貧血
魔法が浸透しているというのが、私がこの世界を異世界と考えた理由だった。治るまでに時間のかかる医術じゃなくて、即効性のある魔法のほうが頼られている。そのぶん医者の地位は高くない。
「何はともあれ、ご無事でよかった……あれ?」
言葉を止めて、店先から路地の方を見る。日陰を選んで歩いているその姿は、まさに話題のセシリアさんだった。
「どうしたのよセシリア、今日は家にいるんじゃなかった?」
「あぁ、お母さんか。ちょっと神殿の書庫に用があって。エレノアちゃん、こんにちは」
「こんにちは、セシリアさん。あの、顔色がよくないようですが、まだ本調子じゃないんじゃないですか?」
セシリアさんは元から色白だが、今日はなんというか、いつにもまして顔が青かった。それに、息も上がっている。たしかセシリアさんの家からこの店までは、十分もかからなかったはずなのに。
「平気だよ、最近ちょっと疲れやすくて。魔法士の先生に、ちゃんと眠れてないんじゃないかって言われてからは、意識して寝るようにしてるしさ」
そう言って、セシリアさんは奥さんの手からガレットを受け取ってもぐもぐと食べていく。「いつ食べてもおいしいね」という言葉はうれしいが、正直顔色の悪さが気になって素直に喜べない。
「それじゃあ、私行くから。お母さん、帰るの夕方になると思う。またね、エレノアちゃん」
セシリアさんは手を振って、神殿に向かって歩き出した。
歩き出して、十歩。
セシリアさんの体が傾く。周りの人が振り向く。奥さんが手を伸ばす。
セシリアさんが倒れこむより先に、その体を通りすがりの男性が受け止めた。
「おい、しっかりしろ! 大丈夫かアンタ!」
*
セシリアさんを生活スペースに運び込んだあと、先ほどの男性が魔法士を呼びに行ってくれた。セシリアさんの意識はもう戻っているけれど、念のために診てもらおうということで、店を閉めて奥さんと一緒にあがってもらった。普段から出歩かない人だから体力もあまりないだろうし、と。
「ごめんねエレノアちゃん、お店は大丈夫? やっぱり、セシリアを引きずってでも先生の所に連れて行けばよかったかねえ」
「大丈夫ですよ、万が一のことがあってもいけませんし」
当のセシリアさんは、あがってすぐに水を飲んだからか、少し回復したように見える。とはいえ油断は禁物だ。大きな病が隠れている可能性もある。
ノックの音が響く。「先生連れてきましたよ」と呼ぶ声は先ほどの男性だ。そのまま二人に生活スぺースに来てもらうと、治癒魔法士の先生はにこりと笑って「患者さんはそちらのお嬢さんですね?」と言った。
「うーん、病魔は見当たりませんね……。貧血でしょうから、立ちくらみと顔色を治して様子を見ましょうか」
「ありがとうございます、お願いします」
先生がセシリアさんのおでこに手をかざすと、淡く光って顔色がよくなっていった。そうして治療が完了し、先生は「今回、お代は結構です。お大事になさってください」と帰っていった。
「あぁよかった、ただの貧血なのね。あんたときたら、昔からそうなんだから」
「あはは、心配かけてごめんね。エレノアちゃんも、ありがとね」
そのやり取りに違和感を覚え、奥さんたちを呼び止める。
「セシリアさん、昔から貧血の症状があるんですか?」
「え? うんまあ、昔からだね。私が十三歳のころからだから、十年くらいずっとこうかな」
「その間ずっと、青菜と豚肉は食べてないんですか?」
「そりゃまあ……そういう教えだから、ね」