【顛末記03】 大公妃
眼下に広がる無限の灼熱地獄。
この永劫砂漠0万石が俺の所領。
一言で言うと…
『…辛いッス。』
「でしょうねえ。
でも、まあいいじゃないですか。
地図で見る限りは、史上最大の領土を保有されておられるのですから。
…ほら、見て!
全盛期の帝国よりも広いんじゃないですか、この砂漠。
いやあ、古今全ての諸侯の夢を越えましたな!
流石はポールソン大公閣下!」
調子の良いことばかり言っているのは、ゴブリン系遊牧民のィオッゴ。
ラクダを扱う家畜商の跡取り息子で、とある事件を切っ掛けに俺と親交を持つようになった。
彼が売ってくれる乳製品やラクダが俺の生命線。
頭が上がらない相手の1人である。
(逆に俺の頭が上がる相手はどこに居るのだろう?)
『おとなしくしてますんで、御社の丁稚長屋に住ませて貰えませんかね?』
「いやいや
大公閣下をそんな所に住ませる訳には行きませんよ!
閣下には宮殿があるでしょ。」
『宮殿ねえ。』
この砂漠に放逐された俺達が奇跡的に発見した《ひんやりとした岩場》。
100平方メートルもない岩場だが、上手く太陽を遮る角度に岩が張っている上に、岩の地質も朝露を集めやすいように出来ている。
「大分、綺麗になりましたねえ。」
『そりゃあ、岩場の拡充以外にやる事もありませんから。』
「ドブネズミの養殖は軌道に載りそうですか?」
『いやあ、色々試行錯誤してみたのですが…
今の所、先が見えないですねえ。』
「こちらでもゴブリン古典を調べておきます。
それっぽい記述があれば共有させて下さい。」
『ありがたいです。
ィオッゴ常務のおかげで暮らせております。』
「大公閣下も色々大変ですなあ。
オアシスには相変わらず立ち寄られない?」
『…ははは。
あそこはカロッゾ様の領地ですから。』
「人間種さん同士の政治に口を挟む気はありませんが…
全て丸く収まるといいですね。」
『お気遣いに感謝致します。』
今日の取引ではラクダチーズを20㌔入手出来た。
しかもゴブリン団子までおまけに付けてくれている。
明らかに貰い過ぎなので気が引ける。
『常務!』
「はい?」
『今年は家畜病が流行っていると聞いております。
御無理はされておられませんよね?』
「問題のないレートですよ。
少なくともこちらに負担はないと、妻も父も申しております。」
『感謝します。』
「それはお互い様。
まさか人間種さんとこんな風に商売出来る日が来るとは思っていなかったので。
それだけでも僥倖と捉えております。」
『私も…
子供の頃は、こんな時代が来るなんて夢にも思っておりませんでした。』
ィオッゴはそれには何も答えず笑顔で手を振って去って行った。
かれの氏族には人間種との馴れ合いを嫌う者が多い。
好意的態度はとっくにボーダーラインを越えているのだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
岩場に戻って濡れ布で身を清める。
この地に赴任してから、砂の不快感から逃れられた日はない。
馴れるしかないのだろうか。
「兄さん、今日の取引は如何でしたか?」
『ただいまポーラ。
ゴブリン団子を分けて貰えたよ。
夜になったら皆で食べよう。』
「御役目御苦労様で御座います。」
『これ、役目か?』
「領内の慰撫に勤しまれておられるではありませんか。」
『物は言い様だな。』
ポーラが無言で俺の背を拭く。
まさかコイツが砂漠生活に適応するとは思っていなかった。
この歳から2人産んだのも驚異的だし、3人目を更に孕むとは。
参ったな…
俺の子なので文句は言えないが、生まれた事で食糧難のリミットが早まった。
ドブネズミの養殖技術を早めに確立する必要があるな。
何せ、もう一つの系統も食わせる必要があるのだから。
「…。」
『チーズを手に入れたよ。』
「…。(コクン)」
『少し食べるかい?』
「…。 (パカー)」
『この程度しか食わせてやれずに申し訳ないな。』
「…。 (フルフル)」
一番の想定外が、この流刑地に元嫁が付いて来たことだな。
当時は無茶に呆れたものだが、ロブスキー卿が粛清された事を鑑みれば、俺に同行したのは正解だったのだろう。
『いや、荷物は私が運ぶ。
身体に障りがあるといけない。
もう休んでいなさい。』
「…。 (コクコク)」
ポーラは愛国婦人会に入会したりフェンシングを嗜んでいたので、まだこのサバイバル生活への適性もあるのだが、元嫁の体力では無茶をさせられんからな。
この子は文字通り深窓の令嬢だ。
水瓶を運ばせるのも怖い。
なのに、ポーラが挑発するから「自分も皆の子を産む」と言い出した。
この子の体力で出産に堪えうるとは到底思えない。
エナドリの残量も危険水域に迫っているというのに。
現在、乳児はポーラの産んだ2名。
最初の父はロベール、次の父は俺。
ポーラがこういう調整に失敗するとも思えないので、恐らくはそうなのだろう。
言われてみれば次男はどことなく父さんの面影を感じる。
長幼の序から言えば3番目はジミーの番なのだが、《離別したヘンリエッタが既に男子を産んでいる》との理由から、雑婚反対派のニックに譲られた。
『ニックは今でも反対か?』
「当たり前だろう。
俺達は文明人だぞ?
こんな未開部族のような手法は間違っている。」
『だろうなあ。
俺もさ、大学の講義で僻地の部族にはこういう婚姻形態があるって聞いて…
気持ち悪いなあって思ったもの。』
「なあ、考え直してはくれないか?
俺の子を産むと言ってくれた大公妃様には感謝して
いるし、尊敬もしている…
でも、兄貴は一国一城の主だぞ?
それも公爵よりも上位の大公爵だ。
幾ら何でも兄妹姦+雑婚は無いだろう。
兄貴の名誉に傷が付く。」
『名誉ねえ…
俺、そもそもがオタクのニートだからな。
名誉なんてあるのかねえ。
まあ、元の身分の話をするなら摂政殿下だって…』
「おいやめろ!!」
『ああ、ゴメン。
不用意だったな。』
「俺達は摂政殿下の御恩情に生かされている。
そうだな?」
『ああ、間違いないよ。
もうこの話はしない。
済まなかったな、ニック。』
「わかってくれればいいんだ。
俺は兄貴に長生きして欲しい。」
『長生きか…
難しいなあ。
オマエが一番知ってるだろう。
俺は無茶をし過ぎた。』
「養生すれば、まだ何とかなるかも知れない。
いいな、スキルはなるべく使うなよ!」
『そうは言われてもなぁ。
【清掃】なしでこの地獄を切り抜けるのは不可能だぞ。』
「それを踏まえた上での話だ。
俺達には隠しているが、兄貴は先週も吐血していただろう。」
『相変わらず目敏いな。』
「体調、どうなんだ?
どうして兄貴にはエナドリが効かない?」
『効かない訳じゃないさ。
本来ならオマエと逢った翌年には死んでた計算なんだ。
それをこうやって生き延びてるんだから、エナドリ様様、大魔王様様だよ。』
「HPの全快は無理なのか?」
『そもそも上限が全盛期の半分も無いんだよ。
歳の所為かな。』
「それにしても消耗が激しすぎる。
幾ら加齢がHP上限を減らすと言っても、兄貴の衰弱ペースは異常だ。」
『まあ、これも寿命さ。
父親にあんな死なせ方をした俺に長生きする資格なんてないからな。』
「…それでも俺はアンタに生きて欲しい。
頼むから先週みたいな無茶はしないでくれよ。
アロサウルスの群れを単騎討伐なんて正気の沙汰じゃない。」
『仕方ないだろう。
これ以上、隣領に借りを作る訳にも行かないのだから。』
「…そうだな。
兄貴が殺らなければ、確実にカロッゾに介入されていた。」
『なあニック。』
「んー?」
『スマン。』
「いつも言ってるだろ。
謝るの禁止。」
状況はかなり悪い。
俺達兄弟が生き延びている事が既に奇跡なのだ。
ポーラは1000人の子を産み、永劫砂漠を楽土に変えると宣言しているが…
そもそもとして、来週の俺達はまだ生き残ってるかな。
今日のチーズだって、すぐに食い尽くしてしまうだろうし、アンデット騒ぎには収束の気配がない。
もしもアロサウルスの群れが再びこの付近を通ったら…
確実に死人が出るだろう。
その時はもう奥義を使うしかない。
身体の取っ手を軽く撫でながら、そう決める。
ただ体内にオーラロードを埋め込んでいる事が知られたら…
俺一人の粛清では済まないんだよな。
『ロベール、チーズが手に入ったよ。』
「お帰りなさい、兄さん。
これで命が繋げますね。」
『ああ、皆には苦労を掛けっぱなしだからな。
鋭気を養ってくれると嬉しい。
それで、どうだった?』
「兄さんの言った通りでした。
鑑定名ドブネズミは、やはり召喚されたモンスターですね。
少なくとも砂漠の固有種じゃないです。
兄さんの仮説に賛成しますよ。
元々は都市部の生活に特化した種族。
今日一日観察してみて、僕も確信しました。」
『そっか。
案外、大魔王の故郷のモンスターなのかもね。』
「だとしたら肉が高く売れそうですね。」
『ははは、《大魔王鼠の燻製》なんて商品名なら首都の連中は熱狂するぞー。』
ロベールと岩壁にもたれて蛇肉ジャーキーを齧る。
この男もポールソン家なんかと関わったばかりに、随分数奇な人生を歩んでいるよな。
「兄さん。」
『ん?』
「こうして兄さんと食事をしていると…
あの塹壕生活を思い出します。」
『あれは酷かったなあw』
「ええ、あれは本当に酷かった。」
『あれからまだ3年しか経ってないんだな。』
「世界、変わっちゃいましたね。」
『変わっちゃたなあ。』
「首長国もゴーレムも。
あんな風になるなんて…
泉下の英霊たちが見たら、どう思うんでしょうね。」
『ゴーレムには乗りたがるんじゃない?
何だかんだ言ってみんな男の子だし。』
「あはは。
彼らの喜ぶ顔が目に浮かびます。」
『心から尊敬に値する男達だった。』
「…皆、死んじゃいましたね。」
『うん、死んじゃったね。』
「…ポーラの発案は正しいと思います。
兄さん達は反対でしょうけど。」
『…こう見えても兄妹で大学教育まで受けさせて貰ってるからな。
賛成は出来ないよ。
近親相姦なんて、あってはならない事だ。
あの世の父さんが知ったら、発狂するだろうけど。』
「あっちで再会しても黙っておきましょう。
死人に鞭打つのは良くない。」
『まったくだ。』
俺はチーズを収納すると、奥で冷却壺のメンテをしていたジミーに休憩を促す。
ニコニコと何も言わずに頷いたと言う事は、アイツ休憩する気がないな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、俺は俺の仕事に戻りますか。
カロッゾの監視の目を盗んで集めた触媒。
遊牧ゴブリンやリャチリャチ部族との取引で鉄貨や銅貨はそれなりにストック出来ている。
これなら当面は採掘が可能だ。
俺のスキルは【清掃】。
視認した対象を消失させる能力。
つまり、頑張れば穴も掘れるのだ。
俺の半地下宮殿である《ひんやりした岩場》の地下施設が充実しているのも、このスキルの賜物である。
砂漠の地下には岩盤が張っており、意外に浅い。
つまり俺がスキルを足元に使えば地下を掘り進む事が可能なのだ。
なので宮殿から離れた小岩場を俺達は密かに掘り進め、生存に必要な資源の探索に勤しんでいる。
最初は破れ被れで始めた地下探索だが、少なくない収穫を得ている。
例えばサンドワームの巣穴。
赴任20日目で貴重なカロリー源を発見出来たのは、あまりに僥倖である。
副産物として鉄と銀。
大量のスライム魔石も見つかった。
『で?
どうして今日もオマエが来るんだ?』
「あら、領内の視察は君主一族の務めですのよ。」
『赤ん坊はどうした?』
「今日はあの人に預けました。
練習もさせておくべきでしょう?」
『よく我が子を犬猿の仲の相手に預けれるな。』
元嫁とポーラの相性が悪い訳ではないと知ったのは最近の事である。
何とコイツラには生まれつき同性とお友達ゴッコをする機能が備わってないだけだったのだ。
「摂政もそうではありませんか。」
『…まあな。』
「死ねばまた産めば宜しいのです。
ヴォルコフ自体、そうやって起こった家でしょうに。
兄さんは難しく考え過ぎなのですよ。」
『…いや、そんな太古の話を持ち出されても。』
狼神が兄妹婚で成した子が我がヴォルコフ家の始祖とは伝わっている。
もっとも、宗主の座をクレアに奪われた以上、俺達にはその話題に触れる資格すらないのだが。
「今のこの環境。
古代以前の原始ですよ。
兄さん、適応しましょう。」
『やれやれ。
俺達以外は【令和】を堪能していると言うのに。
古代に先祖返りか。』
「他所は他所、当家は当家!
アップデートなど不要!」
『わかったわかった。
今日はサンドワームの横穴を探すぞ。
俺から離れるなよ。』
「はい、兄さん♥」
俺が掘り進めた小岩場。
いつの間にか皆がダンジョンと呼ぶようになった。
確かに子供の頃は冒険してみたいと憧れてたけどさ…
流石の俺も自分が掘る側に回る事までは想定してなかったわ。
「兄さん。
聞こえますか?」
『確かに今、反響音が聞こえたな。』
「サンドワームの巣穴ではなさそうですね。
恐らく、もっと大きな空洞がこの奥にあります。」
『だな。
なーんか人工物っぽくて嫌なんだよな。』
「先史文明の宝物殿かも知れませんね♪」
ポーラが悪戯っぽい笑顔で俺を見上げる。
こいつも随分子供っぽくなったよなぁ。
まあ、将校夫人集会に顔を出してた頃より、余っ程健全だけどな。
「掘らないのですか?
セット♪ セット♪」
『前も言っただろ。
大きな横穴は御前会議の可決がなきゃ掘らないって。』
「兄さんって役人みたい。」
女には分からないかも知れないが、四天王や大公爵も公職の1つに過ぎない。
俺はもう公人なのだ。
昔みたいに好き勝手出来ないよ。
「あっ!
銀脈!」
『マジ!?
やっぱりオマエ、引きが強いなぁ。』
「うふふ、兄さんの妻ですから♥」
ポーラが発見した銀脈にツルハシを打つ。
小一時間ほど汗を流して少なくない触媒を入手した。
いや、大した事はないよ。
消せると言っても、精々1個中隊が限度の分量だ。
俺が銀脈と格闘している間、ポーラが小弓を器用に使って、手前でウロウロしていたサンドワームの幼体を射ち殺していた。
…嫌だなぁ。
あんまり妹に殺生をさせたくないんだよ。
まあいい。
これで今週のカロリーは確保出来た。
サンドワームもなあ。
養殖出来たら助かるんだが、マンパワーが無いと難しいよなあ。
「ねぇ、兄さん。」
『ん?
どうした?』
「これもドブネズミ?」
ポーラが小動物の死骸をツマミ上げる。
ドブネズミにしては図体がデカい。
『いや、ネズミとは違うと思う。
少なくとも、この四肢の形状は初めて見た。』
「くすくす。
モンスター博士さんが知らないと言う事は…
新種の召喚モンスターかもですね。」
『…勘弁してくれ。』
「いいじゃないですか。
可食部も多そうですし。」
『サバイバル的には好ましい発見だ。
ポリティカルな面で好ましくない事が問題なんだよ。』
「くすくす。
相変わらず配慮が行き届いた事で。
ね?
子供の頃にワタクシが言った通りになったでしょう?
兄さんは将来絶対に政治家になるって。」
『所領0万石の政治家なんて聞いた事もないけどな。』
「あらあ、為政者は無報酬であるべきなんでしょ?
ワタクシ知ってますからね。
兄さんの論文に書いてありました。」
やれやれ。
誰も守れないまま、公約だけは遵守出来ていたようだ。
「兄さーん♪
酸素濃度があるうちに戻りますよー♪」
『了解。
すぐに俺も宮殿に帰る。』
サンドワームと謎の小動物を意気揚々と掲げてポーラは満面の笑顔を見せる。
地獄の様なこの永劫砂漠。
ポーラにとっては水が合っていたのかも知れないな。
もっとも、水は一向に見当たらないのだが。
【異世界紳士録】
「ポール・ポールソン」
コリンズ王朝建国の元勲。
大公爵。
永劫砂漠0万石を所領とするポールソン大公国の国主。
「クレア・ヴォルコヴァ・ドライン」
四天王・世界銀行総裁。
ヴォルコフ家の家督継承者。
亡夫の仇である統一政府に財務長官として仕えている。
「ポーラ・ポールソン」
ポールソン大公国の大公妃(自称)。
古式に則り部族全体の妻となる事を宣言した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
異世界事情については別巻にて。
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