老人は若返る(1)
彼と暮らす日々は、十年もの間続いていた。
リュカは案外しぶとかった。きっと一ヶ月もすればぽっくり逝くかもしれない、そう予想していたのに、むしろ月日を追うごとに元気になっている。
彼のできることはだんだんと増えていき、ブラウニーの手を煩わせることが少しだけ減った。不思議に思いつつも、以前の環境が悪くて弱り切っていたのかも知れないと、元気になったのは良いことだと歓迎した。それでもほとんどの時間をベッドで過ごしていることには変わりはなかったけど。
あくる日、リュカは私に「話がある」と切り出した。その声はしゃがれてはいるが、以前のように空気が喉を震わせるだけではない力があった。
「私は今日で十歳になった」
そんなそぶりはなかったけど、もしかして認知症にでもなった?
そう疑ってみたものの、思い起こせば今日は四月一日。今日が誕生日なら、ゲームのキャラクターであるリュカ・フォラントと同じ。そういえば、彼を拾った時も四月一日だった。
「それは、おめでとうございます」
とりあえず祝いの言葉を贈ると、リュカは老いた顔を少し綻ばせてから、唇を引き結ばせて真面目な表情になった。
「ありがとう。私もすっかり言葉を話すことができるようになったから、そろそろ事情を説明したいと思うんだ」
「そうですね。差し支えなければ、お願いします」
「私は龍人なんだ。フィラント家に生まれて、生まれたその日に呪いをかけられてこの姿になった。その日から、時間を巻き戻すように生きている」
衝撃的な話で、その内容を飲み込むのに苦労した。
乙女ゲームに出てくるリュカ・フォラントも龍人族で、特徴的な血のような色の瞳と、月のない夜のような青みがかった黒い髪である、というのは公式からの情報だ。
目の前のリュカは年老いた姿なので、赤い瞳しか共通点が見つけられないが、龍人族で名前も誕生日も同じとなれば、本人のはず。
そのリュカが、呪いを受けて老人になって……若返りながら生きている?
「それはつまり、今も徐々に若返っている、ということですか?」
「その通りだ」
それならば、リュカが徐々に元気を取り戻していったのも頷ける。
リュカにそんな設定あった? とは思ったものの、目の前で起きていることを受け入れるしかない。とにかく、呪いがかけられたのはわかった。
それにしても、どうしてリュカはあんな場所に? ここは人間の暮らす国で、異種族の人口ははほぼゼロと言っていい。
「龍人がなぜ、人間の国に?」
「龍人族は強さを尊ぶらしい。呪いで年老いた私は不要だと、捨て置かれた。私があの場所に捨てられたのは、最低限の慈悲を与えるためだと漏れ聞いた。龍人族の国に置いておくと、散々甚振られた後に殺される可能性があるからと」
「……龍人族の人は、貴方が死ぬとわかっていて、あの路地に置いていったんですね」
リュカの実年齢は十歳と言っても、呪いの影響か、中身は成熟しているように見える。彼がここに来た当初は、ひどいしゃがれ声で言葉を話すこともできなかったし、身体を動かすこともできなかった。何も喋れないまま、動くこともできないまま、それでも周囲の状況を理解していたのだろうと思うと、龍人族の行いがひどく残酷で胸が痛くなる。
本人が一番辛いはずなのに、リュカは淡々としていて、その瞳は凪いでいる。泣きださないようにと、悪い想像を頭の中から追い出した。
「事情は理解しました。……生まれてすぐに捨てられたのであれば、頼る当てもないですよね」
「本当に申し訳ないが、貴女さえ良ければ、このままここに置いて欲しい」
「……いいですよ。今後ともよろしくお願いします」
「ありがとう、レイス」
リュカは安堵したらしく、硬かった声色が少し柔らかくなった。淡々としていたのは、緊張していたのかもしれない。
乙女ゲームのキャラクターであるリュカを拾ってしまったという事実は気にかかるけど、ここまで関わっておいて見捨てるなんてことはできない。
これから長い年月をかけて若返っていくのならば、リュカが乙女ゲームのストーリーと関わるのは、何百年も先のことかも知れない。その頃にはもう、私は死んでいるはず。
今は寝たきりでブラウニーの世話になるしかないリュカも、動けるようになったらこの家を出ていくだろう。
それまでの間、助けてあげれば良い。
私の魔女としての知識には、それを早める薬に心当たりがあった。
「ところで、私が若返りの薬を作れると言ったらどうしますか」
「若返り?」
「龍人族だと言いましたよね。普通であれば効果が強すぎて胎児に戻ってしまうほどの薬ですが、長命である貴方ならば少しだけ若い姿を取り戻すだけで済むでしょう。常人とは逆の時を生きる貴方にとっては、寿命を縮める薬でもあります」
寿命を縮めてしまうのは大きな問題だけど、リュカは老いた身体を持て余し、毎日苦しそうだった。生まれた時から老人のように生きていたと知ってもなお、その苦痛を想像することもできない。
これが普通の人間であればどうしようもないが、彼が長命な龍人族であれば、この方法を取れる。
「……頼んでも良いか?」
少し思案したのち、リュカは頭を下げた。
「もちろんです。薬は明日には出来上がります」
「何から何まで、申し訳ない」
「いえ、気にしないでください」
翌日になってから、私はほぼ丸1日をかけて、若返りの妙薬を作った。
紫色の液体が入った瓶をリュカの前に置く。昨日と同じ説明をした上で、注意事項を確認した。
「これは貴方の寿命を約百年縮めます。龍人の平均的な寿命は約千年です」
「つまり、私の寿命はこれから九百年になる」
「貴方の今の外見年齢は約千歳。百年分若返れば、九百歳の体になります」
「……それではまだまだ老いた身体のままだな。貴女に負担をかけるようで心苦しいが、もう数本、用意することはできないか?」
「……その分、寿命が縮んでしまいますよ?」
「構わない。それに、身体が動くようになれば貴女に礼もできる」
リュカは穏やかに微笑んだ。
確かに彼の言う通り、人間で言う百歳が九十歳になったところで、身体は老人のままだろう。だけど、寿命が百年も縮むのだから、簡単に決めて良いことでもない。
「礼は結構です。……この妙薬は劇薬です。貴方が次に飲んで良いのは一年後となります。その時になってもまだ決意が変わらなければ、ご用意します」
「助かる。本当にありがとう」
なんて答えたらいいかと考えて思いついたのが、一つの嘘をつくことで、突発的にそれを口にしていた。
リュカが喜んだので、私は罪悪感で心が痛んだ。
本当は、今すぐ数本飲んだって平気だ。精神が成熟しているとはいえ、リュカはまだ生まれてからたったの十年。私が勧めたことだけど、いきなり何百年も寿命を縮めて良いとは思えなかった。しかし苦しむリュカの顔を知っていて、方法を伏せておくこともできない。
寿命を縮めてでも苦しみを無くしてやるのがいいのか、苦しむ姿を見守りながらも少しずつ若返っていくのを待つのがいいのか、私にはわからなかった。なら、選択は本人に任せよう。少しだけ罪悪感に蓋ができるから。
妙薬を飲んだリュカは百年分若返り、九百歳の身体を手に入れた。見た目はあまり変わらないが、大分身体が楽になったと言って嬉しそうだった。