【廃棄文書02】 蛇
急行と言っても即座に密林に入る訳ではない。
まずは台地へのアタックルートを定めなくてはならないし、何より可能ならシェルパを雇いたい。
昨夜、電撃的に出発したのは、あくまで国際社会へのアピールに過ぎないからだ。
(軍隊に居ると仕事をするフリが上手くなる。)
総督閣下からのオーダーは極めてシンプル。
《プテラノドン問題を王国の手で解決せよ》
ただ、それだけである。
この密林地帯は4カ国が領有権を主張する係争地帯。
現在の上層部は何としても我が国の実効支配下にあることを国際社会に対して示したがっている。
特にあの台地。
だだっ広い平野地帯の中に浮かぶように盛り上がっている。
哨戒塔でも建てる事ができれば、付近に展開する全部隊の現状が把握可能となるだろう。
故に、あの高台の占有に成功した勢力が軍事的ヘゲモニーを掌握するのだ。
「帝国にだけは絶対に手柄を譲るな!」
閣下のありがたい激励(?)である。
何としても国際社会の心証を稼いでおきたいらしい。
そう。
もはや超大国と言えど国際社会(国際資本)の同意なしに領土拡張出来ない時代になってしまっているのだ。
「なぁ、少尉さんよぉ。
帝国の奴らと勝負してるんだろ?
悠長にしている暇はねぇ筈だ。
このまま密林に突っ込んじまおうぜ?」
後ろから軽口を叩くのは新人冒険者のアラン君。
本人曰く、無敵の火魔法使いだそうだ。
先程、試射を見せて貰ったが確かに尋常ではない威力だった。
おまけに実家が王都近郊の農業地区の名主の家系。
なので、身なりがかなり良い。
それが故か、恵まれた者特有の万能感を隠す様子すら無かった。
『アランさん。
帝国との戦争は終わりました。
今の彼らは共に国際的課題に取り組む隣国であって敵国ではありません。』
一瞬、アランが目を丸くする。
「へへへ、そういうタテマエって事は分かってるよ。
コクサイキョーチョーって奴だろ?
アンタらも大変だよな(笑)
安心してくれ、俺もバカじゃねえ。
人目のあるところでドンパチするようなヘマはしねぇよ。
勿論、密林の中で奴らとカチ合った時は期待してくれて構わねぇ。
少尉は運がいいぜ。
俺が居ればアンタは手柄の挙げ放題って訳だw」
『…アランさん、本格的に任務が始まるまでに誤解を解かせて下さい。
我々の目的は人類にとっての脅威を取り除く事であって、誰かと競う事でも誰かを害する事でもないのです。
どうか私の言葉は額面通りに受け取って欲しい。』
アラン君はしばらく呆然としていたが、やがて哀れな者でも見るような顔で言った。
「アンタ、そんなのでよく軍隊生活やって行けてるよな。」
…うん、よく言われる。
そして、僕はあまり上手くはやれてない。
「アラン君、あまり軍人さんを困らせるのは良くないよ。」
反対側から落ち着いた声色で語り掛けて来たのは、同じく冒険者登録をしたばかりのケヴィン氏。
並外れた巨漢。
西部から王都に上京して来た直後に冒険者ギルドに登録、そして半ば騙された形で前線に連れて来られた。
無知な田舎者には何をしても構わない、という王都人の悪癖の被害者である。
「それにしても新種の竜ですか。
被害がなければいいですねぇ。」
天性、人柄が善良なのだろう。
鷹揚な声色からは貧乏籤への不満は微塵も感じられない。
いや、彼にとっては過酷さが予想されるこの任務への参加も然程の事では無いのかも知れない。
何せこの男…
途方も無く強い。
騎乗姿はリラックスしている癖に、僅かな隙もない。
最初に会話して驚かされた事であるが、眼球運動にすら一切の無駄がないのだ。
背負った大型の戦斧は彼の巨軀から更にはみ出している。
その圧倒的な筋量は彼が断じて見かけ倒しではない真の猛者であることを証明していた。
「ははは、買い被りですよ。
私は愚鈍な男ですので、少尉殿の邪魔にならないようにおとなしくしております。」
そう言うと、ケヴィンは後方に下がって本当に黙ってしまった。
優しい微笑を浮かべているが、目線だけは周囲の闇を油断なく監視してくれている。
これ程の豪傑が背中を守ってくれるのは本当にありがたい。
ヒューーーーーーーーーーーッ… バシュッ!!!!!
信号矢。
先行していたドラン・ドラインが射出したものである。
シグナル・グリーン。
彼を信じるなら周囲に敵影は存在しない。
無論、手首の隠し剣のロックを外してから、目標地点に馬を進める。
「いよう、少尉さん。
見事な馬術だ。
まさか、あの位置から夜間走行で追いついて来るとはな。」
『いえ、アラン・ケヴィン両氏の助けがあっての事です。』
闇の中に2つの眼光がギラギラと輝いていた。
体質的にも社会的にも、この男は夜行性なのだろう。
月をも霞ます眼光は、獲物でも狙うかの様に僕を見据えていた。
「見てみな、少尉さん。
微かに馬を休憩させた痕跡があるぜ。」
ドランが僕の許可を仰いでからカンテラで路上を照らした。
馬糞の破片すら落ちていないが、土の微かな乱れから1個分隊が右折した気配は感じ取れる。
『見事ですね。』
「だろう。
帝国さん、この真夜中に密林に直行しやがった。」
『いえ、ドラインさんの観察力の話ですよ。』
そう言うと闇の中の両眼は狡そうにゆっくりと細まった。
「クックック。
商売柄、夜目が効かないと話にならないモンでね。」
資本家連中は多かれ少なかれ闇社会とのパイプを持っている。
その中でもモロー家が最も悪質であることは、世情に疎い僕ですら知っている事だった。
奴らは金に物を言わせて腕の立つ冒険者や名の通ったヤクザを食客として大量に抱えていると聞く。
眼前のドランも、きっとその中の1人なのだろう。
先程見た限り、モロー家に対して相当馴れ馴れしい態度を取っているように見えた。
あの口の利き方を許されていると言うことは、食客の中でもエース格なのかも知れない。
いや、そうだという認識で警戒するべきだろう。
何せ孫娘に近侍している位だからな。
観察する限り腕はそれなりに立つ。
但し、それは騎士や軍人や冒険者のような直線的な強さではない。
恐らく数字的なスペックは《上の下》程度しかない。
問題は、この男に真正面から競ってくれるような可愛気がない事なのだ。
どこに潜んでいるかすら分からない毒蛇の様な陰湿さ。
僕がドラン・ドラインに持った印象。
そんな男の視線を背後に感じながら再度鞍上に登った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【王国斥候隊】
エド・ハンター (軍属)
アラン・アラリック (冒険者)
ケヴィン・ロー (冒険者)
ドラン・ドライン (暴力団員)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「少尉さんよ。
岩山の麓に難民キャンプを発見した。
この辺じゃ一番近い人里だ、どうする?」
この密林地帯周辺は王国・帝国・首長国・合衆国が領有権を主張する不透明地域である。
(僕は立場上《王国領である》と主張する義務があるのだれど。)
なので、それぞれの圧政に絶望して祖国を脱出した難民達はこの不透明地域でキャンプを張る。
場所によっては村落規模にまで肥大しているキャンプも存在するとの噂である。
難民達はこの中立地帯で大いに争い稀に助け合いながら共存している。
必要最小限の商行為を通じて難民達は互いの祖国の情報を交換し、祖国だけが地獄でない事を知り再度絶望する。
『日が昇ったら、シェルパを雇えるか交渉してみたいです。
今夜は安全な場所で野営しましょう。』
アランが起こした篝火の周囲を4つの1人用テントで囲む。
特に話す事は無かったので、日が昇るまで目を閉じて脳を休めることにする。
瞼の裏に山民少尉の屈託のない笑顔が思い浮かんだ。
あの男なら今夜中にミッションを完遂してしまっても不思議ではない。
その場合、総督閣下は狂ったように激昂するだろうが、世界全体にとっては素晴らしいことである。
先程すれ違った帝国チームの顔ぶれを思い返す。
見たのは一瞬だったが、純血の帝国人が1人も混じっていなかった事だけは確かだ。
間違いない、全員少数民族で構成されていた。
何故、あれだけ差別の激しい帝国のプロジェクトチームが少数民族のみなのか。
…彼らには彼らの事情があるのだろう。
いや、寧ろ軍属が僕しかいない王国チームの方が異常だろうな。
だが安心していい。
ミッションに目途が付けば、成果の横取りを目的とした増員は幾らでも送られてくる。
軍人ってそういう連中の集まりだからな。
そんな事を考えているうちに朝日が射して来たので、テントから這い出て昨夜の残り火を起こし直した。
軍用ポッドで湯を沸かし、干し肉をスライスした物を軽く焙る。
リュックの底に私物のライムを見つけたので皮ごと齧って鋭気を養った。
「あ、少尉。
すみません、寝坊しちまって。」
隣のテントからアラン君が這い出して来た。
『詫びる必要はありません。
起床時間は指定しておりませんでしたし、何より私に貴方を譴責する権限はありませんから。』
「…ふーん、アンタ軍人の癖に変わった人だな。」
『否定はしません。
カップがあればコーヒーをご馳走しますよ。
将官用ラウンジで賜った物なので味は保証します。』
「へえ、どれどれ。
…旨ぇ!!
軍人さんはいつもこんな物を飲んでるのか!?」
『偉い人達はね。
私は独身寮の食堂区画で出涸らしの番茶を啜ってます。』
「同じ軍人でもえらい違いだな。」
『ええ、全く。』
他愛もない話をしているうちにケヴィンとドランが起床したので、コーヒーを振舞いながら簡単な打ち合わせ。
と言っても難しい話ではない。
僕とケヴィンが周辺で雇えそうなシェルパを探している間、アランとドランが台地の入り口付近を偵察。
タイミングが合えば本日中に密林に入る。
以上。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、遠目からこちらを観察している連中だ。
動きが素人臭い所を見ると逃散農民だろうな。
「少尉さん。
どうします?」
ケヴィンの耳打ち。
『?
駄目元で頼んでみますよ。
森に慣れた人材が居るかも知れません。』
「いえ、もしも難民の中に王国人が居たら…
やっぱり逮捕でしょうか?」
『…軍人である私には、密出国民の逮捕義務があります。
ですが、彼の身なりを見る限り、あれは首長国人ですね。
うん、そうに違いない。
拘束なんてあり得ませんね、外交問題になってしまいます。』
「…ありがとうございます。」
ケヴィンは我が事の様に深く頭を下げた。
大百姓の息子と聞いたが、どうやらメンタルは庶人に寄り添っているらしい。
なので逃散農民の境遇に胸を痛めているようだった。
無論、木蔭から僕達を眺めるあの顔つき・衣服の特徴はあからさまに王国人のそれである。
任務中の僕が殊更に騒ぐ気はない。
ただその程度の消極的な好意なので、ケヴィンに感謝される謂れはない。
『こんにちはー。』
馬上から声を掛けると見物人達は一瞬身体をこわばらせ、そして1分ほど思案してから観念したような表情でこちらにやって来た。
まあね。
王国の法律で許可証なしに出国しちゃいけないって決まってるからね
加えて《国外で王国の軍人や騎士に誰何された場合、速やかに出国許可証を提示し身元を明かさなければならない。》という法律もある。
形骸化した条文ではあるものの、尉官の僕は単独処断権を保有しているので、彼らにとっては極めて危険な状況である。
『王国の方ではないようですね?』
僕なりの親切心を発揮したつもりだが、緊張している彼らはすぐに意図を汲んでくれない。
その後、2度同じセリフを吐いて意図を理解してくれた。
「そ、そうなんですよ。
首長国人なんです、ははは。」
これ以上ない王国訛で彼らはそう答えた。
時間が惜しかったので、難民キャンプに案内させシェルパとして案内可能な者が居ないかを尋ねた。
見た限り、王国からの逃散農民のみで形成されたキャンプ…
いや、集落と表現していい規模だ。
このまま放置すれば、やがては村落規模にまで発展するだろう。
…内政上においても外交上においても極めて好ましくない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【王国民法】
「第57条2項 補足《市町村の定義》」
30人以下 キャンプ
30人以上100人以下 集落
100人以上1000人以下 村落
1000人以上10000人以下 町
10000人以上 都市
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『密林地帯の査察に参りました。
貴国の承認も得ています。』
「きこ?
…ああ! ええ、はい!
私は首長国人です!
それはどうも!」
『可能であればシェルパを雇いたいのです。
密林に詳しい方はおられますか?
日当として金貨3枚を支払います。
私のパーティーが無事に帰還出来れば、満了報酬として金貨5枚を支払います。
如何でしょうか?』
「き、金貨3枚ですか!?」
一瞬身を乗り出した男達が考え込むが、溜息を吐いて下を向いてしまう。
「…いや、残念ながら密林を歩けるほど腕や度胸のある奴はいません。
本当に恐ろしい場所なんです。
食料欲しさに近寄ってみた事もあるんですが…
ロングスネークやジャンピングコングの縄張りになっていて…
無理をして入り込んだ奴は誰も帰って来ませんでした。」
『ジャンピングコングですかぁ…』
狂暴極まりないモンスターである。
レンジャー訓練を受けた精鋭小隊でも討伐には苦労を強いられる相手だ。
そしてロングスネーク。
《密林の殺し屋》の異名で知られており、本職の猟師が毎年何十名も襲われて落命する程だ。
僕の祖父母がコレに殺されたことによって、母が城での奉公を断れなくなってしまった。
そんな存在である。
『恐ろしい存在ですねえ。』
そう話を締め括りシェルパを断念する。
彼らから干し肉を買い上げ、拠点構築に協力を取り付けれたので、全くの無駄足ではない。
渡したのは3万ウェン。
相手の身元が証明出来ないので、多分経費では落ちない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「少尉殿!」
騎走中にも関わらずケヴィンが声を掛けて来る。
『私の方が年少です、気軽にハンターと呼んで下さい。』
「いえ!
将校の方にそんな馴れ馴れしい態度は取れませんよ。
ですが!
信頼に値する働きをお見せしたいと考えております!」
…将校って言われても少尉だからな。
民間人には分からないのかも知れないが、軍隊の中で最下層の扱いだぞ。
(上官に圧迫されるわ下士官に突き上げられるわで、気の休まる瞬間がない。)
ケヴィンの気遣いはありがたいが、畏まる価値はないのだ。
「ありますよ!
さっきの、あきらかに自腹でしょ!?」
『えー?
わかります?』
「だって軍人さんが支払票にサインを求めないって少し異常ですよ!!」
…少し、ね。
僕の懐事情を知れば、きっとこの男からは狂人扱いされてしまうだろうな。
『経費では落ちないでしょうねぇ。』
「モロー銀行なら建て替えてくれるのではないでしょうか?」
『あー、それ軍規違反です。
普通に斬罪が適用されますね。』
「内々の寄贈という形なら問題化はしないのでは?」
『うーーーん。
私自身が取り締まる側の立場ですからね。
不正で利益を得てしまったら、今まで斬った者に対して申し訳が立たないです。』
「申し訳ありません。
何も知らずに出過ぎました。」
『いえ!
冒険者が私的に謝礼を受け取る事は合法ですので。
ギルドやモロー銀行から声が掛かれば、気にせず受け取って下さいね。』
「…その2つは今や一体ですよ。
もうカネ貸しには逆らえません。」
『そうですね。
最近の冒険者ギルドは金融業界の天下りの理事だらけらしいですからね。』
「はい、それに加えて神聖教団。」
『え!?
教団!?
まさか。』
「いやいや少尉殿、何を仰ってるんですか。
今年の頭にかなりの騒動になったのですよ。
冒険者ギルドが理事枠を教団傘下の財団法人に売り渡したって…」
『…そうですかぁ。
それは私の勉強不足でした。』
そりゃあね、ずっと前線に張り付いていたら、一般のニュースも入って来なくなるよね。
偉いさん達は《将校たるもの社会動静は把握していて当然!》って僕らを叱責するけどさ。
要塞や塹壕から出して貰えるのは突撃命令が下った時だけだからね。
どうやって世間を知れと。
「…冒険者内でかなり議論になってるんですけど。
教団に理事枠を売ったことで、冒険者ギルドの理事に実戦の経験者が居なくなってしまったのです。」
『ええ!?
ま、まさか。』
「だって、全員が資本家か坊主ですよ?
当然兵役は免除されてますし、軍学校や士官学校とも無縁です。
そもそも富豪に生まれたら、冒険者登録なんてしないじゃないですか。」
『…確かに。』
「今、冒険者ギルドではどんどん予算が削られてます。
どこの国のギルドでも、普通は初心者向けに盾と棍棒の貸し出しサービスがあるんですけど。
それが廃止されるみたいなんです。」
『え!?
まさか!?
いや、そこは絶対に省いちゃ駄目でしょう!』
「ええ私は少尉に賛成です。
でも、それくらいに現場を知らない人達なんですよ。
害獣駆除の概念もわかってません。
彼らは農作物が台帳通りに実ると本気で信じてるんです。」
『流石にそれは…』
「だって、彼らはソドムタウンやジェリコの高級住宅街で生まれ育った富豪ですよ?
農業や狩猟の現場を理解出来たら逆に凄いと思います。」
『…そんなに酷い事になってましたか。』
騎走中はそんな雑談をした。
当然、合流ポイントが近づくと口を噤む。
モロー銀行の走狗であるドラン・ドラインが待っているからである。
近づくと、様子がおかしい。
大きなテントがちらほらと増えている。
そして翻る旗は…
首長国に合衆国か…
それぞれ1個中隊規模の探検隊を編成している。
遠目に見た限り装備も悪くない。
そしてこともあろうに、合衆国側は大型連弩を持ち込んでる。
…アイツら息を吐くように条約違反するよな。
「やあ、中尉さん。
お疲れ様。」
『やあ、ドラインさん。
お疲れ様です。
この状況は?』
「廃街道からみて、一番密林に近いのがここだからな。
有象無象が自然に集まった。」
『そうですか。』
「でな?
今、丁度問題が発生した。」
ドランが顎で合衆国のテントを指す。
喧嘩だろうか?
妙に騒然とした雰囲気だ。
「未開人に指図される筋合いはないわ!!!」
酷く粗野な合衆国訛の怒声。
…それだけで全てが理解出来た。
『何かありましたか?』
僕は怒声の主にゆっくりと近づく。
合衆国と首長国の探検隊(露骨に軍装だが)が1人の青年に詰め寄っていた。
「何だキサマは!!!
…って王国さんか。」
『はい、小官は王国軍第一師団所属エド・ハンター少尉であります。
昨日付けで《財団法人 雇用調整推進協会》への出向が決定致しました。』
「ふーん、第一師団かぁ。
流石にエリートだねえ。
受け答えもしっかりしているし、ウチの新兵共の手本にさせたいくらいだよ。
オレ様は合衆国軍のコルテス中佐だ、宜しくな少尉。」
『は。
お目に掛かれて光栄です。
…それで何かありましたか?』
「いや、そこの未開人が突然現れて…
何やらわからんことを言うから。」
見ると…
森林民族の男である。
恐らくは昨日の帝国探検隊のうちの1騎。
『やあやあ、先日はどうもです。
ちゃんとしたご挨拶も出来ずに申し訳ありませんでした。
隊長殿にも宜しくお伝えください。』
僕は殊更親し気な口調で彼に話し掛けた後、いつも以上に厳粛な敬礼を行った。
森林男は驚いたような表情で僕を見返す。
「何だ少尉。
知り合いかね?」
『ええ、中佐殿。
彼は帝国軍の方です。』
「い、いや。
それらしい事は本人も言っておったが…」
カタコトではあったが、彼の帝国語は明瞭に聞き取れた。
名をナギャと言い、所属は帝国外人部隊。
階級は名誉曹長。
名誉… つまり帝国人に対しての命令権は持たない。
「フン、帝国さんも堕ちたものだねえ。
この国際的危機に補助兵なんかを寄越すなんて。
あーやだやだ。」
コルテスは馬鹿にしたように鼻で笑って、ナギャ曹長との会話を僕に任せた。
ご丁寧にも《未開人と利く口など持ち合わせてはおらんのでな》と付け加えた程である。
『ナギャ曹長。
改めて宜しくお願い致します。
是非、皆で力を合わせてこの国際的危機を乗り切っていきましょう。』
「は、ハンター少尉。
きょ、恐縮し、している。
き、きっと。
た、隊長殿もお喜びになる。」
『それで曹長。
何やら御用があったご様子ですが。
宜しければお話を伺わせて下さい。』
「こ、この季節はロ、ロングスネーク多い。
と、特にこの森は異常。
へ、蛇除けのマジナイなしに森に入るの、よくない、必ず死ぬ。」
「あーーーん!?
何がマジナイだ! この未開人め!
我々は特殊訓練を180日も受けてるんだぞ!
トレド製薬の防虫スプレーもある!
ほら、シュー! シュー!
どうだ未開人!
これが文明の利器だ、わっはっはw」
「そ、その薬。
せ、成分は菊の花。
ロ、ロングスネークには逆効果。
今すぐ身体を洗うべき!」
「ふ! ふざけるな!
未開人の分際で偉そうに指図しおって!!
いいか、キサマラにはわからんだろうが!!
このスプレーは1本4980ウェンもするんだぞ!
効くさ! 効かない訳がないだろう!!
誇り高き合衆国男は蛇如きを恐れんのだ!」
『お言葉ですが中佐殿。
虫と蛇では対策法も異なるかと愚考しますが…』
「ハッ!
少尉、君まで臆病風に吹かれたのか?
やれやれ天下の第一師団も堕ちたものだねぇ。
まあ今や《泣く子も黙る王国第一師団》も…
擲弾戦隊だけのワンマン師団って聞くしね。」
『あ、いや。
それ以外も健闘していると思いますが。』
「わっはっはwww
志願したのに擲弾以外に回されたクチかねw?
落ちこぼれ部隊にでも配属されたかw?
ふははは、そうだろう? そうに違いないww
負け惜しみはイカンよー、少尉www」
『あ、はぁ。』
「あのなあ。
落ちこぼれ部隊の君には分からんかも知れんが。
我々は各隊から選抜されたエースのみで構成されたスペシャルチームだ!!
そりゃね、流石に相手が擲弾戦隊なら足元にも及ばんが…
この程度の任務、休暇中のハイキングと何ら変わりない!!!」
「い、いや。
も、森を侮るのはよくない。」
「黙れ未開人!! オレ様を誰だと思ってる!!!
この臆病者め! 一生怯えていろ!
プテラノドンだか何だか知らんが、オレ様の敵じゃないからな!!
指を咥えて見てろよキサマラ!!
オレ様が竜殺しの英雄になる瞬間をなあ!!
なーにが密林の入り口だw
しけた木がウジャウジャ生えてるだけじゃないか!!
どいつもコイツもビビりやがってww
いいよ、オレ様が見本を見せてやるよww」
『え? 中佐殿。
打ち合わせもせずに入るのですか?
小官、先程周辺住民から聞き取り作業を…』
「なーにがロングスネークだww
要は隠れてるだけの、弱者動物だろw?
人間様の足音を聞かせてやるだけで、逃げ出すに決まっとるわいw」
ドランが大袈裟に溜息を吐いて、コルテスの進路を開けた。
「大体!!
モンスターなんて、そんなにポンポン現れるものじゃないんだよ!
臆病者共が大袈裟に騒ぎ立てているだけさ!!
そんなのどこに居る!?
居るんならオレ様の前に連れて来てみせろってんだww」
「あ、危ない!!
あ、頭の上!!」
『中佐殿!!
頭上ッ!!! 頭上であります!!!』
「あーーーん?
さっきからキサマら何を。
こんな森に、上?
ってドッギャアアアアアアアアアッ!!!!!」
『中佐殿ぉおおおおおおお!!!!!!』
「ま、待って自分が救出する!!!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
診断するまでもなく、コルテス中佐は意識不明の重体。
毒蛇に7カ所を噛まれて生きている辺り、レンジャー訓練の賜物なのかも知れない。
本来なら確実に死んでいた所だが、ナギャ曹長の応急処置で一命は取り留めた模様。
とは言え、解毒剤が無ければ数日中に死ぬだろう。
「よう、ナギャさんとか言ったか。
アンタのボスも密林に入ったんだろ?
護衛しなくていいのかい?」
ロングスネークの死骸を丹念に密閉しながらドランが問う。
「た、隊長は強い。
せ、戦士としても雄としても優秀。
さ、最強の存在。」
「ふうん。
まあ、アンタほどの男が太鼓判を押すならそうなんだろうぜ。」
蛇の収納を終えたドランは横目でコルテス中佐を見下しながら話を続ける。
「で?
このオッサンどうする?」
「け、血清を作ってある。
か、数にはかなりの余裕がある。
た、直ちに投与すれば生存率が上がるのだが…」
コルテスの部下達が戸惑った表情で顔を見合わせる。
合衆国は少数民族への完全ジェノサイドで成立した国家である。
殺し切ったので国内では異民族差別が存在しないが、それ故に付き合い方を知らない。
帝国の軍籍を持っているとは言え、森林民族の彼が渡す治療薬を信じられるものだろうか。
「うーーーん。
未開人の出したものを隊長に使うのは…
ちょっと抵抗あるかな?」
「大体さぁ、それが毒じゃないって保証はあるの?
いや、保証があるなら喜んで購入するよ?
ちゃんと代金も払うけどさ。」
「皆さんご存知だと思うけど。
我が国は薬事法が厳しいんだよねえ。
これで何かあったら責任問題でしょう。」
予想通り合衆国側は全員眉を顰め、獣でも見るような目つきで遠巻きにナギャ曹長を眺めている。
更に後方の首長国にあっては、痙攣するコルテスを冷ややかな目で見下している。
事態が膠着しそうになった時、その声は静かに響いた。
「ナギャ殿。
不覚にも蛇に噛まれてしまいました。
血清を販売して頂けませんでしょうか?」
密林の入り口からケヴィンが戻って来る。
彼の左手には握り潰されたロングスネークが…
6… 違う! 7匹!?
この一瞬で7匹を殺したのか? しかも素手で!?
とんでもない豪傑である。
僕が溜息を吐き終わるより早く周囲から歓声が挙がった。
ナギャも一瞬感嘆の表情を浮かべたが、すぐに表情を切り替えて腰に下げた瓢箪の一つをケヴィンに飲ませた。
「あ、貴方は勇者だ。
わ、我々の部族でも片手でロングスネークを殺せるものはいない。」
ナギャはケヴィンの屈強を讃えたが、勿論そちらは本旨ではない。
血清の効力を証明する為に、故意に蛇に噛まれたケヴィンの胆力と義侠心に感動しているのだ。
「勇敢なのはナギャさんの方ですよ。
見知らぬ相手の敵意の中に1人で話し合いに来られた。
素晴らしいことです。
きっと貴方の隊長も高潔な方なのでしょう。」
ケヴィンが上官を褒めると、ナギャは初めて破顔した。
その笑顔を見て、彼が長身ながらも少年の年代である事が何となく理解出来てしまった。
明らかに士官学校入学前の年代である。
きっと得も言われぬ緊張感と戦っていたのだろう。
安堵した彼の表情はとても人懐っこいものだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局、合衆国も首長国も血清は受け取った。
だが、ナギャが懇願する蛇除けの儀式にだけは頑として参加しなかった。
「我々は文明人だよ!
野蛮人の風習なんてマネできる訳がない!」
「当家は代々ゴールド信徒の家系でねぇ!
教区長とも懇意にさせてもらってるんだよ!」
「なあにが精霊だ!
未開部族の汚らわしい迷信じゃないか!」
罵声を背に受けながらナギャが用意した様々な薬草・毒草。
彼は祈りと共に火をくべる。
たちまち紫色のおぞましい煙が周囲に広がる。
合衆国人は上官を捨て悲鳴を挙げて旧街道まで逃げ去ってしまった。
『ナギャ曹長。
この中央に立てば良いのですか?』
「は、はい。
け、煙を全身の隅々に擦り付けて下さい。
と、特に耳の穴は念入りに。
ロ、ロングスネークは耳垢の臭いを好みます。
せ、精霊に感謝の祈りを捧げながら行うのが本来の儀式なのですが…
し、神聖教の方が偉大な神ですので…」
ナギャは唇を噛んで俯いてしまう。
『曹長!
貴方の崇める精霊の名を教えて下さい!
小官は貴方にも貴方の文化にも感謝しております!』
信じられないものでも見た顔でナギャが目を見開く。
嫌でも彼が日頃受けている仕打ちが見えてしまって哀しい。
ナギャは「我々未開部族の迷信に過ぎませんが」と申し訳なさそうに断ってから破邪の加護があると伝わる精霊の名を教えてくれた。
聞けば、太古から存在した土着信仰であり、元は我々農耕民族の先祖が崇拝していた精霊らしい。
それが神聖教の躍進(世俗化)によって文明圏内で徹底弾圧され、結果として非農耕民のみに残った。
僕ら4人はナギャの精霊を讃えながらゆっくりと煙を纏う。
それが文化的に許されるのかは謎だが、僕たちなりにナギャの舞を真似てみる。
途中、目が合い…
ナギャは茫然とした様子で絶句し動きを停めてしまった。
『申し訳ありません。
少しでも精霊様に祈りが届けばと思っての事です。
もしもナギャ曹長にとって不快であれば謝罪させて下さい。』
「…。」
しばらくの間、ナギャは僕の目を見つめていたが、不意に背を向けて歩き出した。
「…さ、作戦を成功させましょう。」
『ええ、必ずや!』
難民キャンプの者が馬を守りに来てくれたので、約束の報酬を支払う。
合衆国・首長国に頼まれたので、その難民を紹介してやる。
リーダーを失った合衆国は旧街道沿いにキャンプを張って態勢を立て直す様だ。
首長国はまもなく来る増援を待つらしい。
どうやら人海戦術を採るようだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「よお、少尉さん。
見事、アンタ見事だよ。
器を感じるねぇ。」
何が楽しいのかドラン・ドラインは僕の隣で機嫌よく口元を歪めている。
『私はただの部品であって器などではありません。』
「…クックック。
アンタさあ、軍隊辞めて俺達の仲間にならないか?」
『…。』
「ソドムタウンで世話になっている男を紹介してやるよ。
向こうは流れ者の俺なんかに《五分の盃でいい》って言ってくれてるんだが…
俺もそこまで厚かましくはなれないんでね、兄貴分として立てている。
渡世の仁義って奴だな…」
『ドラインさん…
私はあまりヤクザを好みません。』
「くははははははww
アンタ向いてるよ。
腕も立つ! 頭も回る! 何よりハートが熱い!
結構、いい親分になるんじゃないか?」
『御冗談を。』
「そうだな、冗談だ。
アンタ程の男をヤクザや兵隊なんぞに留めておくのはあまりに惜しい。」
『…。』
気が付くとドランは足を止めていた。
「アンタに向いた仕事なんて一つしかないよなぁ?」
世界を嗤い続けて生きてきたのだろう。
その口元は醜く歪んでいる。
だが、その眼だけは執拗な真っ直ぐさで射るかの如く僕を睨み付けていた。
ああ、理解した。
この男も邪悪を憎み続けて来たのだ。
憎んで憎んで、何とか正義を執行する方法を模索し続けて…
邪悪によってしか邪悪を滅ぼせない、という事実を認めた。
そうだよなぁ。
世の中をマシにしたいのなら、軍人かヤクザになるしかないよなぁ。
銀行家に取り入るというのも、随分気の利いたアイデアだ。
でも、今のその表情だけは若い人に見せないでやってくれよ。
あの小生意気なクレア嬢が傷付いてしまうのはあまりに哀しいから。
気が付くと僕はゆっくりとドランに手をかざしていた。
『…ヤハウェ。』
世に加護あれかし。