3時間目 ようじょのこくりちゃん(3)
私立妖花威徳女学園には、初等部の生徒たちがかつて通っていた学び舎の旧校舎がある。
そしてこの旧校舎だが、過去に一度は取り壊しが決定したものの、今ではしっかりとそのまま残っている。
理由は簡単で、生徒たちからの要望が通っただけの事。
そんなこの旧校舎は、今では初等部だけでなく中等部の生徒たちも利用する部室棟の役割を持っている。
しかしながら、下校時刻を過ぎれば、生徒だけでなく先生の出入が少ない場所。
そして今その場所に、狐耳のカチューシャを頭に付けた幼女のこくりと、下半身揺らめく神様のお狐さまの姿があった。
一人と一匹は学園の七不思議の一つ“動く人体模型”の謎を解き明かす為に、下校時刻が過ぎて人のいなくなったこの時間に、周囲の目を気にせず堂々と侵入したのだ。
「まだ空が明るいとは言え、やはりこの時間になると人の気配がせんのう」
「うん。これなら“燐火”を気にせず使えます」
こくりが話すと、目の前に青白い炎が浮かんで揺らめく。
そして、お尻には同じく青白い色をした炎の尻尾が出現した。
しかもその尻尾は、狐の尻尾の様な見た目のモフモフ感。
これこそ、今し方こくりが話した“燐火”なるものだった。
燐火とは、こくりが操る青白い炎。
お尻に灯したモフモフ尻尾は、所謂臨戦態勢。
こくりはこの世の怪異……つまりは“妖”と戦う幼女なのだ。
「では狐栗よ、保健室に――っむむ? 狐栗? 狐栗や~い」
お狐さまがフヨフヨと廊下を漂いながら話していると、いつの間にか消えたこくりの姿。
いったい何処へと、お狐さまが名前を呼びながらこくりを捜していると、直ぐにその姿を発見する事が出来た。
しかし、その姿を見て、お狐さまは冷や汗を流す。
「狐栗や、何をしておるのじゃ?」
「大人の勉強です」
こくりがしていた事。
それは大人の勉強……では無く、ただの算数の勉強。
旧校舎の教室の扉が開いていて、初等部の一年生が授業で使う算数の教科書を見つけたのだ。
恐らく忘れ物だと思われるそれを、こくりは開いて勉強をしていた。
「狐栗。勉強はとっても偉い事だと儂も思うが、人の物を勝手に使うのも駄目だし、今はそんな事をやっておる場合では無いのだぞ?」
「大丈夫です。こくりはいっぱい勉強して、大きくなったらパパの神社を立派にするんです」
「うぉおおん。なんと言う親孝行な娘じゃあ。たっぷりと勉強すると良いー」
「もうしてます。パパうるさくて邪魔です」
どうでもいいが、何が大丈夫なのか、残念ながらツッコミ不在なこのメンツ。
早く学園の七不思議の一つ“動く人体模型”の解明に行けと言う感じな状況だが、こうなってしまえば止める者などいよう筈もない。
こくりは真剣な面持ち……では無く、相変わらずな眠気眼な無表情で算数の教科書と睨めっこし、その背後でお狐さまが応援した。
そうして始まった算数のお勉強は、遂に午後7時手前の時間まで続いてしまった。
季節が初夏の7月上旬と言う事もあり、まだ空は明るかったが、流石に長々と勉強しすぎなこくり。
その成果もあって、こくりは足し算をマスターした。
そしてその時だった。
「きゃあああああああああ!!」
突然聞こえた少女の悲鳴。
こくりは動くはずのない頭に付けた狐耳をピクリと動かして、教科書から視線を外して顔を上げる。
「パパ。誰かの悲鳴がしました」
「例の妖が出たやもしれぬ。急ぐぞ狐栗」
お狐さまに注意されても勉強を続けていたこくりだが、悲鳴を聞けば話は別。
その表情は相変わらずの眠気眼な無表情だが、直ぐに教科書を丁寧に元あった場所に戻して、教室を出て早歩きした。
「何をしておる? 早く行くのだ」
「ろうかは走っちゃダメです」
「偉い! 流石は儂の娘!」
いや、走れよ。と、思うかもしれないが、残念ながらツッコミ不在なこのメンツ。
早歩きとは言え、悠長に歩いている場合では無いが――と、そこで、更に追加の悲鳴が聞こえた。
「今日は特別です」
流石のこくりも少し急いだ方が良いと感じたのか、言い訳を言って走り出す。
もちろんそれを咎める者は誰もいない。
そしてその速度、驚く事に年相応のスピードでは無い。
まるで動物のような速さで走り、こくりは悲鳴の上がった現場へと駆けつけた。
「見つけました。変態の妖です」
こくりの目に映ったのは、コートを着用した人体模型と、尻餅をついて動けなくなっている少女。
人体模型はコートを広げていて、己の臓物を少女に見せて喜んでいる……いや。
正確には、人体模型なので顔の表情は無く、喜んでいるかどうかは分からない。
だが、まあ、状況的に喜んでいるに違いない。
とんでもない変態な人体模型による事案だった。
ただ、こくりが変態と言ったのは、別に人体模型が変態に見えたからでは無い。
「やはり思った通り変異体の妖か。狐栗、あのお嬢ちゃんを助けるのだ」
「はい。変態を焼却します」
こくりは目の前に青白い炎“燐火”を出し、それを人体模型の変態に、基変異体に向かって飛ばす。
すると、燐火は見事に命中し、人体模型の全身が青白い炎に包まれた。
「――っきゃあああ!」
襲われていた少女が再び悲鳴を上げ、こくりは人体模型に跳び膝蹴りを食らわして、少女の前に着地した。
「大丈夫ですか?」
「…………うん」
少女は驚いた様子でこくりを見ていたが、ケガは特に無さそうで無事な様子。
こくりはお尻から生えた狐の尻尾に似せたモフモフな青白い炎を揺らめかせ、少女に向かって手を伸ばす。
「こくりはこくり。立てますか?」
「へ? あ、うん。こくり……ちゃん? わたしは美都子。ありが――――」
少女は動揺して困惑しながらも、自らも名乗って手を伸ばしたが、その手を止めた。
何故なら、こくりの背後で漂うお狐さまが顔を覗かせたせいで、少女の目に映ってしまったから。
「――きぃいやああああああああああああああ!!」
少女は大きな悲鳴を上げて、真っ白になって硬直して気を失う。
そして、こくりは耳を両手で塞ぎ、眠気眼な無表情は変えずに「うるさいです」と呟いたのだった。