翼を捥がれた鳥は二度と飛び立たぬ
作者です。今回も例に漏れず胸糞ですが、あとがきまで読んでくださると幸いです。
救いはないです。
あと残酷な描写ありとしてありますがグロ要素は殆どありません。グロいの読みたい人はブラウザバック推奨です。
工学の発達やCADの普及により生まれた衝撃吸収ボデーの効果は絶大であり交通事故による死者数を大きく減らすことに成功している。実際ここ数年は統計開始以来最少を記録し続けており、死亡者数が最も多かった1970年前後と比較して20%以下にまで減少しているのだ。技術革新が加速度的に進行している現状を見る限り、私は2050年頃には交通事故で死亡する確率は宝くじ一等が当選する確率とほぼ等しくなるのではと考える。
だが統計上死亡者数が減ったとしても、交通事故で悲しむ人がいなくなった訳ではない。我々はそのことを頭の片隅に入れておくべきだ。
さて本題に入ろうか。今回のお話は私が筆を折った理由についてだ。
ある日私は事故に遭った。歩道を歩いていた所、中型トラックがガードレールを突き破って突っ込んできたのだ。私はイヤホンをしていたため始め宙を舞った際に誰かに殴られたのか?と思った。しかし金属が踏み倒されてしなり、潰れ、破断する音で事故だと気が付いた。何メートルほどだろうか?かなり宙を舞った後私は何かに頭をぶつけて気絶した。そして気が付いた時には病院のベッドの上で寝ていた。
事故の原因は運転手がスマホを見ながら運転したことによる前方不注意であった……
この事故での被害は重症1名、軽症1名。事故の規模にしては比較的マシな部類だ。しかし重症者の一名は私であった……
私は事故で脳に強い衝撃を受けた。一時は心肺停止に陥ったが現場に居合わせた人、救急隊の方々による対応によって一命は取り留めた。諦めずにリハビリに取り組んだ結果、日常生活に支障のないレベルにまで身体機能も回復した。
しかし回復しなかったものもある、一番強く衝撃を受けた器官、脳だ。言葉が思うように出てこなくなったのだ。医学的な用語でいうと失語症というらしい。
医者は奇跡だと言っていた、家族も喜んでいた、退院した際には友人が盛大に祝ってくれた。しかし私は悔しかった。私の本来の仕事は小説家なのだ。
小説家にとって重要な能力、技術は何か……
アイデアがポンポンと思いつく豊かな想像力か?小説のネタとなる経験を豊富に持っていることか?それともネットや取材などで情報を集める力か?
いいや違う、一番大事なのは言語を使いこなす力だ。
多くの小説家達は母国語である日本語で本を書くため気が付かない。しかし実際に失うと気付く。思いついたネタも言語化できなければ意味がない。実感があまり湧かない人は“英語だけ”で小説を書いてみるといい。プロット、メモから本文に至るまで全て英語で書くのだ。想像以上に難しいはずだ。あの表現が欲しい、しかしギリギリ手が届かない。そう思うはずだ。それが失語症の感じる世界である。
退院後、私は人生に絶望した。
大学卒業後は大手メーカーで営業として働いていたが人間関係で悩み退職。その後昔から好きだった“妄想”を仕事にしようと小説家を始めた。紆余曲折あり今の編集者さんと出会い、短編から長編まで幅広く執筆した。
だが、事故の影響で本が書けなくなった私は自らの意思で退職した。文の書けない小説家は妄想家である、存在する価値などない。編集さんは引き留めてくれた。しかし決意は揺るがなかった。今の私にとって小説家は不向きな職業であるのだ。昔の私が営業の仕事で上手くいかなかったように人間向き不向きというものが存在する。向いていない仕事を続けても精神を病むだけだ。それは私の人生が証明している。
で、いざ仕事をやめると後悔の気持ちで一杯になった。編集さんの仕事を奪って申し訳ないという気持ち、完結させずに申し訳ないという読者への気持ち、そして偶然見つけた天職を自ら手放したことに対する後悔の気持ち。このいろいろな気持ちが混ざり合った気持ち、これは失語症になっていなかったとしても表現するのは難しいだろう。
その後私はバイトなどで生計を立てた。両親や友人には心配をかけないよう笑って接した。しかしその笑顔は相手の心を思いやる代償として、私の心をより傷つけた。そうして私の精神は荒んでいった。また元来対人関係で悩むたちであったのでバイトも短期間でやめてしまった。
小説であればこんな時、美少女(異世界・現実世界問わず)が私のもとに現れ慰めてくれそうなものだが現実はそう上手くいかない。捨て犬一匹とすら出会わない毎日。
『事実は小説より奇なり』と昔の人は言ったが嘘である。奇なんぞ起きぬ。『事実は小説より“鬼”なり』といった方が正確である。
さてこの物語もぼちぼち終盤だ。
読者の皆様は起承転結とくればこの段階で“転”が訪れると思うだろう?
そこまで現実は甘くない、“私の”物語はこれで終わりだ。
ん?この文章を書けているのであれば失語症は治ったのではないのかって?
いいやそんな都合のいいことはない。私は現在インターネットと友人の力を借りて“最期の”小説を執筆しているのだ。時には一つの表現を考えるのに30分1時間と考えている。手塩に掛けて仕上げた作品なのだ。
だが職業作家の世界は甘くない。プロの作家は一日1万字というペースで書き上げる。私もそうであった、だが今では二人がかりで一日500字。この小説は“執筆だけで”4日間かかっている。職業作家の世界は甘くないのだ。
短歌を書けばいい?バカ言え、短い文章にあれだけの情報を詰め込む、今の語彙力では不可能な話だ。
小説家をやめて、バイトをやめた。貯金を食いつぶすだけの毎日。流石に22歳から貯めている貯金も底を突いてきた。これ以上生きていても辛いだけだ。
さらばだ、読者君。生まれ変わったら今度は農業とか林業とか田舎で穏やかに仕事してみたいね、小説の良いネタになりそうだ!
この文章を書いた後“俺”は友を殺した。正確に言えば死ぬ手伝いをした。
“友”は「死んだら警察へすぐ連絡してほしい。君はあくまでも第一発見者として振る舞え。」と言い残して、天井からロープをぶら下げた隣の部屋で首を吊った。しかし数分もしないうちに藻掻く音が聞こえた。地獄のような時間であった。隣で友が死ぬ音、思い出すだけで吐き気がする。俺は耐えられなくなった。キッチンから包丁を取り出し隣の部屋で藻掻く友の首を深く、一気に切った。壊れた蛇口から水が噴き出すかの如く血が一気に噴き出し、部屋と俺を赤く染めた。
血まみれになった俺はスマホで警察を呼ぼうとした。血で濡れた手では上手く操作できず、ティッシュで指を拭いてから「友が死にました、私が殺しました」と警察に電話した。
俺は説明する前に手錠をはめられ警察に連行された。その後はとんとん拍子で拘置所、裁判、刑務所と進んでいった。俺の罪名は嘱託殺人罪。懲役3年の量刑が課された。
友を苦しみから解放したのに何故逮捕されたのか?私は理解ができなかった。
確かに友の自死を止めなかった私にも責任がある。しかし私も友と同じ状況であれば自死を選ぶ。小説家なら気持ちは分かるはずだ。だがあの時死ぬ、小説家を続ける以外の選択肢を見つけられていれば……
そうして3年間のムショ生活で導き出した結論は「俺が友を殺めた、友の分まで小説家として生きる」というものであった。友とは死ぬまでの1年間寝食を共にした。リハビリ、旅行、ドライブ、そして最後の執筆。この生活を通じて俺は友の考え方に近づけたと思う。
友は病で道半ばにして小説家の夢を諦めた。俺は彼の分まで夢を叶えたい。そう思った。死んだ友の分まで俺は小説を書くのだ。
友よ、見ていてくれ。俺は偉大な作家になってみせる。
この作品は“フィクション”です。
どうも作者です。ここからは本文と関係のないあとがきです。
さて失語症という病気は本当に存在します。私の周りでも一人失語症になった方がいます。その方は脳卒中で倒れて発症しました。が奇跡的に一命を取り留め……という点までは主人公と同じです。がその方はあきらめずにリハビリに取り組みました。何年間も頑張り続け今では何とか人前でも話せるレベルまで回復しました。
人間は努力のできる生き物です。諦めない心を持つ生き物です。
翼を捥がれても、いつかもう一度飛び立てる。
死ぬ前にもう少し藻掻いて藻掻いて藻掻いて、生きて。
私はそう考える。エッセイ臭いあとがきで本当にごめんね。