26話・絶望
「き、教頭、先生?」
那谷のその言葉を皮切りに、辺りを静寂が支配した。
(くそっ、どうすれば……)
必死に頭を回転させて、この場を切り抜ける方法を考えるが何も思い浮かばなかった。一番の得策である、普通に何も無かったかのようにやり過ごすという方法はもう通用しないだろう。声をかけられた瞬間、二人とも固まってしまったのだから。今頃、挨拶だけをしてこの場を離れるという手を使っても、怪しまれるだけだ。かと言って、それ以外に何か方法があるか、と聞かれたら、NOとしか答える事ができない。
息をすることさえ重く感じる空気がオレ達の周りを漂い始めた。
その時だった。校長室の装飾が施された扉がゆっくりと開いたのだ。そこから出てきたのは、もちろん秋川校長。しかし、彼の姿は先程とは少し違って、右手に少し大きめのカゴを持っていた。中には、パーティに使うような三角帽子等が入っている。
秋川校長は、オレ達の方を一度に見ると、八木山教頭の方に視線を向け、驚いたような表情を見せた。
「あちゃー。見つかっちゃったかー!」
(は?)
秋川校長のその言葉に、思わず声が出そうになった。
オレは当然、彼がオレ達を庇ってくれると思っていたが、そこで彼の口から飛び出した "見つかっちゃった" 発言。
軽く絶望した。
「ちょ───
「折角、教頭先生にサプライズをしようと思ったのにね?」
その校長の言葉で、全てを把握した。
「まったく本当にですよ……。バレないようにわざわざ先生に頼んで、校長室まで使わせてもらったのに……」
「残念だったね」
僅かに困惑した表情をした那谷だが、すぐに状況を理解したらしく、オレ達に合わせて、しょんぼりとした顔をした。
「実はだね、教頭。彼らは君にサプライズで誕生日を祝おうとしていたんだ」
「誕生日……ですか?」
怪訝な顔をする教頭に、校長は説明を続けた。
「君、誕生日が来週の日曜日だろ?」
「そうですね。ですが、なぜ、わざわざ校長室で話をしていたのですか?」
「日曜日だからだよ」
「はい?」
確信を得ようと、次々と聞いてくる教頭を相手に、秋川校長は全て答えていた。
「日曜日といえば、部活等の理由が無い限り、登校は禁止だろう? けど、どうしても誕生日当日に君を祝いたいと言ってね、交渉しに来たんだよ」
「なるほど。しかし、それでも一つ気になる事があるのですが?」
教頭は、オレと那谷を交互に指を差すと、話を続けた。
「私と、君達って、何か面識がありましたっけ?」
そう、これだ、これが気になっていた。校長が言い訳に"教頭の誕生日を祝う為に話し合っていた"という物を使った時、これが聞かれる事は間違い無かった。
校長はこちらに顔を向けると、優しい笑みを浮かべて口を開いた。
「言った方がいいかな? 言わない方がいいかな?」
そんなの決まっている。どんな作り話を言うか知らないが、何かを言わなければオレ達はより疑わられるだけだ。
オレが、"言って下さい" 、という─────
「ちょっと待って下さい!」
──────その、一瞬前の出来事だった。
「待って下さい! それでは、私達の、その、好感度というか……」
「そうだよね。けど、こちらにも少し事情があってね」
(何を言っているんだ?)
何故か、おどおどしながら変な事をいう那谷。
そして、そんな彼女に申し訳なさそうに謝る校長。
全てが分からなかった。
「教頭。彼らは、次の生徒会役員の選挙の時に備えて、今のうちに君からの好感度を上げようとしているだけなんだ」
「好感度ですか?」
「そうだ。だから、彼らは君が思っているその件とは無関係だ」
「……何の件の話ですか?」
不思議そうに、校長に問いかける那谷。オレもそれに合わせた顔をする。
「君達には関係ない事だから気にしないでくれ」
「は、はぁ……」
教頭はオレの腑抜けた返事を聞くと、"せいぜい好感度が上がるサプライズをしてくれよ" と、言って去っていった。
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教頭が視界から消えると同時に、那谷から叱責が飛んできた。
「ねぇ! あの時、"言って下さい"って言おうとしたよね!? バカなの? ちょっと考えてみてよ? わざわざ隠していた事を言ってもらおうとするバカがいる? そこで言ってもらおうとする奴なんて、教頭に何か怪しまれたら困る奴だけでしょ?」
「は、はい……」
なるほど、だからあの時、那谷はあんな事を言ったのか。これは全面的にオレが悪かった。言い訳をせずに心の底から謝る事にした。
「まことに申し訳ございませんでした」
「バカにしてるの?」
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(あの程度で、本当にごまかせたと思っているのか?)
私は職員室に戻ると、自らの席につき、先程会った生徒の身元を調べる事にした。
パソコンを起動して、生徒の情報が保存されているファイルを開く。
(確か、一年生だったな)
制服の校章の刺繍の色でそれを判断する。
先程処分した、H、I、J組の生徒を除くと、思ったよりも早く身元が分かった。
「F組の那谷 明里か……」
彼女の名前を頭に入れると、私はパソコンを閉じた。
あの場にいた、もう一人の生徒の名については調べる必要が無い。
琉田 望。
私と彼には、切っても切れない縁があるようだ。
気がつくと、私は他の教員達の目など気にせずに大きく笑っていた。




