褥を共にしたい陛下と、笑顔で拒否する側妃
風光明媚なヴェーダ国のとある貴族の屋敷。
朝から使用人たちがバタバタと忙しなく動き回る。
今日、この家の長女、メイラが国王に輿入れする。
───側妃として。
ヴェーダ国の王、ハルムには王太子時代よりの正妃がいたが二人の間には子がいなかった。
成婚から2年経過しても子ができないため、慣例に則り側妃をとる事になった。
何がなんでも世継ぎを、と意気込んだ側近たちはメイラの他にも側妃をあてがい、すでに数人輿入れしている。
だが未だに子ができた、という嬉しい知らせは聞こえなかった。
豪奢な花嫁衣装に身を包んだメイラは浮かない顔をしていた。
(さっさと子作りしてくれてたら嫁がなくて済んだのに)
国命による政略結婚。
しがない貴族のメイラにとって、国王陛下は雲の上の存在だった。
行き遅れの年齢ではあったがメイラには元より結婚願望は無く、両親や7人の兄達からも「養うから一生家にいても良い」と言われるくらい溺愛されていた。
そんなメイラが召し上げられることになった理由。
それは多産を見込まれての事だった。
どうしても女の子が欲しかったメイラの両親は、それはもう頑張った。
5人連続男の子だった時は絶望して、しばらくしたくなくなった。
それでも諦めきれずに頑張って、8人目にしてようやく誕生したのがメイラだった。
産まれた時は親戚一同あげて連日連夜宴会が繰り広げられた。
両親は勿論、兄達からも蝶よ花よと可愛がられたが、メイラは奢ることなく、すくすくと素直に育ち、高飛車な態度をとることも聞くに耐えない我儘を言うことも無く。
年頃になると立派な淑女となり、見る者を感嘆させた。
目に入れても痛くない程可愛がっていたメイラが、断れない国命により国王に嫁がなくてはならなくなって、家族一同それはそれは落胆した。
しかも正妃ではなく、数いる側妃のうちの一人というからより一層だ。
それでもなんとか逃げられる道は無いかと模索していたが解決策を見い出せないままとうとう今日という日を迎えてしまったのだ。
ヴェーダの輿入れは生家から花嫁衣装を着て馬車で夫となる者の家へ行く。
幸いメイラの家から王城までは近かったので腰が痛くなる前には到着できた。
門をくぐり衛兵に挨拶ししずしずと馬車が通る。
その様子を一人の男が自室の窓から見ていた。
「また側妃の輿入れか。何人入れたら気が済むのやら」
ヴェーダ国の王、ハルムである。
一週間毎に側妃が輿入れし、今回で何度目だったか、とため息を吐く。
己に世継ぎがいないからとは分かっているが、閨まで催促されるのは落ち着かない。
正妃とはいつからか共寝をしなくなり気付けば成婚から2年が経過していた。
一人寝の気楽さに慣れていたハルムはこれからを思うと憂鬱だった。
召し上げられた側妃全員に手は付けていない。1年経過したあと相応の慰謝料と共に生家へ送り返すつもりだ。
世継ぎは先代のとき臣籍降下した公爵家から貰えばいいと考えていた。
父上はせめてあと1人兄弟をこさえてほしかった、というのは紛れもない本音である。
先代陛下は一途な人だった。
身体の弱い王妃を愛した。
王妃はハルムを出産後数年で儚くなったが、先代は後添いを得ることを頑なに拒んだ。
勿論愛妾もいない。
ゆえにハルムは唯一の継承者として先代亡き後王位を継いだのだ。
程なくして王の部屋の扉が叩かれる。
「陛下、側妃様がご到着にございます」
「そうか」
行きたくない気持ちをなんとか奮い立たせて重い腰を上げる。
(今をやり過ごして1年経ったら送り返そう)
深いため息を吐き、今来た側妃で打ち切りにさせようと固く誓ったのだった。
♠◆♠◆
玉座に座り、側妃を見る。
両親共に頭を垂れ、ずっと同じ姿勢もきついだろうと正すように言うと、メイラは顔を上げ王の顔を見た。
その瞬間、ハルムは何かに撃ち抜かれた。
物理的にではない。
目の前の側妃に大事な何かを持って行かれた感覚。
こんなことは初めてだった。
動悸がする。もっと近くで顔が見たくてつい前のめりになった。
するとゴホンと宰相の咳払いがし、我に返ったハルムは慌てて姿勢を正した。
「べリング子爵家メイラ嬢にございます。メイラ嬢、陛下にご挨拶を」
宰相に促されてメイラがお辞儀をする。
「本日より側妃としてまかりこしましたメイラと申します。以後どうぞよしなにお願い致します」
鈴の鳴る様な声にハルムの胸は高鳴った。
今までに無い感情の波に飲まれそうになる。
しばらく声が出なかった。
(いつもどうしてたっけ。
いつもなら、そう、いつも……は…)
「気に入った。今夜から早速寝所に来い」
「えっ、嫌です」
玉座の間に流れる冷たい空気。
真っ青を通り越して白くなる両親の顔。
目を見開き顔を青く赤くする宰相。
何が起きるかわくわくしだした侍女。
何を言ったか言われたのか理解できなかったが、とりあえずいつものセリフでは無かったと時が止まったハルム。
数秒後「あっ、やっちゃった」と呟くメイラ。
その時の雰囲気は三者三様阿鼻叫喚であった、と後の歴史書は語る。
♠◆♠◆
「先日はすまなかった。いきなりではびっくりするよな。というわけで仲を深めよう」
あれからハルムは度々メイラの元を訪れるようになった。
その度贈り物をしたりお茶に誘ったりするのだが
「申し訳ございません。立て込んでおりまして。暇な時お知らせしますのでお帰り下さいませ」
不敬である。
国王陛下と言えば例え正妃であろうと平伏するのが常識と言うのをメイラは容易く覆した。
本来なら1年と待たず実家に帰されそうだが、今までされた事の無かった態度にハルムは興味を抱き、メイラにのめり込むようになった。
勿論それだけではない。
何気ない仕草や表情、さり気ない気遣い、下の者も平等に接する事、身分関係無く気さくに話しかける様は使用人達から評判が良い。
貴族令嬢と言えば傅かれる事を当然と思っているのでそういった態度も好まれた。
「そなたはいつも忙しいんだな。今日は何をしているんだ?」
「騎士様の服のほつれを直しています」
メイラは城に来てからほぼずっと与えられた部屋で何かしらしていた。
珍しく庭にいると思えばメイドに混じり洗濯をしている。
部屋でも読書に刺繍に常に忙しそうだ。
今日も騎士服の袖を縫っている。
「そなたが何故騎士服を縫うのだ?」
「趣味とメイドのお手伝いです。彼女たちの負担を少しでも軽くしたくて」
言いながら手は止めず目線で侍女に何かしら合図をする。
「何もメイドの仕事をしなくても良いだろう。そんなのはメイドに任せれば良い」
「お言葉ですが陛下。彼女たちの環境は決して良いものではありません。休憩時間もそこそこに、毎日くたくたになるまで働いています。人手がもう少しあれば負担軽減にもなりましょう。そちらに予算を回せませんか?」
「メイドの人事に関しては正妃に一任している。あれが決める事だ」
「ではもう少し増やすようお願いして下さいませ」
「だがそれは…」
「メイドが増えると私の暇も少しはできましょう」
「よし、早速見直して改善しよう」
ハルムはお茶を持って来た侍女と入れ違いに出て行った。
1ヶ月後。
「メイドは増えたがそなたの暇は増えてないではないか!」
だむっと目の前のテーブルに手を突くハルムに、メイラは読んでいた本から目を上げた。
「申し訳ございません。余暇は図書館の本を読む事にしております」
「勉強熱心も良いが、俺の相手をしてくれても良くないか?」
「側妃と言えど我が国の事は勿論、近隣諸国の事も頭に入れねばなりません。陛下こそ執務はよろしいのですか?」
「俺はきちんとやっている。ここへは休憩時間に来ているんだ」
フンスと威張りながら言う陛下にくすりと笑った。
「…そなたは笑った顔も可愛いのだな」
テーブルに肘を着いてぶっきらぼうに言うハルムに少しずつ惹かれているので、あまりドキドキしてしまう事をさらりと言わないで欲しい、とメイラは内心思っていた。
「畏れ多い事でございます」
そんな気持ちを悟られないよう、再びメイラは読んでいた本に目線を落とす。
そんなメイラを愛おしげにハルムは見守り、時間が来たと侍従に呼び戻されるまで側にいたのだった。
ハルムとメイラの攻防は毎日続く。
その間他の側妃とお茶会などはしているようだが、夜は誰も呼ばれていないようだった。
その事にメイラはホッとしたような、残念なような複雑な気持ちを抱いていた。
メイラはメイラで、ハルムとのやり取りを楽しくしていたのだ。
だがそれは好きとか愛しているとかの感情では無いと思っているし、そもそも他を差し置いてハルムと仲良くしようとは思わなかった。
(多分、私が相手にしないから物珍しく思っているだけよね)
メイラがここに来てはや数カ月。
未だ誰かが懐妊したという話を聞かない。
誰でもいいからお手付きになって早く解放されたい気持ちと、このまま楽しいやり取りを続けたい気持ちとの間でメイラは揺れ動いた。
自分の気持ちもままならない事に驚き、溜め息を吐く。
このまま長くここにいればいずれ………
そんな思いに行き着き、メイラはハッとし頭を振った。
(なんだかんだ言いながら、私、もう…)
気付きたくない気持ちに慌てて蓋をする。
これ以上育たないように。
複数の妃がいる人なのだ。
寵愛を争う事は自分には向かない。
ヴェーダ国は1年何も無ければ白い結婚が成立する。
それまでどうにか逃げ続け、実家に帰ろう。
分不相応な気持ちは隅にやり、窓の外を眺めていた。
♠◆♠◆
今日も今日とてハルムはメイラの元へやって来た。
嬉しい半分、会いたくないが半分の複雑な気持ちのメイラだった。
「今は休憩中か?私も茶を貰おう」
侍女に言い付けて向かい側のソファに腰掛けた。
何が楽しいのかハルムはいつもニコニコしている。
そこへメイラは日頃の疑問をハルムにぶつけた。
「時に陛下。子作りはなさいませんの?」
「おお!その気になってくれたのか!」
「いえ、私以外でお願いします」
「……そなた以外の元へ行こうとは思わん」
「世継ぎを設けるのは陛下の義務でございましょう?」
「そなた以外と作ろうとは思わん」
「陛下」
「そう言うならメイラも側妃として子を作るのは義務では無いのか?」
「……私はわきまえてますから。最後に輿入れした私の立場は一番下です。正妃様や他の側妃様を押し退けて子を作ろうとは思いません」
これは紛れも無い本音だった。
メイラの後に側妃は入っていない。
と言うことはメイラの立場は一番下。一番下っ端が我先に懐妊するといらぬ争いを生み出すだろうと危惧しているのだ。
そんなメイラを目を細めて見ていたハルムはうっそりと微笑んだ。
「…分かった。そなた以外とは離縁しよう」
ハルムの思わぬ返答にぎょっとした。
「何故そうなるのです!?」
「メイラが一番下だと言うなら一番上にすれば子作りしてくれるのだろう?」
「かと言って正妃様まで離縁するのは問題が大有りでしょう?」
「問題無い。おそらく正妃も出て行く事に不満は無いだろう。
いつまでも飾りでいさせるのも心苦しいしな」
「陛下がお相手してさしあげれば解決しますわ」
「……私はメイラ以外反応しないんだ……」
「…………それは…」
大問題である。
男女問わずそれに関してはメンタルが大いに関係する場合がある。左右されずに元気ならば良いが、使い物にならなければどうしようもない。
ハルムは戸惑うメイラの手を取った。
「私は誰でも良いわけではない…。メイラだから欲しいんだ」
切なく訴えかけてくるハルムに連日言い寄られてだいぶ絆されて……
いや。
他には行かないで欲しいと思うくらい好きになっていたメイラは、しばらく目を泳がせてから深くため息を吐いた。
「……分かりました。ですが、やはり正妃様を差し置いてというわけにはいきません。押し退けるわけではありませんが、一番にして頂いてからまたお越しください」
メイラの言わんとする事を理解したハルムは、ぱあああっと破顔し、「ほんとだな?」「嘘じゃないな?」「絶対だぞ?」と何度も念を押して早速手続きに行った。
メイラは端から無理だと思っていた。
こればかりは惚れた腫れただけの問題では無い。
当人同士でどうこうできるものでもない。
それを理解していたのでツキリと痛む胸にしっかりと蓋をした。
これで暫くは安全だろう、と溜め息を押し殺して勉強を再開するのだった。
それから3日後。
なんとハルムは正妃と、メイラ以外の側妃との離縁を成立させた。
難航するかと思われた正妃は、話を切り出すとあっさり了承した。
共寝をしなくなって1年以上経過していた為と思われたが、最後の挨拶にメイラが伺った際
「実はここだけの話だけどね。ハルムとは白い結婚だったのよ。幼い頃から一緒にいたからかしら。何度か挑戦したけどダメだったの。
仕方無いから養子を貰おうって言ってたけど大臣達が側妃を入れたでしょう。
私以外ならもしかして、と思ったけど。
良かったわ〜。
ハルムから聞いて、それならと実家に離縁を打診していたところだったのよ」
と言われた。
元々政略的なもので、恋愛感情が無く友愛に近かった為、ころころとメイラとの事をからかわれ応援されていたらしい。
しっかりとした慰謝料を受け取り、メイラに公務を引き継いだ二ヶ月後に彼女は実家に帰って行った。
「わたくし、オジサマ趣味なの。辺境伯の後妻の座が空いてたわね」
と、ハンターの目をしていたのをメイラは見ない振りをした。
他の側妃達はまだ来たばかりだった事もあったが、自分達の元へは来ないのにメイラの元へは足繁く通い袖にされてきた筈の陛下の事を陰ながら応援していたので、離縁の理由を聞くと「頑張ってください!」と応援された。
滞り無くそのまま慰謝料と共に実家に帰って行った。
彼女達の新たな嫁ぎ先も希望があれば応えて行くらしい。
帰宅する側妃達の中にしれっとメイラも混ざろうとしていたのでハルムは捕まえて寝室に押し込んだ。
かくして想いを遂げた国王陛下と側妃(後に正妃)の間にはかわいい子ども達が次々と誕生し、賑やかな声が絶えなかったという。
お読みいただきありがとうございました!




