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お仕事です

 西の国はすべてが白かった。


 白い壁の家がどこまでも連なり、人々も皆、雪のような白い肌をしている。


 港町と船の上しか知らない揚羽あげはにとって、どこもかしこも上品そうな雰囲気の国はおとぎ話に紛れ込んでしまったかのような不思議な感覚をもたらした。


 物珍しげに馬車の窓から身を乗り出そうとして叱られたのは一度や二度ではない。


 しばらく走って、森に入る。


 石造りの巨大な邸宅に案内されて、もしかしたら王さまとやらに挨拶しなければいけないのか、と危惧していた揚羽だったが、「宮に行くのは後でね。煩わしいから」とあっさり言われた。


 と、言うことは……と見上げたこの屋敷は、もしかしなくても不二白ふじしろ個人のものらしく、揚羽は驚きのあまり無言で主の後ろをついていくことしかできなかった。




 食べたこともないご馳走に、揚羽は狂喜した。緊張も手伝ったのか、無謀とも思えるくらい腹に詰め込み、大頼おおよりを呆れさせる。不二白はただ笑って見ていた。


 夜になり、風呂に入らされたのだが、十数人もの侍女が用意されたのには辟易した。泣きながら手伝いを断って、ひとりで入るには広すぎる浴室で体を洗った。


 実は、熱い湯に入るのは初めてだった。こんな贅沢は貧しい庶民にはできない。冬でも我慢して水を浴びていたのだ。少なくとも自分の周りは全員そうだったし、それが普通だと思っていた。


 町の中心部にある小奇麗な看板の湯屋は、限られた人間だけが行くものだといつも素通りするだけだった。


 どきどきしながら浴槽に身を横たえる。最初は熱く感じたが、慣れればこれほど気持ちのよいものはないのではないかとさえ思うようになった。


 疲れが取れ、いろいろ思い悩んでいたことが温められて溶けていく心地がする。


「不二白……」


 呼べ、と言われた名前をつぶやいてみる。


 するとその声がひどく反響して慌てた。


 驚いて立ち上がり、その自分の間抜けさに苦笑する。


 なぜ、不二白が自分を選んだのかわからない。


 曇った硝子の向こうに広がる木々。曇っていて助かった、と揚羽は思った。


 この醜い体を見なくて済むから。




「さて、と……」


 薄暗い部屋の中、蜂蜜色の瞳が己を捉えたとき、心臓が大きく跳ねた。


 無駄なほど広い寝台の上で、まな板の鯉よろしく体を強張らせている姿は、傍から見ればさぞ滑稽なことだろう。


 せ、精通を促すったって……。


 自慢じゃないが、自分に人を欲情させるほど色気があるなどとはとても思えない。しかも相手は子どもだ。いや、生きてきた年数から言えば自分よりもずっとずっと年上のはずだが、……それでも外見上は立派な子どもだ。どう考えたって、この構図はいたいけな少年をいたぶる非道な男以外になく、どことなく犯罪的な香りを感じて、揚羽は思わず現実逃避を計りたかった。


 口内をからからにさせて、ほっそりとした体が近づいてくるのを待った。


「揚羽。どうしたの。……震えてるの?」


「ふ、震えてないっ」


 声を裏返しながら叫ぶ環姫は、不二白の目にこれ以上ないくらい可愛らしく映る。


「ほら、仕事でしょ。がんばって」


「が、がんばるったって……」


 どうすればよいかわからない、と素直につぶやく揚羽に、不二白は笑いを堪えることができそうになかった。


「あっ、な、なに笑ってんだよ。し、しかたねーだろ。わかんねーもんは……」


「揚羽、初めて?」


「は、初めてって?」


「だから、こうやって裸で人と抱き合うこと」


 言いながら、揚羽のまとう薄布を次々と剥がしていく。その手つきは至って滑らかで、揚羽は見た目との不自然さに戸惑いを隠せない。


「……見りゃわかんだろ。こんな中途半端の体でどうしろってんだよ。……相手も途中でやる気を失くすくらいだ……」


 揚羽がそう吐き捨てた瞬間、鼻歌でも口ずさみそうだった不二白の表情が一気に固まった。手を止めて、環姫を睨む。


 部屋が薄暗いのが幸いして、揚羽はその目を直接見る恐怖を味わうことはなかった。


「どういうこと? 誰かと経験あるの?」


「経験ったって……、ほら、船で働いてたって言っただろ? それで……その女っ気ないし、俺みたいなひょろっとしたのが都合よかったのか、女の変わりをさせられそうになったんだけど……」


「なったんだけど?」


「いや、その、それで輪姦まわされそうになって……必死で逃げてるところを、かいお……船長に助けてもらったんだ。その後、船長室で、傷の確認とか言われて服を脱がされて……。あの、なんか怒ってる?」


「怒ってない。それで!?」


 ぎりり……と上衣の合わせ部分を引っ張られると、軽く首を絞められそうになるのだが、どことなく異様な殺気を感じて、揚羽は抗議できずにいた。


「いっ! あ、う……それで、ばれちゃったんだよ、両性だって。それからいきなり航路を変えて、3日後には延珠亭に売られてた。は、はは……ざまあねえよな……」


 思い出したのか、その目には薄く涙すら浮かんでいる。


 仲間と思っていた人に裏切られ、助けられた人からは化け物の烙印を押されたようなものだ。


 草珊瑚そうさんごから金を受け取る船長の背中を見ながら、どれほど自分の体を呪っただろう。自殺なんて弱い人間のやるものだと軽蔑していたのに、しばらくは刃のついたものを見るたびに誘惑に駆られた。


 不二白は傷ついた顔でうつむく環姫を、少し穏やかになった瞳で見守った。


 しなやかな肢体をちぢ込ませるのは、世にも美しい蝶。


 ようやく蜘蛛の巣から逃れてきたというのに、今度は二度と抜けられない虎の穴に入り込んでしまった。


「馬鹿だね、揚羽は」


 もちろん、外の世界を忘れさせるくらいに愛してやるつもりだけれど、と不二白は狡猾な笑みを浮かべた。


「ん……そうだな。こんな体で、男のまま生活しようなんて思ったから、罰が当たったのかもな……」


「そうじゃないよ。……いいや、わからないなら」


「なんだよ、それ……って、や、やめろっ」


 いつの間にか下袴まですっかり脱がされた揚羽は、ぎょっとして主である子どもを見やった。片膝を持ち上げられて、己がいちばん厭わしく思っている秘密の場所を、まじまじと覗き込まれているのだからたまらない。


 まったく成長を忘れてしまったかのような小さな陰茎と、何ものをも受け付けないような狭い膣が、見かけと不均衡なことこの上ない。自分でも気味が悪いくらいだった。


「へえー、ほんとうに両性なんだ。可愛いね、子どもみたいだ」


 不二白はそんな揚羽の羞恥心などお構いなしで、興味津々といった態で観察している。


 歯を食いしばり、早く終わってくれと祈ったのも虚しく、あろうことか西の王太子殿は忌まわしき成育不良の性器へ手を伸ばした。


「や、やめっ」


「いいから。おとなしくして」


 あくまでも優しく扱われながら、揚羽はようやくなにかがおかしいことに気づく。


 ごくりと唾を飲み込んで、恐る恐る訊ねる。


「お、お前っ……。なんか、慣れてないか?」


「精通はまだだと言ったけど、性交してないとは言ってない」


「……せ、せっ……」


「正直、うっとうしいんだよね。でもまあ最後まで構ってあげられないってわかってるから、相手もしつこくねだって来ないし、その点楽だったよね」


「お、お前……まさか……わざと……」


「さあ? どうだろう。まず間違いないのは、僕は今夜無事に精通を迎えるし、揚羽の肩の荷もひとつ軽くなるってことくらいかな」


 揚羽はもう、死にかけた魚のようにぱくぱくと口を開けるのを繰り返すことしかできなくなっている。


 もしかしたら、とんでもない奴に嫁いだのかもしれない……。


「さあ目いっぱい色っぽく、興奮させて。がんばってね?」


 にっこり微笑んだ顔は、思わず揚羽が見惚れるくらい奇麗で、食べられる恐怖を麻痺させられたことには、やはり気づかなかった。

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