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罪と光は紙一重

 雪が音を吸い取るというのは、ほんとうかもしれない。


 静寂に覆われた屋敷の中、不二白ふじしろは飽くことなく外を見つめていた。


 そのほっそりとした背中に近寄る影がひとつ。


「去りましたか」


「うん」


 硝子に映る青白い顔が答える。


「体調はいかがですか」


「死ぬことはない。あの女もそう言ってた」


「ですが、限界まで血をお取りになったと伺っておりますぞ」


 生命の許すぎりぎりのところまで採血して紅玉をつくらせた。一度にあれほどの量をつくるのは初めてだと延珠亭の女も冷や汗を流していた。


「あんなにお渡しになっては、もう帰ってこないのではないですか」


「おや。帰ってきてもいいの?」


 おどけたように片眉を上げてみせる。眼光の鋭さは一向に衰えないままだったが。


「なにやら先ほどから針で突かれている思いがいたしますぞ……」


 大頼おおよりは居心地悪そうに、髭から腕から擦る手を止めない。


「あの者は……悪い奴ではなかった。せめて子さえ授かれば……ほぼ男の体を持つあやつなら……希望は高かったのですが」


 ごにょごにょと口内でつぶやきながら、国主の方へ目をやる。しかしながら応えが返ってくるようすはなさそうだった。


 これほど殺伐とした雰囲気を感じたのは久しぶりだ。


「なにやら寂しいですな」


 老人の嘆息に、西の国主は笑った。


「よく言う。お前がいちばん揚羽あげはを快く思っていなかったのではないの」


 その暗い目を、大頼はやややつれた頬で受けた。


「……ご存知でしたか」


 子をなさぬ揚羽に最も風当たりが強かったのは白髭の大臣だったからだ。




 一心に足を動かしていると汗が吹き出てくる。


 揚羽はとうとう外衣を脱いでしまった。


 港まで馬車で送っていく、という申し入れを断って、歩いて国を出ることにしたのは正解だった。


 泣き崩れ、結局昼近くまで不二白の気配を全身で受けながら森にいた。もしもっと離れた場所で紅玉を目にしていいたら、飛んで帰ってしまっていたかもしれない。


「……見つかるかな」


 海王かいおうは西の人間だと言った。家族をつくっているのなら、郷里に戻っていると考えるのが自然だ。


 港に足を向けようとして、揚羽はなんとなく逆方向を目指していた。


 特に確信があったわけではない。


 あのときのことばがほんとうなら、少しでも自惚れてもいいのなら……と中央市を前に見据えて歩を進める。




 海を離れた変わり者の船長、予想どおり、訪れた町々で順に聞いていくと三日目には答えを手に入れていた。


 相変わらず大人しくはできなかったようだ、と苦笑する。


 それほど小さな町でもないのに、ほとんどの人間が海王を知っていたからだ。


「えっと、こんちは」


 深呼吸をして、白い扉を叩く。やがて現れた人物に、あの館の人間の真似をしてゆっくりと礼をした。


「昔、おじいさんにお世話になった者です」




 やがて冬を迎え、西の王宮は喪に服す。


 后が崩御したのである。


 王子はどうにか生まれたものの、あまりの早産で問題が残ったのか、今でもほとんど泣かないと聞いている。


 白虎は、卵で生まれる他の四方神とは異なり、唯一の胎生だ。


 母体への負担は相当のもので、母子共に助かる確率は極めて低かった。今回、后が命を落としたのも特に驚きに値しない。女子は皆、それを覚悟して後宮に上がるのだから。


 いざと言うときは子を優先させる風習は根強く、この早産ももちろん意図的なものだった。実に冷酷非道な振る舞いではあるが、それに徹しなければこの王家はすぐに途絶えてしまうだろう。


 西の王族がなべて発育不良のまま幼少期を過ごすのはこのことが原因だった。




 子なんて望んではいなかった。


 不二白は口には出さないがいつもそう思っていた。


 古来、呪われた王家は環姫を出産の道具として利用してきた。蟲を入れた体は虎を産むことにもよく耐えた。后に蟲を飲ませることもふつうに行われてきた。


 不幸なことには、主の愛を受ける対象として生まれてきたはずの彼らは、まず「唯一無二」の冠を奪われ、情けを頂戴する機会も少ないまま非業の死を遂げることが多い。


 不二白の后は、出産の負荷で絶命した。蟲は入れられなかった。夫である国主が拒否したのだ。彼の環姫は、後にも先にもひとりしかいなかったから。


 不二白の誤算は、揚羽があれほど子にこだわっていたことに気づかなかったことだ。


 揚羽は去った。主を置いて。


 やはり、過去から引き継いだ罪業の報いを受けたのだろうか。


 環姫が太陽のようだと称した瞳は、今やその輝きを失い虚ろに世界を映し出していた。


「揚羽……」


 子を見るのが辛い。


 不二白はすぐに王子を離宮に追いやった。自分が在世のうちは呼び戻すつもりもなかった。


 環姫が主の元を辞したのちは、例え主が神であろうともその行方を捜すことはできない。


 あの日の朝。


 落ち葉を踏みしめて。


 揚羽が小さくなっていくのをいつまでも見守りながら、延珠亭の女が怯えたように言ったのを思い出したとき、不二白は笑んだまま不覚の涙を流していた。




 光陰矢の如し。


 一度過ぎ去った時は二度と返ることはない。


 各地を放浪して、海王の曾孫の結婚式を遠くから祝って、ふと振り返ってみれば更に50年が経過していた。


「痛い……」


 揚羽の顔はすでに土気色だ。


 5、6年ほど前から、しこりのようなものが下腹部にでき始めていた。膿か水でも溜まったのかと思ったが、それから特に腫れることもなく、痛みもなかったのでそのままにしておいたのがいけなかったのか、ここ数日でじくじくと痛み出したのだ。


 無意識に足を運んだのは、深い森。不二白の屋敷からは遠く離れているが、木々に囲まれていると妙に安心する。


 脂汗を浮かばせて、揚羽はとうとう大きな木の根元に座り込んでしまった。


 これは……やばいかも。


 一瞬、死という文字が頭をよぎった。


 まさか……まさか……。


 環姫は体の中に入れられた蟲のお蔭で体も頑丈になるし、菌や病にも犯されにくくなる。病死する環姫などまずいない。


 死ぬときは……主の愛情を失ったときか、主が死んだときだ。


「フジシロ……」


 嘘だろう。


 あいつはまだ若い。子どもなんだ。


 そりゃあ生きている時間は自分よりも長いけれど、子どもは子どもだ。


 これからたくさん楽しいことがあって、そして……もう一度会う約束をした。


「旅に飽きたり、お金がなくなったり、行く所がなくなったときは帰っておいで」


 そう、言ってくれた。


 夢だなんて、野望だなんて言って、一人旅は楽しくなかった。そばにいないから……寂しくて寂しくて、涙が出そうなんだ。


 あいつが死ぬはずがない。きっと俺が……俺が愛されなくなっただけだ。


 考えただけで胸を串刺しにされたような心地がして、思わず呻いた。

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