老人は若返る(5)
明日も多分、二本です。
最後にリュカが妙薬を飲んでから七年。
リュカは成人していた。
「成人おめでとうございます」
「ありがとう」
私はお祝いにワインを空けて、とくとくとグラスへ注いだ。
前世の道徳観念から、いくらリュカの身体が老人であろうと、家主あるいは魔女として未成年のお酒は禁止していた。リュカが生まれた日から一緒にいるわけだけど、はたして自分がリュカの保護者と言っていいのかはわからない。
「うまいな」
お酒を飲むのは初めてのはずなのに、リュカは一息で飲み干してしまった。美味しかったのなら嬉しいけど、彼の身体が心配になる。
「貴方の身体はお酒に慣れてないんですから、気をつけて下さいね。あまり一気に飲むと悪酔いしますよ」
「そうだな、気をつける」
一言だけ注意してから、空になった杯にワインを注ぐ。
食卓にはワインの他に、お祝いの料理を並べていた。普段はリュカが料理をするが、誕生日は私が作るのが毎年の恒例だった。
カチャカチャと食器が触れ合う小さな音が響いている。リュカが来るまでずっと一人で食事をしていたため、この二人分の食事の音がするという感覚が気に入っていた。
「もうかれこれ二十年も経つわけか」
「時が経つのは早いですね。……初めて会った時と比べれば、リュカも随分変わりました」
「そうだな。レイスはずっと若いままだが」
そのうち突っ込まれるだろうな、と思っていたことを何気なく言われて、私はようやく腹を括った。
「龍人ほどではないですが、長命種ですからね。寿命は五百年くらいです」
「はっ!?」
珍しく大声を出したリュカの腕が食器にぶつかり、ガシャンと音を立てた。蓋を開けたままのワインの瓶が倒れかけて焦ったけど、ギリギリで耐えていたので慌てて掴む。せっかくだからと奮発して良いものを買ってしまったので、胸をなでおろした。
「すまない」
「間に合って良かったです」
瓶を元に戻すと、リュカが何か考え込んでいた。
リュカが私を“人間の国に住んでいる魔女”だと思っているのは気づいていた。リュカがいつかこの家を出て行くのなら知らせることもないかと思っていたけど、そろそろ言わなくてはと思ってはいた。流石に二十年もすれば、姿が変わっていないことには気づくだろうから。
「なんという種族なんだ?」
「幽鬼族です」
「聞いたことがない……」
唖然としているリュカを前に、私は苦笑した。
「珍しい種族ですからね。貴方にだから話しましたが、誰にも言わないで下さい」
「わかった。ちなみに……何歳なんだ?」
「女性に年齢を訪ねるのはマナー違反ですよ。……大体ですが、二百歳くらいです」
「そうだったのか。残り三百年……まだまだ一緒にいられる」
リュカは驚いたようだったが、すぐに嬉しそうに笑みを浮かべた。
私は首を傾げて、ルカを見やった。
「まだ居座る気ですか? せっかく成人したのですから、巣立っても良いんですよ」
「あと三年でもう百年若返る予定だから、まだ世話になる」
リュカは私の世話になると言ってはいるけど、この七年、むしろ助けてもらうことが多かった。身体が自在に動くようになったリュカはよく働いてくれた。
若返りの妙薬はそれなりに希少とはいえ、材料さえあればたった1日で出来上がる。服用に期間を空けなければいけないということも嘘だ。
これほど助けてもらっていて、良いの。
腹の底で、罪悪感が渦巻いた。
まるでリュカの好意をせしめているようで心苦しくなる。
* * *
リュカが成人してから三年の月日が過ぎ、リュカは二十三歳になった。前回リュカが若返りの薬を飲んでから、約束の十年が経っていた。
「誕生日、おめでとうございます」
「ありがとう」
成人を過ぎていても、相変わらず祝いの言葉を嬉しそうに聞いてくれるので、祝う方も嬉しくなる。
……だけど、妙薬を渡さなければいけないことを思い出すと、気分が沈むのを止められない。また用意してしまった紫色の液体が入った小瓶を手に、私はどこで何を間違ってしまったのかと、後悔に襲われた。
「この妙薬を飲むと、もう寿命が半分を切りますよ」
「人間は百年で死ぬんだろう? 私の寿命が半分になっても、まだ人間の五倍もある」
もしかしてちゃんと理解していないのではないかと、念を押すように伝えても、リュカの表情は穏やかなままで変わらない。
「ですが、もう十分では? これからは普通に時を過ごしても良いでしょう? 身体だって、もう痛むこともなくなったのではないですか」
「寿命が減るのは構わないんだ。ただ……貴女にはまだ言えないが、妙薬を飲みたいと思う理由がある」
はっきりと言われてしまえば、断るための理由を探すのが難しくて、私は歯噛みした。
私は嘘をついた。それを与り知らぬとはいえ、リュカは文句も言わず十年も待っていた。
……これ以上、不誠実なことはしたくない。
私が恐る恐る小瓶をリュカに差し出すと、彼はそれを受け取った。
「後悔しても知りませんから」
「後悔なんてしない」
当てつけのような言葉をさらりと受け流して、柔らかい笑みを私に向けた。
リュカは自身の寿命を百年は削ることになる妙薬を、ちっとも躊躇わずに飲み干した。
飲み干してから少し待っていれば、リュカはまた若返っていた。
「次は何年だ? また十年か?」
ついさっき飲み干したばかりだと言うのに、リュカはすぐに次の妙薬について尋ねる。
寿命を減らしてでも若くなりたい理由を教えてくれないことに、どうしてなのかと悲しみが募った。
リュカに若返りたい理由があるのは知っている。だけど、今度こそ断ろうと心に決めていた。今回だけは、仕方がない。だって、私がついた嘘のせいだから。
私と違って、リュカはまだ生まれてたった二十年と少しだった。そんな若者の寿命を、もう五百年も塵にしてしまった。たとえリュカが後悔しなくとも、その重みを背負う気持ちになれなかった。リュカは欲しがるかもしれないから、それを断ることは、辛い。
「若返りの妙薬の提供は終わりにします」
「……なぜ?」
私の突然の宣言にも関わらず、リュカは慌てることもなく、静かに問いかけてきた。
「怖いんです。これ以上、貴方の命が消えてしまうのが。いつか私が死んだ後、あなたが後悔しているかもしれないなんて考えたくもない」
どう言おうとずっと前から考えていたけど、私は本音を話すことにした。ずっと嘘ばかりだったから。今までの嘘とリュカの消えてしまった寿命についてはずっと抱えていくしかないけれど、最後は本音を伝えるべきだと思った。
「後悔なんてしないって、さっきも言っただろう?」
「……もしかしたらという可能性だけでも、背負っていられないんです」
私の言葉を聞いて、リュカは少しだけ思案していた。その沈黙が怖くて、不安で両手をぎゅっと握っていると、ようやくリュカは口を開いた。
「そうか。……それは……悪かった。レイスがそう言うなら、諦める」
「え?」
食い下がってくるかもと思っていたのに、予想に反してリュカはあっさりと諦めると口にした。私はぽかんと口を開けたまま、リュカを見上げた。
「本当ですか?」
「ああ。レイスの負担になることをさせたいわけじゃないんだ。長い間、すまなかった」
「いえ、私こそ……ごめんなさい」
「レイスは私の我儘に付き合ってくれただけだろう? どうか気に病まないで」
リュカはちょっと困ったように眉を下げて、慰めるように、言い含めるように言った。
「……はい」
ホッとすると、目尻からほろりと涙が溢れていた。自分では気が付いていなかったが、思ったよりも張り詰めていたらしい。油断するとこのままぼろぼろと泣き出してしまいそうだった。
泣き顔を見られるわけにはいかないと慌てて立ち上がって、自室へと駆け込んだ。
リュカがどんな顔をしているか、見る余裕もなかった。