魔女は老人を拾う
酉ゐです。最後まで読んでいただけると嬉しいです!よろしくお願いします!
ある日、私が街を歩いていると、路地で老人が座り込んでいた。
随分と草臥れた老人だ、と思った。真っ白な髪に痩せ細った手足。その老人は足が悪いようで、何度も何度も、立ち上がろうとしては転んでいた。
きっとホームレスだ、誰も助けることなんてないだろう。そう目を逸らそうとしたけど、なぜか目が離せなかった。仕方なく遠くから隠れて見ていれば、その姿に違和感を覚える。彼は転んでも転んでも立ち上がる。なぜ、諦めないのだろうか。とっくの昔に悪くした足ならば、きっと動かそうなんて思いもしないだろう。まるで、いつか立てると信じているかのようで。
彼の赤い瞳に、年老いた人間の諦観は宿っていなかった。明日にでも死んでしまいそうなほど、老いさらばえているというのに。姿に似合わぬ強い意思を宿した瞳に惹かれて、気がついたらその場から動けなくなっていた。
何度も何度も、転んでは地面にへばりついて。
助けるべきだろうか? あんな老人を助けてどうなる。彼が死ぬまでの間だけ世話をしたって、なんの益もない。そうぐるぐると考えながら、三十分は見守っていた。何度も見捨てて行こうとしたが、足はそこからぴくりとも動かない。ならばと彼の方へ一歩踏み出せば、今まで頑なだった足がするりと前へ進み出す。まるで、彼を助けたいかのように。
またも転んだ老人の前にしゃがみ込み、私は手を差し伸べた。
「家がないなら、うちに来ませんか?」
「……ぃ、……?」
老人の声はひどく掠れていて、辿々しかった。
差し伸べた手に、彼の手が重なる。了承の合図だろうと解釈した。
「貴方の名前は?」
「リュ……カ……フォ……ラ、ント」
長い時間をかけてかろうじて聞き取れた声。名前を聞いた瞬間に、頭の中に記憶が蘇る。
それは、前世でプレイしていた乙女ゲームに出てくるキャラクター。
リュカ・フォラントの名前だった。
* * *
まずは、彼に湯浴みをさせないと。路地にいたのだから、汚れているはず。そう思って、私はどうしたら良いかと考えた。私は女性で、相手は年老いているとは言え男性だ。思案した末に、ブラウニーを召喚することにした。少々魔力を食うが、これも必要経費だと割り切ろう。
ブラウニーを召喚して彼の身を任せ、私は彼の着ていた洋服を洗濯することにした。魔力を使うほどのことではないので、手作業での洗濯だ。
洗濯桶に洋服を入れて洗おうとしたところで気がついた。
「真新しい……?」
あんな薄汚れた路地裏で生活していたにしては、綺麗な服だった。
なぜだろう? 首を傾げながらも、とりあえず疑問を脇に置いて服を洗う。風呂から出た彼に着せる服がないので、魔法で乾かした。乾いた洋服をブラウニーを呼んで渡して外を見ると、もう薄暗かった。
そろそろ食事の用意をしないと。
あれくらいの歳の老人って、一体何を食べさせれば良いの? そう考えながらも、夕餉の支度を終える。柔らかくなるようによくよく煮込み、味も薄めで作ってみたものの、いつもの夕飯と中身は同じ。もしこれが食べられないのであれば、改めてブラウニーに頼んでも良い。
ブラウニーが老人を連れて帰ってきて、姿に見合わぬ怪力で老人を椅子に座らせてくれた。
「シィ。召喚は継続するから、食事の介助もお願い」
了解! そう伝えるかのように、ブラウニーは片手をあげた。
家事の得意なブラウニーであれば老人の世話もできるだろうから、私はそれを見て学べば良い。魔力も節約したいし、今後はブラウニーに頼らなくとも良いように、よく観察しなくちゃ。
「どうぞ、召し上がってください」
そう伝えると、老人は微かに頷いたのがわかった。
彼らを見ながら私も食事を摂る。
食事はとてもゆっくりとしたものだったから、おかげでじっくりと観察することができたが、これから自分が彼の面倒を見ると思うと頭が痛くなりそうだった。
なんで連れ帰って来ちゃったんだろう。
前世でやっていたゲームに出てくるキャラクターであるリュカ・フォラントと名前が同じだけど、彼は随分と年を取り過ぎている。
今は、ゲームが終わった後ってこと?
乙女ゲームの舞台は多種多様な種族が集まる学園で、物語は人間の女の子が入学することで始まる。
この世界には様々な種族が暮らしているけど、今現在も戦争が起きていることからも、異なる種族同士の対立が根深い。
この世界が乙女ゲームのストーリーをなぞるなら、戦争が終結して、世界初の異種族混合の学園が創立されていた……はず。目の前のリュカが老人なら、それは過去の話のはずなのに。未だ世界から戦争は消えていない。
ゆっくりと食事を摂る老人を眺めながら、私はつらつらと考えを巡らせていた。
ようやく食事を終えた老人に、改めて向き直る。
「私はレイス。この家で、魔女稼業を営んでます。貴方がどうして一人で路地にいたのか、差し支えなければ聞かせてくれませんか」
「ぁ……わた、……しは、…………今日……生まれた、あか……の……」
「……ごめんなさい。無理に喋らないで」
老人の声はひどくしゃがれていて聞き取りにくいし、喋るたびに辛そうにしている。会った時からそうだったのに、事情を聞こうとした自分の考えの至らなさに不甲斐ない気持ちになった。
「文字なら書けますか?」
試しにペンを持たせてみたけど、手に力が入らないようで、ペンはころころと机を転がり落ち、床を数度跳ねて壁にぶつかって止まった。
老化のせいか、衰弱がひどいのか……。
どちらにしろ、もう長くはなさそう。そのうち看取ることになるだろうな。
「気にしないで、ゆっくり休んでください」
「す、ま……な、い……」
私は事情を聞くことを諦めた。一ヶ月後には心臓が止まっていそうなほど年老いた老人から無理に事情を聞くよりかは、余生を穏やかに暮らして欲しい。
もし彼が何者かに狙われているだとか何か問題があったとしても、私も魔女の端くれ、自衛くらいはできる。
それからは老人との奇妙な同居生活が始まった。
最初は年上だろうからと「フォラントさん」と呼んでいたが、彼は弱々しく首を振る。最終的には「リュカ」と呼び捨てにすることになったけど、まあ自分が世話をしているのだし、多少は失礼でもいいかと気にしないことにした。
彼には前世で知っているリュカ・フォラントの面影はない。かろうじて、赤い瞳をしているくらい? 果たして本当に本人なのか、同姓同名なだけなのか気になったけど、事情を聞けない以上どうしようもない。
リュカはほとんど寝たきりで、眠るように過ごす時間が長かった。
結局、私に老人の世話をすることは難しかったので、ほとんどの世話をブラウニーに任せていた。魔力の消費のせいで魔女としての仕事が少々滞ったが、数年くらいは生活できる程度の蓄えはあるので、仕事より彼の世話を優先することにした。
ほとんどの世話がブラウニーがするのであれば、仕事のない私は暇でしょうがない。ならば、と今までは出来合いのものを適当に買ってくることが多かった食事を、毎回自分で作ることにした。誰かのために食事を作るのはとても久しぶりで、昔もこんなに楽しかったっけと思いを馳せた。
それでも時間は余るもので、暇つぶしに物語を読んではリュカに聞かせていた。リュカは視力が弱いようだったので、リュカにとっての娯楽と、自身にとっての娯楽にちょうど良い。リュカは存外表情が豊かなもので、何かを読み聞かせるたびにいつも嬉しそうにしていた。
期待されれば答えたくなる。料理とともに、毎日の日課に加わった。