老人は若返る(4)
酉ゐです。今日のもう一本は20時ごろに投稿する予定です!
「十三歳の誕生日、おめでとうございます」
「ありがとう」
忘れぬようにと先んじて言葉を紡げば、リュカが穏やかな顔で微笑んだ。
これで前のように言い忘れることもなくなった、と安心したのも束の間のことで、妙薬を渡さなければいけないことに心が沈んでいく。
「これを飲めば六百歳です。本当にいいんですか?」
「もちろんだ。…………うぐっ! しかしまずいな。この味はなんとかならないのか?」
「無理ですね」
手渡した次の瞬間に一気に飲んでしまったリュカの言葉を、私は切って捨てた。
六百歳へとリュカの身体は変化し、もう千歳であった時の面影は残ってない。
……どうしてそんなに、なんの躊躇もないの?
私の内心とは裏腹に、リュカは機嫌が良さそうだった。
「また身体が軽くなった」
「それは、良かった、です」
嬉しそうに身体を動かしているリュカを前に、私はぎこちなく微笑む。
「来年もよろしく頼む」
「……」
私は返事に窮してしまった。
なんとなく、もしかしてまた頼まれるのではと思ってはいたけど、一体何のために、さらなる若返りを求めるのだろう。この一年もう十分ではないかと問いかけても、リュカは首を降るばかりだった。
「十年です」
「何がだ?」
「十年の期間を空けてください。リュカは若返りの妙薬を飲み過ぎです。これ以上は身体に悪いですよ」
「身体も軽いし、むしろ元気だと思うんだが……」
困惑した様子のリュカ。一年もあったのに、事前に言っておかなかったので、それも当然かもしれない。
「魔女の言うことを疑うのですか?」
「いや、そういうわけでは。わかった、十年だな」
「はい」
リュカが頷いたので、私はようやく安心して息を吐き出した。
一年後じゃないとダメ、十年後じゃないとダメと重ねて嘘をついたことになる。ただ、これ以上は見ていられなかったという理由で。
十年、と伝えてから気がついた。
……もしかして、これから先の十年も、リュカがここにいる?
もし、途中で気が変わって若返りの薬が不要になれば、勝手に出ていくかもしれない。そうでなければ、十年間はここに留まるだろう。
十年後のことを考えると憂鬱でもあるけど、その間の生活を楽しみにしている自分に気づいて、動揺した。
急に顔を赤くしたことで、リュカが首を傾げて私を見た。
「どうした?」
「い、いえ、なんでも。あの、今年もリュカを描いても良いですか?」
「ああ、もちろん」
動揺から気を逸らすために、私は鉛筆をとった。去年から薬を飲んだ後の恒例行事に、スケッチも加わっていた。
出来上がったものを過去のものと一緒に並べて、現在のリュカと見比べる。どんどんと若返っていく絵姿にため息をつきそうになったが、まだリュカの前だからとなんとか堪えた。
妙薬のために十年間待たなければいけないリュカは、外で仕事を始めた。
見た目こそ六十代に見えて、精神もそれなりに成熟していても、社会経験のない彼のことは心配だった。
やはり、若く見えるほうがどこに行っても生きやすいはずで。リュカが外に出るまでそんなことにも頭が回らなかった。リュカが若くなりたいのもわからなくはない。それでもリュカは寿命を減らすことに、思い切りが良すぎるとは思う。
「こんなに長く世話になってしまって、すまない。少しだけだが、給金をもらったから渡しておく」
「いえ、あの……」
リュカが袋ごと硬貨を手に押し付けてきて、袋を手に私は困惑していた。彼からお金を受け取る気は、最初からなかった。
「受け取ってくれ。あの薬は私が思っていたよりももっと、希少な物なんだろう? 高いのではないか」
「いえ、そんなことは」
リュカは不安そうな顔をしていた。外に出るようになって、今まで飲んでいた妙薬が高価なものではないかと思ったのかもしれない、と合点が行った。
「若返りの妙薬は希少なのは、そもそもこの街に飲める人がいない問題のせいですね。リュカも知ってると思いますが、長命種にしか使えないほど効果が強いですから。作る人がいないだけで、作るのは大変じゃありません」
人間が使えるものがもしもあるのなら非常に高価になるだろうけど、少なくともこの街に存在しない。
「人が使える妙薬か、あるいは他種族に薬を売るのであれば、高値になるかもしれませんが……取引しているようなこともありません。本当に、研究以外では作られてないらしいので。レシピも他種族には秘匿されているようですし、だからこそ龍人族には妙薬の知識がないんでしょうね。もしあれば、リュカに使っているはずですから」
「なるほど。私はずっと人間の世界にいたから、異なる種族同士の対立を実感したことはなかったが……こうして聞くと、隔たりを実感する。しかし、人の身では使えない薬を、どうして人が開発したんだ?」
純粋に疑問のようで、リュカは首を傾げた。
競争相手の寿命を延ばす薬を開発してしまった人間は、間抜けに見えるかもしれない。
「単なる失敗ですよ。人の生は短いので、生き延びたい思いが強いのでしょう。長命種はもともと寿命が長いですから、必要性が低いですし」
「それもそうか……」
リュカは理解したようで、真面目な顔で頷いていた。
長命種にしか使えない妙薬というのは、人が使うための妙薬を作る過程で開発されていた。未だに脈々と受け継がれているこの妙薬のレシピも、後世の人が新たなレシピを開発することを期待しているのだと思う。
「ええと、とにかく。若返りの妙薬は巷でこそ出回りませんが、作る人がいないだけで、作るのは大変じゃありません。材料費だってそんなにかかりませんから」
「薬が高価ではないのは安心したが、レイスの魔女としての知識は価値がある。だから……やはり金は受け取ってくれ。これだけで受けた恩を返せるとは思ってないが、感謝の気持ちだから」
これだけ説明すればわかってくれるかなと期待したのに、臆面もなく真面目な顔で礼を述べられてしまって、気恥ずかしくなってしまう。私は何かをしてもらった直後に、その行為にお礼を言われるのは平気でも、こうして改めて礼を言うのはなんだか照れくさくて苦手だった。
「わ、わかりました。受け取ります」
真っ正直すぎる言葉から逃れたくて頷くと、リュカは満足そうに微笑んだ。
私はリュカに嘘をついている。本当のことは、言えない。
せめて私も礼くらい言うべきだと、口を開いた。私が口をぱくぱくとさせているので、リュカは何も言わず待っていた。
「あの……こちらこそ、お世話になってますから……。……いつも、ありがとうございます」
私がつっかえながら礼を言うと、リュカは少し照れていた。礼を言うのは照れなくとも、言われるのは照れるようだった。