって、教団に幾つかの古い役職を復活させた。
その中には異端審問官も含まれる。」
『…。』
「ポールソン公王。
そして奥様。
以後もよしなに。」
『…よしなに。』
「公王の助言通り、少しは自分の為に生きることにした。」
『…おめでとう、祝福するよ。』
「ただ残念ながら私は公王以外に興味がない。
きっと皆がいう恋愛感情とはこれなのだろう。」
『ビッキーが広い視野を持って健やかに育つことが俺やバルトロの願いだった。』
「また逢えることを望んでいる。」
『火刑場以外の場所でなら喜んで。』
ビッキーは左手で顔を覆い、ゆっくりと肩を揺すった。
その喜怒哀楽までは判別がつかなかった。
「生憎、免罪符制度は私が不可逆的に廃止した。」
その日は風が強かったので、ビッキーの乗った駱車はすぐに見えなくなった。
話はそれだけである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺が刑死者家族の難民キャンプ整地を終えた翌月くらいのことだろうか。
統一政府が連座規定を改善する旨の発表を行った。
【異世界紳士録】
「ポール・ポールソン」
コリンズ王朝建国の元勲。
大公爵。
永劫砂漠0万石を所領とするポールソン大公国の国主。
「クレア・ヴォルコヴァ・ドライン」
四天王・世界銀行総裁。
ヴォルコフ家の家督継承者。
亡夫の仇である統一政府に財務長官として仕えている。
「ポーラ・ポールソン」
ポールソン大公国の大公妃(自称)。
古式に則り部族全体の妻となる事を宣言した。
「レニー・アリルヴァルギャ」
住所不定無職の放浪山民。
乱闘罪・傷害致死罪・威力業務妨害罪など複数の罪状で起訴され懲役25年の判決を受けた。
永劫砂漠に収監中。
「エミリー・ポー」
住所不定無職、ソドムタウンスラムの出身。
殺人罪で起訴されていたが、謎忖度でいつの間にか罪状が傷害致死にすり替わっていた。
永劫砂漠に自主移送(?)されて来た。
「カロッゾ・コリンズ」
四天王・軍務長官。
旧首長国・旧帝国平定の大功労者。
「ジミー・ブラウン」
ポールソン大公国宰相。
自由都市屈指のタフネゴシエーターとして知られ、魔王ダン主催の天下会議では永劫砂漠の不輸不入権を勝ち取った。
「テオドラ・フォン・ロブスキー」
ポルポル族初代酋長夫人。
帝国の名門貴族ロブスキー伯爵家(西アズレスク39万石)に長女として生まれる。
恵まれた幼少期を送るが、政争に敗れた父と共に自由都市に亡命した。
「ノーラ・ウェイン」
四天王・憲兵総監。
自由都市併合における多大な功績を称えられ四天王の座を与えられた。
先々月、レジスタンス狩りの成功を評されフライハイト66万石を加増された。
「ドナルド・キーン」
前四天王。
コリンズ王朝建国に多大な功績を挙げる。
大魔王の地球帰還を見届けた後に失踪。
「ハロルド・キーン」
帝国皇帝。
先帝アレクセイ戦没後に空位であった帝位を魔王ダンの推挙によって継承した。
自らを最終皇帝と位置づけ、帝国を共和制に移行させる事を公約としている。
「エルデフリダ・アチェコフ・チェルネンコ」
四天王筆頭・統一政府の相談役最高顧問。
前四天王ドナルド・キーンの配偶者にして現帝国皇帝ハロルド・キーンの生母。
表舞台に立つことは無いが革命後に発生した各地の紛争や虐殺事件の解決に大きく寄与しており、人類史上最も多くの人命を救済していることを統計官僚だけが把握している。
「リチャード・ムーア」
侍講・食糧安全会議アドバイザー。
御一新前のコリンズタウンでポール・ポールソンの異世界食材研究や召喚反対キャンペーンに協力していた。
ポールソンの愛人メアリの父親。
「ヴィクトリア・V・ディケンス」
神聖教団大主教代行・筆頭異端審問官。
幼少時に故郷が国境紛争の舞台となり、戦災孤児として神聖教団に保護された。
統一政府樹立にあたって大量に発生した刑死者遺族の処遇を巡って政府当局と対立するも、粘り強い協議によって人道支援プログラムを制定することに成功した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
異世界事情については別巻にて。
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